SECOND
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第一部
第二章
第十九話『この世界を守って』
ほむらの自宅にて朝食の時、ほむらはまどかに尋ねた。
ほむら「ねえ、まどか。どうして学校に行くの止めてしまったの?あんなに行きたがっていたのに。」
まどか「あはは、私ちょっとブランクがあったでしょ。それで勉強が付いて行けてないからさあ、暫らく家で勉強して追い付いてから改めて学校に通おうと思ったんだ。」
ほむらはかつての自分を思い出し、その気持ちが痛い程分かった。
ほむら「そう、それなら分からない所があったら、ぜひ私に相談してね。今の私ならきっとお役に立てると思うから。」
まどか「あはは、何たってほむらちゃんはぶっちぎりの学年トップだもんね。頼りにさせて貰いますよ。」
ほむらが登校する段になると、まどかがお弁当を丁寧に差し出した。
まどか「ほむらちゃん、本当に有り難うね。」
ほむらは妙に真摯な物言いだと感じたが、きっと勉強の指導に対するお礼も含まれているのだろうと思った。
ほむら「うん、まどかもお弁当ありがとうね。」
そしてそのお弁当を鞄にしまうと、ほむらは家を後にした。
♢
最近急に幸恵と翠が口を利かなくなった事に、疑問を感じた詩織が幸恵に尋ねた。
詩織 「ねえ、幸恵。翠と何かあったの?」
幸恵は詩織の事を少し見詰めてから答えた。
幸恵 「別に…」
それは雄弁なまでに何かあった事を物語っていたし、それが自分に知らされる事が無い事も伝わって来た。
詩織 「そう…私は一人、蚊帳の外なのね。」
♢
まどかはほむらの部屋で一人手紙をしたためていた。それを書き終えると封筒に入れ、その封筒に手を合わせて一礼をした。
♢
翠が一人下校していると、詠が現れた。
詠 「翠、ちょっといいかしら。今後の事についてあなたと話し合いたいのだけれど。」
翠は頷き、二人は近くのファストフード店に入った。
詠 「あのね、翠。あなたに伝えておきたい事があるの。」
少しかしこまった詠に翠も応え、真摯に聞くべく背筋を伸ばした。
翠 「詠さん、どうぞ…」
詠 「うん、実はマミさんの話なんだけどね…」
翠 「えっ、マミさんですか?」
詠 「ええ。私ね、魔法少女になった経緯とかで悩んでいて、それでマミさんに相談した事があったの。」
翠 「そうなんですか…。」
詠 「その時にね、私の悩み事との流れでマミさんの夢の話を聞いたの。」
翠 「夢、ですか…」
詠 「あっ夢って言ってもね、眠ってる時に見るあれじゃないよ。マミさんはね、誰も死なないで済む理想的なチームを作りたいって言ってたの。」
翠 「そうですか…それはマミさんらしい話ですね…」
詠 「うん、それでね。マミさん曰く、その理想はあなたがいれば叶えられるかもしれないって言ってたのよ。」
翠 「私が、ですか…。でも結局、私がいても多くの犠牲が出てしまいました。それはマミさんの買い被りというものですよね。」
詠 「そうかな、でも私はマミさんの意見に賛成なんだよね。翠はさあ、やっぱり他のみんなとは一線を画している感じなんだよね。今まではさあ、なんだかんだでまだ翠も不慣れな新人だった訳じゃない。いろいろイレギュラーな事もあったし。そりゃまあ、これからもイレギュラーな事は起こるだろうけどさ。でもこれから、これからよ翠。私達でマミさんの夢見た理想的なチームを作りましょうよ。どお?悪くない提案だと思うんだけど。」
翠 「勿論、それが出来るに越した事は無いのでしょうけど…具体的に何をすればいいのか…」
詠 「翠、まず自覚をして。あなた自身の力を、あなたは強者だってことを。あなたは特別な魔法少女なのだから。」
翠 「詠さん、だからそれは買い被りというもので…」
詠 「いいえ、まずあなたのその自覚が必要なことなのよ、翠。」
翠 「…」
