世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に
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18話 鈴戦
前書き
ハーメルン時代の奴から修正に修正を重ねていたら40000文字オーバーになりました。狂気の沙汰ですね、はい。
ちなみに現在、鈴戦後、鈴VS一夏、日常回、番外編など全部平行でネームと執筆行っていてすげえ楽しいです。ネタが出てくる出てくる。
程よく温まった身体に流れる汗を拭い、更衣室で自分のISスーツに着替える。身体を動かして温めたら今の不調がある程度改善されるかと思ったがそんなことはなく、むしろ先程よりもズレが大きく感じる。万全とは程遠いが、体調が万全の状態で戦うことの方が珍しいことを僕は知っている。今更この程度で慌てる必要もない。ズレを自覚しているならそれを踏まえた上でどのように読みを修正し、対策を考えていくかだ。
鈴さんは間違いなく現在の僕にとって最悪の相性を誇る相手だ。ISの相性自体は決して悪くない。いや、単純なスペック差や戦力差を考えるなら鬼神の方が優勢だろう。
だが操縦者同士の相性差が致命的に噛み合わないのだ。唯でさえ技量差が明確なのに、敗北への道を加速するための要因が存在する。
そして、鈴さんのあの瞳。アレは間違いなく死に物狂いで勝ちに来る者の目だ。何度も見たことあるし、自分もあの目になったことは1度や2度ではない。セシリアさんの時と違って一切の油断や侮りはないな。そうなると相手の弱点を突くことは必然的に苦しくなる。
一夏さんのように一撃で決着をつけれる代物、それこそ『零落白夜』のようなものがあるならまだ話は変わっただろうが、そんな都合の良いものはないとなるとリスク覚悟の真っ向勝負をしないといけなくなる。
正直、先輩よりもマシだが短期戦も長期戦も勝ちの目が見いだせない。
僕の技量で短期戦を挑むとなれば最終的にはブレードの夜叉を用いた近接戦を挑まざるを得ない。リスクを抑えた中距離戦で羅刹やレール砲、ミサイルポッドを直撃させる自信がないのだ。一夏さんとの戦いのように近距離でレール砲を用いた戦術を取れば、コンマの差で負けるだろう。鈴さんは一夏さんと違って動き出しの早さが桁外れと言ってもいい。あれだけ早い相手に呑気に狙いを定めている時間はないだろう。
そして衝撃砲、龍砲と双天牙月の単純ながら凶悪なまでに強力な二択。これを真っ向から迎え撃ち、なおかつ突破しなければならなくなる。圧倒的な近接スキル持ちを相手に近接戦を打倒しなければならない。それに加えて龍砲の見えない砲撃にも備えければならないのだ。
かと言って長期戦にも光明があるとは考えにくい。
鈴さんの華奢な体格とは裏腹にそのスタミナは常軌を逸している。公開されている映像を見ただけでもその片鱗は見え隠れしていた。それに加えて数多くの競争を勝ち抜いてきただけあってメンタルの強さも相当なものだろう。必然的にメンタルを突いてミスを引きずりだすことも出来ないだろうし、やすやすとミスをしてくれるようなこともない。メンタルはともかくとして、スタミナの差には天と地の差がある。
「……はっ」
思わず笑ってしまう。
それは勝てるわけがない、というような諦めに似たものではなく、これだけの相手と戦えることに感謝する笑いだ。格上とガチンコで戦える機会があるというのは思っている以上に存在しないもの。
どうせ破らなければならない壁なんだ。今ここで破るチャンスが巡って来たのは、欠片も信じていない神様が仕組んだようにも思えた。
世界2人目の男性操縦者と中国の代表候補生との試合。僕と鈴さんが模擬戦するという話を聞いて、学年問わず人が見に来ているという話を聞いた。興味から見に来るというのもあるだろうが、代表決定戦で1位になった僕が負けるのを期待して見に来るのは容易に予想が出来た。
そして今回の戦い、100人のIS操縦者がいるなら100人が僕が勝てないと嘲笑うだろう。勝てるはずがないと、不可能なことだと、挑む価値すらもないとね。僕も外野にいたなら、もしかしたらそう笑っていたかもしれない。外野にいることなどありえないが。
一夏さんへの言葉などハッキリ言って建前でしかない。それよりも先に今は高揚感が先行している。それはとても不思議な感覚だ。今までの、どんな戦いにもこんな高揚感を感じたことがあっただろうか? 緊張もせず、気負いもせず、不気味なほどに身体から余計な力が抜けている。
深く、深く呼吸を繰り返す。逸り気味の高揚感を落ち着かせるように。感情は時として大きな武器になる。が、それは過程に置いては邪魔になることが多いのだ。今は引っ込んでいてもらう。
「さてと……勝負しようじゃないか。中国の龍」
―――――――――
ピットから出撃すると既に鈴さんが自身のIS、甲龍を身に纏った状態で空中に静止していた。少しも微動だにしないその姿だけでも実力があるのが見て取れる。
両者の距離は15メートル。IS同士の戦いであれば一息で踏み込める程度の距離。この距離からでも彼女の身体から滲み出ている空気は感じ取れた。
目を閉じて静かに待っていた鈴さんだったが、僕が来たことに気づいたのか瞼をゆっくりと上げて僕を視界に捉えた。
オープンチャンネルで鈴さんから通信が飛んで来る。
「―――悪いわね鬼一。突然試合を申し込むような真似して」
「別に構いませんよ。一夏さんへの理由を除いても戦ってみたかったのは本音です」
突然の謝罪に、気にする必要はないという意味を込めて返事をした。格上に挑めるというのはそれだけで、ある意味では幸福なことでもある。それを理解しているからこそ言える言葉でもあった。
「大丈夫なら理由をお聞きしてもよろしいでしょうか? この模擬戦を挑んてきた意図くらいは聞きたいのですが」
僕の言葉に鈴さんはバツが悪くなったように視線を明後日の方向に向けた。鈴さんは直情的な人間に見えるが、いくらなんでも考えなしに格下に対してこんなことをふっかける人間には見えない。
……それに一夏さんの表情も気になる。あれは、鈴さんの行動に驚いていた、困った感じではあったが『止めようとしなかった』。その事実が、僕には鈴さんに何らかの明確な意志を持って僕にこの戦いを持ち込んでいると思えたし、一夏さんもその意志について心当たりがあるように見えたのだ。
そんな鈴さんはISの装甲を展開していない右手で頬を掻く。言えないわけではなさそうだが、言うべきか言わないべきか考えているようだ。
「……えーっと、そのへんはやっぱり話さないといけない?」
「……まぁ、気になると言えば気になりますね。いくらなんでもこのタイミングで格下の僕に対して戦いを持ち込むのは不自然です。一夏さんと戦うことも決まっていますし、僕が一夏さんを教えているということも考えたら気になりますよ」
その言葉に鈴さんは諦めたようにため息をついて、僕にとって予想外の言葉を吐き捨てた。それは鈴さんにとっては受け入れがたいような、明確な嫌悪感を持っており、鈴さんも口にしたくないのは明らかだった。
「あの馬鹿ね、アンタに劣等感を抱いているのよ」
あまりにも率直に、身も蓋もないことを言われた。
「は?」
一夏さんが僕に劣等感を? なぜ? そんなものをどうして感じるんだ。感じる必要もないし、感じることに意味なんてない。というか、そもそもそれは―――。
「アンタの言いたいことはなんとなく分かるわ。そもそもアンタと一夏は違うんだから、その感情に意味がないと言っても過言じゃないわ」
鈴さんは僕と視線を合わせないまま、そう口にする。だけどその言葉に反して鈴さんは一夏さんの心を否定するつもりはないようだ。言葉と本心はまた別なのは僕から見ても明白だった。鈴さんのそれはきっと、一夏さんを受け入れるような優しさが、熱があるように感じる。
「……私も映像で見たけど、アンタと一夏の試合は確実に一夏を変えたわ。もちろん他にも要因はあるだろうけどね。だけど、あの試合はそのきっかけなのは間違いない」
「……」
僕の存在が一夏さんを何かを変えた。それがなんなのかは分からない。だけど、鈴さんはそのきっかけは僕と一夏さんの試合であると断言する。
「……あいつはアンタの強さに触れて、感じて、そして自分の弱さに気づいて、その弱さに心が折れかけているのよ。しかもあいつはその弱さを隠しているわ。その弱さそのものが罪だと思ってね」
強さ、ね……。
本当に強かったら僕は今歩いているこの道を、犠牲を築かずに歩いているはずなんだけどな。一夏さんは僕の何に、何の強さを見出したのだろうか? 一夏さんと話したらしいが、その内容を覚えていない僕には心当たりがない。
「アンタ、一夏に言ったらしいわね。戦うということは大なり小なり傷つけ、傷つけられるということを。何かを得るためには何かを犠牲にするしかない、って。
私もそこには全くの同意見よ。大切なものがあるから私たちは戦い、そしてその結果何も得られないかもしれない、何も守れないかもしれないというのも理解してる。そして何らかの犠牲が出るというのもね」
『戦うということは大なり小なり傷つけ、傷つけられる』。僕は一夏さんにそんな言葉を吐いたのか。……馬鹿か僕は。そんな言葉は誰かに言っていいものではないのにな。
「……アホらしいけど、あいつは誰かを救うことに、守ることに異常なまでの執着心があるわ。きっと千冬さんに守られてきたからそう思うようになったんだろうけどね。そのこと自体は何も間違いじゃないわ」
……少しだけ危ないような気がする。守るという思いは決して間違いではない。だけど鈴さんの話を聞く限りだと、一夏さんはその誰かを守るという強迫観念のようなものに追い詰められていると感じられた。
「だけど、誰かを守るために戦う以上、必ず犠牲を出すことになるわ。それが自分なのか守る対象なのか、それとも傷つけようとする誰かなのか」
そう、それは絶対に曲げられない不変のルールだ。戦うという選択を取っている以上、絶対に避けられない事実。僕たちだけじゃなく、過去の人間達がどれだけ足掻き続けても曲げることの出来なかった悪夢。
もし、誰も傷つけたくないというなら少なくとも戦う以外の選択肢を見つけなければならない。戦えば必ず誰かが傷つく。自分の周りにいる人間なのか、それともそこにはいない顔も名前も知らない人間なのかという差異はあるだろうが。
そして、その新しい選択肢でも犠牲が出る可能性は常に付き纏うことになるだろう。範囲が余りにも広すぎるのだ。
「厄介なことにあいつは『守るために誰かを犠牲にしてはならない』、なんて夢物語を本気で信じているのよ。笑っちゃうよね? そんなこと誰もが一度は信じるけど出来ないと理解して諦めるのに、きっと死ぬまであいつは諦めきれないのよ。めちゃくちゃ頑固だからねあいつ、ずっと迷って迷って迷い続けて、それでも諦めないでしょうね」
……数え切れないほど迷っても、どれだけ考えてもその夢物語を実行することは出来ない。現実がそれを許してくれない。一夏さんはまだ、痛みを伴う現実を知らない。いや、『何かを失ったことがない、もしくは失いかけたことがない』が正確だろうか。
僕も鈴さんも、観客席でこの戦いを見ているセシリアさんやここにはいないたっちゃん先輩も一度はそれを信じた。誰も傷つかない未来があると、誰もが幸福になれる未来があると。そして、諦めた。いや、諦めざるを得なかった。足掻いている間に、全てを失いかねないからだ。
だから、取捨選択をする。何を取って、何を切り捨てるのか。少しでも後悔しないように、自分が納得できる選択をするしかない。
「きっと誰もが馬鹿にすると思うし、出来ないと否定してあの馬鹿を追い詰めようとするでしょう。現にアンタは否定したみたいだしね」
……当時の僕は否定したか。そうだな、今言われてもきっと否定するだろう。そんな奇跡を起こせるはずがない。もし、起こせるのなら、僕たちがしてきたことは一体なんだったのろうか。
意地張って戦い続けてきたからこそ分かることだ。絶対に譲っちゃいけない一線があったからこそ、僕たちはここまで進んでこれたのだ。それ以外のものは諦めてだ。
