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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第146話 牛郎織女伝説

 
前書き
 第146話を更新します。

 次回更新は、
 7月27日。『蒼き夢の果てに』第147話。
 タイトルは、『温泉にて』です。

 

 
 人工の明かりの届かない、夜の静寂(しじま)に支配された空間。煩わしい現実すべてから解き放たれたここに存在するのは互いの息づかいと温もりだけ。

 ふたりの女神……僅かに先を行く蒼き女神を、紅の女神が追い掛ける濃い藍色の天蓋。
 あまりに強すぎる彼女らの光輝(ひかり)により、星々の煌めきすら色褪せる。
 ――そんなありふれた仲冬の夜。

 俺の腕の中で考える人のポーズを実行中の少女。俺の首に回して、身体の安定を図っていたはずの腕は自らの胸の前に。
 黙って立っていたのなら、……今の彼女を正しく表現するのなら、粛然(しゅくぜん)とした(たたず)まいの美少女と言えるかも知れない。線の細い美貌に、腰まで届こうとする光沢のある黒髪。
 態度はデカいが、実際は華奢で、有希と比べても五センチも違わない程度の小さな身体。一見、その容姿と相まってこの年頃の少女に相応しい儚げな……と言う形容詞を付けたくなる少女なのだが……。

「そうよ、織姫の事を話なさい」

 但し、黙って彼女の身体を支えてやっている俺の事を多少考えてくれたとしても、おそらく罰は当たらないと思うけどね。少し……いや、かなり疲れにも似た思いを抱いていた俺に対して、ハルヒがそう言った。
 如何にも名案が閃きましたと言わんばかりに両手を叩き、瞳には氷空に浮かぶ星まで映して。
 ただ……。そう考えてから、腕の中の少女に気付かれぬように小さなため息をひとつ。
 ただ、俺の知っている織姫の事を聞いた所で、コイツに俺の話の真偽を確かめる術はないと思うのですがねぇ。そこん所をちゃんと理解した上で、この名案を口にしたのでしょうか。
 ――コヤツは。
 そもそも、俺自身にさえ、その内容の真偽を確かめる術がないのですから。

「織姫の事と言われても――」

 実際、かなり古い記憶に分類される内容なので非常に曖昧で、まして、記憶をインストールされた俺自身がイマイチ信用出来ない内容だと考えて居る部分もあるのでアレなのですが……。

 首をひねりながらも、訥々と話し始める俺。これから話す内容は昔話や伝承とは関係のない、俺自身が経験した内容……だと思う。

 先ず、俺が牛どもの監視をしていたが牛飼いでは無かった様に、現在、織姫と呼ばれている存在についても、実は機織女(はたおりめ)と言う訳ではなかった。
 話の冒頭部分から、昔話の全否定に等しい内容。当然、あんた、何を言っているのよ、と言うハルヒの反論は素直に無視。この段階でいちいちツッコミに反応していたら、話が前に進んで行きません。

 彼女は西王母の七番目の娘。それぞれが虹の色に対応した女仙で、彼女は紫の光を司る女仙だった。
 確かに彼女の能力から考えると、布を織るぐらい訳はなかったとは思う。何と言っても糸や弦の類を扱わせたら彼女以上の使い手を探すとすると、彼女の姉に当たる青い光を司る女仙ぐらいだったと思うから。

 ただ……。

「その彼女が何故、俺の恋人や嫁扱いになっているのか、その辺りが謎、なんだよなぁ」

 考えられるのは、あのエピソードが後世に伝わる段階で恋人、更に機織女だと言う風に言われる原因となったのだと思うけど……。
 普段とは違って、あまり茶々を入れて来る事のないハルヒ。少し拍子抜けのような気がしないでもないが、それだけ俺が話して居る内容を真剣に吟味している……と言う事なのでしょうか。

 無言で続きを促すハルヒ。そのエピソードと言うヤツを聞かせろ。そう言う事。

「ある時、俺が任務で遠方に出掛ける事があったんやけど、その時に彼女が旅の安全を願って領巾(ひれ)を贈ってくれた事がある」

 領巾……分かり易く言うと天女の羽衣。これには毒虫……毒蛇や害虫から身を護る呪が籠められていると言われている物なので、旅の安全を願う女性から男性に対して送る場合もあった。
 確かに当時の俺は今の俺よりもずっと高い能力を駆使出来たが、今よりもずっと技術のレベルが低い時代……もしくは、異世界での旅。その危険度はこの世界で宇宙旅行に行くのとあまり変わりがない状態だったと思う。