二人が話をしていると、店の前の通りの向こうをまどかが歩いて行くのを翠が発見した。そのまどかは何か思い詰めたように見え、それが気になった翠は詠に別れを告げてまどかを追う事にした。
空は徐々に雲が厚くなり、遂にはぽつぽつと雨が降り出して来た。
♢
ほむらは帰宅すると、まどかの靴が無いのにすぐ気が付いた。
ほむら「買い物…かな。」
ほむらが部屋の中へ進むと、テーブルの上に置かれた封筒を見つけた。「暁美ほむら様へ」と書かれたその封筒から中の手紙を取り出すと、ほむらはそれを読んだ。
〝 親愛なる暁美ほむら様へ、
このような形でお別れを告げるのは、大変心苦しく申し訳なく思います。ですがどうかご理解して頂ける事を、切にお願い申し上げます。
御存じとは思いますが、私の本体はソウルジェムであり、その魔力によって骸となった体を動かしています。その為、日々の生活の中でもソウルジェムの魔力は使用され続け、一方的に消耗して行くばかりでした。しかも元々この世界の住人ではない私はより激しく魔力を消費するようで、あまりこの世界に居続けられない事は早い段階で判っておりました。そこでどうせ長くないのなら少しでもお役に立ちたいと思い、魔法少女として参戦させて頂きました。勿論その中にはもう一度学校に行ってみたい、そしてまたみんなと話がしてみたいという私のエゴがあったのも事実です。しかしそれは私の予想よりもはるかに魔力の消耗が大きく、大した役にも立てなかったばかりか、却ってあなたを苦悩させる事となってしまいました。その事、深く深く重ねてお詫び申し上げます。そして何より前の世界でだけでなく今の世界に於きましても、あなたの私に対する思いやりと献身に対しましては、私はもう感謝を表す言葉すら思い付かず、ただただひたすらにありがとうとしか言いようが御座いません。私はこのままでは魔女になってしまい、その結果この世界にどのような災厄をもたらすか分かりません。ですから自分でその始末をつける事にしました。本当にありがとう、そしてさようなら。
どうかこの悲しみに打ち勝ちますように、私の最高の友達、暁美ほむら様。
鹿目まどかより 〟
ほむらは暫くその手紙を持ったまま固まってしまった。そして手から零れるようにその手紙を落とすと、呆けたように家の外へと出て行った。
♢
まどかはシトシトと雨が降る廃工場に到着した。そこはまどかに既視感を与え、不思議と因縁を懐かせた。まどかは自分がこの場所で果てるのに運命を感じた。そこへ突如キュゥべえが現れた。
キュゥべえ「いよいよ魔女の誕生だね。」
まどか「キュゥべえ!?あなたどうしてここに…」
キュゥべえ「そりゃあ何たって、この宇宙の法則を超越した存在がこれから生まれるって瞬間だからね、それを見逃すって手はないだろ?僕たちインキュベーターは感情こそ持ってはいないけど、知的生命体としての好奇心くらいはあるからね。それにこれは大きなチャンスでもあるよ。ひょっとしたら魔女という特異な存在が、今の宇宙の熱的な死という根本的な大問題を解決してくれるかもしれないじゃないか。初めてほむらの話を聞いた時は僕も信じられなかったけど、今君という現物を前にして彼女の言った事に信憑性が出て来た。もし彼女の話が本当なら、これから君はホワイトホールとなって永久無限にエネルギーを放出し続けるのかもしれない。いやー鹿目まどか、君は正に神が与えもうた無限に乳を吹き出し続ける乳牛なのかもしれないんだよ。」
だがまどかはそんな嬉しそうなキュゥべえをしり目に、自分のソウルジェムをコンクリートの上に置くと、近くにあった大きな石を持ち上げた。
まどか「残念でした。」
まどかはその言葉と共に、持ち上げた石をソウルジェム目掛けて打ち下ろした。まどかはどうだと言わんばかりの顔をしたが、すぐに異変に気付いた。
まどか「何で!」
