艦隊これくしょん【幻の特務艦】
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第十七話 作戦開始日前日
「赤城さん。」
二人の自室で、加賀は真正面から赤城を見据えていた。
「・・・・・・・。」
赤城は目を合わせようとはしなかった。じっとうつむいて袴に両手を置いている。
「私にはわからない。あなたがどうしてあの時ああいう態度に出たのか、私には理解できない。」
「・・・・・・・。」
「私たちは第一航空戦隊の双璧と呼ばれています。そのことを十分すぎるほど自覚し、それに恥じない態度を心掛けていたはずではなかったの?」
「・・・・・・・。」
黙りつづける赤城に対して、加賀はついにあの言葉を口にした。
「まさか、戦場で『臆した』というわけではないでしょうね?」
赤城は深い吐息を吐いた。
「あなたに何を言おうと、すべては言い訳にしかならないわ。私がとった行動は今更拭いようもないことです。あなたの言葉を借りれば、私は汚点を残してしまったというわけね。」
「赤城さん。・・・・くっ!」
加賀は思わずこぶしを握りしめていた。だが、すぐにそれをほどき、重い息を吐き出した。重い、長い沈黙が二人を包んだ。
「一つだけ、言います。」
赤城が不意に沈黙を破った。加賀が顔を上げると、赤城がまっすぐに加賀を見ていた。
「私は臆してはいなかった。それだけはあなたの眼を見ながら言えるわ。」
「・・・・・・・。」
「ただ、私はあの子たちを犠牲にして自分だけ生き残るような戦い方に疑問を持ってしまったの。あの子たちは使い捨ての駒ではありません。私たちはずっとずっとあの子たちと一緒に練習を重ねてきたわ。どんなにつらい時も、どんなに苦しいときも。あの子たちは私たち艦娘と同じ、私たちの大切なパートナーです。」
「それはわかって――。」
加賀はそう言いかけて額に手を当てた。
(わかっている・・・本当にそう思うの?艦載機が奮戦し、なおかつ紀伊さんたちも殿を共同して務めたから、結果としては全軍撤退できたけれど、場合によっては私たちは艦載機を捨て石にして撤退するという選択肢を取る可能性もあった。加賀、あなたはそれを冷然と承服できるの?)
加賀は額から手を離した。
「ごめんなさい。ずいぶん偉そうなことを言ってしまって。」
赤城が重そうに頭を下げた。
「あの場では私はただ連れ去られるだけのお荷物だったというのに、そのお荷物が何を偉そうなことをいうの、とあなたは思っているかもしれないわね・・・・。」
加賀はそんなことはない、と言いかけたが無性に寂しさがこみ上げて来て黙ってしまった。
どうしてこうなってしまったのだろう。
これまで寄り添うようにしてずっと一緒に過ごしてきたのに、自分は赤城のことを何一つ理解していなかったのではないか。そして赤城は自分のことを一つも理解していなかったのではないか。加賀はそんな暗い思いにとらわれ始めていた。
「私は・・・・愚かだわ。」
ぽつりと加賀はつぶやいていた。赤城が身じろぎするのが視界の隅に見えた。
「あなたの気持ちを何一つ理解できていなかったのだから。」
そして、それはあなたもなのかもしれない、と加賀は言葉をつづけた。
「私たちの気持ちは、いつ、どこですれ違ってしまったのかしらね。」
加賀は立ち上がった。
「少し時間を置きましょう。」
「加賀さん。」
赤城が呼びかけた時には、もう加賀の姿は消えていた。
「・・・・・・・。」
赤城の差し出しかけた腕が、膝に落ちたとき、廊下に足音がした。
紀伊が開いたドアからそっと顔をのぞくと、赤城がうなだれた姿勢のまま椅子に座っていた。ただならぬ様子に紀伊は部屋に飛び込むようにして赤城のそばに膝をついた。
「どうしたんですか!?具合でも・・・・悪いのですか?」
閉じられていた赤城の瞼が重そうに震え、眼が開いた。
「紀伊・・・さん・・・。治ったのですか?良かった・・・。」
「私の事より、赤城さん、大丈夫ですか!?」
「いいえ・・・大丈夫です。」