 今と成っては遙か遠い昔の思い出。この当時は自らの旅路(転生)がこれほど長い道のりとなる、などとは想像……ある程度の覚悟を持って居る心算だったが、現状は流石に当時の想定以上だったと思わざるを得ない状態。
 確かに自らが望んでこう言う道を選んだのだが、今の俺……いや、転生を繰り返す度に存在するすべての俺の未来を、当時の……神代(かみよ)の時代に生きた俺に決める権利が本当にあるのか、と疑問に思わない訳はない。
 心の中でのみそう独りごちた俺。しかし、それは本当に内心でのみに留め――

「普通の場合、コレは自分の母親や姉妹が旅の安全を願って渡してくれる物なんだが、その時は何故か彼女が自らの纏っていた領巾を渡してくれた」

 多分、このエピソードの派生が後の天女の羽衣伝説。天女の羽衣を手に入れると、その天女と結婚出来る、と言う伝説を産み出したんやと思う。
 姑獲鳥(うぶめ)やキンナリー。ハーピーにも似たような伝承があるので、俺の記憶の中にあるエピソードだけがすべての元だとも言い難いが、それでもハルヒの求めていた内容は話せた……と思う。
 俺と相対す時は非常に現実的で、散文的な思考を有する彼女が、珍しく非常に詩的な思考の元でこう考えた質問に対しての答えとするのなら。
 曰く、星に願いを――と。

「それで?」

 それって、領巾を渡した段階で、織姫が旅に出るあんたの事を家族のように心配している、……と言う事の現れだし、あんたの方だって、織姫の事を姉や妹のように近しい相手だと認識して居たって事なんでしょ。
 先を促した後、少し視線を外して、まるで独り言を呟くかのように続けたハルヒ。それは、多分、その通りなのだと思う。

 しかし――

「何が()()()、何や?」

 相変わらず主語が欠如した問い掛けに、同じように問い掛けで返す俺。ただ、何時もは不機嫌な振りをしている、もしくは他人から見ると彼女は不機嫌なのではないか、と感じるだけで、実際は不機嫌でも何でもない事の方が多い彼女なのですが、今、この瞬間は明らかに不機嫌だ……と言う雰囲気を発して居た。

「その話の結末よ」

 その旅から帰って来た後に二人がどうなったのか。伝説通り、結婚した後に機を織るのを止めたり、牛飼いの仕事をさぼったりした挙句に、天の川の両岸に分けられて、一年に一回しか出会えなくなったのか――
 それとも……。

「旅の途中で何かあって――」

 最後まで口に出来ず、尻すぼみとなって行くハルヒの言葉。
 成るほど。

「結末か……」

 正直に言うと、本来ならこの物語は既に大団円に到達している物語。数々の艱難辛苦の果てに一度は世界の終焉を回避。完璧な世界ではないけれど、未来は……。夜は明け、明日はまた訪れる。そう言う形のエンディングを一度は迎えている。
 その物語のエンディングを書き換えて仕舞ったのは、俺の腕の中で物語の続きをせっついて居る少女本人。
 その御蔭で既に引退したはずの老優が舞台の上に再び引っ張り上げられて、終わらない輪舞を延々と続けさせられる結果と成って居る。少し嫌味な言い方をすれば、これが現在の俺の状況だと言う事なのでしょう。

 但し、そうだからと言って、その事について泣き言をハルヒに言ったトコロで意味はない。彼女自身に大きな罪はない。彼女が行ったのはただ夢を見た事だけ。
 夢を見た事がイコール罪となるのなら、夜に眠る人はすべて罪人(とがびと)となる可能性もある。
 要は、その夢を利用して世界を歪めようとしたクトゥルフの邪神にこそ大きな罪がある。そう言う事。
 ……ならば、

「詳しい事は覚えていないが、確かな事がある」

 彼女の仕事が機を織る事でない以上、機を織らない事が理由で罰せられる事はない。
 俺の仕事も牛どもの監視であって飼う事ではないので、牛飼いの仕事をさぼったからと言って、その事を理由に罰せられる事もない。

