魔王に直々に滅ぼされた彼女はゾンビ化して世界を救うそうです
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第14話『魔蝕病』
──ジークが男に連れられて訪れた大きめの小屋は、木造の急ごしらえで建てられたような荒さが目立つのが特徴的だった。
男――移動途中に名前を聞いたところ、フィン・エルドランドという名らしい――は、懐から取り出した大量の鍵を通した鉄の輪を取り出し、その無数の鍵から一本を掴み取り、小屋の扉の鍵穴に差し込む。フィンが手を捻ると同時に小気味良い音がドアノブから響き、扉の錠は開かれた。
鍵を仕舞った彼は扉を押し開け、室内を見渡す。フィンは直ぐに何かを見つけたような仕草を見せ、真っ暗な部屋の中に向けて手を掲げてそこに居るのであろう誰かに挨拶をした。
「よう、誰も来てないか?」
「ええ、勿論。――で、後ろの彼はお客さん?」
スィーラやメイリアよりは少し低いが、気丈そうな女性の声だ。ジークもフィンの後に続いて室内に入り、直ぐに声の主を見つける。
まず目に入ったのは、彼女が持つ紫紺の長髪である。その少し埃っぽいボサボサの髪は長身の彼女の腰ほどまで垂らされ、先端で小さく纏められている。褐色気味の肌は所々薄汚れていて、素朴な印象を受けた。実際、彼女がその身に纏っている服も簡素な布で作られたただ服の形を整えただけ、といったレベルのものだ。そこには微かな華やかさすら存在していない。
胡座をかいて座り込む彼女の右手には、一本のナイフが握られている。ソレすら所々に刃こぼれを起こし、塚の部分は握られすぎて擦り切れていた。グリップ代わりすら巻かれていないアレでは、いつ手からナイフがすっぽ抜けてもおかしくはない。
ただ成されるがままにされた彼女の長い前髪の隙間からは、しかし彼女の全容とは真反対に強い輝きを宿す黄金の瞳が見て取れた。
「……ジーク・スカーレッドだ。大まかな事は彼から聞いた、多少は力になれる筈だ」
本来なら、無用の争いは避けたい。スィーラを余計な戦火に巻き込ませたくはないし、大規模な抗争となるとまず確実に死人が出る。理由は分からないが、人を極端に好いているスィーラをこんな事に関わらせるメリットなど一部たりとも存在しない。
自身を危険に陥れ、スィーラの心を更に蝕み、例え乗り越えたとしてもそれに付属するメリットはそう大きなものではない。呆れるほどになんの意味もない、そんな援助。
──けれど、相手が『唯神教』となれば話は別だ。
『唯神教』というものは、それこそ神代の時代から現代まで衰える事なく存在し続ける、この世界の北方で主に信仰される宗教の一つ。初代『神殺し』が殺したとされる『神』を崇め、未だその生存論を主張し、今も世界を動かしているのは『神』なのである――それだけならば、まだ良かった。
かつて唯一神は、この無数の人間が住む『人界』、魔族達が根城とする『魔界』、世界の理を司る妖精達が住まう『精霊界』、その肉体に神獣の血を宿すと言われた獣人達が住まう『獣界』。その四つの頂点たる四王に令を下したと伝わっている。
"──他の王を全て討ち倒した真なる王にこそ、世界を統べるこの『神』に挑む権利を与えよう。この神を殺した者に、思うまま世界を司る力を与えん──"
それが、四つの世界を巻き込んで発生した神代の大戦争──共栄主世界戦争、ワールド・エゴの始まり。
その強大な褒美に目が眩み、狼煙を上げた『狼王』と『妖精王』、『魔王』は、唯一その令を無視し、之を放棄しようとしていた人界すら巻き込んでの大戦争を引き起こす。確かにその戦争は、四つの世界に幾多もの力を与えた。その戦によって撒き散らされた炎と血は、数千、数万という英雄を生み、その数だけ後の世にも伝わる偉業を遺した。
たった一人で数万という軍勢と相対し、その大盾と一本の剣だけで己が故郷と愛する者を守り切り、守護神と呼ばれた騎士が居た。
戦いが始まれば負けを約束されてしまう戦にて、遥か数千里の彼方に立つ敵の大将の心臓を射抜き、戦を始める前に勝利という形で終わらせた伝説の弓兵が居た。
魔族の切り札たる龍種を前にその超人的な技量を以ってその喉笛を千切り、大怪我を負いながらもその槍を脳天に突き立てた龍殺しの英雄が居た。
けれど、戦いが続く限り人々の命は奪われていく。
それに耐えられず、戦うためでなく、万人の命を救う為に剣を取ったのが――霊王の名を冠する初代『神殺し』、ノット・ルーラー。
ルーラーは無数の英雄達を掻き集めその全てを統制し、他の種族の王達の首を全て落とし、たった一人で天へと赴き、『神』との一騎打ちの末にその命を討ち取ったと伝えられている。
――それに狂気的な思考で以って、間違いであると指摘した集団が、『唯神教』である。
曰く、『神は戦を望んだのだ。その果てに滅亡があるというのならば、喜んでその宿命を受け入れるのが我ら人間の義務である』
