銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百十六話 帰還
帝国暦 487年8月25日 オーディン 新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ
「国務尚書閣下、ヴァレンシュタイン司令長官率いる宇宙艦隊はシャンタウ星域で反乱軍を打ち破りました」
勝ったか……。まあ、勝ってくれなければ困るのだがの。
「宇宙艦隊は、大体九月の十日前後にはオーディンに戻ってくる予定です」
嬉しそうに話すエーレンベルク元帥の話を聞いても特に驚くことも喜ぶことも無い自分が居た。妙な気分じゃの。
「国務尚書はあまり喜んでいないようですが?」
不審そうにシュタインホフ元帥が問いかけてくる。その言葉が私を苦笑させた。確かに私は喜んではおらんようじゃ。
「そんな事は無い。じゃが、あの男ほど勝つために努力をする男を私は知らん。ま、勝つのが当たり前かの」
私の言葉に今度はエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が苦笑した。
ひとしきり顔を見合わせ苦笑した。全く勝つのが当たり前とはとんでもない男じゃな。あれが味方で本当に良かった。敵であったらどうなっていた事やら。
「それで、軍務尚書、どの程度の損害を反乱軍に与えたのじゃ?」
笑いを収めた後、軍務尚書に確認した。勝つのは分っている、問題はどの程度の損害を与えたかじゃ。
「戦闘詳報が届いておりませぬゆえ正確な所は分かりませぬが、ざっと七割から八割の間かと」
「七割から八割か……」
「逃げ戻ったのは二個艦隊程度の戦力です」
「二個艦隊……」
シュタインホフ元帥がエーレンベルク元帥の言葉を補足した。
「こちらの損害は?」
「比較的軽微と連絡が有りました」
軽微か、シュタインホフ元帥の言葉に思わず吐息が漏れた。
敵に大損害を与えてもこちらも大きな被害を受けては何の意味も無い。どうやら本当に大勝利と言っていいようじゃ。
戻ってきたら元帥杖の授与式を行なわなければならん、早速準備をするか、忙しくなるの。平民出身の元帥か、家柄自慢の貴族どもは面白くはあるまい。しかし文句は言えんの、それだけの実績を上げたのじゃから。
「統帥本部では次のように考えています」
「……」
「反乱軍の総兵力は今回の遠征の残存兵力を含めて約五個艦隊にまで減少しました」
「……」
「イゼルローン要塞に一個艦隊を配備、本国の警備に一個艦隊を配備。反乱軍が自由に動かせるのは三個艦隊程度でしょう」
「……」
「反乱軍にとっては虎の子の三個艦隊です。負ける事、損害を被る事は避けたいはずです。反乱軍は当分攻勢を取ることは無い、いや出来ないと判断しています」
エーレンベルク、シュタインホフ両元帥がこちらを見る。強い視線ではない、何かを問いかけようとしている視線じゃ。彼らが何を問いたいのか、分らないではない。
反乱軍が攻勢を取れない、つまり帝国は主導権を握れるという事じゃろう。フェザーンを攻めるか、それとも国内の内乱の危機を片付けるか……。この場合は国内問題を片付けるのが先決じゃろう。しかし……。
「本来なら国内の問題を片付けるべきじゃろうの」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が頷く。そしてエーレンベルク元帥が困ったような口調で言葉を繋いだ。
「問題はきっかけでしょう」
「きっかけか……」
「ヴァレンシュタインは年内と言っていましたが……」
沈黙が落ち私達はお互いに顔を見合わせた。エーレンベルク、シュタインホフ両元帥の顔にはこちらを探るような色がある。おそらく私も同様じゃろう。なんといっても陛下の御命に関わる事じゃ。むやみに触れる事ではない。
年内、ヴァレンシュタインは皇帝陛下の御命を年内一杯と予測した。しかし本当に陛下が亡くなられたとしてブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が内乱を起すじゃろうか?