 今の彼女に教えて意味があるのか分からない。しかし、秘密にしても益はない。

「そもそも、その昔話の後半部分。罰せられた云々の部分はすべて創作であって、事実とは多少異なっている。その可能性が高いと思う」

 このような例は他に幾らでもある。
 例えば天蓬元帥(てんぽげんすい)。伝承で彼は、広寒宮で嫦娥(じょうが)に強引に迫った為に天界から落とされた事になっている。
 しかし、本来その嫦娥自身が、罪により蟇蛙(ひきがえる)の姿にされているはず。幾ら女好きとして知られている天蓬元帥とは言っても、蟇蛙の雌に言い寄るとも思えないのだが。
 そもそも、広寒宮に嫦娥が居るかどうかも微妙。彼女は良人が太陽を射落とした罪により神籍を失っている事になっている。

 ……と言うか、これは孫悟空が天界で暴れた後に五行山に封じられた後の話のはずなので、その時には既に嫦娥……に当たる仙女は神籍を外れ転生の輪に加わっている。
 そもそも、彼女は最初の時間跳躍能力者に因って伝えられた人界の未来を改変する為に、人間として転生する道を選んだ最初の一群に名を連ねた神仙。その彼女が蟇蛙の姿だろうが、月のウサギの姿だろうが、その頃に広寒宮の住人として存在している訳はない。
 大体、その九つの太陽を射落とした技は俺が嫦娥……に相当すると思われる女仙に教えた技。少なくとも俺の記憶の何処を探しても彼女の夫と言われる人物の事は思い出せない。

 尚、ついでに言うと、捲簾大将(けんれんたいしょう)も普通に考えると微罪と言うレベルの罪。番町皿屋敷に等しい罪で地上に落とされている。

 ここまでは中国の神話だが日本の例で言うなら、神武の東征の際に力を貸したニギハヤヒは本来、天津神系に属する神のはずなのに、その時、彼は何故地上……地祇の国に居た?
 天津神の中にも些細な理由で神逐(かんやらい)を受け、地上に放逐された神はある程度の数が存在する。また、自らの意志で地上を目指した連中も居た。
 この理由は……。

「太古のある時期以降に、多くの神や仙人などの異界の住人たちがこの世界へと移り住み、この世界の人間たちに混じって生活を始めた。ある目的の為に」

 但し、牛種の方の伝承は多少、(おもむき)が違う内容と成って居るが。
 何故ならば、天から降りた天使たち(グリゴリ)と人間の間に産まれた巨人(ネフィリム)たちは、知性を感じさせない人食いの化け物でしかない。同じように落とされ、人食いの妖怪と成りながらも、三蔵法師の弟子となった天蓬元帥や捲簾大将とは違う。

 もっとも、西遊記に関して言うのなら、道教の神々下げ、仏教上げの基本があるので、アレがすべて正しい内容を記述しているか、と言われるとそうとも言い難いのだが。
 斉天大聖(セイテンタイセイ)の実力は良く知らないが、奴に敗れる那咤(ナタク)托塔天王(たくとうてんのう)の方は良く知っている。あいつらは神通力を得たとは言え、石猿如きに簡単に遅れを取るようなヤワな奴らではない。
 そもそも托塔天王とはインド神話の毘沙門天(ビシャモンテン)と同一視される神。ハヌマーン神をモデルとする斉天大聖とでは元々の神格から言うと違い過ぎて……。

 何にしても、何故、この世界の住人に術者や能力者が生まれ易いのか。ある種の切っ掛けさえあれば、誰にでも不思議な能力が発現する可能性があるのか。……その疑問に対する答えがコレ。
 要は、時間跳躍能力者が伝えた黙示録の世の到来を防ぐ為、世界の在り様を歪め過ぎず、さりとて、危機の際にはその世界の住人の中から、世界の危機に対処を行う事の出来る人間を一人でも多く登場させる為に、その種子を世界のアチコチにばら撒いた。そう言う事。
 本来の……。滅びた世界では、その種子が牛種の策謀に因り弱められ、絶やされた為に生まれる事のなかった子供たちを間違いなく生まれさせる為に。
 そのサポートを行うのが時間跳躍能力者たち。