紀伊は廊下に視線を向けたが、また赤城に目を戻した。
「さっき加賀さんと廊下ですれ違いました。表情がとても硬くて・・・青ざめていました。何かあったんですね?」
赤城は目を背け、深い溜息を吐いた。
「加賀さんは・・・あの人は、私を理解できないと、そういっていました。そして、私もまたあの人を理解していないとも。そうなのかもしれません。」
「あの時の・・・横須賀への航海の途上のことを言っているのですね?」
「主な原因はそうです。でもそれだけではないのかもしれません。紀伊さん・・・・。」
赤城は紀伊を向いた。
「あなたはあの時私に言ったことを覚えていますか?」
「はい。実はそれをお話に来たのです。あの時はごめんなさい。出過ぎたことを言ってしまって・・・・あの時は本当に申し訳ありませんでした。」
「いいえ。あなたが言ってくださったことをわたしも考えていました。そして、その通りだと思います。私は・・・あの子たちを信じることができていなかった。やはり私は・・・・一航戦の名にふさわしくないのかもしれません。」
紀伊はしばらく考えていたが、やがて一言言った。
「今思うと赤城さんらしい選択だったと思います。」
「私、らしい?」
意外な返答だったらしく赤城は戸惑った表情だった。
「はい。私はあの時ああいいましたが、赤城さんの意見に共感するところもあります。艦載機は捨て駒ではありません。それを平然と作戦に組み立てる様な行為は私も賛成できませんから。」
「でも、加賀さんは・・・・。きっと私の考えを理解していないのだわ。今回のことでそれまでずっと溜まってきた私への蟠りが出てきてしまったのかもしれない・・・・。」
紀伊は目の前の艦娘をみた。以前赤城が言った言葉が記憶に残っている。自分は前世の凄惨な戦いを覚えており、その記憶に今も囚われているのだと。だが、赤城と加賀がいつも一緒にいるのは前世のつながりというだけではない。束の間の時間だったが、紀伊は二人の様子を見てきて、はっきりとそういうことができると思った。当の本人を目の前にしても。
「赤城さん。」
紀伊は穏やかな口調で話しかけた。
「赤城さんと加賀さんは、私とは比べ物にならない時間を一緒に過ごしてきたのではないですか?」
「ええ・・・・・演習の時も、夜寝る時も、食事の時も、楽しい時もつらい時もずっとずっと一緒でした。」
「もし考え方が違っていたり、波長が合わないのであればそんなにも一緒の時間を過ごすことなんてありえるでしょうか?」
「でも、それは前世で私たちが一緒に行動していたからだと思います。それに一航戦の双璧という理想像に二人とも適合しようとしていたのかもしれません。」
「なら、赤城さんは加賀さんが嫌いなのですか?」
赤城の眼が驚いたように見開かれ、次の瞬間すっと言葉が喉から出てきていた。
「いいえ。大好きです。加賀さんとはいつも一緒に寄り添っていたい。私にとってとても大切な存在です。」
赤城の言葉を聞いた紀伊はにっこりした。
「ね。そうなんです。大好きだからこそ一緒にいるんです。決して考え方が同じだからとか、そういう理由からじゃありません。それに・・・・。」
紀伊はそっと赤城の手に自分の手を重ねた。
「忘れていませんか?私たちは艦娘です。決して前世の戦艦や空母そのものじゃありません。艦娘は艦娘です。前世の自分に誇りを持つことはとても素晴らしい事です。私はこれまで多くの皆さんと出会ってきました。どの方も――赤城さんを含めてです――前世の自分自身にとても誇りを持っていました。私には前世はありません・・・・・。」
自分は生体兵器なのだから、という言葉を紀伊は喉の奥で押し殺した。
「とてもうらやましいです。でも、前世に縛られるだけの存在なんて、つまらないし悲しい事と思いませんか?」
「紀伊さん・・・・。」
「赤城さんは私の憧れの先輩です。でもそれはあなたの前世にではなくて、今の赤城さんに対してです。毅然とした態度、それでいて皆に優しい赤城さん。それは飾り立てていない赤城さん本来の姿だと私は思います。加賀さんもそんな赤城さんが大好きだから、赤城さんが想っているのと同じくらい大好きだから一緒にいるんです。大丈夫、加賀さんもきっとわかってくれます。」
