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第一部
第一章
第九話『「おかえり」と「ただいま」』
見滝原中の四人が件の廃工場にやって来ると、すでに梨華とキュゥべえがそこで待っていた。五人は互いに目配せをすると特に言葉を交わす事も無く、おもむろに廃工場の魔獣の潜む建屋の中へと入って行った。暗い階段を下りて行くと、やがて魔獣の結界の中へと周囲が変わって行った。
真理 「そう言えば、翠君は魔獣に襲われた事があるそうだね。この徐々に空間が変質して行く感じは、その時のものに似ているらしいんだが、どうかね。」
翠 「さあ…。私の場合は魔獣の結界の中に引き込まれて行く時、周囲の変化に気付けなかったので、この感じと同じかどうかはちょっと分かりませんね。」
大した会話も無いまま最下層へと辿り着いた一行は、取り敢えずの確認をした。
マミ 「さて前衛はどうしましょうか。杏子がいない今、近接武器なのは御悟さんくらいなんだけど、切り札を前面に押し出すって訳にはいかないわよね。」
真理 「まあそうですな。敵の攻撃を一身に受けながら、ここ一番で決めてくれと言われてもねぇ。さすがの私も万能って訳ではないんでね。」
梨華 「私ジャベリンですけど、投げずに持って戦いましょうか?囮役ならそれでもやれると思います。」
その時、翠が一歩前に出て力強く言った。
翠 「私、やります。」
翠のそれまでのイメージらしからぬ主張っぷりに一同は少し困惑した。
真理 「おいおい、君の武器は弓だろ。前に出て戦うべきじゃないんじゃないか?」
マミ 「そうよ、翠。前衛は私と名波さんで何とかするから大丈夫よ。」
翠 「私、自信があるんです。」
翠はそう言って、ほむらの方を尋ねるように見た。
ほむら「そうね。知っての通り、彼女の実力はかなりなものよ。私はお勧めするわ。」
真理は相当面白くなかった。あのほむらがあっさり翠の実力を認めている事が。
真理 「ほーっ、そうかね。では是非やって貰おうではないか。」
マミ 「翠、変に気負わないでよ。私達はチームなんだから、いいわね。」
翠 「はい、理解しています。」
真理 「ほむらも大丈夫かね。こないだみたいな事はもう勘弁して欲しいものだが。」
ほむら「安心して、もうあんな事はしないから。それより、あなたこそチャンスを逃したりしないでよね。」
真理 「フッ、まあ見るがいいさ。」
五人は暗闇の中に歩み出した。闇の中に潜む廃工場の魔獣の存在を一行が正確に捉え、いよいよ攻撃を開始しようとしたその時、遥か頭上から微かに音が響いた。
〝グォン〟
それは建屋の鉄扉が開閉する音だ。
真理 「おい、誰かね最後の者は。ちゃんと閉めて来なかったのかね?」
梨華 「私、ちゃんと閉めて来ましたよ。あのスライド式の棒の鍵も掛けましたし。」
真理 「フッ、あれはね、ラッチとい…」
翠 「この工場の人が入って来ちゃったんじゃないですか?」
マミ 「それは有り得ないわ。ここにはキュゥべえが人払いの結界を張っているもの。もし誰か入ってこれるとするのなら、それは…」
〝ウォォォン〟
今度は前方から魔獣の咆哮が鳴り響いた。それは普通の魔獣のそれとは違う、何か物寂しげにも聞こえるものだった。そしてその咆哮を合図にするかのごとく、廃工場の魔獣は一行に襲い掛かって来た。
廃工場の魔獣は以前とは打って変わってアグレッシブに攻撃をして来た。遂に本気を出して来たというような、あるいはまるで怒っているというような感じだった。普通の魔獣とは比べようもない程の速さと硬さと激しい攻撃は、若干虚を突かれた格好になった魔法少女の一団をあっさりと駆逐してしまった。散り散りに魔獣から逃げ去る魔法少女達。しかしその中にあって翠だけは、そんな魔獣の猛攻を華麗に躱し、あまつさえ弓矢で反撃をしてのけていた。
マミ 「凄いわね、翠…」
その凄まじいまでの廃工場の魔獣と翠の戦闘に、他の魔法少女達は少しついて行けないものを感じていた。
♢
