身体は男でも
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1部分:第一章
第一章
身体は男でも
アチール=アッチャカラーンはバンコクに住んでいる。仕事はごく普通のタクシーの運転手だ。
だが外見はそうは見えない。同僚達は彼に苦笑いでこう言う。
「また奇麗にしてるな」
「メイク整えてるな」
「髪も奇麗にセットして」
「マニキュアまでしてるんだな」
「完璧よ」
ナルシズム全開でだ。こう返すアッチャカラーンだった。見ればだ。
どう見ても男に見えなかった。ズボンをはいていても女に見える。胸はないが。
その彼がだ。実に女らしい仕草で同僚達に応えるのだった。
「早くに起きてそうしてね」
「メイクとかセットしてか」
「それから出社してきてるんだな」
「そうよ。私は何でもいつも完璧にしてるのよ」
「そうだよな。まあ奇麗だよ」
「男だけれどな」
それでもだと。同僚達も認める。それでだ。
彼等は多少は納得している感じでだ。こうも言った。
「まあ。我が国はニューハーフとかには寛容だからな」
「俺達も特に何も言わないけれどな」
「それでもな」
「ニューハーフのタクシーの運転手か」
「ちょっとないな」
「あら、そうだったの」
ニューハーフのタクシーの運転手はないと言われてだ。アッチャカラーンは目をしばたかせて返した。
「私みたいな娘はそういないの」
「いや、娘じゃないだろ」
「そこは違うだろ」
同僚達はすぐに彼に突っ込みを入れる。彼等は今待合所で昼食を食べている。タイ風の辛口の炒飯に汁麺を食べている。アッチャカラーンは食べ方もおしとやかで女らしい。
その彼にだ。同僚達は突っ込みを入れた。
「全く。男だろ?」
「男だったら娘じゃないだろ」
「流石にそれは強引過ぎるだろ」
「あら、身体は男でもね」
だがどうかと返すアッチャカラーンだった。その声も女らしい。
「心は女よ」
「だから娘っていうのかよ」
「それだっていうのかよ」
「そうよ。私娘よ」
しなさえ作って言う。
「心は乙女。女の子よ」
「どうだかなあ。まあな」
「ムエタイの選手でもいるからな、御前みたいなの」
「それこそバンコクのあちこちにいるからな」
「我が国はそういうことには寛容だからな」
おおらかな国民性はこうしたところにも出ているのだ。タイの懐の広さはかなりのものだ。そしてそれが外交や内政にも出ているからかなりの国にもなっている。
そのタイ人の彼等がだ。アッチャカラーンに対して言うのだった。
「で、御前はこれからもか」
「そのままニューハーフでいくんだな」
「そうするんだな」
「当然よ。私女だから」
あくまでこう言い張るのだった。
「そうするわ」
「まあニューハーフの運転手ってことで評判になってるしな」
「やる時はやるしな」
これもタイ人の国民性である。緩急が見事なのだ。
「俺達がとやかく言うことでもないしな」
「御前の好きな様にするんだな」
「ええ。乙女でいるわ」
少なくともだ。彼はそのつもりだった。
「永遠にね」
「そうか。じゃあ飯食ったらな」
「また頑張るんだな」
「ええ。乙女の運転手としてね」
頑張ると言ってだ。そしてだった。
彼はニューハーフの運転手としてこの日も働く。その中でだ。
ある日の夕方だ。彼は一人の客を取った。その客はというと。
すらりとした長身でだ。微笑みの爽やかな青年だった。黒髪は奇麗に整え黒い目の光が明るい。まるで映画俳優の様な美男子だった。
その彼を見てだ。アッチャカラーンは瞬時にだ。胸がきゅんとなった。それでだ。
青年に対してだ。こう尋ねたのだった。
「あの、どちらまでですか?」
運転席からだ。後部座席に礼儀正しく座る青年をバックミラー越しに見つつ尋ねた。
「どちらまで行かれますか?」
「うん。バンコクの駅までね」
「そこまでですね」
「うん。お願いできるかな」
「はいっ」
無意識のうちに明るい声で答えたアッチャカラーンだった。
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