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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百四十九話 マリーンドルフ伯の戦慄

帝国暦 487年10月22日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ジークフリード・キルヒアイス


宇宙艦隊副司令長官室は今、穏やかな静けさに包まれている。仕事が一段落した所為も有るが、元々ラインハルト様があまり騒がしい事が嫌いなため、事務、雑用を行なう下士官たちの作業場所を隣部屋に移している所為でも有る。

ラインハルト様は執務机を軽く指で叩きながら何かを考えている。私が視線を向けると気付いたのだろう、机を叩くのを止めた。
「いかがされましたか? 何か気になることでもお有りですか」

「いや、そうではない。何時までこの静けさが続くのかと思ったのだ」
そう言うとラインハルト様は微かに溜息をついた。ラインハルト様は一日でも早く戦場に出たいのだろう。

「よければ、コーヒーでも淹れましょう」
「そうしてくれるか」
部屋には私とラインハルト様のほか、シュタインメッツ少将、オーベルシュタイン准将が居る。四人分のコーヒーを用意した。

コーヒーを飲みながら四人で今後の貴族達の動きについて話し合う。と言っても何度も話し合ったことだ、確認程度のもので大声で話し合うほどのものでもない、副司令長官室はいたって静かだ。

司令長官室ではこうは行かない。あの部屋は常に喧騒に晒されている。書類をめくる音、電話の呼び出し音、話し声、靴音、騒がしい限りだ。このあたり、司令長官とラインハルト様は正反対だ。

司令長官は穏やかで物静かな人柄から騒がしい事が嫌いだろうと思うのだが、あまり気にしないようだ。逆にラインハルト様は激しい性格であるのに静かさを好んでいる。

改革の勅令が発布されて以来帝都オーディンは何処と無く緊張をはらんだ静けさを保っている。それでも時々水面下で動きが生じる。じりじりと爆発への臨界点に迫っている感じだ。それがラインハルト様にはもどかしく感じられるのだろう。

マリーンドルフ伯がリヒテンラーデ侯に協力を申し出た。侯は伯を自分の傍に置き仕事を手伝わせている。今のところ政府閣僚の中から造反者は出ていない。しかし、貴族達が暴発すればどうなるか分からない。閣僚から造反者が出た場合、マリーンドルフ伯はその穴を埋めることになるのだろう。そのために今、リヒテンラーデ侯は伯に色々と教えている。

内心で改革に反対な閣僚達にとっては忌々しい限りに違いない。自分達が止めてもそれに代わる人物が居る。簡単に暴発に乗ってしまってよいのか、今の地位を捨て去ってよいのか、大いに悩むところだ。

マリーンドルフ伯は娘もヴァレンシュタイン元帥の元に出している。改革に賛成する、門閥貴族とは決別するという明確な意思表示をしたと言っていい。マリーンドルフ伯爵家は自ら退路を断った、大胆な決断をしたというのがもっぱらの評判だ。

ヴェストパーレ男爵夫人も元帥の元で仕事をしている。仕事といってもフィッツシモンズ中佐の手伝いだ、大した事ではない。しかし改革に賛成しているというメッセージにはなる。それが狙いだろう。

一昨日、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が夫人と令嬢を皇帝の下に返してきた。巷では皇帝を説得させ改革を廃止に追い込む為だと言われている。おそらく両家が積極的に流した噂だろうが実際には違う。

両家とも政府に恭順を誓ってきた。ラインハルト様から聞いたのだが、両家はヴァレンシュタイン司令長官の案に従って辺境への領地替えを願い出る事になるだろう。

ラインハルト様は司令長官の案に不満そうだ。ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家が反乱を起さなければ、不平貴族たちを集める核が存在しなくなる。反乱は地方に分散し、討伐は時間がかかるというのだ。

自分もそう思う。司令長官は誤った。おそらくはリヒテンラーデ侯の言う、フロイライン達の今後、皇帝の気持ちを考えたうえでのことだと思うが、それでも誤ったと思う。

宇宙艦隊は既に出撃準備は整っている。後は何時貴族たちが暴発するかだが、司令長官は遅くとも年内には暴発すると見ている。その点に関してはラインハルト様も同意見だ。司令長官は貴族達を経済的に追い詰めて暴発させるようだ。

ヴァレンシュタイン司令長官が部屋にやって来たのは、コーヒーを飲み終わり、そろそろ片付けようかという時だった。休息中の会話には司令長官に対する批判めいた言葉もあった。いささかばつが悪い。

慌てて飲み物を用意しようとしたが司令長官から余りゆっくりもしていられないのだと断られた。司令長官は近くに有った椅子に腰掛けるとラインハルト様に話し始めた。

「実は今日はローエングラム伯にお願いが有ってきたのですよ」
「お願いですか」
「ええ」

司令長官は穏やかに微笑みながら私を見た。
「キルヒアイス准将をしばらく貸していただけないでしょうか?」
「キルヒアイスをですか」

私を借りたい? どういうことだろう? 思わずラインハルト様と司令長官を交互に見てしまう。ラインハルト様も困惑しながら私と司令長官を見ている。

「しばらくというのはどの程度でしょう?」
「そうですね。大体一年と見てもらえば良いと思います」
「一年! それは……」

一年と聞いて絶句するラインハルト様に司令長官が言葉を続けた。
「こう言っては何ですが、お二人は少し離れたほうが良いと思うのですよ。今のままでは何処まで行ってもキルヒアイス准将はローエングラム伯の幼馴染の副官でしかない。誰もキルヒアイス准将の力量を正しく評価しようとはしないでしょう」