曰く、『我らが神を殺すなど、絶対にあってはならない。『神殺し』などと持て囃された彼の霊王とそれに加担する英雄達は、人類にとって最大の汚点であった』
──曰く、『人類に留まらず全ての生物は皆、神の僕に過ぎない。故に、神を軽んじた愚かな生命達には我らの手で誅罰を下す必要がある』
彼らにとって、自身や他人はあらゆる勘定に加わらない。その絶対的な裁定基準は『神』のみ。彼らは神が作った世界の法則を何よりも重んじ、何よりも尊び、何よりも遵守する。故に、"四つの種族は常に対立している必要がある"と、そう言うのだ。
彼らは絶対に、魔族の身でありながら人の輪に想いを馳せるスィーラを、許そうとはしない。
『唯神教徒』はこれからスィーラと供に旅を続ける先に於いて、必ず自分達の前に立ちはだかるだろう。その理不尽な押し付けがましい法を振りかざして、忌まわしい呪詛の数々と共に彼女へとその刃を振りかざす。
故に、唯神教だけは見逃してはならない。味方となる戦力が居る今ならば、尚更の事だ。
「……へぇ、そのエムブレム、『対魔傭兵』のメンバーって事?私の記憶違いじゃなければ、あの傭兵団は人間のいざこざには一切介入しないって聞いたのだけれど」
「メンバーとは言っても『元』だよ、今は一介の旅人だ。……っと、フィン、話を戻すぞ。ここにアンタの『見せたいもの』があるんだな?」
ギルド跡地で出会った時の彼の言葉を思い出し、この場に来た目的を再確認する。彼はあの場で直接口外する事をせず、敢えてこの場に連れてきた。そこにはそれなりの理由がある筈であり、ジークにアジトを教えるというリスクを背負ってまでそうしなければならなかったという事。
「……あぁ、此処の地下だ。ベガ、開けてくれ」
「はいはい、了解っと」
女性の名はベガと言うらしい──彼女はフィンの指示に答えてそのナイフを自身の横の床の隙間に突き立て、ナイフを無理に押し込んでいく。やがてその隙間がナイフを根元まで咥え込むと、彼女はナイフを思いっきり横に引き倒した。
同時に四角状に切り離された床が梃子の原理で持ち上がり、その下に隠されていた梯子が目に入る。小さな穴の先からは微かな光が漏れ出ており、僅かに生活らしき音も聞き取れた。
フィンがその穴に躊躇無く飛び込み、ジークもまたその後を追う。梯子には手を添えるのみで殆どを自由落下に任せ、着地点直前で厚いブーツの靴底を壁に当て、摩擦によって減衰を掛けていった。フィンが完全に床に降り、横にズレてからジークも完全に手を離し、後は床まで自由落下に任せる。
そうして着地した先の、松明の火の光で照らされた洞窟を見て、ジークはその両眼を大きく見開いた。
「……げ、ほっ、ケホっ、げほっ……」
「怖い……怖いよ……っ、お母さん……っ」
「あぁ……ごめんね……、ごめんね……っ、ミューレ……お母さんには、何も……!」
「――――。」
洞窟に居た住人達は、その殆どが病を患っているらしき者だった。
大人は勿論、老人から子供までとその幅は広く、ところどころで浅黒く変色している肌がいやに毒々しい。咳が部屋中で蔓延し、いくらか無事な様子の人々は磨耗し切った様子でただ患者達の看病を続けている。恐らくは彼らの家族なのだろう、殆どの人々はその目の下に隈を作っていた。
多くの患者が咳をしている割には、看病者はマスクを着けていない。それでも無事ということは、恐らく彼らの病はそ簡単には感染しないのだろう。しかしそれにしても、このの部屋の中の衛生状態は非常に悪い。
空気中には埃が舞い、患者達が寝かされているのは簡素なボロ布。水も部屋の端に大壺に貯められた分しかなく、心なしか濁っているようにも見えた。
それも、この地域一帯の貧困状態故なのか。
「……流行病でもあるのか?」
「流行病という訳ではない。……彼らは全員、以前この村に攻めてきた魔族達によって、大小問わず負傷を負った者達だ」
「って事は、『魔蝕病』か」
……それはあまり有名な病気という訳ではない。が、ジークのように魔族と戦う者達にとっては常日頃気を付けねばならない病だった。
『魔蝕病』――魔族の因子が傷を通して人体に取り込まれ、拒絶反応により引き起こされる病。酷い咳に熱、下痢、激しい嘔吐感に加え、体内魔力の暴走。未だその治療法は確立されておらず、因子の摘出方法すら解明されていない。そして病が進行した果てに、この病は主の魂を喰らい、その肉を理性無き異形の怪物へと変えるのだ。
故に、この病を患った者は、意志無き魔族となる運命を定められるも同じ。だからこそ、患者達が唯神教徒に狙われるのも、道理というものだった。