鈴さんは話している間、ずっと笑っていた。だけど、それは本心から一夏さんを馬鹿にしたものではなく、しょうがない奴だ、と苦笑しているようだった。
そこで僕は限界を迎えた。
「……随分と舐められたものだな。僕も、この世界も」
その時、自分に宿っていた感情が何なのかは正確には分からなかった。だけど、口が反応していた。
「本来、一夏さんにそんな言葉を口にする権利なんてないんですよ鈴さん」
「……」
「考えなくても分かる話ですよこんなもの」
怒りが湧いてくるが落ち着かせるように一度深呼吸。いけない、セシリアさんやたっちゃん先輩と話していた分、こういうことを言われると気持ちがザラつく。
「僕は大切なものを守るために、欲しいものを得るために相応の努力を果たしてきたつもりです。そしてそれは結果にも繋がっています」
国別対抗戦の予選決勝で起きた暴力事件。そこまで行くのに並大抵の努力ではなかったと胸を張って言える。指を失っても僕が信じる、救いを求めた世界を喰いものにされずに済んだ。
「正直言って今の話からすると一夏さんは履き違えているようにしか思えないです。なぜなら僕たちは手段を問わずに守れるようにならなければならないから。ISは近道かもしれませんが、あくまでも手段の1つでしかない」
仮に、一夏さんが守ろうとしているものが人であるならば、少なくともISという手段に拘る必要はない。もっと別の手段があるかもしれない。必要であればISも使うくらいでいいだろう。
それにISで身体を守ることは出来ても心は守れるかは分からないからな。
「一夏さんはISに乗るまで果たして自分の大切なものを、自分の信念、もしくは託されたものを守るために何らかの努力をしてきたのでしょうか?」
生半可な努力で守ることなんて出来はしない。果たして、今の一夏さんは自分の背中にある何かの重さを果たしてどれだけ理解しているのだろうか。
ふと、国別対抗戦を思い出した。たくさんのものを託されアンカーとして走り続けた決勝戦。僕はゴールまで走ることは叶わなかった。潰されてしまった。思いを託された分、あの時の悔しさは言葉に出来るものではない。
それでも、道はまだまだずっと続く以上、僕たちは自分の意思で歩き続けないといけない。人から言われてではなくだ。
「本当に大切なものがあるのであれば、別に『IS』という明確な力が無くても守れるようにしなければなりません。時に自分の心体を削ってでもね。そして自分の全てを賭けるに値する目的に対して能動的に行動する必要がある、努力と言い換えてもいいでしょう。そして自分の意志で苦しい決断を行わないといけません」
今までは漠然と、自分のいた世界を守るという目的を考えていた。今はそれに対しての方法を見つけ、その方法を実現するために努力することが出来る。
「笑わせるな。他人から教えてもらった方法しか行えていない奴に一体何が守れるというんだ。そんなもので守れるというなら、僕はとっくの昔に全部守れているんだよ」
この時、僕は吐き気する覚える嫌悪感すら覚えていた。相手に対しても、自分に対しても。
「今の一夏さんに自分の意志がほとんどない。流されていると言ってもいいでしょう。にも関わらず劣等感なんて感情を抱いている。そんなものを感じている暇があるなら歩けばいい。それこそ周りを利用してでも、貪欲なまでにだ」
一夏さんが今しているのはあくまでも僕やセシリアさんから教えてもらっている範囲のことでしかない。自分から積極的に何が必要で、そうでないのか考えていない。まだ始まったばかりだから、と言えばそれまでの話だが1秒でも早くそれに気づかなければいけない。
「劣等感というものを抱いていいのは真摯に、情熱的に、自分の守るべきものに向き合い、戦っている人間だけです。1度2度潰されても立ち上がって歩ける人間だけです」
その劣等感は嫉妬と言ってもいいだろうが、だけど、必ず己の糧にする。
顔を伏せて、熱くなっていた頭を冷やすようにもう一度深呼吸。
顔を上げた瞬間、とても不思議な感覚に囚われた。
鈴さんが歩いているその道は間違いなく誰かを犠牲にした上で築いてきた道のはずだ。一夏さんの考えは到底受け入れられるものではないはずなのに。にも関わらず、優しい顔つきだった。
僕にはそれが不思議だった。どうしてそんな顔が出来るのか。
「……そうね、間違いなく鬼一が正しいと思うわ。ううん、そっちが正解だと私も思う。だけどさ……」
鈴は優しい顔のまま声を放つ。
「それでも、私たちの正しさは私たちだけの正しさなのよ」
「……っ!」
呼吸が止まる。
一夏さんの言葉を甘すぎる理想だ、現実を知らない愚か者だ、それを理解した上で鈴さんは一夏さんを否定しなかった。それが自分を否定しかねないことであるにも関わらずだ。
それでも、彼女はあっさりと言い放った。
「あいつの『守る』はとても幼いものよ。現実を知らない子供のそれでしかないわ。綺麗事と言ってもいい。それでもさ」
小難しいことはどうでもいい。そんなことを考えるのは後でいくらでも考えればいい。自分は、自分だけの信念に従ってそのとおりに生きてみせるという強い意志を感じる。
「鬼一は知ってるでしょ? 理想は叶えることの出来ない夢物語で、現実は残酷なものだって。誰もがぶち当たる厳しさなんだってさ。最高の理想よりも最善の現実に手を伸ばしたほうがいいって」
そう、理想は理想でしかない。近づくことはあっても理想が現実になることはできない。誰も彼もが挑み続けて成功しなかった。それは歴史が証明しているのだ。
「でも1個だけこれには誤りがあるのよ」
僕は無言で続きを促す。
「その理想を現実に変えられるなら、それが何よりもいいのよ」
……確かにそうだ。だけど、それは―――。
反論をしようと思えばいくらでも反論できるものだった。だけど、口が動くことを否定している。
「少なくともあいつはそれでいいのよ。いつか、壮絶な過ちを犯すかもしれないけど、それで諦められるような理想ならそこで諦めればいい。だけど、理想を現実に変えられるような何かがあいつにはあるのよ。きっと。私はそう思える」
そこまで喋っていた鈴さんは自嘲するような苦笑を浮かべて、肩を竦めた。
「まあ、私自身に何が出来る? って聞かれたらあんまりないんだけど」
一瞬だけ顔を伏せて、力強く顔を上げた。
「でも、あいつの踏み台くらいにはなれるでしょ? あいつを強くするための踏み台くらいにはさ。たくさん見て、感じて、実行して、苦しんで、それでも這い上がる手助けは出来る」
……でも、それは。いや、これは鈴さんが選んだ道なのであれば衝突しない限り僕が否定する必要はどこにもない。
「私自身あんま良い人生を送ってるわけじゃないから、あいつに言葉で教えてやれることなんて正直ないんだよね。私、口はあんま得意じゃないし」
まぁ、確かに言葉で伝えるのは不得手そうではあるが。だから身体で教えるということか。
「厳しいけどあんたの言うことは間違いじゃないさ。でも、今はあんたやセシリアにあーだこーだ言われながらでいいのよ。誰もが最初っから能動的に動けるわけじゃないしね。まあ、早い方がいいのは間違いないけど」
そこまで喋って鈴さんは済まなさそうに1度だけ目を伏せた。
「……私の今していることがアンタにとって傍迷惑なことも理解しているわ。それに関しては本当に申し訳ないわね。ひたすらに身勝手な理屈をこっちは振りかざしているんだから。ぶっちゃけ一夏に少しでも強くなって欲しいからあんたを利用している、って言われたら否定もできないし」
……確かに迷惑でしかない。だけど、それを否定しようとは思わない。だって僕も身勝手に戦い続けてきたんだから。いまさらどのツラ下げて人の行いを否定できるというのか。そして僕自身、この戦いにおいて自分にとって意味があるものだから受けている。
しかし、一夏さん。こんな人にこれだけ思われていることを幸せだと思ったほうがいいと思う。心底、羨ましく感じる。自分の道を支えてくれる人が身近にいてくれるというのは中々ないんだから。
そんなことを考えていたら、思わず口にしてしまった。
「……一夏さん羨ましいですね。これだけ思われているんですから」
「思って当然よ。だって私は一夏が好きなんだから」
へ?
「……へ?」
「……あっ」
思わず間抜けな声を出してしまう。それは鈴さんも同じだった。彼女の場合は咄嗟に反応してしまったみたいだったが。
しかし、そうか。鈴さんは一夏さんのことが好きなのか。ふーん。
思わず口角が上がってしまう。我ながら下衆な笑みを浮かべていただろう。
鈴さんの顔が面白いくらいに赤くなる。茹で蛸とはこういうことを言うんじゃなかろうか。
この会話が僕と鈴さんだけのもので本当に良かった。周りの人間、特に一夏さんがいたら事件が起きていたのは容易に想像できる。もしくは箒さん。彼女でも多分、ひと悶着起きていただろう。
さて、このまま追求したいところだが、戦う前にほのぼのとしているわけにもいかない。
僕は全力を賭して彼女の戦いに応えるのが礼儀であろう。そもそも、この戦いに温存している余裕など存在しないが。
「……さて、と。始めましょうか」
赤い顔で睨んでいた鈴さんだったが、僕の雰囲気が変わったことを感じ取ったのか彼女の雰囲気もまったく違うものに切り替わる。
一瞬緩んだ空気が締まり直され、緊張感のある雰囲気に両者の間に走った。
僕は武装、ミサイルポッド、レール砲、左手に夜叉をそれぞれ展開する。一夏さんの時と違って多くの武装を展開しても、甲龍の機動力に負けることはない。機動力だけなら5分以上を確立できる。
鈴さんも右手に装甲を展開し直して、一瞬光ったと思ったらその手には双天牙月が握られていた。
「……鬼一、この戦いにはアンタとあの馬鹿の時と違って引き分けはないわ。キッチリ白黒つけましょう。私たちの間でね」
その言葉の意味を理解する。鈴さんは表面上の引き分けなどは一切の意味がないということを僕に伝えた。
つまり、同時にエネルギー切れになったとしても再戦などでしっかりとケリがつくまでエンドレスによる勝負を、勝敗が決まるまで敢行するということだ。
上等だ。これだけ熱い思いをぶつけられて引き分けなんて終着はいくらなんでも納得できない。こちらの不利などはこの際どうだっていい。そもそも、僕はこの戦いにそんな展開にさせる気はない。多分、鈴さんも同様だろう。念のための確認でしかない。
「鈴さん、一つだけいいでしょうか?」
「なによ?」
鈴さんの緊張感漂う声が向けられる。どうやら無下にするつもりはないみたいだ。ならば手早く終わらせよう。
「……貴女に協力するのはやぶさかではありません。だけどこの戦い、僕が勝ってもいいんですよね?」
僕のその言葉に鈴さんが嬉しそうに声を漏らす。
「……私に勝とうっての? 上等よ。死に物狂いで来なさい。私は一切の手加減をするつもりはないわよ。アンタの試合を見れば、そんな甘えは絶対に咎められる。それくらいは理解しているわ。
月夜 鬼一は間違いなく筋金入りの怪物よ。はっきり言って本国の代表候補生やその下の連中じゃアンタを倒すことは叶わない。アンタは人の油断や甘えに対して容赦なく見つけてそれを突くからね。たかが男と見くびってるあいつらにアンタは倒せないわ」
鈴さんの鋭い視線が向けられる。
IS戦で良いと思えることはこうやって相手の戦意を直にぶつけられるということだ。これが僕の心に熱が宿らせる。
ふつふつと血液が沸騰する錯覚を覚える。早く、試合が始まって欲しい。お互いの熱が冷める前に、この熱を目の前の戦いにぶつけたい。
鼓膜を震わせるほどの開戦の合図がアリーナに響き渡る。
―――――――――
アリーナ全体に戦いの始まりをコングが鳴り響く。しかし、鬼一と鈴の両者は僅かに距離を離すだけでまだ始めない。
だがそれも一瞬。
鬼一の視界から鈴の姿が消えた。いや、一瞬だけブレたと思ったら次の瞬間には鬼一の目前にまで踏み込んでいた。それがかろうじて鬼一が理解できたことだ。
逆手に構えた夜叉でとっさに鈴の一撃を受け止めた。が、鈴に強引に弾き飛ばされる。ビリビリと左腕に痺れが走る。それだけで鬼一は鈴との力量差を、IS以前の根本的な差を理解した。身体能力というステージではどうあがいても叶うことはないと。
―――……単純な身体能力だけならたっちゃん先輩にも張り合えるレベルか……!