 因果律を歪められ、子供が産まれ難くなった異世界の血を引いた一族の末裔たちを見守る母。それが時間跳躍能力者たちに与えられた大きな役割。

「まぁ、信じる、信じないはオマエさん次第かな」

 当たり前の言葉で長い話を締めくくる俺。
 普通に考えるのなら絶対に信用出来ない話。但し、俺が彼女にウソを教えたとしてもあまり意味はない。
 その辺りを総合的に判断して、今の一連の話を判断すれば良い。

 牛種の策謀とは違う……。いや、基本的に言うと、クトゥルフの邪神も牛種に近い一神族には違いないが、それでも、既に牛種のコントロールからは完全に外れて居る奴らの策謀から作り出されたバビロンの大淫婦。そう成る可能性の高かった涼宮ハルヒと言う名前の少女が、先ほどの俺の話を何処まで信用するか。
 最早、神のみぞ知る、と言うレベルの話。それに、今の彼女では、この話が何処に繋がっているのか分からないでしょう。

 まさか、自分がクトゥルフの邪神を呼び出す事に因って、一度、修正された歴史をもう一度、黙示録が訪れる可能性のある世界へと戻し、多くの人々が営々と積み上げて来た努力を一瞬にして無駄に仕掛けた、……などとは想像出来ないと思いますから。

「良く考えたら、織姫の事や、彦星の事を詳しく聞いてもあたしに判断出来る訳はないのよね」

 結局、無駄に時間を使っちゃったじゃないの。
 軽く、俺の腕の中で伸びをした後に、そう会話を締め括ったハルヒ。
 ……と言うか、既に自らの体勢を安定させる為に、腕を俺の首に回す事すら放棄。何故かすっかりくつろぎモード。
 ただ、その態度と言葉が本心かどうかは微妙なトコロですが。

「ねぇ、今、何時なの?」

 それとなく本心を見極める為、瞳に能力を籠めようとした瞬間、何故か、少し座りの悪くなったメガネを整えてくれながら、そう問い掛けて来るハルヒ。
 いや、違うか。良く考えると、今のハルヒの行動に奇異な点はない。

 今の俺の両手は彼女の身体を抱き上げる為に使用中。この状態で、座りの悪くなったメガネを整える事は、ハルヒの目から見ると不可能。そして、俺が本来、目が悪いのにメガネを掛けたがらない理由を彼女は知っている。
 おそらく、瞳に少し力が籠められたのを、焦点を合わせる為に行ったと考えたのでしょう。

 普段もこれぐらい他者……じゃなくて、俺に対して気を使ってくれても罰は当たらないぞ。そう考えながら、

「悪い、今の俺に正確な時間は分からないわ」

 何時もの腕時計は、昨夜の戦いの最中に壊れてしもうたから。形ある物いつかは滅びる、と言う事やな。
 世の理、諸行無常について口にする俺。もっとも、現実に起きたのはそのような哲学的な事などではなく、少しウカツだっただけ。もう少し慎重なら、幾ら術的に強化されているとは言っても、大切な物を戦場に持って行く事はなかったはずだから。

「そう……」

 あの腕時計、壊れちゃったんだ。
 小さく独り言を呟くハルヒ。良く分からないが、少し決意に近い感情を発している事から、何かろくでもない事を思い付いたのでしょう。
 またぞろ、厄介な事件のオープニングにならなければ良いのだけど……。

「それなら、そろそろ帰るか」

 それでも、ようやく帰る気になってくれた……と言う事に安堵。これでようやく、晩飯から入浴、就寝へと繋がる日常生活のサイクルに戻る事が出来る。
 時間的に考えると晩飯に関しては旅館の食事は無理なので、弓月さん……には甘え過ぎか。でも、有希なら何か準備をしてくれているでしょう。

 先ずは【念話】で深夜営業のファミレスにでも誘えば、準備があるのならその際に何か言って来るでしょう。無ければないで、そのまま彼女を誘って再び外出すればよい。そんな、もう既に帰る事前提で考えを纏める俺。
 しかし……。

「ちょっと、何を勝手に帰る心算になっているのよ。あたしは時間を聞いただけで、帰るなんて一言も言っていないわよ」

 仕舞った。コイツはへそ曲がりやから、俺の方から帰るか、などと言って、素直にそうね、など言って聞く訳はなかった。確かに我を通せば帰る事も可能でしょうが、流石に其処までするほどの用事がこの後に待っている訳ではない。
 ……なら、