「……」
「それにローエングラム伯も慣れているからでしょうね、どうしてもキルヒアイス准将に頼りがちになる。周囲の人間もそれを知っているから二人に遠慮しがちです。余り良い傾向だとは思えません」

「……それは」
ラインハルト様は何か言おうとしたが結局口ごもってしまった。確かに司令長官の言う事には一理有るかもしれない。私とラインハルト様はずっと一緒だった。本来なら有り得ない事だ、特例だという事はわかっている。

私の能力はともかく、周囲が私とラインハルト様に遠慮しがちなのも事実だ。もっとも私自身は今の境遇に不満を持っているわけではない。このまま副官でも構わない。私が恐れるのは、私がラインハルト様のお役に立てなくなることだ。

「ずっと離れ離れになるわけではありません。私のところで参謀任務や分艦隊司令官を務めたらそちらにお返しします。一年有れば十分でしょう」
「……」

「この場で回答を、とは言いません。ですがお二人にとって悪い話ではないと思いますよ。考えてみてください」

そう言うと司令長官は“邪魔をしました”といって席を立った。これから宮中に行くのだという。何でもブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人から呼び出しが有ったらしい。司令長官は文句の一つも言いたいのでしょう、と言って部屋を出て行った。

「どうしたものかな?」
ラインハルト様が戸惑うような口調で呟いた。何処と無く気弱な視線で私を見ている。ラインハルト様も司令長官の言葉に一理あるのを認めているのだろう。

一年か……。門閥貴族との対決が終了するまでという事だろうか。その期間離れ離れになる。これまでずっと一緒だった、耐えられるだろうか?


帝国暦 487年10月22日   オーディン 新無憂宮  フランツ・フォン・マリーンドルフ


「それで、私はどうすれば良いのです?」
「まあ、御婦人方の機嫌を取ってくれれば良いのだ」
「女性の相手は苦手ですよ、私は。特に高貴な女性の機嫌を取るなど真っ平です」
「そう言うな、私とて苦手だ」

互いにうんざりした口調で話し合っているのは、国務尚書と宇宙艦隊司令長官だ。司令長官は不機嫌そうな表情を隠そうともしない。国務尚書はそれ以上に苦りきった表情だ。

「最初に呼ばれたのはリヒテンラーデ侯なのでしょう? 侯が抑えてくれなければ」
「私の説明では納得せんのだ、軍事の専門家を呼べとのことだ」
何処か他人事のようにリヒテンラーデ侯が司令長官に答えた。

「エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥には頼まなかったのですか?」
「二人とも急用が出来たと言ってな、卿を推薦してきた」
司令長官が好意の一欠けらもない視線で国務尚書を見たが、国務尚書は気にする様子もない。

当初、リヒテンラーデ侯がブラウンシュバイク侯爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人に呼ばれ色々と質問されたらしい。侯がどういう答えをしたのかは知らないが両夫人は納得しなかったようだ。

その結果、軍事の専門家であるヴァレンシュタイン元帥が呼ばれている。本来なら私は関係無いと言って逃げる事も出来た。しかしリヒテンラーデ侯に “卿も同行せよ、何事も経験だ” と言われては断れない。おそらく私に侯と元帥の間を取り持たせたいのだろう。

「侯、元帥、そろそろ行きませんと皆様お待ちです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が救われたように
「そうじゃな、そろそろ行くか」
と答え歩き始めた。

司令長官はしばらく動かなかったが、溜息を吐くと侯の後を歩き始めた。
「ババを引かされるのはいつも私だ」
呟くような司令長官の声だった。

御婦人方、ブラウンシュバイク公爵夫人とリッテンハイム侯爵夫人は南苑の一室で私達を待っていた。令嬢方は遠慮したらしい。臣籍に降嫁されたとはいえ陛下の御血筋の方だ。侯と元帥は片膝をついて礼を示した。私は二人の後ろで片膝をつく。

「忙しいところ、よく来てくれました。礼を言います」
落ち着いた声だ。どちらが言ったのだろう、ブラウンシュバイク公爵夫人か? リッテンハイム侯爵夫人だろうか?