打ち付けた石が転がると、そこには傷一つ付いていないまどかのソウルジェムがあった。
キュゥべえ「身に覚えがあるんじゃないのかい?」
まどか「え?」
キュゥべえ「ほら、誰かがボルトと一緒に握り潰そうとしたけどダメだったろう?」
まどか「…」
キュゥべえ「それは魔法物だから丈夫なんだよ。普通の物理的な方法で破壊するには、戦車砲とかミサイルくらいじゃないと無理なんじゃないのかなあ。」
まどか「…」
キュゥべえ「まあ、魔法少女による魔法攻撃なら比較的簡単に破壊出来るだろうけど、もし今君が魔法少女に変身でもしたら、その事で君のソウルジェムとやらは魔力を使い切ってしまい君も魔女とやらになってしまうんだろうね。正しく二律背反とはこの状況の事だね、フフフ。」
まどかは正気の無い顔をして立ち竦み、茫然自失だった。
キュゥべえ「ああそうそう。僕の見立てでは、そのソウルジェムは体から離れた状態だとより多くの魔力を消費してしまうようだよ。まあ、より離れた所に魔力を飛ばす方がよりエネルギーを使うってのは道理に適っているからね。もし君が少しでも長くそのソウルジェムの魔力を保たせたいのなら、胸の辺りにくっつけておく事をお勧めするよ。」
そう言われて、まどかは慌てて自分のソウルジェムを胸に抱いて押し当てた。
まどか「キュゥべえ!もし今ここで私が魔女になってしまったら、この宇宙の因果律が壊れて前の宇宙に戻ってしまうかもしれないのよ。魔法少女達の夢や希望が、悲しみや絶望で終わってしまうあの世界に!」
キュゥべえは尻尾をくるりと回して、にこやかに答えた。
キュゥべえ「鹿目まどか、それは僕達インキュベーターにとって困る事なのかい?」
まどか「なっ…」
まどかの目から悔し涙が溢れだした。まどかは自分を責めた。
まどか「バカバカ!私のバカ!」
ソウルジェムの輝きがギリギリになるまでこの世界に留まってしまった自分を責めた。
その時、何者かの濡れた地面を踏む音がした。
キュゥべえ「んっ?」
それは翠だった。
♢
ほむらは雨の街の中を当ても無く彷徨っていた。ずぶ濡れになりながら時折まどかの名を呼ぶその姿は、哀れで異様だった。
詠 「ちょっと、ほむらじゃないの。一体どうしたってのよ?」
そこに詠が現れほむらに声を掛けて来た。ほむらは詠に虚ろな目を向けると、ポツリと言った。
ほむら「まどかが…」
詠 「えっまどか?まどかならさっき見かけたけど…」
その言葉に弾かれるようにほむらは反応し、詠の両肩をワッシと掴んだ。
ほむら「どこ!どこなの!まどかをどこで見たの!」
そのあまりの形相に詠はすっかり引いてしまったが、それでもなんとか答えた。
詠 「ええとね…さっき翠と一緒に入ったお店でね、まどかが通りの向こうを歩いているのを見かけたのよ。そしたらね、それを見た翠が何だか様子が変だって言って、まどかの後を追って行ったけど、何かあったの?」
だが詠の質問には答えず、ほむらは尚も迫った。
ほむら「その店ってどこ!まどかはどっちの方へ行ったの!」
詠は肩をガクガクと揺さ振られてすっかり気圧され、上手く答えられなかった。
詠 「あああ、あっちの方にあるファストフード店で、ままま、まどかは町外れの方に向かってたようよ。」
ほむら「ありがと!」
それだけ聞くと、ほむらは詠の指差す方へと物凄い勢いで走り去って行った。
♢
翠は、泣きながらソウルジェムを胸に抱えたまどかに尋ねた。
翠 「まどかさん…どうしたんですか?」
まどか「ああ、翠ちゃん!良かった…あのね時間が無いの、今すぐ魔法少女になって私のソウルジェムを、あなたの魔法の矢で破壊して欲しいの。お願い!」
翠は状況を飲み込めず、キュゥべえの方を見た。しかしキュゥべえは何も言わす、少し離れた所にある枠のようになった場所にトコトコと歩いて行ってしまい、雨宿りとばかりにそこに収まってしまった。
翠 「ごめんなさい、まどかさん。よく分からないのだけれど…」