弾き飛ばされた鬼一は空中で身体を反転させ、衝撃を逃がしながら地面に着地する。
表情は涼しいものであったが、鬼一は内心で舌打ちを零す。
―――速い、映像以上の速さに感じるのは鈴さんの動き出しが極めて速いからだ。これに振り回されると後手に回され、いずれは何も出来なくなる。しかも僕の防御が明らかに遅れた。タイミングを合わせないと。
ひとつひとつの動作に無駄がなく、始まりと終わりまでの間隔が極めて短い。鬼一はそれを踏まえた上で『自分の中』を修正する。鈴のテンポに呼吸を合わせるように。
―――甲龍の武装は龍砲と双天牙月の2種類。セシリアさんのような多角的な攻撃、一夏さんのような一撃必殺を持っているわけじゃない。でも……っ!
単純だが完成されたコンビネーションを攻略するのは難しいと鬼一は過去の経験から理解している。だが、それは難しいだけだ。鬼一は、自分なら必ず攻略の糸口を見つけ出せる自信があった。しかし、
―――この人の怖さの本質は武装などの表面的な部分じゃない。
鬼一からすれば甲龍の武装は厄介だが、それよりも厄介なのは操縦者である鈴なのであった。それも、鬼一からすれば最悪と言わしめるほど。
―――……一夏さんと違って近接戦のスキルが高いのも嫌だけどそんなことよりも、攻撃的な性格なのに、具体的なリスクリターンを考えている時と考えてない時の行動が別物すぎることだ。何をしてくるかがイマイチ分からない。
鈴の感性は独特なものだと鬼一は判断していた。映像を見た際、セオリーから逸脱した行動やそれまでの有利を捨てるような行動があるのを確認している。故に鈴の思考を読み取れない。ヘタをすれば、どれだけ優勢であってもあっさりと覆されそうな怖さが鈴の中にある。
―――そのくせして動きに安定感もあるし、IS人口の多い中国で僅か1年で代表候補生になるほどだ。そんな環境で戦ってきた以上、間違いなくメンタルも強い。となるとミスはまず望めない。
セシリア戦や一夏戦の時と違いメンタルを崩してミスを誘発させる戦術は取れないこともないが、効率が悪すぎる。かと言って楯無との戦いのように新たな隙を作り出していいのかも微妙な線。
現段階で鬼一は明確な勝算をまだ組み立てていない。だが何をされたら敗北が確定するのは既に理解している。
即ち、鈴に守りを固められるということだ。
鈴の攻撃力は脅威に尽きる。だが鬼一は鈴の守備力こそが勝敗に直結するものだと考えていた。身体能力の高さとISの操縦技術の高さから来る回避能力。他の第3世代ISと違って燃費の良いISの甲龍。常軌を逸したスタミナ。大崩れのしないメンタル。全てがその守備力の一端を物語っている。本人が意識していないだけの問題だった。もし、本気で守りに入られたら鬼一はその守りを崩すことは出来ないと判断した。
つまり、鬼一が勝つための最低限のラインは鈴に『攻撃と守備の比率を変えさせないこと』だ。言い換えれば、ほとんど鈴に一方的に攻められることで守りを意識させないこと。
守備に入られたらまず敗北。かと言って攻めさせ続けて耐え切れるかどうかも定かではない。
―――こちらが勝つためにはその攻撃力を上回ることじゃない。重要なのはどうやってその攻撃力を捌くか。そして、鈴さんにディフェンシブな立ち回りをさせずにどのタイミングで仕掛けるかだ。
まずは龍砲と双天牙月の二択を攻略する。それが大前提になる。攻略したらその時の鈴の守備力を突破できるかどうかの戦いに発展させ、ベストはそこで決着をつけることだ。
―――……今までの練習で考えてきた様々な戦略を試して、相手の反応を探りながら逆襲のチャンスを見つけることだ。その上で自分の攻撃力が、甲龍とそのときの鈴さんの守備力を突破できるかどうか……!
空中にいる鈴を強く睨みつけて鬼一は飛翔する。出し惜しみはしている場合じゃない。まだ不完全ではあるが、温存する必要のない手札は積極的に利用していかないと戦いにすらならないと判断した。
ミサイルポッドを展開して甲龍に狙いをつけて何の躊躇いもなく発射。
―――――――――
32発のミサイルが空気を切り裂きながら甲龍に飛来。直撃すれば決着をつけかねないほどの火力。弾薬の嵐。
だがそれだけのミサイルを目の前にしても鈴は慌てることはない。短く、しかし力強くスラスターを展開。1歩分だけ前に進めて移動を止めた。
その姿を見て鬼一は眉を顰める。
―――何をする気だ。回避はしないつもりなのか?
鬼火を吹かしながら距離を詰めて考える。鈴の狙いが読めない。IS戦の経験値が少なく、情報がまだ揃っていない状態では読みきることは叶わない。
扇形に射出されたミサイルが1点に集中する。直撃までゼロコンマ数秒。しかし、鈴の表情に焦りはない。
その表情に鬼一のカンが反応する。危険を告げるサイン。カン、と言っても良かった。
―――……そういうことかっ!
前方に進むように鬼火を展開していたがすかさず逆噴射。迷っている場合ではない。全力で離脱しなければ地面に倒れるのは自分だと確信。
急激なGに意識が揺らめく。ブレる視界の中で右手に羅刹を展開。鈴の胴体に照準を合わせる。
その鬼一の姿に鈴以外の、観客席にいる人間の全員が疑問に思う。鬼一は自分から攻めようとしたのに、それを止めたように見えたからだ。
―――いい判断ね。そこで離脱してなかったらアンタの負けだった。
鈴は思わず笑う。
目の前の相手が『本物』だということに鈴は改めて確信した。まさか、日本に来て初めて戦う相手がこれほどのレベルだとは予想もしなかった。そのことに更にギアが上がる。
ミサイルが直撃する直前、その僅かな一瞬に鈴は躊躇いなく身を投げ出した。一点だけに存在する隙間。そこを全力で『潜り抜けた』。
甲龍の後ろでミサイル同士でぶつかり轟音を鳴らしながら爆発。鈴はその爆風を利用して擬似的な瞬時加速。しかし、その速度は決して本来のそれに劣るものではない。
その絶技に目を見開く観客席の生徒たち。代表候補生のセシリアも例外ではなかった。
だがギリギリのラインで察した鬼一は迎撃に移行する。どれだけ早かろうが瞬時加速は直線的なものでしかない。読み切れたのであれば迎撃はさして難しいものじゃ―――。
羅刹の引き金を絞り、エネルギーが収束され銃口から吐き出された。鈴の進路に置くように。
平均レベルのIS操縦者ならば直撃を免れない一撃。しかし、鬼一の目の前にいる存在はその程度の生き物じゃなかった。この程度で敗れるのであれば、近接戦向きの操縦者が代表候補生になれるはずもない。
鈴は手に持った双天牙月で迷わず赤色の濁流を切り払う。腕が軋むほどの衝撃が走るがただそれだけの話。迷わず進む。
「―――っ!」
鈴の一撃を夜叉で受け止め、レール砲で鈴を追い払う。この段階で近接戦をするわけにはいかない。
―――……龍砲で迎撃させるつもりだったのに、まさかこんな方法で凌がれるなんてな。どっちが化物なんだか。
だが、目の前で起きた光景は鬼一にとって大きなヒントになる。鈴の攻略に繋がる情報だ。
背筋に汗が流れる。一瞬の判断ミスで負けることを実感。
両者は再び距離を空けた。
「やるわね。一瞬、殺ったと思ったんけど」
軽い口調で鈴は鬼一に話しかける。
応える気はさらさら無かった。いや、応える余裕が鬼一にはなかった、という方が正確だろうか。
しかし、自分の心情を読まれたくない鬼一は軽口を無理やり叩く。
「そちらこそ。随分むちゃくちゃなことをしてくれますね」
「そう? このご時勢、近接戦をメインに据えている操縦者ならこの程度出来ないと話にならないわ」
「あれ、最初から狙っていたんですか?」
「まさか。どうしたもんかなー、って考えていたんだけど咄嗟に思いついたからやっただけよ」
鈴のその言葉に頭痛すら覚えた。
つまり、鳳 鈴音という操縦者は自分の咄嗟の思いつきを一瞬で形に出来るほどの技術を持っているという事実だ。しかも極めてハイレベルな内容。
この事実に鬼一は小さく舌打ちを漏らす。
あらかじめ考えてあった戦術、その数は30を優にあった。
焦るようなことはなかった。極めて静かに、冷静に鬼一は結論を出す。
あらかじめ考えている戦術程度では、目の前の相手には通用しないことを理解せざるを得なかった。
ならば、一から組み直す他しかない。それがどれだけのリスクを持っているのも理解した上でだ。
―――少なくとも、二択を仕掛けられる前に何が何でも龍砲を使わせないと。今の状態だと仕掛けられたら多分、どうしようもないかもしれない。あんな状況なら普通龍砲で迎撃することも十分考える。いや、それが最初にくるはずなんだ。リスクが1番避けれるから。にも関わらず使わなかったってことは、もしかして……『僕に龍砲を見せたくない』からか?
1回でも龍砲を確認することが出来れば、例え見えない武装であったとしても対応出来る自信が鬼一にはある。
いまのやり取りだけでも鬼一の警戒度が引き上がる。
―――危な……。あと少しで龍砲を使いそうになったわ。こいつの目の前で龍砲を軽々しく使っちゃいけないわ。確実に合わせてくる。
1回でも使用すれば何らかの形で対応させる予感が鈴の胸中にある。軽々しく切るわけには行かない。対応がしにくい、双天牙月との波状攻撃が最大の攻撃なのに単一で使うのは愚かだ。
鈴は鬼一が、一夏やセシリアの試合を直に見たことはない。が、映像であったとしてもその危険性は読み取れた。
もし、龍砲の情報が映像などで残りやすいものであったなら鬼一は龍砲に対して神経質になる必要はない。だが砲身も弾丸もまったく見えない独特な代物である以上は、実際に体感しない限りは対策を練る事もできないのだ。
「……先手は譲ったわ。次はこっちから行くわよ!」
「っ!」
鈴の気迫が鬼一に叩きつけられる。その迫力に思わず身を逸らしかけた。
鬼一の手から羅刹は格納されて姿を消す。両手を駆使して夜叉を使わなければ力負けするのを危惧したからだ。
―――来る!