 何や、帰りたい訳ではないのか。そう前置きをした後、

「そうしたら、次は何がしたいのかな?」

 俺の能力があれば、どんな深山幽谷でも見に行く事は可能。有視界に転移を繰り返せば、何処にだって連れて行く事は出来る。
 もっとも、俺としては、飯を食う以外の選択肢で人が多い場所に向かうのは気が向かないのも事実なのですが。

 そうね……。そう言った切り、少し夜空を見上げる彼女。悔しいが、その仕草ひとつひとつが何故か計算され尽くされた行為のように感じられ……。

「あんた、確か笛が吹けたわよね」

 聞いて上げるから、一曲吹いてみなさい。
 彼女の視線の先を追う訳でもなく、ただ、自らの腕の中に居る少女を見つめるだけであった俺。そんな俺の様子に気付く事もなく、ただ自分本位。思い付いたままを素直に言葉にする彼女。

 ただ――
 何時も通りの上から目線はこの際、無視をするとして、俺の笛に関してコイツは……。

「おいおい、確かオマエ、俺の笛を芸扱いしていなかったか?」

 確かに笛ぐらいならいくら吹いても問題はないが――
 ただ、もしかしてコイツ――

 何故かやれやれ、と言う雰囲気で肩を竦めて見せるハルヒ。多分、この男はそんな簡単な事も分からないのか、と言う事なのでしょうが。

「一応、芸としては認めて上げているのだから、素直に喜びなさいよね」

 一応、芸としては認めている……ねぇ。
 小さくため息をひとつ。
 確かに俺の笛も下手ではない。ある程度、心を揺り動かす事が出来なければ、土地神召喚や鎮魂(たましずめ)に使用出来る訳がない。
 ただ、超絶な技法を駆使している訳でもなければ、気を衒った(てらった)演奏法を使用している訳でもない、和笛の基本的な音色を発して居るに過ぎない演奏でしかないのも事実。

 しかし、その演奏でも妙に高い評価を与えてくれる相手も居る。確かに、一応、芸術に類する物だけに、個人の感性に訴える部分が大きく、偶々、俺の演奏が心の中の何かを揺さぶる可能性もゼロではない。

 ゼロではないのだが……。

 俺の笛は趣味で吹いている物ではない。笛を吹く=術を行使する……と言う状況。
 つまり、俺の笛の音には必ず龍の気が籠められている、と言う事。
 ()()()、相手の感性に訴え掛けているのは俺の笛の音や技量と言う部分がない訳ではないが、それよりも笛の音の中に籠められた霊気に強く反応している可能性の方が高い……と言う事だと思う。

 これを前提に置いて、現在の状況を考えてみると……。

 先ず、ハルヒが最初に俺の笛の音を聞いたのは一昨日の晩、土地神を召喚しようとした時。
 その時も、確かこう疑問に思ったはず。コイツ、笛の音だけを頼りに夜の森に入り込んで来たのか……と。
 そもそも、俺や弓月さんが森の中で土地神の召喚を行って居た事を知っているのは有希と万結のみ。おそらく、彼女らにハルヒは会っていないと思うし、()しんば会っていたとしても、彼女らが俺の居場所を教える可能性は低い。
 少なくとも、夜の森。それも、何か事件が起きて居る可能性の高い地で、何が潜んでいるか分からない森の中に、一応、一般人扱いのハルヒが単独で侵入する事を彼女らが簡単に許すはずはないでしょう。
 最悪でもどちらか一人。多分、二人揃ってハルヒに同行して来るはず。
 そして、旅館の人たちには俺が何をして居るのかに付いては一切、告げていない。
 そんな状況で、笛の音に誘われて森の中に侵入。その後、俺を見つけるって……。

 おそらく、コイツは俺の笛の音の中に含まれている龍気に反応している。

 そう考えながら、ゆっくりと……恐怖心を抱かせない程度の速度で降下を開始する俺。目指すは、大きく笛の音を響かせても問題ないぐらいに深い山の中。

「何を難しい顔で見ているのよ」

 本当は何も考えていないクセに。
 我知らず浮かべていた表情を目敏く見つけた彼女が、普段通りの悪態を吐く。ただ、その中に含まれる微かな緊張。
 ……イカン。無表情を貫いていた心算でも、今のコイツとは完全に身体が密着していたんだった。