ヴァレンシュタインは今回の反乱軍の討伐では随分と辣腕を振るいおった。多くの貴族たちが震え上がったはずじゃ。あるいは皇位など望まず大人しく引き下がるかもしれん。
第一、本当に陛下の御命は年内一杯なのじゃろうか? 最近の陛下は酒に溺れる事も無く以前からは想像もつかないほど健康じゃ。以前のような何処か荒んだような所はまるで無い。
長生きする可能性は高いのではないだろうか。いや、陛下には長生きして欲しいと私は思っておる。どうやら私は陛下が好きになり始めているらしい。困ったものじゃ。
もし長生きするとなれば、内乱が起きるのはかなり後になるが、その頃には反乱軍は今回の損害を回復している可能性もあるじゃろう。それもまた困ったものじゃ。
「年内というのは当たらぬかもしれんの」
私の言葉に両元帥が頷く。
「内乱が起きない可能性もあります」
エーレンベルク元帥の言葉からすると両元帥も私と同じことを考えているようじゃ。
「フェザーンを攻めるという手もありますが……」
「……」
シュタインホフ元帥が様子を伺うような口調でフェザーン攻略を提案してきた。エーレンベルク元帥は無言のままだ。どうやらフェザーン攻略には賛成ではないのだろう。
「フェザーン攻略か……。シュタインホフ元帥、フェザーン回廊を使った反乱軍勢力圏への侵攻作戦は出来上がったのかな?」
私の言葉にシュタインホフ元帥が力なく首を横に振る。
「残念ですが、航路情報も軍事上の観点から見た星域情報も不完全なままです。特に星域情報に関してはお粗末としか言いようがありません。この状態では侵攻作戦などとても無理です」
おそらくシュタインホフ元帥も内心では反対に違いない。ただ、何もしないよりは何とかこの好機を利用したい、そういう思いがフェザーン攻略になったのじゃろう。
「では、フェザーン侵攻と反乱軍勢力への侵攻は別々に行なう事になるか……」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥の顔が歪む。
時間が空けば反乱軍も防戦の準備を整えるだろう。余り面白い状況ではない。手の打ちようが無いというか八方塞というか……。やはりあの男が居らんと不便じゃ。戻ってくるまで後半月か、短いような長いような、困ったものじゃの……。
宇宙暦796年 9月 11日 イゼルローン要塞 ドワイト・グリーンヒル
イゼルローン要塞に遠征軍が戻ってきた。無残なものだ、出征時には九個艦隊、十三万隻の威容を誇った遠征軍が今は四個艦隊、それも僅かに三万隻程度しか残っていない。
修理の必要な艦、負傷者を纏めて乗せた艦から順に要塞へ入港する。そして各艦隊司令官も入港してきた。私は宇宙港で彼らを待つことにした。それがせめてもの礼儀だろう。
四人の提督たちが艦を降りてきた。ビュコック、ボロディン、ウランフ、ヤン、皆顔色が良くない、疲れきった表情をしている。当然だろう、これだけの大敗だ、しかも味方を見捨てての撤退。敗北感、罪悪感、疲労、心身ともに参っているに違いない。
しかし、味方を見捨てて撤退しろと命令を出したのは私だ。彼らが抱えている罪悪感は私が背負うべきものだ。彼らが気に病むことではない。彼らが私に気づいたようだ。私は敬礼をして彼らを出迎えた。
「これは総参謀長、御苦労様ですな」
「ビュコック提督、遠征、お疲れ様でした。皆さんも本当にお疲れ様でした」
私はそう言うと頭を下げた。この程度で彼らの苦労をねぎらえるとは思っていない。それでも私は頭を下げた。
「総参謀長、頭を上げてください。総参謀長が補給部隊を使った囮作戦を用意してくれたので大変助かりました。あれで敵を振り切ることが出来たのです。そうでなければ、損害はもっと酷くなっていたでしょう」
ヤン提督の言葉に三人の提督が頷く。しかし私にしてみれば恥ずかしい限りだ。どうみても補給部隊は救えなかった。どうせ救えないなら遠征軍を救うために犠牲にしてしまえと考えた破れかぶれの策だ。感謝されるほどの事ではない。
「ところで、総司令官閣下は司令部ですかな?」
ビュコック提督の疑問はもっともだ。たとえどのような結果であろうと総司令官が配下の諸将をねぎらわないという事は無い。
特に今回の戦いはあきらかに総司令部の判断ミスが遠征軍を敗北させた。本来なら私と共にこの場にドーソン総司令官の姿が有って良い。そして彼らに詫びるべきなのだ。それが軍人として、人間としての最低限の誠意だろう。
「総司令官閣下はあの敗戦以来、部屋に閉じこもったままです」
隠しても仕方が無い、いずれ分かることだ。あの敗戦以来ドーソン総司令官は部屋に閉じこもったままだ。
私が部屋から出て欲しいと言っても頑なに出るのを拒んでいる。私の出した指示を追認するだけの存在だ。ハイネセンに居るシトレ本部長にシャンタウ星域で敗れた事さえ私が報告せざるを得なかった。
四人の提督の顔に嫌悪と怒りの感情が浮かぶ。当然だろう、敗れたときにどう対処するかで軍人としての真価が問われる。それなのにこの無責任さはどういうことだろう。この程度の男が三千万の軍を率いていたなど余りにも酷すぎる。
「フォーク准将は何処です、総参謀長」
「フォーク准将は病気療養中です、ウランフ提督。既にハイネセンに送り返しました」
「病気? 療養中?」
訝しげに四人の提督が顔を見合わせる。おそらく四人とも今回の遠征を提案したフォーク准将を殴りたい気分なのだろう。フォーク准将が転換性ヒステリーによる神経性盲目を引き起こしたと知ったら彼らはどうするだろう? おそらく怒り狂うに違いない。
「その件も含めまして幾つかお話ししたい事が有ります。御疲れとは思いますが少しお時間を頂きたい」
そう、彼らには話さなければならない。二度とこんな馬鹿げた悲劇を繰り返さないために。
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