まどか「翠ちゃん、私の持っているソウルジェムを見て。もう殆ど真っ黒でしょ。今三つほど輝きが残っているんだけど、もうすぐこの光も消えてしまうの。そしてこれが全ての輝きを失った時、私は魔女という呪われた存在になってしまうの。だからその前にこれを壊さなければいけないんだけど、普通の力じゃダメだったの。魔法物であるソウルジェムを破壊するには魔法力でないと出来ないの。でももう私は魔法少女になれないの。だからあなたの力で壊して欲しいの、お願い。」
翠は少考した後に答えた。
翠 「とにかくそのソウルジェムというのを、私の魔法の矢で射抜けばいいんですね。」
まどか「ええ、お願いします。」
翠は腰の辺りを右手で、まるで埃を払うかのように叩いた。するとそこから光の粒が発し、まるで服に燃え広がるように伝って行った。光の粒が通った後は魔法少女のコスチュームに替わっていた。そして最後に光の粒は左手の先から宙に弓状に走り、翠の魔法具〝絶弓ゼロディバイディング〟となった。
翠は矢を番えて言った。
翠 「まどかさん、用意出来ましたよ。」
まどか「はい、お願いします。」
翠は苦笑した。
翠 「はは、まどかさん。このまま撃ったら、まどかさんにまで矢が当たっちゃいますよ。」
まどか「うん、それでいいの。お願い。」
翠は弓を一旦下ろした。それを見てまどかが言う。
まどか「あのね翠ちゃん。実はね、私の本体はこのソウルジェムの方なの。前の世界の魔法少女はね、魔法少女になる時にこのソウルジェムに魂が乗り移ってね、体の方は死んでしまうの。そしてその死体をジェムの魔力で動かしているの。気持ち悪いよね、だって私はゾンビなんだもの。今まで黙っていてごめんなさい、でもわざわざ言う気にはなれなかったの。許してね。」
翠 「え…」
翠は困惑した。まどかは続ける。
まどか「更に言うとね、前の世界で私達魔法少女が戦っていた敵が魔女なの。つまりね魔法少女達は自分達の成れの果てと戦わされていたの。もし私が今魔女になってしまったら、そこからこの宇宙が前のそんな宇宙に戻ってしまうかもしれないの。だからお願い、そんな事にならないように私を撃って。」
翠の胸に陽子のあの言葉がまた浮かび出る。
翠 「まどかさん、一つお聞きしたい事があるんですけど。」
まどか「何?何でも聞いて。」
翠 「響亮って言うのは何者なんですか?」
まどか「えっ響亮?ごめんなさい、私そんな人知らないのだけど…」
翠 「そうですか…」
翠はまどかが嘘を吐いているとは思えなかったが、その亮とやらが陽子にまどかを呼び出させた事をまどかに話すべきかは迷った。前の世界のまどか、そしてその更に前の世界の亮、この二人に直接的な関係が無いのなら一体どんな理由で亮は陽子にそうさせたのだろうか。
しかし人の都合などお構い無しに時間は過ぎて行く。まどかのソウルジェムの輝きが一つ消え、いよいよ残り二つとなった。
まどか「翠ちゃん、もう時間が無いの。早く私を撃って。そしてこの世界を守って!」
〝この世界を守って〟という言葉は翠の心に強く響いた。それは翠に自分が魔法少女になる時に願った言葉を思い出させた。
〝私はこの世界を守る守護者となりたい〟
そしてまるでそのまどかの言葉に誘なわれるように、翠は覚悟した。この世界の守護者となる事を。この世界を守るという事はただ単に魔獣達と戦うという事ではない事を。その義務には自身の命を懸けるだけではなく、あらゆる忌諱すべき穢れ仕事をしてのけなければならない事を。
翠はもう自分が子供ではいられないのだと悟り、そしてそれを悲しくも思った。
翠 「…分かりました、まどかさん。責任を持って介錯させて頂きます。」
まどか「ありがとう、翠ちゃん。嫌な役を押し付けてごめんね。」
翠 「いえ。それより、ほむらさんに何か言い残して置く事とかはありませんか?」
まどか「うんうん、大丈夫。手紙を置いて来たから、もう…」