「まぁ、偶には物を考える時もあるわ」

 例えば今重要なのは、晩飯をどうするかな、とかかな。
 口では先ほどハルヒが吐いた悪態に軽口で対応する俺。

 但し、我知らずの内に浮かべていた表情の意味はそんな物ではない。……と言うか、殊更、難しい顔と表現される表情で彼女を見つめていた自覚はない。
 表情は無。視線も()して強かったとも思えない。
 おそらく俺の考えていた内容の深刻さが彼女に伝わった。そう言う事だと思う。

 土地神を召喚するはずの笛の音に誘われて顕われた彼女。いくら、俺の龍気に対して敏感になっているとは言え、これではまるで(あやかし)
 ……いや、俺の龍気に強く反応して近付いて来るのなら、それは俺の式神たちと同じ。

 後は俺と、俺以外の存在を何処まで見分ける事が出来るのか。もし、俺と、俺以外の存在をきっちりと見分ける事が出来ず、危険な相手にふらふらと近寄って行った場合……。
 そう考えて、次の策を練ろうとした。その際の、かなり高い危機感を直接触れ合っている彼女が感じ取って終った、そう言う事なのでしょう。

「……なぁ、ハルヒ」

 この妙に鋭い感性を危険な場所を見極める……と言う能力に生かしてくれるのなら、俺がこんなに思い悩む必要はないのだが。そう考えながらも、それでは天性のトラブルメーカーのコイツのアイデンティティが保てなくなる、と同時に考えている俺。
 少なくとも、危険を察知して、それをすべて回避して行けるような人間ならば、一九九九年の七月に恐怖の大王を宇宙から呼び寄せようなどとは考えない。

「笛なら飽きるまで吹いてやるから、その後で良いから、少し付き合ってくれへんか?」

 何、……と短く聞き返して来るハルヒ。ただ、その言葉の中に、当然のようにクダラナイ事を言い出したらタダじゃ置かないからね、と言う雰囲気をプンプンさせている。
 ……チッ、先手を打たれて仕舞ったか。

 何、大した事やない。……そう言いながらも、心の中で舌打ちをひとつ。その後に用意してあったギャグを封印して、別の会話の展開を組み立てる為の時間稼ぎに前置きを。
 そして、

「この後に、晩飯を深夜営業のファミレスにでも食いに行こうかと思っているんやけど、それに付き合ってくれへんか?」

 一人でファミレスでの食事って、流石にわびし過ぎるから。
 前後の会話の流れに不自然な点がない道の選択。但し、これをやって仕舞うと、旅館に帰った後に有希を誘ってからの夕食……と言う流れが無くなって仕舞うのだが。

「オゴリなら付き合って上げても良いわよ」

 何それ? あんた、本当にお腹が空いていたの? 
 まるで俺の言う事を信用していない上に、相変わらずの上から目線。もっとも、腹が空いているのは事実なのですが、本来ならばコイツと一緒に食べる心算がなかったのもまた事実……なのですが。
 但し――
 但し、反応は悪くない。今の彼女は心持ち上機嫌。コロコロと、本当に猫の目のように変わる彼女の雰囲気に僅かな苦笑い。

 何時も味方で居て……か。
 彼女の歌声が未だ心の中で巡り続ける。
 潜在的に……。彼女が大地母神であり続ける限り、俺は常に彼女の味方である。
 しかし、もしも彼女が違う未来を選んだ時、果たして俺は彼女の味方であり続ける事が出来るのだろうか。

「元よりその心算――」

 未来は定まらず。闇の救世主事件の際に顕われた彼女……最初の時間跳躍能力者のつぶやきを思い出し、其処に僅かな痛みを覚えながらも、そもそもコッチから誘うのやから、……と、表面上は軽口で応える俺。
 その視線の先には、少しずつ深山の尾根が近付いて来ていたのでした。


 
 

 
後書き
 ちょいとしたネタバレ。
 ……と言うか、デートの最中に時計を気にするような素振りを繰り返し見せるとどうなるか。相手がどう感じるか考えてみましょう。
 それだけ(笑)。
 しかし、この部分は流石に細かすぎて分からないだろうな。

 それでは次回タイトルは『温泉にて』です。
 ようやく温泉話だね。ここまでは温泉地での御話であって、温泉話ではなかった。
 
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