距離を離すことは出来ない。離した瞬間、確実に追撃が待っている。フィールド端に追い詰められたら嬲り殺しの未来が見えた。そうなれば鬼一の勝利はもうない。
故にリスク覚悟の迎撃に賭ける。
双天牙月をクルクルと使い慣れた道具のように回転させ、緩急を付けながら鬼一を斬りつける。鬼一が致命的な隙をさらすその瞬間まで何度も。
鈴の連撃の合間を縫うようにレール砲が断続的に火を噴く。シールドエネルギーを削る目的ではなく、威嚇と相手を下がらせるためにだ。
しかし、鈴は下がらない。
鈴は無意識下ではあったがレール砲がどこで撃ってくるか読んでいた。その砲撃を至近距離で避け続けながら自分の攻撃で相手を揺さぶる。
レール砲の弾丸が鈴の顔の右をスレスレで掠めた。そんなギリギリの状態でも鈴の表情は揺るがない。
「―――っ!」
終わらない連撃に鬼一は呼吸が出来ない。いや、息を漏らしてしまった瞬間に最大の1擊が口を開けて待っていることを身体で理解している。
苦しい鬼一とは対照的に鈴は余裕すらも感じる。
「……っかは!」
約20秒近くを無酸素で高速戦闘を、歯を食いしばって耐え続けていた鬼一がついに呼吸を再開した。同時に僅かながらに挙動が遅くなる。
その瞬間を鈴は容赦なく突いた。
甲龍の肩アーマーが開き、その中心の球体が鈍く光った瞬間、鬼一はその見えない一撃に備えようとせず―――
ただ、『凝視』していた。その一瞬を少しも逃さないと言わんばかりに。
腹部に叩きつけられる不可視の一撃に、鬼一は空中で受身を取ることも叶わずに地表に叩きつけられた。
絶対防御が発動してシールドエネルギーが削られたが、そんなことを気にしている余裕は鬼一の中には無かった。
―――――――――
「……これが、衝撃砲か……」
観客席から2人の試合を見ていた一夏が呆然と呟く。少なくとも一夏はあの一撃に対して具体的な対策は何も思いつかない。
「実際に見ると極めてやりにくい武装ですわね。砲身も弾丸も見えない以上、回避行動も防御も満足に出来ません。近距離ならもっと難しいでしょう。これだけのものなのに燃費すらも良い」
厳しい視線をアリーナに向けたままセシリアは呟く。
―――でも衝撃砲よりも鈴さん本人の方が厄介。少なくともあんな滅茶苦茶な回避、それどころか攻撃にまで利用できる操縦者はそう多くはない。
その言葉は口にせず、心の中で留める。
「セシリア、あの衝撃砲なんだけどハイパーセンサーで読むことは出来ないのか? 空間の歪みとか空気の流れから分かるような気がするんだが」
一夏の質問に首を横に振る。
「ダメですわ。それだとあまりにも遅すぎます。正直撃たれるのを待つだけになってしまいますわね。
もしわたくしが対策するなら、なんとかして先手を取って少しでも圧力をかけて余裕のある状態で衝撃砲を撃たせないことを考えます。苦し紛れの状態で撃たせればいくらなんでも、直撃を狙うのは難しいはずですわ」
口にしていてその対策が鬼一が実行するのは難しいとセシリアは考えた。
鬼一が先手を取るには鈴と近接戦を行って有利を取る必要が出てくる。射撃戦を行っていてもどこからどんな方法で逆襲が来るのか予想が出来ない以上、迂闊に射撃を仕掛ける訳にもいかないから。
となるとリスク覚悟で近接戦、衝撃砲と双天牙月の波状攻撃を真っ向から受けて立つ他にならない。その攻撃を崩さなければ鬼一の勝利はない、とセシリアは分析する。
「鳳 鈴音。全てが未知数な開幕に対して、普通ならリスクを避けなければいけないのにも関わらずそのリスクを真っ向から受け入れるなんて、その度胸もかなりのものですわね」
「鬼一の奴、どうしてあんなに近距離戦に拘ったんだ? 鬼神の速度なら鈴を引きちぎることだって出来るはずだ」
「織斑さん、鬼一さんは鈴さんを相手にリスクを回避して倒せる相手では無いと判断したんですわ。鈴さんを攻略するにはどうしても衝撃砲とあの異形の武器を用いた攻撃、攻撃力を何らかの形でどうにかしなければなりません。
多分ですが、多少シールドエネルギーを支払っても情報を優先したんだと思います。鬼一さんは鈴さんのことを調べていたでしょうし、そこから何らかの対策も考えていたはずです。
でも、それをしなかったということは鈴さんのレベルが予想より高かったということですわ。過去の情報は1度破棄してリアルタイムで得られる情報から攻略を考えることにしたんだと思います」
「……だけどそれって」
「はい、かなり難しいことですわ。鈴さんから情報を得るためにはどうしても先ほどのような高速戦闘は必要不可欠です。高速戦闘に意識を割きながら情報を集め、リアルタイムで対策を考え実行しなければなりませんし、そこに加えて鬼一さんの場合だとISの制御にも細心の注意を払う必要がありますわ」
その言葉に一夏は顔を歪める。そんなことは自分には到底出来ないと語っていた。
―――――――――
地表に叩きつけたれた鬼一は意識が定かでは無かったが、素早く身体を起こして鈴に向かい合う。鈴は追撃に移らなかった。鈴も鬼一に対して警戒をしていたからだ。
鬼一は口の中が粘ついていることに気付き、地面に吐き出した。どうやら口の中を切ったのかそこには唾液に混じって血液が混じっている。
今のやり取りの中で得た情報を鬼一は整理。
―――やはり鈴さんとの近接戦はかなり危険を伴うな。少なくともタイミングが合ってくればなんとかなるほど楽なものじゃない。むしろ積極的に仕掛けてくる分、ベクトルは違うけどたっちゃん先輩より面倒だ。
―――射撃をすればそれを利用され踏み込まれ、近接戦で散々振り回されて、そこを離脱しようとすれば龍砲が待っている。これを支えているのは鈴さんの貪欲なまでの攻撃性。それこそミス上等の立ち回り。
―――……僕にあの双天牙月の攻撃を捌ききれるほどのスキルはないし、隙を作って確実に射撃を当てれるほどのスキルもない。必然的に龍砲を攻略してそこから隙を引きずり出すしか道はない。
―――龍砲。展開から発射、そして着弾までが異常なまでに速い。だけど今の1発からいくつか分かったことがある。鈴さんは高速戦闘をこなしながら龍砲を扱う余裕、思考はない。だから僕の隙を狙うような形で使うことになったんだ。『タイミング』は取れたし龍砲を使う『基準』も分かった。
―――あとは自分と鈴さんの位置、体勢、視線、あの球体、それらの情報から瞬時に判断して回避とカウンターに全力を注ぐしかない。
それがどれだけ難しいことなのか鬼一は骨の髄まで理解している。しかし、やらないと勝てないというならやらざるを得ない。
やらなければ負けるのであればやるしかない。それがe-Sportsで学んだことなのだから。
―――――――――
先ほどと同様に鬼一と鈴は高速戦闘を開始する。
鈴は龍砲と双天牙月の波状攻撃を仕掛けるために。
鬼一は龍砲を攻略し、ビッグリターンを得るために。
初期の頃に考えてあった戦略を全て破棄した鬼一ではあったが、まだ隠し持っている武器が存在する。
現行ISの中でも最高クラスの性能を誇っている『鬼火』を活かした強引な、所謂『チェンジオブペース』。急激な緩急を活かしたテクニック。鬼火の性能を活かすために鬼一が考えた自分唯一の武器。楯無との戦いで見つけた新たなセオリー。
まだ試行錯誤の最中で鬼火の調整も十全とは言い切れないが、鈴は鬼一の情報を少なからず調べている。ならば、見たことのない動きをすれば相手のペースをかく乱、崩す糸口になるかもしれない。
だがこれには大きなリスクが存在する。
まだ考え上げてから詰めきれていないのだ。そもそも楯無戦以降、試合どころか個人練習でしか使っていない。
しかし今の鬼一では鈴には到底届かないことを鬼一は理解している。と、なると必然的に今までの自分に新しい要素を足すしかない。
立ち上がった鬼一に鈴は自分から降下し鬼一に攻撃を仕掛ける。鬼一の感覚では先ほどの擬似瞬時速度に比べて遥かに遅く感じた。だからといって今の鬼一には持て余しかねないほどの速さではあるが。
距離を取った様に『見せかけるため』に鬼一は後退する。リミッターがかかっていると言っても鬼神の速度はやけに遅いもの。鈴はそれを疑問に感じることはない。地面に叩きつけられた時のダメージが残っていると判断したからだ。
しかし、それは鬼一の罠でしかない。
後ろにあった重心が前に。
同時に鬼火を最大速度で展開。
緩慢な後退から高速の前進。
「……っ!?」
その驚きは一体誰のものであったか。
僅かな動作で最高速度に達した鬼神が甲龍に肉迫。左手に構えた夜叉を小さな動作での斬撃。
一瞬、驚きに包まれた鈴だったが迷わず間合いに踏み込む。鈴は近接戦において絶対の自信がある。それは自身が代表候補生になっている事実から生み出たもの。
鬼一は近接戦において決して自信があるわけではなかった。だけど、勝利するためには近接戦を行わなければならない、という決断を下した自分には自信がある。その決断が一つの世界の頂点に立つために必要なものなのだから。
鬼一の緩急が僅かながらに鈴の予想を超える。
最低速度と最高速度を活かした動き、そのことで通常よりも早く見えているのは理解していた。が、ここまで極端な緩急を鈴は体験したことがない。なぜなら近接戦で重要なのは自分の最高速度と反応、そして読みが複雑に絡み合うからだ。
ならそこに、予想を超える新要素を足せば近接戦の結果はどのようになるか?
結論は一つ、僅かながらに鬼一のそれが鈴から有利を勝ち取ることに成功する。
―――まずっ!?
夜叉の一撃と僅かに遅れた双天月牙の一撃が衝突。単純な出力ではほぼ5分。ならば力を込めやすい体勢を作れている鬼神が有利―――!
「―――っし!!」
金属音がアリーナに甲高く鳴り響く。
重心が後ろに崩れた甲龍が弾き飛ばされ、宙に押し戻される。
その隙を見逃すほど鬼一は甘くはない。
リターンを望めるポイントは決して多くないのだ。ならば、その貴重なポイントが目の前にある以上、全力でリターンをもぎ取る。
だが、その程度で叩かれるなら鈴は激戦区の中国で代表候補生になれるはずもない。
一口に近接戦と言っても様々な強さがある。
反応速度、判断力、読み、武器を扱うスキル。
確かにどれも正解だ。
鳳 鈴音はどれも高水準を誇り、鬼一もそれは痛いほど理解している。だが鬼一は鈴を読み違えていた。
鈴はISを乗り始めて僅か1年弱。天性の才能もあっただろうが、そこに至るまでには余人には理解できないほどの努力があるのもまた事実。
鬼一は理性で自分の弱点を解析し、修正を行う。それに対し鈴は理性ではなく感覚で修正を行う。感性、センスと言い換えてもいいだろう。
1年の闘争の果てに鈴が近接戦で勝つための答え、それは。
―――嘘っ!?
その姿を見て鬼一は思わず驚愕する。確実に自分が有利を取れた形であった。その追撃のタイミングも速度も決して悪くなく、間違いなく勝てる状況。
「……甘いわっ!」
にも関わらず鬼一の眼前には『一瞬で態勢を立て直して双天牙月を振りかぶっている鈴』の姿だった。
どんな状況からでも、どんなに悪い体勢であっても最速で立て直し、相手が崩れるまで無限に食らいついて行き打倒する。
近接戦操縦者に限らず大部分の操縦者からすれば間違いなく悪夢のような光景。どれだけの隙を作り出しても、どれだけの悪い体勢であったとしても、最速で、自分が5分以上の力を出せる状態にまで立て直すのだから。
目の前の龍を倒すには根本的な地力で上回る他にない。
―――……ダメだっ! 下がれば狙われる!
体勢が5分になった段階で鬼一の敗北は確定している。だが後退して体勢を立て直そうとすれば追い詰められてあとは時間の問題。同じ敗北であったとしても、次がある敗北を鬼一は選んだ。
再度繰り広げられる高速戦闘。
無酸素で全力で互いの武器で相手を切りつけようとする。
10秒、20秒と互いの限界を競うようなギリギリの戦い。この場での勝敗が分かっていても鬼一は受け入れる他しかない。
「―――……ぷ、はぁっ!」
必死に堪え続けてきた鬼一が口を開いて肺に酸素を取り込む。取り込むその瞬間、鬼神の動きが一瞬だけ硬直。
―――……撃ってこいっ!
