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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百十五話 苦悩

宇宙暦796年8月26日   11:00 ハイネセン ホテルシャングリラ ジョアン・レベロ


いつものように人目を避けるようにホテルに入り、階段であの男の待つ部屋に行く。今日は四百二十一号室か、部屋の前に立ち軽くドアをノックする。

「誰だ?」
「レベロ」
ドアが開き、私は部屋に急いで入った。

部屋に入り、手近な所に有った椅子に座った。トリューニヒトも近くの椅子に座る。
「急な呼び出しだな、何が有った、トリューニヒト」

「……」
「?」
トリューニヒトは一つ溜息を吐くとあらぬ方を見た。妙だ、この男が話すのをためらっている。何が有った? 遠征軍が負けたのか?

「どうしたんだ、トリューニヒト? 遠征軍が負けたのか?」
私の言葉にトリューニヒトの顔が歪んだ。やはり敗戦か……。

「……遠征軍がシャンタウ星域で大敗した」
「大敗?」
「ああ」

トリューニヒトは何処か投げやりな口調で答えた。この男がこんな口調で話すのは珍しい。大敗というが余程酷い敗戦なのか?
「酷いのか?」

トリューニヒトが眼で笑った。何だ、被害はそれ程でもないのか……。
「遠征軍九個艦隊の内、五個艦隊が全滅した」
「全滅? 馬鹿な、何かの間違いじゃないのか?」

思わず声が大きくなった。全滅だと、そんな馬鹿な。
「間違いじゃない」
「!」

忌々しげな口調でトリューニヒトが吐き出す。思わず彼の顔を見つめた。私の視線に気付いたのだろう。トリューニヒトは奇妙な笑顔を見せた。何処か壊れたような奇妙な笑顔……。

「レベロ、残りの四個艦隊も三万隻程度しかない」
「!」
三万隻! 馬鹿な、それでは実質二個艦隊ほどでしかない。七個艦隊を失ったのか? 戦死者も一千万を越えるかもしれない……。

「イゼルローン要塞の遠征軍総司令部から連絡が有った。遠征軍はシャンタウ星域で帝国軍と会戦、一方的に敗れたそうだ」
「馬鹿な……」
一方的、つまり敵の損害は軽微なのか。

「トリューニヒト、これからの同盟の防衛体制はどうなる」
「どうにもならんよ。イゼルローン要塞を中心に防衛戦をするだけだ」
「……」

「レベロ、もう分っていると思うが和平は当分無理になった」
「……そうだな」
「国内では市民の間に厭戦気分が広がるだろう。チャンスなのだが」

「帝国側が受け入れんだろう」
「ああ、帝国側も同程度の損害を受けていれば違ったのだが、思うようには行かんな」
「……」
思わず溜息が出た。確かに思うようには行かない。

「役に立たん奴らだ。同程度の損害を帝国に与えることも出来んとは」
「……」
トリューニヒトは嘲笑するかのように吐き棄てると表情を改めて私を見た。

「レベロ、政権を奪取するぞ、私達の手で同盟を再建するんだ」


帝国暦 487年8月30日  9:00 ミッターマイヤー旗艦ベイオウルフ フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー


艦橋にミッターマイヤー提督が入ってきた。小柄な身体がきびきびと動く。表情も明るい。問題は無かったようだが、本当に大丈夫だったのだろうか。ミッターマイヤー提督が提督席に座るのを待って声をかけた。

「閣下、司令長官は如何でしたか?」
「大丈夫だ、ビューロー准将。卿が心配するような事は何も無かった」
「そうですか」

提督の言葉に緊張が緩んだ。あるいは厳しい叱責を受けるのではないかと心配したのだが杞憂だったようだ。

帝国軍は今シャンタウ星域に集結している。昨日遅くにミッターマイヤー艦隊はシャンタウ星域に戻ってきた。その時、今日の八時に各艦隊司令官は総旗艦ロキに集まれとの命令が出たのだが、気になる噂が入ってきた。

~司令長官は今回の戦果に満足していない。司令長官は敵の殲滅を望んでいた。追撃の打ち切りは不本意で、特に逆撃を受けたミッターマイヤー提督に強い不満を持っているのではないか。~

どうやら司令長官はこの会戦の勝利に喜んでいないらしい。敵に大打撃を与えたと思うのだが、司令長官はより完璧な勝利を望んでいたのではないか? そんな憶測が噂を生んだようだ。

「司令長官は我々に良くやったと言ってくれた。敵の八割近くを損失させた。十分な戦果だと。特に我々追撃部隊にはご苦労だったと労ってくれた」
「それは、何よりです」

嬉しそうに話す司令官の表情には一点の曇りも無い。どうやら本当に杞憂だったようだ。

「俺は敵の小細工にしてやられたからな、その点について司令長官に詫びたのだが、ミッターマイヤー提督のような用兵巧者でも失敗をすると分って安心した、と笑いながら言われた」
「……」