一瞬赤城ののどが鳴った。彼女は急いで目を背けると、ぎゅっと目をきつくつぶった。
「ごめんなさい・・・・。」
絞り出すような声で赤城は謝ったが、次の瞬間にはもう笑顔を紀伊に向けていた。
「紀伊さん、本当にありがとうございます。私、紀伊さんと一緒にいることができてとてもうれしいです。」
「あっ!す、すみません。私は・・・・ごめんなさい、つい出しゃばって・・・・。」
紀伊は不意に我に返ったように赤くなった。
「いいえ。とてもありがたかったです。すぐにはできないかもしれませんが・・・・気持ちの整理をつけて、私、もう一度加賀さんと話してみます。そして正直に自分の気持ちをぶつけてみます。」
紀伊は励ますように強くうなずいて見せた。
「少しトレーニングしてきますね。もう一度気持ちの整理をしたいので。」
「はい。」
赤城はうなずき返して廊下に出かけたが、不意に振り向いた。
「紀伊さん。」
肩越しに、そして紀伊の真正面に振り返った赤城の姿はとても凛として美しかった。
「励まされたばかりの私がこういうことを言うのはおかしいのかもしれませんが、あなたはとても素晴らしい人です。あなたの周りには艦種を問わず多くの人が集まってきます。それは皆があなたを大好きだからです。前世の有無なんか気にしないで。まっすぐにひたむきに歩いてください。私も・・応援していますから。」
紀伊の眼が揺らいできらめいた。そして強くしっかりとうなずいていた。
赤城がその胸中を紀伊に吐露していたころ、三人の正規空母が司令部脇の工廠で話し合っていた。この横須賀鎮守府工廠は、そのままヤマト艦娘たち全体に配備される兵装や航空機、電探等の研究開発部門も兼ねている。
外から一歩工廠に入れば、そこは広大な空間だ。広さ数百平方メートル。天井までは約20メートル。その中に全長数十メートルはあろうかという巨大な起重機や、クレーン、ベルトコンベヤーが鎮座している。それらを縫うようにして様々な生産ラインが、しかし整然と並んでいるところは、あたかも連隊が整列しているかのようであり、大勢の妖精が日夜来るべき戦いに備えて生産を行っている。その生産ラインの奥に「研究開発部門」と書かれたドアがある、脇にはカードリーダー、そしてパスワードを打ち込むコンソールが設置されている。さらにここを開けても、さらに奥に鋼鉄製のドアがあり、ここには指紋認証装置が設置されている。ここにはある限られた艦娘や妖精たちしか立ち入りできないのだ。
入ってみれば、外の生産ラインと比べればずいぶんと狭い部屋である。天井は黒いむき出しの鋼材に照明がぶら下がっている。壁を覆いつくすように入り組んだダクトのような装置が設置されているかと思えば、大きな頑丈なテーブルには溶接機、工作機、PCなどが入り乱れておいてある。床にも様々な部品の屑が散らばっているかと思えば、隅に資材が雑然と置かれていたりするところは、外とこの空間とが同じ建物にあるとは思えないほどだ。工場の生産ラインの騒音も、防音装置のおかげでここにはほとんど聞こえてこない。周囲と隔絶していることを示していた。
「流石に烈風や流星は量産はできないか~。」
やや残念そうに肩をすくめたのは、飛龍だった。彼女と姉妹艦蒼龍(厳密に言えば違うのだが)は第二航空戦隊に所属している。彼女たちは兵器開発部航空部門の主任を務めてもいた。
「これで失敗は10度。あまりトライしすぎると、貴重な資源を無駄にするからね。まぁ、これまで烈風や彗星、流星に関しては各空母に必要なだけいきわたっていることだし、今回はよしとしようよ。」
蒼龍が資材を片付けながら言った。
「ですけれど・・・・敵も黙ってはいないでしょう。いずれ新型艦載機を搭載した敵が出現しないとも限りません。既にその兆候が出てきています。今のところ私たちが優勢ではありますが、新型艦載機を繰り出して来れば、制空権確保は難しくなりますし、場合によってはこちらが劣勢になる可能性もありますよ。」