酸素を取り組んだその瞬間、鉛のように重くなった身体にムチを打ちながら目を凝らす。龍砲を使うその瞬間を。
完全に鈴が有利を勝ち得た状況。当然、鈴はそれを逃さない。ここまで圧倒的な優位を持っているのに、相手の逆襲の可能性があることはしないだろう。それが普通だ。鈴もそれは例外ではない。安全にリターンが狙えるならそれに越したことはない。
故に、龍砲を展開する。停止した鬼神に絶対防御を発動させるために。
そして、鬼一はその『安全』がどれだけの猛毒なのかを誰よりも理解している。
誰よりも鬼一は、勝利というものはリスクの先にしか存在しないことを理性でも本能でも理解している。
時としてそれは、自分を顧みることはしてはいけないことも。
龍砲の球体が光った瞬間、鬼一は迷わず全力で身体を右に投げ出す。瞬時加速を使ってでもだ。
「消えっ……!?」
鈴の声は耳に入らない。鈴の視界からすれば鬼一が消えたようにしか見えなかった。
遅れて左から、身体をくの字に折るほどの衝撃が走る。それがなんなのか理解することも出来ずに鈴は吹き飛ばされた。
渾身の、捨て身に近い戦法で鈴を吹っ飛ばした鬼一は瞬時加速の勢いを殺しきることが出来ずにそのまま地面に『着弾』。なんとか受身を取ることは出来たので、シールドエネルギーに変動はほとんどない。今の瞬時加速分くらいのものだ。
しかし、身体にかかった負担は決して無視できないほどのものだ。
「―――ぜっ、は、っ、はぁ―――!」
何度も何度も苦しそうに荒い呼吸を繰り返す。肺が壊れるのではないかと錯覚するほどに、肺は酸素を求めた。同時に無茶な負担をかけた肉体が1度、強制的に本能にブレーキをかけて休ませる。追撃しようと考えたが鬼神を動かすことも出来ない。
今の鬼一は満足に立つことも出来ずに、夜叉を杖にしながら吹き飛ばした鈴を睨みつけた。
鈴の姿は見えない。鬼一と同じように地面に『着弾』した鈴は、鬼一と違って満足に受身を取ることも叶わなかったのか猛烈な勢いで砂埃を立ち上げながら転がっていった。
乾坤一擲の捨て身の戦略。失敗すれば自分だけが地面に倒れていた。
龍砲のタイミングに合わせて、悲鳴を上げる身体を酷使して瞬時加速で射線から離脱。互いの近接武器が届かない距離とはいえ、十分に近いといえるほどの距離だ。そこから全速力で移動すれば、相手の視界からすれば消え去ったようにしか見えない。
人間は自分が理解できない現実に直面した時、必ず思考が1度中断される。鬼一も鈴も例外ではない。鬼一はそれを知っているからこそ、鈴の一瞬の空白を突くことに全てを燃やし尽くした。
鈴の左に回り込んだら、後は鈴のいる方角にひたすらレール砲の弾丸をぶちまける。瞬時加速で狙いを満足につけている暇がない以上、アタリをつけてレール砲の速射性能と1発ごとの火力の高さに託すしかない。
そして鬼一は成功した。鈴に10発近い弾丸を撃ち、その内の3発を叩き込んだ。鈴が満足に受身を取ることもできないということは、それ相応のダメージが入ったと鬼一は考える。つまり、絶対防御も確実に発動しているのは疑いの余地もない。
そしてこの戦略に2度目なんて存在しない。次は通用しないことを鬼一は知っている。
体力に余裕がある。思考に余裕がある。相手がリスクと安全の意味を知っているからこそ、挑むことが出来た貴重なワンチャンス。これで決着がつかないのであれば、これからの展開は今以上に悪くなることしか考えられない。
鈴は間違いなく自分の行動を修正する。その安全が自分を追い詰める要素なんだと理解して。そうなると鈴は今以上にリスクを背負って攻撃に転じるか、徹底的にリスクを排除して守りを固めるかの2つの選択を考えることになる。
守りを固められたら、その守備力を超えることはできない。かといって今以上に攻められたらそれを凌げるかも分からない。今でも厳しいと言わざるを得ないのに、これ以上強気に攻められたら潰される未来しか見えなかった。
鬼一に、一夏のような『零落白夜』があれば勝利していただろう。
自嘲するかのように鬼一は笑う。自分の火力ではどうあがいてもこの一擊だけで決着をつけることは出来ないと知っているからだ。
―――……多分、性格を考えれば今以上に鈴さんの攻撃は苛烈さを増す。そして、一定のリスクを背負った正攻法に対して、地力が劣っている以上攻略することはほぼ不可能だ。それは先輩との試合が証明している。そして、時としてリスクは安全に繋がることだってある。そのリスクを僕は咎められるかは分からない。
砂埃が一閃で薙ぎ払われる。
それを見て鬼一の笑みに影が差す。
分かってはいたが、それでも希望に縋りたかった。
砂埃が晴れるにつれて甲龍が姿を表す。
だが、その姿は決して無傷とは言えないものであった。
右肩から地面に突っ込んだせいか、非固定浮遊部位の右スパイクアーマーが原型を留めていなかった。その中心にあった球体も球の形ではない。あれだけ破損しているなら、この試合ではもう使えないのは間違いないだろう。
意図してのことではなかったが、甲龍の特徴である衝撃砲の1つが潰れたのは間違いなく嬉しい誤算。
だが、それがなんだと言うのか。
そもそも、鬼一からすれば開発されたばかりの新武装など攻略の絶好の的でしかない。未知の、新しい領域に踏み込んだ武装など不完全の塊でしかなく、洗練されていないものなら付け込む余地はいくらでも存在する。そして、新武装を過信して使う操縦者など餌でしかない。
鬼一にとって避けたいのは操縦者の地力そのものをぶつけられる戦いなのだ。地力というステージに置いて鬼一を上回る操縦者などIS学園にはごまんといる。
故に、鬼一はその戦いを避けるために苦心していたのだ。
セシリア戦がそれを体現していると言ってもいいだろう。なぜなら最大の特徴であるブルーティアーズを封じて、男だと侮ってその慢心に付け込むことで勝利した。
そして、この戦いも同様なものだった。
本人は自覚していなかっただろうが鬼一を侮っていたのは間違いない。僅かな緩みもなければとうの昔に鬼一は倒れている。
龍砲を攻略し、その慢心につけこんでワンチャンスを掴み取った。それだけのこと。
ただ、鬼一にとって最悪なのは、これで決着をつけることが出来なかったことだ。
鈴は頭が痛いのか首を押さえながら、しきりに頭を左右に振っている。
静かに鈴は口を開く。
「……やってくれるじゃない」
激情を押さえ込んだ言葉。その言葉に鬼一は何も感じず、この時間を活かして少しでも身体を休める。次の戦端が開かれれば間違いなく苦戦は必至だからだ。その苦戦を踏み越えるためにも僅かにでも休息は必要だった。
同時にここまで得た情報を整理する。
―――……チェンジオブベースの使い方は悪くなかった。だけど、2度も同じような使い方じゃ鈴さんには通用しない。だけど彼女の中にはまだ違和感が残っているはずだ。それだけエグい使い方をしたのは間違いない。だけど意識されたらどこかで対応される可能性がある以上、その意識を『外し続ける』しかない。意表を突いて、誤魔化して、なんとかどこかで隙を見つける。
―――ここからは鈴さんが二択を仕掛けてくる可能性は少ない。なんせ、変則的ではあったけど攻略された事実は変わらないんだから。なら、そのリスクは排除してくるはず……。
今回の鬼一のやり方で鈴は確実に龍砲の使い方を変えてくるだろう。いや、もしかしたらこの試合ではもう使ってこない可能性もある。少なくとも龍砲と双天牙月の二択は減るだろう。
龍砲が攻略されたのは事実。バカでもない限り同じ使い方をしてくる可能性はない。高い確率で別の使い方をしてくるだろうが、ロールアウトされたばかりの新武装を十分に研究しているというのは些か考えにくい。必然的に使い方が決まってくる。
そして新しい使い方を見つけても相手に通じるかは分からない。鬼一と違って鈴には地力がある以上、双天牙月をメインに据えた近接戦を鈴は狙ってくる。そちらのほうが遥かに効率的だとさえ鬼一は思えた。
夜叉を杖にしている鬼一に向かって少しずつ鈴は歩み始める。
「……まさか、こんな感じで攻略されるとは思わなかったわ。今のおかげで随分とシールドエネルギーが削られたしね。おまけに片方はオジャンだし」
軽い口調で呟いているがその言葉は確かな怒りが宿っていた。その怒りは鬼一ではなく、鈴自身に向けられたものであったが。
頭では分かっているつもりだった。目の前の相手は決して侮って倒せるものではないと。
理性では分かっているつもりだった。リスクを取らずにして目の前の相手を倒せるはずがないと。
荒れた呼吸を繰り返す中、鬼一は鈴の様子を観察する。
あれだけ派手に吹き飛んだのだから相応のダメージを受けているはずなのだが、目の前の相手からは予想よりもダメージを受けているようには見えない。いや、下手したら本当にダメージを感じていないのではないか? そんな風にすら鬼一は思った。
甲龍の状態を確認するように鈴は右手に持った双天牙月を2度、3度と何度か振る。その姿は余りにも滑らかなもので、右スパイクアーマーの無残さに反して甲龍そのものには損傷はほとんどないようだった。しかし、シールドエネルギーを大きく削れたのは間違いない。
鈴と甲龍本体にダメージがなければ技量と体力、そしてメンタルでどうにでも衝撃砲1門くらいなら十分にカバーが効く。鈴自身のスペックは十分に高いのだから。
―――……たった1回で龍砲に合わせてくるなんてね。いや、合わせるどころかこっちにカウンターまでお見舞いしてきた。つまり鬼一はあの時の1回、自分の絶対防御1回分で私がどんなタイミングで龍砲を使うのか理解したってこと? 冗談、どんな対応力よ。
あまりの衝撃に頭が痛かったが、鈴は自分がなにをやられたのか冷静に振り返る。同時に衝撃砲は今後の展開ではほとんど使ってはならないことを悟った。迂闊な使い方をすればそれを利用されてしまうと。
―――いや、違うわ。龍砲の使い方が間違っていただけで、龍砲の持つアドバンテージを失ったわけじゃない。あいつはあの時の1回で私の龍砲の使い方を見抜いて逆手に取った。それなら使い方を変えればいい。それも、あいつが『対応』できない使い方でね。
空気が変わったことを鬼一は実感。
両者の距離は100メートル以上離れていた。
鬼一にとってはこの距離を有効利用しなければならない。次、距離を詰められてしまえば試合の敗北すらも見えていた。
夜叉を格納し羅刹を展開。ミサイルポッドもレール砲の弾薬はまだ十分にある。先程はミサイルポッドの使い方が悪かったが、次は確実に当てれるタイミングで使用すればいいだけのこと。
「……行くわよ」
鈴の小さな宣言。
チリチリと身体を侵食する業火の世界を感じる。なぜ、それを感じたのが鬼一には理解できない。
―――。
「……う、るさいっ! 引っ込んでろっ!」
呪うような鬼一の小さな言葉。それが何なのかは理解できないが、許容できるものではない。
瞬間、戦いの幕が再び開かれた。
―――――――――
「……織斑さん、貴方はこの戦いをどう受け取っているのですか?」
視線はアリーナで戦っている鬼一と鈴に向けられたまま、セシリアは重い口調で言葉を発した。
「鈴さんが鬼一さんにこの戦いの話を持ちかけた時、貴方はその心当たりがあるように思えました。そして貴方は困惑しながらもそれを止めようとしなかった」
その重く響く言葉の中に感じられるのは果たしてなんだったか。苛立ち、怒り、少なくとも決して明るい感情なものではない。もっと薄暗いものなのは確かだった。
一夏はセシリアの突然の言葉に驚いたように視線を横に向ける。感情を感じさせない表情と、暗い炎が宿ったその瞳に薄ら寒ささえ感じさせた。その瞳に一夏の背中が冷たくなる。
「……あの後、貴方と鈴さんがどんな会話をしたのかは存じ上げません。が、ですが少なくとも私から見れば貴方が発端のように感じます。貴方は一体何を考え、鈴さんに伝えたのでしょうか?」
淡々と、平坦な言葉でセシリアは続けた。言い逃れは許さないと言外に言っているようにも思える。
「……なぁ、セシリア?」
一夏の視線がセシリアの横顔に当てられる。セシリアもその視線を感じているはずだが決して向けようとしなかった。その横顔が冷たいものに変化していることに一夏は気づかない。
「……」
無言ではあったが、先を促されているように一夏は感じた。
「……戦いで、何も犠牲にせずに何かを救うことは可能だと思うか?」
「……突然何を言っているんですか?」
一夏の突然の言葉にセシリアは困惑が混じった声を発した。しかし、すぐに口を閉ざす。一夏のその言葉が答えだということに気づいたからだ。
「鬼一に俺は言ったんだ。クラス代表を決めるあの戦いの日に。あいつは何かを守るために戦えば必ず犠牲が出るんだって。何も犠牲にしたくないなら逃げ出せばいいって。俺はその言葉に納得できなかった。いや、したくなかった。それは間違いなんだって」
思い出すのは更衣室での鬼一とのやり取り。
「何かを守るために戦うのにそれで他の何かが犠牲になることに俺は納得できないんだ。それはおかしいことなのか?」
「……わたくしは貴方と鬼一さんが何を話したかなんて具体的なことは知りません。ですがわたくしは鬼一さんと同じように、何かを犠牲にしてでも守りたい大切なものが存在します」