階段の近くで観戦しているキュゥべえは廃工場の魔獣戦とは別に、何者かが階段を駆け下りて来るカンカンという音が気に掛かっていた。廃工場の魔獣が突如狂暴になったのは、その者の所為かも知れないからだ。
キュゥべえ「何か大きな事が起こるかもしれないな…」
キュゥべえは予感を覚えた。
♢
廃工場の魔獣は明らかに翠だけを相手にしていた。ほむらの矢も梨華の槍も効果が見られず、マミは銃ではダメージを与えられず、大砲では狙いを定められなかった。真理は虎視眈々とチャンスを狙ってはいたが、圧倒的なスピードの廃工場の魔獣に対してなかなかそれを見い出せずにいた。
翠はその攻撃を躱せはするものの、大技のメギドを放つまでの余裕は与えて貰えなかった。あるいはメギドの威力を知った廃工場の魔獣が、翠にそれを撃たせないように猛攻を仕掛けているのかもしれなかった。
やがて疲れ始めたのだろうか、翠の動きが段々悪くなってきた。
マミ 「このままじゃ、ジリ貧ね…」
梨華 「翠ちゃん、休ませてあげないと…」
翠は息が上がっていた。実際一人で戦っているようなものなのだから無理もなかった。如何に潜在能力が高くとも、翠は魔法少女としてはまだルーキーに過ぎない。上手い力の抜き方とか仲間の使い方とかは知らないのだ。もっとも、翠は潜在能力が高すぎるが故に自分の力を推し量れず、それを引き出す事が全く出来ていなかったのだが。
疲労の所為もあって動きが単調になった所を狙われた。翠が魔獣の後ろに回り込むように大きくジャンプした所に合わせて、魔獣は体を回転させ裏拳を出すように攻撃して来た。翠はそれを空中で何とか躱したものの、着地に失敗して転んでしまった。魔獣は尚もコマのように回転しながら体を傾けて翠をはたきに来た。次の瞬間、激しい衝撃と共に宙に舞い上げられた翠は、梨華に抱きかかえられていた。そのまま二人は闇の中に遠く飛ばされて行った。
翠 「り、梨華さん!」
梨華 「へへ、少しは…杏子さんに…近付けた…かな…」
そして梨華は動かなくなった。
翠 「梨華さん!梨華さん!」
翠は梨華の体を揺さぶった。しかし梨華はもう何の反応も示さなかった。翠は涙を滴らせながら、ゆらりと立ち上がった。
翠 「ウワー!」
翠はまるで魔獣を呼ぶかのように声を上げた。そしてそれに呼応するかのごとく廃工場の魔獣は翠を追って来た。翠はそれに向かって大きく矢を番えた。
翠 「メギドォ!」
強力なメギドの一撃は魔獣の突進を止め大きくよろめかした。
翠 「メギド!メギド!メギド!」
翠は尚もメギドを放ち続けた。
マミ 「ダメよ、翠。そんな無茶をしては!」
メギドを連発する翠を、マミが抱き締めて止める。
マミ 「それではあなたが消えてしまう!」
しかしながら、メギドの連射を受けた廃工場の魔獣は大きくよろめき、遂には地面に倒れ込んだ。
真理 「来た!」
そしてその千載一遇のチャンスを、真理は逃さなかった。
真理 「デスサイスギガンテス!」
真理の持つ大鎌が巨大な光の薄刃となって廃工場の魔獣に切り掛かった。魔獣は真剣白刃取りをするかのようにその刃を受け止めようとした。
真理 「無駄だよ。」
真理の刃は廃工場の魔獣の最後の抗いをものともせず、魔獣を真っ二つに切り裂いた。
〝ウォォウゥン!〟
廃工場の魔獣はどこか物悲しげな咆哮と共に崩れ落ち、果てた。
ほむら「やっ、やったわ。」
ほむらは感動した。ワルプルギスの夜がまどか以外の魔法少女に倒されるのを見たのはこれが初めてだったからだ。ほむらはトドメを刺した真理を称えるべく、真理の許へと駆け寄った。
ほむら「さすがだわ、真理。」
本来ならその言葉に満足したであろう真理だったが、今の彼女にはもっと重大な事件が発生していた。
真理 「おい!キュゥべえ!これは一体全体どういう事かね!」
戦いの趨勢が決まり近くまで来ていたキュゥべえは、真理の呼び掛けに応じてすぐに近付いて来た。
キュゥべえ「何だい真理、どうかしたのかい?」
真理 「どうかしたのかいじゃないだろ!私は今、円環の理に導かれて消えようとしているではないかね!」
キュゥべえ「それがどうかしたのかい?君は魔力を一気に使い果たしてしまったんだからそうなるんだよ。」