「私達の夫が危険な状態にある事は聞いています。教えてください、私達は夫と再会することが出来ますか? 娘は父親に会うことができますか?」

微妙な沈黙が有った。上目遣いに見ると侯と元帥が微かに視線を交わしているように見える。ややあって司令長官が答えた。

「今のままでは難しいと思います。貴族達の暴発に巻き込まれ反逆者として生涯を終えることになるでしょう」
「!」
お二人が息を飲むのが分かった。司令長官の言葉が続く。

「私達が辺境への領地替えをブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に提示した事はご存知でしょうか?」
「知っています。夫達はそれを受け入れました」

「それが成功すれば両家は暴発に巻き込まれる可能性は減ります。但し、御婦人方、御令嬢方にはオーディンにしばらく御留まりになっていただくことになります」

「ヴァレンシュタイン元帥、それは人質と言う事ですか?」
「そう受け取っていただいて結構です」
「そんな! 私達は皇帝フリードリヒ四世の娘なのですよ。皇帝の娘を人質に取ると言うのですか!」
先程までの落ち着いた声とは別な声が怒りに満ちた口調で私達を詰った。

「クリスティーネ、落ち着きなさい」
「ですがあんまりではありませんか、お姉様」
怒りに満ちた声が頭上に響く、リッテンハイム侯爵夫人か。だとすると落ち着いた感じの声がブラウンシュバイク公爵夫人だろう。

そしてリッテンハイム侯爵夫人の怒りを押さえつけるかのようにリヒテンラーデ侯の低い声が流れた。

「恐れながら、ヴァレンシュタイン元帥の申す通りにございます。お二方は陛下の御息女ではありますが、同時にブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人なのです。両家が帝国に弓引かぬという証が必要なのです」

「……」
「それにはお二方、御令嬢方がこのオーディンに留まる事が必要です。どうか、御理解いただきたく存じます」
リヒテンラーデ侯の声は二人の女性を落ち着かせる力があったようだ。少しの間をおいてブラウンシュバイク公爵夫人が問いかけてきた。

「私達の夫はそれほどまでに帝国にとって危険だと言うのですね?」
「……」
リヒテンラーデ侯もヴァレンシュタイン元帥も答えない。だが答えないこと自体が答えを表しているだろう。

「答えられませんか。では夫たちがこの危機を乗り越えられる可能性はどれほどあるのでしょう?」
「……」

「お姉さまの質問に答えなさい、無礼でしょう」
リッテンハイム侯爵夫人の叱責が飛んだ。ややあって、ヴァレンシュタイン元帥が答えた。

「正直分かりません」
「!」
「ただ……」
「ただ?」
先を促すように言葉を発したのはどちらの夫人だろう。それに答えるかのように元帥の言葉が流れる。

「出来る限り早く辺境へ赴く準備を整え出立する事です。早ければ早いほど貴族達の暴発から逃れる事が出来ます。遅くとも十一月の下旬には準備を整えておく必要があるでしょう」
「……」

十一月の下旬……。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も領地へ戻るには十日から半月程度はかかるに違いない。今から戻れば十一月の初旬には領地につく。残り約二十日程度の日数で準備を整えなければならない。

なるほど、十二月になれば貴族達は銀行からの借金の返済が二回目になる。そうなれば貴族達は耐え切れなくなって暴発する、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もそれに巻き込まれる、元帥はそう考えているのだろう。思った以上に厳しい状況のようだ。





ブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人から解放されたのはそれからさらに三十分ほど経ってからだった。リヒテンラーデ侯もヴァレンシュタイン元帥もどこか疲れた顔をしている。

少し休んでから戻ろうという事になって、部屋の片隅に置かれていた椅子に座った。ちょうど良い機会だ、気になっていたことを訊いてみよう。
「御婦人方の相手は疲れますな……。ところでヴァレンシュタイン元帥、一つ聞きたい事があるのですが」

「何でしょう?」
「領地替えですが、何故あの案を出したのです? あの二人を暴発させたほうが討伐はやりやすかったと思うのですが」

ヴァレンシュタイン司令長官は困ったような表情を見せたまま答えない、それとも答えられないのだろうか? あの時司令長官はリヒテンラーデ侯の問いに答える形で領地替えの案を出した。この二人の力関係はやはりリヒテンラーデ侯が主導権を握っているのだろうか?

「それにしても、あの場で即座に案が出るとはさすがですな。私などには到底無理です」
ヴァレンシュタイン司令長官は私の言葉に苦笑を漏らし、リヒテンラーデ侯に視線を向けた。司令長官に釣られてリヒテンラーデ侯を見ると侯も苦笑を漏らしている。

どういうことだ? 二人とも苦笑を漏らしている。まさか……。
「違うのでありますか」
恐る恐る問いかけたが二人とも答えない。かえって苦笑を深めただけだ。そして侯と司令長官は目で何かを語り合っている……。

戦慄が心を、身体を襲う。まさかとは思う。だがあの領地替えの案は事前にリヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥の間で検討されていた事だったのか? いや、それだけだろうか? ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はどうだろう、四者間での話し合いが事前に有った?

だとすれば、あの会議は最初から筋書きが出来ていたのかもしれない。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は貴族達を切り捨て、新帝国成立に協力する。その証として妻と娘を人質として差し出す。目の前で静かに苦笑する二人を見ながら私は懸命に混乱する自分を立て直そうとしていた。一体真実は何処にあるのだろう……。





 
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