あくまでも視線は鬼一に。一夏に向けることはない。
「そして、鬼一さんもわたくしも一度はそれを夢見ました」
2人が互いの理解者となり支えになったあの日。2人はそれぞれ一度は目指したそれを語った。
「何も犠牲にしないで、自分の望むものが全てを守れるならそんな幸福はないでしょう」
きっとそれは最上の未来。だけど、手を伸ばしても絶対に届くことのない奇跡。
「ですが」
淡々と、粛々とセシリアは語る。出来ることなら鬼一以外にこんなことを話したくなかった。ある意味で弱音以上のそれを。
「人である以上、その理から逃げ出すことは絶対にできません」
摂理、と言い換えても良かった。人である以上、絶対に逃げることは出来ない不変のルール。
「どれだけ力をつけても、どれだけの人と協力してもそれは叶うことのない幻想です」
そこで初めてセシリアは言葉を切る。
そして初めてセシリアは一夏に視線を向けた。ただその視線に宿る感情を一夏は読み取れなかった。
「鬼一さんも随分と優しいですわ。本質を伝えないで逃げ道を用意してあげるなんて」
だけど一夏は、セシリアが自分に対して笑っているような気がした。
「……どういうことだセシリア?」
「わたくしは形や舞台が変わったとしても『戦い』というのは逃れられないものだと思っています。ISにしてもあの方の舞台であったe-Sportsでもです」
虚無的にセシリアは言葉を続ける。その中に宿っている感情を一夏は分からない。それも当然であろう。彼は人としての当然なその感情を知らないのだから。セシリアの言葉がどんな感情から生み出ているのか分からないのだから。
「あの方は何も犠牲にしたくないなら逃げ出せばいいと仰ったんですよね? わたくしから言わせてもらえればその逃げるということにも、他の犠牲は避けれないと思っています」
鬼一がどういう考えでそれを口にしたのかはセシリアには分からない。本当に優しさからなのか、それとも逃げる方が楽なのだと考えているからなのか、本心は鬼一の中にしかない。だけど、
「自分が逃げ出せば別の誰かがその穴埋めを行うために新しい犠牲が生まれると思いますし、逃げる為にまた何かと『戦わなければなりません』。そして逃げ出したその先でもまた何らかの戦いが始まりますわ」
ベクトルは変わってもどうあがいても戦いから抜け出すことは出来ない。
それが両親を亡くして戦い続けてきた少女の答えたった。
「逃げたその先に楽園があったとしても、その楽園に辿り着く過程で、もしくは自分からでは見えないその裏でまた何かが犠牲になるかもしれません。それともその先にある戦いの伏線なのかもしれません」
「……そんなことが!」
セシリアと鬼一の共通の考え、それは『戦う以上は必ず犠牲が出る』ということ。そしてセシリアはその考えにプラスして『同時に戦いは絶対に避けられない』とも考えている。
「ええ、私たちも間違っていると思っています。ですがそれが現実なんです」
残酷なまでに襲いかかってくるもの。間違っていると分かっていても覆せないのが現実だとセシリアはいう。
「考えている時間もない、力をつける時間もない、探している時間もない、あまりにも少ない選択肢の中からわたくし達は正解だと思える選択をするんです。何かを犠牲にして、身勝手な理屈を振りかざしてです」
「……っ」
反論したかった。だけど、なんの重みもない言葉を吐き出せるはずもない。
「別に織斑さんがどんな答えを出そうとわたくしには何の関係もありません。ですが先達者から言わせて頂ければ、覚悟だけは済ませておいたほうがいいです。選択肢があるのにそこで何も出来ないことが最大の罪だからです。失ってからじゃ遅いのですわ」
その覚悟がなんなのかは一夏は理解したくなかった。それを受け入れてしまえば自分は。
セシリアは1度だけため息を零して、視線を鬼一に戻す。
「……鈴さんにそのことを話したのですね?」
「……ああ」
「鈴さんはなんと?」
「……俺のこの気持ちは鈴からすれば鬼一に対して劣等感を持っていることの現れ、らしい。そしてそれには意味がないんだって」
自分は何も出来ていないのに、二人目の男性操縦者は成し遂げていることへの劣等感。
「鬼一の強さを知って、自分の弱さを知って、その差に俺は……」
「……馬鹿ですか貴方は?」
容赦なくセシリアは一夏の言葉を遮る。話すことは話したのだからここから黙っていようかと考えていたが、その言葉は無視できるものでは到底なかった。
「あの方の強さに触れて? 自分の弱さに触れて? その差を知ったから貴方は心が弱い方に流れている?」
別に他人の強さに触れようが、自分の弱さに触れようが、その差を知ろうがそんなことはどうでもいい。セシリアからすれば赤の他人の言葉でしかないのだ。
「冗談も休み休みに言ってくださいまし。あの方はそれこそ自分の全てをかけて挑み、治すことの出来ない傷を負いながらも戦い抜きました。いえ、今も戦っています」
本来、鬼一も迷っているのだ。だがその迷いが邪魔になることを鬼一は理解している。迷って何も出来ないくらいなら鬼一は戦うことを選ぶだろう、それしか出来ないこと、それでしか守れないものも存在するから。
「劣等感を抱くことは無意味? 違います。貴方は本来なら劣等感を抱くことそのものが間違っていますわ。その劣等感を抱いていいのは何らかの形で戦うことを覚悟して、努力して、戦い続けて、その先を見た人間だけでしょう」
視線は決して一夏に向けない。もう一夏を見ることもできない。ここで見てしまえば平手が飛んで行きそうだったからだ。
「まだ何もしていない。何も成し遂げていないどころか、自分の成長の為にあの方の力を借りているような人がそのようなことを言わないで。そしてこんな戦いを止めれなかったのに、鈴さんまで巻き込んでいる貴方に、これ以上の言葉を吐く資格はありませんわ」
一度だけ深呼吸。激情を落ち着かせるように。
「……鬼一さんを巻き込んだ……いえ、それは正しくありませんわね。最後に選択したのはあの方なんですから」
結局のところ、最後の選択を決めるのは当事者なのだ。そして鬼一はその選択をした。それを第三者が咎めることは出来ない。
「……でも、本来無関係なはずの鈴さんまで巻き込んだのは愚行でしかないです。そして一夏さん? この戦いで鈴さんのメッセージも聞き取れないというなら、貴方は本気で救いがありません」
2人の戦いは激しさを増していく。それを見ているとセシリアは胸が痛くなる。強烈なまでの光りを感じさせ、どうして自分がそこに立っていないのか? それだけでも怒りが湧いてくる。
そして嫉妬するほどに、2人は一夏に戦いを通して語りかけている。特に鈴は相手の鬼一以上に一夏に語りかけているようにもセシリアは感じていた。
―――強くなれ。
セシリアの言葉に一夏はただ困惑することしか出来なかった。
―――――――――
「おおおおおおおっ!」
「はああああああっ!」
鬼一と鈴の雄叫びがアリーナに木霊する。
鈴はともかく、鬼一はこの戦いにおいて自分自身にはほとんど何の意味もない。戦うことに理由は必要だと考える鬼一は、自分が戦うための理由が自分の中に存在しない以上、集中力が深まることは本来ありえない。
セシリア・オルコット戦では自身がいた世界を汚されたが故に。
織斑 一夏戦では何も知らないガキに真実を否定されたが故に。
程度に差はあるが、間違いなく鬼一はその時最高のパフォーマンスを発揮している。そのための明確な理由が存在するから。
しかし、この戦いに鬼一に理由は存在しない。最後に選択したのは鬼一だが、見方を変えれば巻き込まれていると言っても間違いない。それを理解しているにも関わらず鬼一はこの戦いを受け入れた。
カリカリカリカリカリカリカリカリ。
耳障りな音が脳内に鳴る。
鬼一の集中力は徐々に研ぎ澄まされたものに変化していく。それに伴い『ズレ』が大きくなっていることを果たして鬼一は理解しているのだろうか? その余りにも不可解な感覚に。
鬼一の変化に鬼神が追いついていない。鬼神の状態を示してくれる情報が視界の片隅に流れてくるが、そのほとんどが鬼神にダメージが蓄積されていると警告を発するものであった。
しかし鬼一にそれを理解している余裕などない。目の前の相手から一瞬でも意識を逸らせば敗北することを知っているからだ。
ミサイルポッドが開かれミサイルが射出。が、先ほどのように扇状ではなく全て直線的に発射される。試合の頭で鈴にやられたようにそのミサイルを利用されることはないようにだ。
近接戦に発展させるために鈴は前進していたがそのミサイルの軌道を見て、利用することは出来ないと判断を下した。同時にこのミサイルが追尾性に優れたものだということも鬼神の映像から理解している。甲龍の機動力では回避しきれるか微妙なライン。
必然的に迎撃せざるを得ない。
左のスパイクアーマーに残っている龍砲を駆使してミサイルを迎撃し、うち漏らしたミサイルは後退しながら双天牙月で『切り払っていく』。
その姿を目の当たりにした鬼一は改めて鈴の技術に舌を巻く。だがそれも一瞬。鈴が後退して再度距離を取るというのならその間にミサイルを再装填。再装填している間に羅刹とレール砲で鈴を狙い打つ。
「ちっ!」
ミサイルを迎撃し終えた鈴は、続けざまの鬼一の追撃に苛立たしさを隠そうともせずに舌打ちを零した。自分が不利な状態に追い込まれていることを自覚しているからだ。
同時に鬼一はこの有利を放さないように握り締める。
特化型に遅れを取るが鬼神は距離を選ばずに戦うことを想定されたISだ。近距離がメインの甲龍と中距離以遠を維持している以上、必然的に鬼神が優位を獲得できる。その優位性を鬼一も知っている以上、この距離を詰めさせない、維持することに神経を使う。
それに対して鈴は中距離以遠の戦いが自身にとって不利な戦いだということは、過去の戦いで骨の髄まで自覚している。ならば多少のリスクを犯してでも距離を詰めなければならない。
だが、鈴は鬼一に対して距離を詰めようとしない。
この場で重要なことを鈴は、いらだちの態度とは裏腹に理解している。
過去の映像とここまでの戦いで鈴は鬼一の技量を把握し、射撃戦で自分にダメージを与えるのは困難、いや不可能に近いと考えた。
ならば鈴が行うことはただ一つ。
鬼一の弾薬を吐かせること。
鬼神の武装の弾薬が底をつきれば必然的に近接戦を行わなければならない。ならばそこでリスクを支払う。今ここでリスクを取れば万が一がある。リスクの払いどころとその分量を鈴は冷静に測っていた。少なくとも今ここで大きなリスクを支払うのは間違いだと。
―――この人っ! こっちの弾切れを狙うつもりか? そっちがそのつもりなら弾幕を1度止めればいい。けど……!
鬼一も鈴の立ち回りを見てその狙いは看破していた。しかし、今ここで弾幕を止めてどうするというのか。今止めてしまえば鈴は容赦なく距離を潰してくるだろう。そうなればまた絶望的な橋を渡ることになる。今度同じ戦略は通用しない。
この射撃戦にも鬼一の勝利は存在しなかった。分かっていてもその狙いに乗らざるを得ない。実行して明確に理解したが、鬼一は今の自分ではこの優位を活かしきるだけの技量が足りなかったのだ。更に言えば鈴の技量が鬼一の予想を超えていたのもある。
時間が経てば経つほど鬼一の敗北は濃厚になっていく。
歯を食いしばって目の前の事象から情報を集めて対策を考える。が、もはや手詰まりの状態。だけど、まだ無謀な攻撃を敢行するのは早すぎる。
―――っ!? ミサイルが!?
トリガーを引いた瞬間、そのあまりにも軽すぎる手応えにミサイルが弾切れになったことを理解。一瞬、軽量化のためにパージすべきか考えたがそれはしない。重要なのは鈴に弾が切れたことを悟らせないこと。ミサイルポッドの高性能ぶりを考えれば鈴は意識せざるを得ない。
―――……ミサイルが途切れた? 弾切れ? ……こいつのことだから、弾切れだと思わせて確実に当てられる距離に引きずり込んでドカン! なんてこともありうるわ。……いや、違う!
近接戦を避けなければならない鬼一が1歩間違えたら敗北に直結する博打のような真似をしない。正確に言えば、ミサイルを確実に当てられる距離になればそこは鈴の間合いでもある。突破されれば鬼一は成す術もなく敗北するのだ。撃ち続けるしかない。
必然的に鬼一には余裕などあるはずもない。
もう一つ付け加えるとすれば、鬼神の特性もあった。鬼神の最大の強みはその手札の数だ。
無論、距離を選ばないというのもあるがそれはあくまでも副次的なものでしかないと鈴は考えていた。1枚1枚の質は極端に高くないから、手札の数が多いからこそ1枚の手札に固執すれば敗北する。更に言えば手札が1枚消失するだけでも鬼神にとっては痛手。ならば、その手札がなくなったことを悟らせないためにあらゆる手段を用いるだろう。
つまり究極的なことを言ってしまえば、余裕のあるはずのない鬼一がそんな姿を見せるということは
『弾が残っていないはずのミサイルポッドを残しているのは、ミサイルポッドの弾薬はまだ残っているように見せるためのブラフ』ということだ。
―――本当に弾があるなら、これでミサイルを撃ってくるでしょ!? ないなら―――っ!