唯神教の言い分を肯定する訳ではないが、確かに魔族になる事が確定している人間を、危険性が無い内に始末する……という話はまだ理解できる。治る可能性も無く、苦しみに苦しんだ挙句、最後に待つのは人ならざる者となり、己が存在を見失って怪物と成り果てる――そんな最後を迎えるくらいならば、死んだ方がマシだという話も、まだ理解できる。ジークとてそのような末路、想像したくもない。
故に、彼らを慈悲では無く『悪』として、裁くべき罪人としてその命を奪い去る唯神教は、許せるものではない。
「話は理解した。で、俺はどうすればいい。悪いが、協力するとは言っても、そう大体的には動けないぞ」
「それは理解している。……ただ、稀にギルドが送ってくる殲滅部隊を追い返してくれれば良いんだ。……今まではこの地下に隠れてやり過ごして来たが、もうそろそろ誤魔化しきれない」
それは相手が一部とはいえ、仮にもギルドの面々だ。戦闘は勿論、捜索に関してもプロなのだ。むしろここだけで隠れ続けろという方が難しいのは、ジークもよく分かっている。だからこそ、ジークという戦闘要員が必要なのだ。
──その前に、やる事もあるが。
「構わないが、一つ条件を出しても構わないか?」
あくまで、ジークの道のりはスィーラの幸福、安全が最優先される。でなければ、ジークの行為はなんの贖罪にもならない。故に、そのためにも最低限しておかねばならない事もある。
「俺達は本来、今日中にこの村を出る予定でさ。ここに留まるにしても宿が無いんだ。悪いけど、安全が信頼できる宿を紹介してくれねぇかな」
ジークは苦笑しつつも、現状の重苦しい雰囲気には似合わない条件を出す事にしたのだった。
◇ ◇ ◇
「……ったく、厄介事拾ってきて」
「すいませんでした」
呆れ顔のメイリアに、ジークが気まずそうに目を逸らす。スィーラはジークが合流してからはずっとジークの服の裾を握っており、その小さな体をジークの背に寄せていた。
ジークに付いてきていた武装集団はジークにこの村の戦力を確認させる為に手配された者達で、確認を終えたジークが彼らと別れようとしたその時に、ジークはスィーラ、メイリアと遭遇したのだ。そうして状況説明を求められ、すべてを話してしまった末の今の状況である。ジークとしては苦笑するしかない状況だが、その話を聞いていたスィーラは、ジークが結果的には病気の人々を救うと決めた事が嬉しいのか、先程から嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
正直に言ってしまえば、ジークとしてはそんなことは考えてもいなかった。というより、どうでも良かったというのが本音だ。
今のジークにとっての最優先はスィーラだ。それは絶対に揺るがない基準であるし、この依頼を受けたのも最終的にはスィーラの未来の為の布石だ。その勘定にジークはスィーラ以外の事柄は入れていない。故に、スィーラの幸福へと繋がるのならば利用する。それだけの理由だ。
スィーラが浮かべる笑顔で胸が痛いような気がしないでもないが、そこは甘んじて受けることにする。
「……で?宿の方は見つかったの?」
「見つかったには見つかったけど、四人部屋が一つだけ。小さい村だから、宿が少ないんだと。用意はあるし、俺は外で寝る」
「いいわよ同じ部屋でも別に。その時になったら燃やしてあげるから」
「お前は俺をなんだと思ってる」
ドヤ顔で手に持った大仰な杖を額に押し付けてくるメイリアをジト目で睨みつつ、その杖を押し返してジークが大きなため息を吐いた。
――取り敢えず、旅の目的は未だ定まってはいない。要するにあの町から離れねばならなかったから離れた、ただそれだけの事であり、スィーラが救われる為の道を探す旅だ。
彼女を救うという事がどのような事になるのかは全く分からないが、兎に角スィーラという一人の少女が幸せであって欲しいと、ただそれだけの願いの旅。故に今のところ、どれだけ時間を掛けようとも構わないのだ。
ゆっくりと世界を見て回る。それによって、彼女の事についても何かが分かるかもしれない。ある程度金を稼ぎながら、目立たぬようにこの世界を巡るのだ。
「そういえばジーク」
「ん?」
「クーラル・アレンって人に会ったんだけど、知ってる?」
「……は?」
メイリアが唐突に出したその名に、愕然とする。しかも今、「会った」と言ったのか?
「……メイリア、お前なんでその人と話す事になった」
「へ?えっ……と、確か……ナンパ?」
確定だ。
その名は、この大国ヴァリアの隣国。同じく世界最大級の軍事力を持つ、アシュタル王国の三皇子の内の三人目。
アシュタル王国の王族の宿命か、無類の女好き。そして13歳という若さで城を飛び出し、王族の看板を捨てて冒険者となった大地の神子。
《無重のクーラル》、そのものだった。
……「目立たないように旅をする」という前提が、早速ガラガラと音を立てて崩壊した。
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