大鳳が開発装置から鉄くずを排除しながら言った。同じ横須賀鎮守府に属する正規空母として、普段第二航空戦隊と大鳳は仲がいい。
「その通り。やれやれね。前世じゃ私たちって搭載してたの零戦だよ。九七艦攻だよ。九九艦爆だよ。それが今じゃ烈風でもダメだって言ってるんだから驚きだよね。多門丸がきいたらなんていうかな?」
「きっと目ん玉ひん剥いて怒るんじゃない?『貴様ら!彼我の戦力は何によって決せられるか!それは戦闘機の性能でも弾数でもない!各員の技量とたゆまぬ練度向上への努力なのだ!』ってね。」
3人は声を上げて笑った。
「ま、それはともかくとして、真面目な話、そろそろ新型機が欲しくなるところよね。大鳳、何か心当たりある?」
大鳳は装置から身をおこし、しゃんと背を伸ばして二人を見た。そしてややしばらく考え込んでいたが、一つうなずいて言った。
「なくはないですが、実現は難しいと思います。」
「言ってみて。」
「前世の大戦末期に開発途上にあった局地戦闘機、震電です。」
二航戦の二人は顔を見合わせた。
「ええ、お二人は知らなかったと思います。私も記憶があるだけですから。」
大鳳はそばにあった黒板に歩み寄ると、チョークで機体を描いて見せた。シャープな機体は今までに見たことのない、常識を覆すものだった。二人は息をのんで見入っている。
「震電は本来はB-29などの迎撃戦闘機として開発されたものです。高度8,000メートル以上で時速750キロ。武装は30ミリ機関砲を4門。今までの機体をさかさまにしたような前翼型の機体を特徴とします。」
これまでの飛行機と全く違う姿、その性能に二人は目を見張った。
「すごい!」
「時速750キロ、30ミリ機関砲って、烈風の比じゃないよね!」
ですが、と大鳳は言葉をつづけた。
「一部ではこれをさらに噴進エンジンによるさらなる諸元性能向上の話もあったようですが、元々のプロトタイプである一号機すら試験飛行途上で終了したようです。したがってデータもほとんど残存していません。」
ふうと飛龍は息を吐いた。
「それじゃ開発はほぼ無理ってことか。」
「はい・・・・。」
しばらく3人は口を利かずに黙り込んでしまった。工廠内部の機械音だけが規則正しく音を立てている。
「やってみようよ。」
突然蒼龍が口を出した。
「開発するのには資材を消費しなくちゃならないし、時間もかかるかもしれないけれど、でも、敵の艦載機に対抗するのには新型機を開発しなくちゃならないんだもの。やってみようよ。」
「わかった。私が長門秘書官に申し出てみる。そうだよね、やってみなくちゃ、結果はわからないし、それ以前に、やるしかないんだものね。」
「うん。今度の海戦もそうよね。やるしか・・・ないんだものね。」
「お二人とも・・・・。」
大鳳は手を伸ばしかけて、それを下ろした。第二航空戦隊の二人はこれまで数々の戦いを乗り越えてきた名コンビだったが、それはあくまでも局地戦でのことである。今回のように戦略的にも戦術的にも今後の大勢を決するような大作戦に従事することはほぼ初めてといっていい。
当然心理的にも肉体的にもかかる重圧は局地戦の比ではなく、大鳳としては二人がそれに耐えられるか否か不安を禁じ得なかった。
「大丈夫だよ。第二航空戦隊として前世からコンビを組んでる私たちだもの。どんな敵にだって後れは取らないわ。ね?」
「うん。その通り。だから大鳳、心配しないで。必ず帰ってくるから。」
「約束ですよ。」
大鳳の手と二人の手がしっかりと組み合わされた。
このように、沖ノ島攻略作戦に従事する艦娘たちは各所でそれぞれの思いをはぐくんでいた。それはなにも大戦艦や正規空母に限ったことではなく、重巡戦隊以下の水上打撃部隊に所属する艦娘とても同じことだった。
むしろ先鋒として真っ先に敵に突撃する分、彼女たちの方が不安が強かったのかもしれない。それは数々の戦いを潜り抜けてきた高雄と麻耶にとっても同じことだった。