翠 「そうですか…では。」
翠はまどかの胸に抱えられたソウルジェムに狙いを定めてゆっくりと弓を引き、満を持した。
〝ボシャ!〟
その時、翠の背後で水溜まりに足を落とす音がした。
ほむら「翠、今すぐ弓を下ろして。」
そこには翠に向かって弓を構えている魔法少女になったほむらが立っていた。
まどか「ほむらちゃん!」
ほむら「まどかは黙っていて。さあ翠、早く弓を下ろしなさい。」
ほむらはわざと弓をしならせ音を出し、自分が弓を引いている事を翠に伝えた。しかし翠はまどかに狙いを定めたまま微動だにしなかった。ほむらは更に弓をしならせ言った。
ほむら「今私は、あなたの頭部に狙いを定めて弓を引いています。翠、これは命令です。弓を今すぐ下ろしなさい。」
だがそんなほむらの高圧的な脅迫にも屈する事はなく、翠は無言で弓を構え続けた。
まどか「ほむらちゃん止めて、私が翠ちゃんにお願いしたの!」
ほむら「だからあなたは黙っていて!翠、弓を下ろさないのなら撃ちます。脅しではありませんよ、さあ早く!」
まどか「じゃあほむらちゃんが私を撃ってよ、その方が私も本望だよ!」
ほむら「そんな事言わないで、まどか。」
まどか「ほむらちゃん覚えているでしょ、前にもこんな事あったでしょ。あの時、ほむらちゃん、私のお願い聞いてくれたじゃない。だから…」
ほむら「止めて!もう私は嫌なの!もう二度とあなたを殺すなんて事したくないの…私があの時どんな思いだったか、あなたには分からないの?」
ほむらは感情的になり涙声になって来た。ヒステリックに叫ぶ。
ほむら「翠!何やってんの、早く弓を下ろしなさいよ!死にたいの!」
だがやはり翠は微動だにせず、まどかに矢を定め続けていた。
まどか「ほむらちゃん、私には分かるの。今私が魔女になっちゃったら、この世界がそこから破けて前の世界みたいになっちゃうの。あんなに苦労して、あんなに苦しんで、せっかく変えた事が全部無駄になっちゃうんだよ。そんなのほむらちゃんだって嫌でしょ、私は堪えられないよ。」
まどかも泣き出してきた。
ほむら「だから…だから私が言ったじゃない、あなたに戦うなって。あなたが私の言う事を聞いてくれていたら、こうはならなかったのよ。」
まどか「うんそうだね、私が悪いよね。私はいつもほむらちゃんを苦しめて追い詰めて…本当にごめんね。私自身ももうそんな自分が嫌になっちゃったよ。私なんかいるからほむらちゃんは…」
ほむら「違うの、違うのよまどか。私はあなたをそんな風に苦しめたり追い詰めたりしたくないの。あーもーあー…翠、取り敢えず弓を下ろして、お願い。」
翠は微動だにしない。
ほむら「怒っているのね翠、この間の事。謝るわ、殴ったりして本当に御免なさい。私どんな償いでもする、ほんとに何でもする。だから一旦弓を下ろして。そしてお願い、一緒に考えて欲しいの、今のこの状況を打開する方法を。」
まどか「無いよほむらちゃん、もう無いんだよ!」
ほむら「そうだ!誰かに、誰かに願って貰おうよ。誰かの魔法少女になる時の願いで、まどかのソウルジェムの輝きを復活させましょう。」
まどか「どうしてそんな事言うの!ほむらちゃん。誰かの大切なお願いを、そんな手前勝手な事に使うなんて酷いよ!そんな事言うほむらちゃんなんて嫌いだよ!」
ほむら「嫌い?あーいーよ、嫌いで結構だよ。あなたを失う事に比べたら嫌われようが憎まれようが私何でも無いよ。だって、だって…だって今までずっとそうして来たんだから!」
ほむらの感情は限界に達し、もうはっきりと泣き出してしまった。まどかは苦しげに搾り出すように言った。
まどか「どっちにしろ、もう時間が無いよ。私は…もう…」
まどかのソウルジェムの輝きは、いよいよ残り一つとなっていた。真っ黒なソウルジェムの中に弱々しい輝きが、時折僅かに見受けられる程度だった。