―――……くそっ!
突撃してきた鈴の姿を見て鬼一はミサイルポッドを破棄せざるを得なかった。今は離脱するための機動力が必要だったから。
―――……やはりね! そのミサイルのうざったさは正直、手を焼いていたけどなくなれば後はライフルとレール砲だけ! その程度ならどうにでもなる!
ミサイルポッドをパージし身軽になった鬼神は速度を上げながら後退する。羅刹を甲龍に乱射しつつ夜叉を左手に展開。
ミサイルのない弾幕、鈴からすればそんなものは弾幕とも言えないような稚拙なものでしかない。容赦なく最速で、最短で鬼一に肉迫。それを鬼一は咎めることが出来なかった。
鈴のひと振りで右手の羅刹が切り捨てられる。更に手札が消失。残りはレール砲とブレードの夜叉のみ。しかし、羅刹が爆散する間に鬼一は再度距離を離す。
左のスパイクアーマーの球体が光る。
雨あられのよう飛来する不可視の弾丸。
「……っ!?」
基準もタイミングも、使い方が大きく変化することによって鬼一は回避することは不可能。ただ、左手の夜叉を前方に盾のように出して防御することしか出来ない。連続した衝撃の中でも鬼一は鈴の様子を観察する。
―――……そういうことか!
自分が当たっている弾丸とハイパーセンサーで観測した情報から推測。鈴は鬼一を『正確に狙っているわけではない』ことを理解。つまり、具体的なリスクとかリターンはぶっ飛ばして『当たってもいいし当たらなくてもいい、ただ鬼一に反撃させない』ことだけを目的とした攻撃。正確に当てる気ならばそのタイミングやら基準が存在する。だけど、この射撃には存在しない。
故に鬼一は龍砲を食い止める術はない。ただ受身に回らざるを得なかった。しかも自分の意識に衝撃砲の存在を強烈に刷り込まれた。ここからは常に鬼一はこの適当な射撃を意識を割かなくてはいけない。
そして同時に、圧倒的な近接スキルをも相手にしなければならない。
「はぁ!」
「―――ぐぅ!?」
双天牙月の一撃に鬼一は体勢を崩される。今までなら衝撃砲による追撃が待っていたがそれはもうない。ただ双天牙月による追撃を行うだけのこと。
体勢が崩され満足に夜叉を振ることも叶わない以上、鬼一はもうその一撃をもらうことになる。
絶対防御が発動しながらも、鬼一はアリーナと観客席の間にあるシールドバリアーに衝突する寸前で体勢を立て直す。
鬼神の両足がシールドバリアーを捉える。ギシリ、とバリアーが軋んだ。
襲いかかってくるGを耐え抜く。
バリアーを蹴り出して離脱しようと視線を鈴に向ける。
そこで鬼一は自分の『詰み』を感じ取った。感じ取ってしまった。
アリーナの端にまで追い詰められて、距離にして10メートルあるかないかの所まで鈴に距離を詰められていた。シールドエネルギーがどれだけあろうとも関係ない。
このまま脱出することも叶わずに自分は敗北することになるだろう、と。
カリカリカリカリカリカリカリカリ
そいつが出てこない限りの話ではあるが。
鬼と呼ばれるものが出てこなければの話、だが。
犠牲になるのは構わないが、だが、一方的な犠牲になるのはまっぴら冗談。それが2人の鬼一を従える鬼一の率直な感想。表の鬼一は其の辺について、非常に曖昧な部分が存在する。
究極的なことを言ってしまえば勝敗はともかく、自分になんの意味もない戦いであっても、いや、『他人のための犠牲』を強いられることになっても彼は受け入れるだろう。愚かにも自分がその犠牲の対象になってもだ。
ここまでは静観していたが、織斑 一夏同様、表の月夜 鬼一では手に負えない戦いだと判断したそれは遂に現れた。
圧迫感のあるプレッシャーではあったが、それは鈴にとっては心地よささえ感じられるものだった。しかし、飲み込まれそうなほどの恐怖に変化することで思わず鈴は後退。しかし状況を5分にするわけにはいかないので、鬼一を端に追い詰めたまま僅かに距離を離す。
鈴は気づいているのだろうか? 彼女は鬼一との今までの戦いで、鬼一の間合いを正確に把握している。どこまでが安全なのか、どこまでが危険なのか、彼女はそれを身体で理解していた。
だが、それはもはやなんの意味もなさない。今の鬼一からすれば鈴の位置取りは明らかに自分にとって有利な間合いなのだから。
くすんだ景色から世界が様々な色に満ち溢れる。その鮮やかさに自分が表に出てきたことを痛感させた。
視界の隅で電流が迸っている。鬼神が限界スレスレを迎えているからなのか、それとも強引な切替に身体がショートしかけているからなのかまでは分からない。分かろうとも思えなかった。
有酸素運動と無酸素運動を繰り返したため全身は乳酸漬け。シャットダウンするほどの疲労ではないがそれよりも脳の疲労が著しい。高速戦闘の中で様々な情報を得て処理し続けてきたからか、必要な情報を選別する力や戦闘にリアルタイムで反映させることにラグを感じる。
龍砲及び双点牙月による圧倒的な攻撃力、それに対してこちらは夜叉とレール砲の2つのみ。しかもレール砲は熱暴走寸前の状態。弾丸は残り4発。鬼手は使用可能だが、衝撃砲の現在の使用方を考えれば使うことは極めて困難。鬼火の解除は不可能。更識 楯無及び織斑 千冬のどちらからの許可が必要。自身ではコントロール不可。
エネルギーシールド残量180。敵のエネルギーシールドは300オーバー。今の武装とエネルギーでは近接戦をクリアするのが大前提。しかし龍砲の牽制も突破しなくてはならない。
『先読み』は健在。疲労から五感が痺れてきているとは言っても、相手の人体から発せられる音が聞こえなくなるほどではない。ならば相手の挙動を先回りすることもまだ可能だ。先読みが出来なくなった時が自身の敗北は確定する。
ならば、その前に決着をつけるしか方法はない。そもそもこの戦いに引き分けなど存在しないのだ。エンドレスの戦いになれば持久力に不利がある鬼一に未来はない。
そして決断する。勝つための最善策を叩き出してそれに全てを燃やす。
結論としては雨のように注がれる龍砲を力づくで突破し、読み合いに発展させ、その読み合いに勝つことだ。
見えない弾丸に対して正面から突っ込むなどと正気を疑われかねない、狂気の領域だろう。見えていない分恐怖は膨れ上がる。にも関わらず挑もうとするのは今の月夜 鬼一の持つ才能が撤退を拒んでいるからだ。
本能から伝わる避難勧告の一切を切り捨て、恐怖で震える手足を律し、疲労からくる筋肉のダメージを黙らせ、急激に暴走する思考を黙らせる。ISの絶対防御という命綱があったとしても、まともな人間ならその恐怖を克服することはない。
そしてこの恐怖は1歩踏み込むごとに倍増していくゲームだ。龍砲の見えない弾丸もそうだが、鳳 鈴音の卓越した近接戦闘スキルも口を開けて待っている。その間合いに近づくだけ肉体と精神にかかる負担はいやにも増していく。
「―――はっ」
鼻で笑う。それがどうした。この程度の恐怖はとうの昔に何度も踏み越えている。いや、踏み越えなければならなかった。
指を失う時の恐怖と激痛や、自分の尽くを叩き潰される絶望は言葉に出来るものではない。それらの恐怖に比べれば遥かにマシだ。
肉体の負担は誤魔化すことには限度があるが、精神の負担はどうにでもコントロール出来る。精神をコントロールできるのであれば、多少の肉体的なダメージなどねじ伏せることが可能だ。精神論は鬼一の好むところではないが、最終的には、ギリギリの際の戦いになった時自分を支えるのはメンタルしかないことを骨の髄まで理解している。
とても正気の沙汰ではない。
絶望に近い緊張感と無邪気な高揚が胸の中を満たし、鬼は左腕に力を入れる。
今か今かと鬼火が吠えたがっている。鬼の視界にはもはや獲物しか映らない。ここから先の世界は常人では踏み入れることすら許されない絶対的なステージ。本人はどれだけそれが危険なことか理解しているのかは定かではないが、月夜 鬼一の才能はその境界線を行き来できる。
そして肉体はそれを写し出すための鏡でしかない。壊れることは最初から片隅にもとどめない。
そんなことよりも負けることの方が耐えられない。
「―――いくぜ」
大気が震える。鬼神を通し鬼の身体から溢れ出る裂帛の気合が空気を歪ませる。
己と相手をステージに引き込み、明確な挑戦状を叩きつけた。さあ、どうする? と。相手に問いかける。己はいつでもいけるところまで行けるぞ、と。
その身を切り裂くような緊張感を鈴は感じ取る。同時に、相手からの挑戦状を受け取り嬉しそうに獰猛さを感じさせる笑みを零し、自身の牙を剥き出しにする。
本来ならここで鈴は引き上げるべきであった。鬼一の持つそれに鈴は届き得ない。
だが引かない。鈴のプライドと本能がそれを許しはしなかった。
ここまで舐められて引くことなど自分にあってはならない。不遜極まる挑戦者を見逃すことなど、今までの自分を大切にするからこそ行ってはならない愚行だ。こんなあからさまな挑戦状を叩きつけられて燃えないはずがない。
嬉しいような、悔しいような、ムカつくような、様々な感情が鈴の魂を燃え焦がす。今すぐにこの感情を目の前の相手に叩きつけたい。そして、ねじ伏せたい。
猛り声を上げ続けるスラスター。
限界寸前まで回転し最適解を見つけようと足掻く脳髄。
背後に迫ってくる地獄に全神経を焼かれながら、鬼一は力を体内で循環させる。
続々と表示され、操縦者に勧告し続けるエラーの数々。鬼一の変貌に対して、付いていくことのできないリミッターのかかっている鬼神の悲鳴だ。今の鬼一に対してIS側で最適化が進んでいるがそれに追いつくことが出来ないからだ。今の鬼一のパワーにこの程度の出力ではIS、操縦者共に害が及びかねない。
意識が崩れ去りそうになるほどの熱量に魘される。この終わりの見えない感覚に歓喜の感情が暴れまわり、笑みがこぼれる。
鬼一には小細工は出来ない。正確には小細工を弄する余力が残っていないから。
目の前にいる本物を相手にするには小細工など無意味だと本能が感じ取った。
己の血液1滴に至るまで、刹那に全てをかけなければ目の前を相手を打倒することは出来ない。
同時にそれは自身で撤退路を塞ぐ。そして、次の対抗策をないことを暗に示している。幕が開かれれば後は相手が倒れているか自分が倒れているかの2つしかない。
面白い、と鬼は大きく息を吸い込み。肺に取り込んだ酸素で全身を着火させる。あとは己を信じるだけだ。
視界がギシリと歪む。
冷静なもうひとりの自分が問いかける。傷つけることに躊躇わない、傷つけることでしか存在意義を保てない鬼一が囁く。
―――本当にそれで大丈夫なのか。
スタートを切ってしまえばもう戻ることは出来ない。
ここから先はゼロコンマを争う世界の戦いだ。判断ミスだと感じることすら出来ない。0.01秒の判断が勝敗の天秤を傾けることになるだろう。
この先に待っているであろう痛みへの覚悟、勝利へのレースに相手よりも早く到着する勇気は持っているか? そしてお前は、その程度の力で目の前の相手を切り伏せることが可能なのか?
明確な敵意を燃やし、目の前に相手に決意をぶつける。
撃鉄を叩き落とした瞬間、凄まじい反動が己を傷つけることを頭の片隅に置く。
そして、鬼は迷わず戦いの撃鉄を叩き落とす。その先にある何かを求めて。
己を見下ろす好敵手に咆哮を上げ、ありったけの力を総動員させて一撃必殺の太刀を握り締め、鬼火を最大噴射で展開させる。
瞬間加速。その加速はセシリア・オルコットの戦いで見せたものよりも早く、織斑 一夏との戦いで見せた神速の領域に届くほど。リミッターの掛けられている鬼神では出せないはずの速度。そして奇跡。
彗星になった黒い鬼が龍に躍りかかる。
「ぐ、ぎっ―――!?」
身に余る奇跡の反動に全身がバラバラに分解しそうになる。その痛みは鬼の意識を消失させかねないほど。
身体から訴えてくるその激痛と衝撃に脳髄が停止する。だが眠ることは許されない。意識が強制終了を迎える前に鬼の才が無理やりに立て直させる。
―――来たわねっ!