真理 「そうなるんだよじゃないだろ!キュゥべえ!私はまだこの世界の隠された摂理や宇宙の深淵に潜む真実なんて知っちゃいないんだぞ。これでは契約不履行じゃないのかね。」
キュゥべえ「おやおや分からないのかい?まあ、仕方ないか。それでは君にも分かるように説明してあげるね。実は君の願いは戦闘などで傷付いて死ぬ事は無いという、予定調和的奇跡として叶えられていたのさ。それというのもね、この世の隠された摂理とか宇宙の深淵に潜む真実とかは、君が円環の理に導かれる事によって得られるからなんだ。つまり君の願いとは、魔力を使い果たして円環の理に従いたいって事と同じだったんだよ。だから僕は君が魔法少女になった時、出来るだけ君の願いを早く叶えてあげる為にこの廃工場の魔獣と戦う事を提案したんだよ。その僕なりの心遣いに、感謝して欲しいくらいなんだけどなあ。」
真理 「なっ…」
真理は絶句し、僅かに白いカチューシャを残してこの世界から消滅した。
? 「キュゥべえ!」
一件が落着し静寂がまた訪れると思われた時、またもキュゥべえを呼ぶ声が響いた。薄明かりの中、魔法少女達の前に現れたのは空納陽子だった。
翠 「えっ!陽子?どうしたの、なぜあなたがこんな所へ来たの?」
しかし陽子は翠の言葉を無視してキュゥべえに問い掛けた。
陽子 「あなたがインキュベーターのキュゥべえね。教えて、魔法少女になれば代わりに願いを一つ叶えるってホント?」
キュゥべえ「…ああ、本当だよ。」
陽子 「その願いで死者を蘇らせる事は出来ないってホント?」
キュゥべえ「…よく知っているね。死者の復活は深刻な因果律の改変に当たるからね。この宇宙を創り替える位の特異点にでもならなければその望みは叶わないよ。」
陽子 「そう…」
陽子は、予想はしていたがやはり残念だ、という感じだった。
陽子 「最後の質問なんだけど…私に魔法少女になる資格はある?」
キュゥべえは少しためらったようだったが、結局答えた。
キュゥべえ「空納陽子…どうやら君にはその資格があるようだね。」
その言葉を受けると、陽子は胸に両手を当てて目をつぶった。そして意を決したように瞳を見開くと、言い放った。
陽子 「インキュベーターよ、私は戦いの運命を受け入れ、あなたと契約して魔法少女となります。だから私の願いを叶えなさい。」
陽子は一呼吸入れ、続けた。
陽子 「時空の狭間に連なって存在する鹿目まどかを一人、この世界に転送して!」
ほむら「えっ?!」
ほむらは驚いた。この空納陽子という子がなぜまどかを知っているのか、そして時空の狭間に連なって存在するまどかとは何なのか、ほむらには訳が分からなかった。そしてキュゥべえにとっても、この事態は意表を突かれるものであった。なぜ陽子は自分や魔法少女の契約の事を知っているのか、そしてこの想定を超える願いの意味は何なのかと。
キュゥべえ「そんな願いが叶うものなのか…」
キュゥべえをしてその疑問ではあったが、その答えはすぐに出た。
陽子 「フグッ…うっうっうー…」
陽子は激しく苦しみ出し、その場にしゃがみ込んだ。
翠 「陽子!」
それを見た翠は陽子の許へ駆け寄った。
すると突然、暗闇の中に天から一条の光が射し込んで来た。すぐに光は直径1m程の円柱状になり、その光柱の中を一人の魔法少女らしき者が降りて来るのが見えた。
ほむら「そっ、そんな…まさか…」
それを見たほむらの目からポロポロと涙が溢れ落ちた。ほむらは産まれ立ての小鹿のようにたどたどしくその光柱に近寄って行くと、降臨して来た少女にすがるように尋ねた。
ほむら「まどか、あなたなの?」
その少女は僅かに頷いて答える。
まどか「うん…」
ほむらは涙を溢れさせながらもなんとか笑顔を作って声を絞り出した。
ほむら「おかえり、まどか。」
降臨して来た少女は、ちょっと照れ臭そうに首をかしげ、はにかんで答えた。
まどか「えへへ。うん、ただいま。」
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