ほむら「お願い翠、弓を下ろして。お願いします…どうか御慈悲を…翠様…お願い…」
もうほむらは立っているのもやっとの事で、翠に向けた弓もあらぬ方向を向いてしまっていた。だがそんなほむらの状態とは無関係に、翠は身動き一つせずにまどかに狙いを定め続けていた。
ほむら「誰か…誰か、助けて…」
ほむらは虚しくも助けを求めた。もうそれしか出来る事が無かったからだ。既にして、まどかのソウルジェムの輝きは殆ど見えなくなっていた。
苦しむまどかが最期の声を上げる。
まどか「お願い翠ちゃん!私とほむらちゃんが紡いだこの世界を守って!」
翠 「!」
翠の放った矢は、まどかのソウルジェムを正確に貫いた。胸に矢を受けたまどかの影が舞い、その前を砕け散ったソウルジェムの破片がキラキラと宙に輝いた。翠はそれを酷く美しいと感じた。
ほむら「ふしゃるわーっ!」
それは声と言うにはあまりにおぞましく、あたかもほむらの心が破ける音が口から漏れ出したようだった。その叫びと共に放たれたほむらの矢は、翠の右のおさげを留めているリボンごとちぎり切って虚空の彼方へと消えて行った。それは外れたのか外したのか、当のほむらにも分からなかった。
翠は天を仰ぐように上を向くと、僅かにハァーっと息を吐いた。雨粒が顔に当たって、それが少し心地よかった。
ほむら「あー…うう…まど…か…あー…」
ほむらは丸く小さく屈み込んで、止まりかけの心臓のようにビクビクと震えて泣いていた。時々咽びながら、いつまでもおいおいと泣き続けた。力無く投げ出されたまどかの腕の下の水溜まりが赤く染まって行く。
それらを見ていたキュゥべえは尻尾をくるりと一度回すと、もう見世物は終わりなのかとばかりにその場を去って行った。
♢
不気味な低い雲が強い風に押し流される空の下、橋の歩道の真ん中で二人の少女が相対していた。その二人の間の欄干の上にはキュゥべえがいた。その二人、ほむらと翠はお互いに目を合わせずに暫く風に吹かれていた。やがてほむらが強風になびく前髪を掻き上げ目を伏せて言った。
ほむら「髪、ごめんなさいね。」
翠 「いえ…」
左だけのサイドテールになった翠の髪は、今までよりもやや後ろ上方から少し跳ね上がるように突き出ていた。翠は向きを変え、橋の欄干に両手を載せて川面を見詰めた。
ほむら「あなたが正しいのは分かっているの、感謝する気持ちだって無い訳じゃないのよ。でも…まどかを殺したあなたとは、とても一緒にはいられないの…」
翠は何も答えず、相変わらず風に吹かれながら川面を見詰めていた。
ほむら「それじゃあね…」
ほむらが別れを告げようとすると、翠は川面を見詰めたまま唐突に言った。
翠 「響亮です。」
ほむら「え?」
翠 「陽子にまどかさんをこの世界に転送するように言った者、陽子は男の子と言ってました。まどかさんが前の宇宙を殺して今の宇宙にしたように、前の前の宇宙を殺して前の宇宙にした人だとも言ってました。」
ほむら「…」
翠 「陽子はこうも言ってました。まどかと亮には気を付けろ、と。」
ほむら「翠、あのまどかは…」
翠 「私は前の宇宙とかそんな話はどうでもいいんです。でもこの世界に仇なす者には容赦はいたしません。たとえそれが、あなたであっても…」
翠は一瞬ほむらに目線だけを向けた。そして川面の方を向いたまま言った。
翠 「どうか、お元気で。」
ほむらは翠の方を見た、だが翠がほむらの方を向く事は無かった。
ほむら「あなたもね。」
そう言ってほむらは横に置いていた小さな鞄を一つ持ち上げると、踵を返して歩き出し去って行った。
ほむらが去った後も翠は暫く川面を見詰めて鼻歌を歌っていた。そしてフンフンと鼻歌を歌いながらその場を離れて行った。
最後に残された格好になったキュゥべえはくるりと尾を振った。
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