BCO(ブラック・カンパニー・オンライン)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
転身、そして邂逅
Act1.この支配からの、卒業
「なるほど、弊社の宣伝の素晴らしさはよく分かりました。この案件は本社に持ち帰って検討させて頂きますね?」
目の前のダークグレーのスーツに身を包み、前髪をオールバックにした男性はそう告げてから椅子から立ち上がる。
「ええ、ですから他社の広告と比べ当社は消費者の統計に基づいた洗練されたデザインと…」
「だから前向きに検討させて頂くと言っているでしょう?」
俺は補足の説明をさらにしようと口を動かすが、男の鋭い視線に気圧されて押し黙った。
「…では私はこれから次の案件があるので」
男は一礼すると、まるで時間が惜しくて仕方がないかのような早歩きでドアに歩み寄り、
少し乱雑にドアを押し開けると機械的に一礼し男は去って行った。
「はあ…契約成立までが遠過ぎんよ」
俺は応接間に置かれた来客用のソファにどっかりと腰掛けると、目の前の黒壇のデスクにどっかり足を乗せ大いに悪態をついてみせた。
俺――生島蓮が新社会人としてこの広告代理店に勤め始めたのは僅か半年前のことだった。
求人に書かれていた初任給は他に受けた会社よりもかなり高めで、当時貧乏大学生だった俺はこれだと思って勢い半分で応募したのだ。
契約には給与増減ナシとあったが、当時はまぁ正社員ならそんなものなのかなと思い契約書には躊躇いなくサインした。
初日は10時出勤、新入社員としてはかなり遅めの高待遇なのではないかと感じ、
我ながらいい会社を引いたなぁ、とにんまりしつつ出社する。
思ったより殺風景なオフィスだったが上司らから優しく仕事のレクチャーを受けただけで初日は終了だった。
これからは広告代理店の営業マンとして俺は優雅なワークライフを……
会社からの帰路で俺はそんな妄想を抱いていた。
それが向こうに仕組まれた巧妙な罠だとは、その時の俺には知る由もなかったのだ。
翌日からは本格的な仕事が始まり、俺は火の橋の上を全力疾走で渡るぐらいの忙しさの渦中に飲み込まれる。
――営業って、こんな激務なのか!
ようやく仕事が終わったと思うともう終電の時間となっていた。
帰りの電車の中でうつらうつらとしつつ、俺はまだ勤務初日で慣れてないせいだと自身に言い聞かせた。
しかし、その後も退社時間は遅くなる一方だった。
朝、家にシャワーと着替えで帰り、また10時に出勤。
一ヶ月もするとそんな生活が当たり前になった。
周りの同期は家に帰れず、着替えも出来ずなんて有様だったから俺はまだマシだったのかもしれない。
――至る現在
今日も俺は営業マンとして契約成立の為に奔走しているが手応えはまさにぬかに釘と言ったところだ。
「今日はなんとか終電に間に合いそうだな」
そう言うとゆっくりと椅子から立ち上がり、ついさっき受け取った名刺を眺める。
先程俺に日本式でNoと言い放った男…年は見たところ俺とそう遠くあるまい。
話してみたところ広告の契約先を一任されているようなので、年の割にはかなりの要職に就いていることとなる。
「…こうも同じ年なのに違うのか」
考えてると段々惨めな気持ちになってきたのでそこで思考をせき止める。
終電に揺られながら、翌日の一ヶ月ぶりに取れた休暇のことについて思いを馳せてみる。
「会社のクジ運は最悪だが…こっちはそうでもなかったよなぁ」
思わず口元を緩めてニンマリしてしまった。知らない人が見たら変なヤツだと思われるに違いない。
しかし生憎の終電、車両に乗ってるのは俺だけだ。
脱線した思考を引き戻しつつもニヤニヤは止まらなかった。
アレ今頃もう家に届いているハズだ。
ソード・アート・オンライン、通称SAO
アーガス社の発売した世界初のVRMMO、
たった1万本しかない初期ロットの先行予約には10万というキチガイじみた人数の応募が殺到したが、それをくぐり抜けて当選したのは僥倖という他ないだろう。
そしてそのカードリッジが家に配達されているのだ。さらに明日は正式サービス初日。
これをニヤニヤせずにいられようか。
早く仕事のことを忘れて剣を振り回したいなぁ…などと益体もないことを考えつつ、普段より五割増しで軽い足取りで家賃7万の1LDKへと向かいそのままダッシュでポストを除く。
そして、そこには目当てのブツがあった。
「よっしゃあああああああ!」
思わずガッツポーズまでしてから、近所の目が気になるので慌てて口を噤んだ。
「たっだいま~♪」
そのまま誰もいない家に上機嫌で帰宅すると、しばらくハイテンションのままうっとりとパッケージに見入る。
しかし、やがて一日の疲れがどっと圧し掛かってきて…俺は説明書を読みながら爆睡してしまったのであった。
――来たる翌日、
結局目が覚めたのは午後4時だった。
俺は未だに首筋にこびりつくような疲労感を払い落としながらむくりと起き上がると、そのままジャージに着替えてボサボサの髪のまま最寄りのコンビニエンスストアに遅めの朝食を買い求めに行く。
パック入りのシーザーサラダを果汁100%のジュースで流し込んでいると段々と意識が覚醒してくる。そうだ…今日はサービス開始初日、ちょっと興奮してきたぞ。
朝食を済ませると既にサービス開始まで2時間という時刻となっていた。寝過ごさなかった我が身を褒めつつもぱっぱと風呂やトイレを済ませると、繰り返しスマホで公式PVを見つつその時間を待ちわびる。
無限に感じられるような時間を経て、サービス開始5分前となった。興奮のせいかブルブルと震える腕でその濃紺のギアを被ると、枕元にある電子時計のみに視線をフォーカスさせる。
あと5秒……3、2、1
「リンク・スタート!!」
俺は大声を張り上げる。
それは長い冒険の始まりと、そして何かの終わりを告げる起句(システムワード)だった。
ページ上へ戻る