―――これを凌いだらお前の勝ちだ! 敗北を受け入れてやるさ!
鈴は鬼一の変貌に大して、理屈では下がってはいけないことを理解していたが後退を選択した。理屈ではなく本能が最善手を選び出す。
今の鬼一は明らかに先ほどと違うことを肌で感じ取った。つまりそれは鬼一が次のステージに踏み込んだことをだ。
左のスパイクアーマーにある球体が光る。
その光が視界で捉えた瞬間、鬼は迷わず更に踏み込む。
先読みなど関係ない。今の龍砲の使い方では先読みすることは無意味。大雑把な狙いとバラバラのタイミングの射撃をいかな鬼でも対応することは叶わない。
故に、すべきことはただ1つ。
被弾覚悟で最速で踏む込むのみ―――っ!!
右腹部と左膝に釘を打ち込まれたような激痛が抜ける。
身体の奥底から胃液が血液と混ざって込み上げたが、鬼の持つ異常な精神が耐え抜く。
「……オレを、オレを舐めるなぁっ!」
エネルギーは100を下回る。エネルギーの減少は止まらない。
もし龍砲が双方とも残っていればこれで決着していただろう。1人目の鬼一の行いは決して無駄ではなかったのだ。
鈴の後退は決して速いものではない。それは彼女がその行動に慣れていないから。前進することはあっても、後退したことはほとんどないのだろう。
弾幕を超え、鈴が双点牙月による迎撃行動に移る。
―――遅い。
最後の瞬時加速。
加速の勢いを余さず夜叉に乗せて最高の1擊を叩き込む。
アリーナ全てを揺るがすほどの轟音。
漂白された意識の中で鬼神の1擊は甲龍に防がれたことを理解した。だが、それがどうした? 元より1擊でケリがつくことなど考えていない―――!!
光速の電気信号が全身を駆け巡り身体を走らせる。考えるよりも先に反応する。思考することすら無駄に感じられる。思考すれば迷いが生まれかねない。
逆手に構えたブレードが円を描き甲龍を切り刻もうとする。
まだ、目の前の相手は最高潮に達していないことを今の防御から鬼一は悟る。こちらは既に最高速の世界に踏み込んでいるのだ。それでもなお届くか微妙。相手がトップギアに入った瞬間に決着はつきかねない。
―――こいつ、オレの限界よりもまだ先に限界がある!
今の攻防で互いの限界点が見えてしまった。
才能、という一点だけであれば鬼一に軍配が上がるだろう。だが総合力では鈴に届くことはできない。
ISに対する理解度、熟練度。身体能力、技量差。
今の鬼一の限界まで才能を行使したところで、ようやく真っ向勝負が出来るレベルなのだ。そこから分かる結論はただ一つ。
即ち、極限状態の鳳 鈴音に何をしたところでどのように戦ってもねじ伏せられる。
―――上等。それならそこに踏み込む前に……!
月夜 鬼一の才能に際限は存在しない。望もうと思えば織斑 千冬でさえも追いすがることさえ出来ない力を振るうことが出来る。だがそれは出来ない。
肉体がそれに追いつくことができないのだ。
どうあがいても鬼一の肉体は凡人のそれ。どれだけ努力しようが、どれだけ足掻こうが打ち止めは存在する。となれば必然的に、その暴力的な才能を引き出すためには制限が常につきまとう。
だが、そんなこと関係ない。
力に制限がある? 限度がある? そんなことはどうだっていい。
重要なのは今、手持ちのカードでどうやって目の前の勝利に手をかけることがどうかその1点のみ。他のことは些細なこと。
限界値に到達し、もう1歩踏み出せばあの世への片道切符を購入しかねないギリギリのラインで鬼は糸をたぐり寄せる。
しかし目の前の現実が、意志を折りに来る。例えどれだけ足掻こうが月夜 鬼一は鳳 鈴音に届くことはないと、絶対防御を発動させることは出来てもその先に届くことはないと魂に囁かれる。
―――うるせえ……!
轟音を響かせる剣戟の中、鬼は歯を食いしばり魂に喝を入れる。今、そんなことでこの時間を停滞させるな。肉体が限界に達したから、理性がブレーキをかけてきているだけの言葉だと鬼一は切り捨てる。
―――っ、それが……それがどうしたぁ―――!!
ジャンク確定寸前の肉体。視界が真っ赤に染まり、脳髄をショートさせるほどの電流。
それでも限界を行使し続ける。
1擊で打倒することは出来ない。
連撃を以てしても届かない。
今の段階ではいずれ敗北が見える。
獣を思わせるしなやかな動きの鈴の逆襲に鬼一は徐々に押され始める。徐々に押されるに連れて鈴のギアが上がり続けることを体感した。
無限の集中力のその果てに、僅かに、僅かながらに時が停止。
他の鬼一が見ていた景色のようにモノクロの世界。表が見ていた色くすんだ世界。そして、今の鬼一が見ている色鮮やかな世界が連続で切り替わる中、それを見てしまった。
―――はっ……?
見えてしまった。
いつか見た、あの、自分を―――そうとするあの地獄が、あの花畑が、見える。
ゾワリ、とした悪寒が全身を走り抜ける。目の前の戦いなんて大した問題じゃないほどの危機。
時が止まり、視界が連続で切り替わる中、景色の向こうにそれが見える。
恐怖で精神がバラバラになりかける。
花畑の主が顔を上げる。
その視線、虫を思わせるような無機質なその視線をぶつけられ、僅かに笑いながら、呪詛を聞かされる。
「……―――」
言葉が理解できない。いや、理解したくなかった。その言葉がなんなのか。それはどうだっていい。その言葉、その魔法が自身に流れてくる。それを使えばこの程度の戦いなど、一瞬でケリをつけることの出来る最大のジョーカー。
全ての鬼一たちに平等に渡された力。そして新しく流れ込んできたこれは、まさしく不可能を可能にする悪魔めいた切り札。これを使えば自身の才能を余すことなく引き出せるだろう。
使えば身体が耐え切れず、即廃棄物コース。
使わなかったら真綿で締められるように追い詰められ、最後に敗北する。
自身の存在意義は『負けないこと』。
それなら使わない理由はどこにもない。本来ならどこにも躊躇う余地は存在しない。
何かを失うこともない。精々自分だけだ。
否、この与えられた力を使えば、もしかしたら全てを失うことになるかもしれない。この『鬼』を外に出してしまえば、自分が予想するものなどよりも遥かに危険な地獄絵図がこの世界に具現化するだろう。そんな確信がある。
『たったそれだけ』。災厄をもたらす鬼が語りかける。
―――けるなよ。
口から漏れた怒りは『自分』を思い出させる明確な怒りだった。地獄の主は不思議そうに首を傾げる。自分の弱さが生んだ身代わりがこの力を使わないことを疑問に思っているようだ。善意からの行動だったのかもしれない。
だけど、
鬼と痛みを受けた少年と怒りで動き続ける少年は抗う。
確かに勝てるだろう。この力の使い方は何よりも、本体の人形であり、残りの2人を従える自分が何よりも理解している。
だけど、そんなことより大切なことを思い出す。
自分を心から心配してくれた優しい少女のことを。
自分を心から心配してくれて叩いた少女のことを。
自分を心から心配している悲しい笑顔を浮かべた少女のことを。
自分の存在意義を切り捨てることと、あの少女を裏切ること。
3人が選んだ答えは、自分を切り捨てることになろうとも、裏切れないことだった。
時が再び走り出す。連続で切り替わっていた意識が統一され、繊細な色彩が舞い戻る。錯覚を切り捨てた。
自身が折れかけたせいで余計な情報が流れ込んだ。
そして、鬼の心に業火が宿る。
敗北に到着するまでのロスタイムに突入。
首元に死神の鎌が添えられている。だが、それは相手も同じこと。自身が追い詰められている理由はわかりきっている。だけど、今の自分では対策が出来ない。
究極的には負けても構わない。だが、それを試す前から逃げ出すのも諦めるのも愚かだと断じる。
意識が繋がる。ショートしかねないほどの電流が身体の芯に伝わった。
流れ込んでくる莫大な情報量。そしてそれに伴い対策が引き出される。他の鬼一の力を行使する。上位に位置する自分ならそれくらいのことは可能だ。
少女の背中はもっと大きかった。自分はそれを見ていた。
自分と違って逃げ出すことをせず、自分ひとりで弱音を押し殺して最後まで戦うことを選んだ少女の強さを知っている。
心に宿った業火が鬼神にも伝播する。
エラー表示が一つずる削除され、今の鬼一に合わせて最適化される。
そして心の中で力強く笑う。
導き出した答えを実行するために肉体が稼働する。
だが、それは極限を凌駕する行いだ。
本来の自分ではなく、他の自分が使っている力を無理やり使用しているのだ。そんなことをすれば、自身に返ってくるフィードバックは尋常なものではない。
果たしてこの時の鬼一は気づいていただろうか? 鬼神からシステムに関する警告が表示されていたことに。
System-Infinite Stratos-Drive Standby
モニターに小さく、赤く点滅しているその機能に気づかない。既に全神経が目の前の敵に向けられている以上は、それに気づくことはない。
勝負だ中国の幼き龍よ。
世界の頂点に1度はたどり着いた鬼の意地を。
これよりは命知らずの蛮勇をとくとご堪能頂きたい。
歯車が噛み合い、目にも止まらぬ速さで回転し始める。
「ああああああああああああああああっ!」
残りの力を乗せて咆哮。
鬼一が集めた情報から鈴の意識が1番薄い箇所を割り出す。そして、鬼の持つ先読みで鈴の行動を先回りし、潰した。
「―――っ」
鈴の息が止まる。
比喩でもなんでもなく夜叉の軌道が見えなかった。
どれだけ警戒していても人間の意識には必ず穴がある。それをISのハイパーセンサーが補うことで穴を無くし、人間の意識を強化するのだ。
だが所詮ISは人間の生み出したもの、そして、ISを使うのも人間だ。不完全なものが2つ並んだところで不完全でしかない。
ならば、それを突破するのが不完全な人間であるのも当然だろう。
僅かな綻びを見つけ出し、その穴が失う前に、鬼は手を捩じ込む。そして広げる。
鈴の胸部に夜叉が打ち込まれた。絶対防御が発動し甲龍のエネルギーが減少。しかし、決着がつくほどの減少ではない。
だが操縦者に与えるダメージは決して無視出来るものではない。狙いはここにあったのだ。
自分の身を持って、ISの操縦に影響を与えるレベルのダメージがどれほどのものか理解している。今の一撃は間違いなく鈴ほどの操縦者でも無視できるものではない。
現に鈴は崩れた体勢を立て直すことが出来ないのがその証明だろう。
最後のワンチャンス。
鬼一の身体が悲鳴を上げているのか鼻から血が溢れる。明らかに異常だ。
視界が点滅。
もはや限界。
それでも限界を超えて、勝利を目指して手を伸ばす。
鬼一の連撃が遅くなっていく。どれだけ精神が肉体を凌駕しようとも、人間の肉体が耐えれる範囲というのは決まっているのだ。
鈴は鬼一の連撃を必死に耐え抜く。
そこに鈴の意志がない。ただ凌がねば敗北するのは自分なのだから当然だろう。
甲龍に3度目の絶対防御が発動。シールドエネルギー残量は100以下。
―――あと、少し……っ! ……え?
ガクン、と崩れ落ちる身体。身体が脳からの命令を受け付けない。
鬼火の制御で叩きつけられることだけは避けたが、地面に落下。
鈴も、一夏も、観客席にいた生徒全員が呆気に取られて見ることしか出来ない。既にセシリアの姿は無かった。
身体が痙攣してそこから動くことができない。それだけ鬼一は理解した。してしまった。
―――……動けよ。
声に出したつもりだったが、声にすらならない。
震える指先で地面を掴もうとした。しかし、そんな力もない。ただ力なく地面を削るだけだ。
点滅していた視界だったが、点滅の間隔が徐々に長くなり最後には視界は黒で染まる。
―――……まだ……オレは、終わって……。
無情な、エネルギー切れを知らせる機械音が耳に届いて、鬼一はその場から動かなくなった。
月夜 鬼一の敗北。
それがこの戦いを終末。
そして、最後の最後まで1つの表示に気づくことはなく、その表示は静かに姿を消した。
後書き
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