「姉貴はどう思う?この戦いを。」
休養室の椅子に座っていた高雄はすぐには答えなかった。しばらく考えていた後、回転椅子に逆向きに座り、背もたれに体を預けている麻耶を見ていった。
「正念場というところね。もちろん戦いはまだまだ続くけれど、今回の戦いにつまずけば、私たちに後がなくなるわ。」
「そうか?アタシたちの方が今回に関しては有利だと思うけれどな。大和や武蔵も出るんだろ?それに主力正規空母も。それに基地航空隊からも掩護が出るっていうし。」
「重巡戦隊以下の陣容が薄いのよ。私はそれが心配なの。戦いは戦艦や空母だけで決まるものじゃないわ。近接戦闘や防空戦闘には護衛駆逐艦の存在が欠かせないし、水雷戦闘では指揮官である軽巡洋艦の統率が必要でしょう?そして、当然敵の軽巡や駆逐艦が肉薄してきたときに、また逆に敵陣に強行突撃を図るときに、その機動力と火力をもって戦うのが私たち重巡洋艦なのだから。」
「だよな。あ~あ、妙高や利根、最上たちがいれば、よかったんだけどな。」
「仕方ないでしょう?各鎮守府の守りは手薄にできないし。私はさっきああいったけれど、今回の戦いに関してはヤマトは最大限動員できる人数を出したわ。」
「ま、他の重巡がいなくてもこの麻耶様がいる限りは、敵に好きなようにはさせないけれどな!」
高雄には妹の豪放さと能天気さが羨ましかった。その差は紙一重のものであっても、違いは歴然としているものなのかもしれないが、なぜか高雄には妹にこれらの性質がすべて同居しているように思えるのだ。そして、妹には他の感情も内在している。それこそが自分に会いに来た本当の理由だということを高雄は知っていた。
高雄が目を細めた時、休養室の自動ドアが開いて、新しい艦娘が姿を現した。
「あらあら、二人して何のお話?」
愛宕は二人の姉妹に笑顔を振り向けながら入ってきた。
「愛宕姉貴!あぁ、今回の作戦について高雄姉貴と話してたんだ。姉貴はどう思う?」
「私はあまり考えないようにしているわ。考えすぎると体に毒ですもの。私が考えるのは戦いには勝つこと、そして、自分と自分の部隊の子たちを無事に返すこと。それだけよ。」
愛宕は「それだけよ。」を優しく麻耶に言い聞かせるようにしていった。
「ちぇっ、愛宕姉貴にかかるとどんなシビアな話もつまらねえ単純な話になっちまうんだから、嫌になるな。」
「いいのよ。単純な方が、頭を使わなくて済むもの。」
麻耶はあきれ顔をした。
「ったく姉貴はいつもそうなんだから。なんか張り合いがなくなっちまったな。」
「大丈夫よ。ちゃんと戦闘の時は仕事はするから。」
「はいはい。わかったよ。ん?そういえば鳥海は?」
「あの子なら自分の艤装を点検して、少し本を読んで、その後仮眠するって言ってたわよ。」
「ふうん・・・。なら、アタシもそうするかな。戦い前に寝だめでもしないと、持たないからな。」
じゃあな、姉貴たち。と麻耶は立ち上がり、手を上げて休養室を出ていった。入れ替わりに愛宕が高雄のそばに座る。
「あの子はあれで不安だったようね。自分のことも、そしてあなたや私、鳥海、みんなのことが。だからまずあなたに会いに来たんだわ。」
愛宕は高雄型2番艦であるが、起工日時は高雄より先行していることもあって、二人は年の差がある姉妹というよりは双子の様な仲だった。
「知っていたの?」
「だって私はあの子の姉ですもの。ふふふっ。」
愛宕はほんわりと笑ったので、高雄もつられて相好を崩していた。
「あの子はああ見えて不器用なところがあるから、自分が一番言いたいことを言えないでいるのだわ。姉としてはそこが不安な点なのだけれど、あなたがいてくれるから大丈夫ね。」
「高雄?」
愛宕が微笑を消して、高雄をまじまじと見た。
「大丈夫よ。私はそんなに簡単に死なないし、死ぬつもりもないわ。・・・・この戦いが終わるまでは。」
最後はまるで自分自身に言い聞かせるようだった。
その夜、紀伊と讃岐は同じ部屋に泊まることとなった。近江は尾張一人では寂しいはずだと言って、そちらの部屋に泊まることとなった。尾張のほうも、紀伊に対しては辛辣だったが、すぐ下の近江に対してはやや言葉を和らげるところがあった。
既に時刻は21時を回っている。明日に備えて誰もが早めに床に就いていた。夏にもかかわらず、今日の夜は比較的涼しい。かすかに虫の音が聞こえ、心地よい夜の微風が吹いてくる穏やかな夜だった。
夢の海に揺蕩っていた紀伊はふと、自分の名を呼ばれたような気がした。
「姉様?」
躊躇いがちに声をかけてきたのは、隣に寝ている妹だった。顔をむけると妹は布団の上に体を起こしていてこちらを見ている。
「どうしたの?」
紀伊は半身を起こした。
「・・・・ごめんなさい。起こしてしまって。でも、眠れなくて・・・・。」
紀伊はそっと掛け布団をどかすと、自分もまた起き上がった。昼間はあんなに元気で屈託無げにしていた妹が目の前でうなだれている。少し震えてさえいるようだった。
「大丈夫?」
妹は答えずに首を振った。その様子を見ていた紀伊の中に不意にどうしようもなく哀憐の情が沸き起こってきた。
紀伊はそっと身を乗り出すと、妹の体を抱きかかえた。妹がはっと身じろぎするのが感じられたが、紀伊は離さなかった。
「何も言わないで。私にはこうしていることしかできないけれど、あなたの不安を少しでも除ければそれでいいから。」
讃岐の体から力が抜けてそっと紀伊の頬に頭がもたれかけてきた。しばらく二人はそうしていた。
「私って・・・バカですよね。」
不意に讃岐が言った。
「姉様を助けるどころか、こうしてご迷惑をおかけしてばっかり・・・。情けない妹だってそう思いますよね?」
「いいえ。私も最初はそうだったもの。どうしようもなく怖くて怖くて震えていてばっかりだった。」
紀伊は一番最初のことを思いだしていた。第6駆逐隊の4人と共に横須賀鎮守府を出立して呉鎮守府に旅立った時のことを。
(あの時はいきなりの実戦で、本当に怖かったわ。無我夢中だった・・・・・。)
「今も怖いわ。今まで何回も実戦を経験したけれど、慣れることはないの。でも、それが人間として普通だと思う。」
(人として、か。ここに来る前に近江に言われたことは、私にはとてもショックだった。でも、近江は私に気づかせてくれたわ。最初の境遇がどうあれ、その後の歩みは人それぞれ。そこでどのように育つかは本人次第なのだと。)
紀伊は妹の長い髪をそっと撫でた。
「あなたはあなたらしくいてくれればそれでいいの。」
その言葉には万感の思いがこもっている。自分もそうだが、こと大規模作戦の前は様々な思いが交錯して眠るどころではないのが普通だ。目の前の妹のように不安や緊張で押しつぶされそうになる者もいるだろう。だが、だからと言ってぎこちなくなったり、いつもの自分と違う動きになってしまっては、自分の力を十全に発揮できない。そのことが大きな怪我につながったり、最悪の場合自分の死に直結してしまう。一人で感情を律することが難しければ、助けてあげるのが仲間であり姉妹の役目である。
紀伊の思いはそれだけではなかった。讃岐は明るい妹だ。時におっちょこちょいなところもあるけれど、伸びやかに育った妹に紀伊は自分にないポジティブなものを感じている。それが讃岐の魅力であり長所であり、そして自分が好きなところだと思っている。その讃岐がこうして暗い顔をしていることは似合わない。艦娘だから、時にはそうした感情にとらわれることがあるかもしれない。けれど、姉として妹に取りついた暗い黒い感情を振り払ってやり、いつもの明るい笑顔を見ていたい。
そんな思いを抱きながら紀伊は讃岐を抱きしめ続けていた。
不意に讃岐は紀伊から体を離した。そしてにっこりとうなずいた。
「はい!姉様!」
そしてもう一度ぎゅっとしがみつくと、布団に転がり込むようにして掛け布団をひっかぶり、す~す~と寝息を立て始めた。
紀伊は一人かすかに微笑んでうなずくと、静かに布団の中に入った。
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