司令長官は戦果には満足しているらしい。だとすると何故喜ばなかったのだろう? 気になる。
「閣下、司令長官は何故今回の大勝利にも喜ばなかったのでしょう?」

俺の疑問にミッターマイヤー提督は表情を改めて答えてくれた。
「ミュラー提督が言っていたのだがな、司令長官にとっては未だ戦いは終わっていないのだろうと」

「終わっていない、ですか……」
「うむ。オーディンに戻って帝都が安定しているのを見て始めて終わるのではないかと」

「なるほど」
「追撃を打ち切ったのもそれが有るかもしれん。あまりオーディンを空き家にするのは問題だろう」
「確かにそうですな」

なるほどオーディンか。敵は反乱軍だけではない、国内にも居るという事だな。むしろこちらのほうが厄介か、表向きは味方だ。

とりあえず問題は無い。提督の傍を離れようとすると
「司令長官に卿とベルゲングリューン准将の事を訊かれたぞ」
とミッターマイヤー提督に言われた。思わず足が止まった……。

「し、司令長官にですか」
俺とベルゲングリューン! 落ち着けフォルカー。
「うむ。俺もロイエンタールも頼りになる幕僚を紹介してもらえて感謝していると答えた。言っておくが本心だぞ」
明るく答えるミッターマイヤー提督が恨めしい。

「恐れ入ります」
「卿とベルゲングリューン准将はアルレスハイム星域の会戦で司令長官と一緒だったな? 懐かしいのかな?」

「さあ、どうでしょうか」
穏やかに笑う提督に答えると急いで傍を離れ、自室に向かった。

懐かしい? そんなはずは無い! 俺もベルゲングリューンも司令長官とは碌に話さなかったのだからな。別に意地悪をしたわけではない。何を話して良いか判らなかっただけだ。だからつい司令長官を避けてしまった。

司令長官はミュッケンベルガー元帥、エーレンベルク元帥の秘蔵っ子だった。何と言っても士官学校卒業から二年で少佐になったエリートだ。変に話しかけて取り入ろうとしているんじゃないかと思われても詰まらんし、司令長官から元帥達に妙な士官が居ると言われるのも御免だ。

そういうわけで俺たちは司令長官とは話をしなかった。司令長官は俺たちと話しをしたかったのだろうが、俺たちが話したがらないのが判ったのだろう。最後は自分の席で静かに座っていた……。

司令長官はメルカッツ提督とクレメンツ提督には笑顔を見せたけど俺たちには必要最小限の会話だけで笑顔は無かったな。自業自得だが少し寂しかった。

今考えれば少しくらい話しても良かった……。相手はまだ十八の子供だったんだからな。俺たちも少し意識しすぎた。おかげで気まずい関係になってしまった。しかしあの当時はそんな余裕は無かった。上層部に特別扱いされる司令長官に対する反感が有ったと思う。

特別扱いだ。あの艦隊の司令官は老練なメルカッツ提督、参謀長と副参謀長は司令長官が士官候補生時代の教官。おまけに司令長官は幕僚勤務の経験なし、艦隊勤務の経験なしの素人。

どう見ても軍上層部が司令長官に幕僚勤務、艦隊勤務を教えようとしているとしか思えない。実際クレメンツ提督が熱心に教えていた。エリートって言うのは本当に別格扱いなんだとつくづく思った。ベルゲングリューンと二人でよく愚痴ったものだ。

アルレスハイム星域の会戦後も凄かった。巡航艦ツェルプスト艦長兼第1巡察部隊司令だ。軍務尚書の意向が有ったらしいが、司令長官に艦長の経験と艦隊指揮の経験をさせようという事だろう。おまけに副長がワーレン提督だ。

ヴァンフリートは言うまでも無い。大佐なのに一個艦隊の参謀長を務め、副参謀長にはミュラー提督だ。これもミュッケンベルガー元帥の意向が有ったらしいが全く別格の扱いだ。


司令長官が宇宙艦隊副司令長官になった時には、俺とベルゲングリューンはもう出世は無いなと二人で自棄酒を飲んだものだ。それなのに俺はミッターマイヤー艦隊、ベルゲングリューンはロイエンタール艦隊に配属されている。

司令長官の推薦らしいが、最初聞いたときは何かの間違いだと思ったものだ。普通なら有り得ない、司令長官は俺たちを嫌っているはずだ。それなのに推薦した……。

わざと推薦し、失敗したら思いっきり叱責して左遷かと思っていた。俺もベルゲングリューンも覚悟していたのだが今回の件からするとどうもそうではないらしい。

どうしたものか、ベルゲングリューンと話をするか、そして二人で司令長官に謝ってしまおうか。しかし、微笑みながら“何のことです? ビューロー准将”なんて言われたらどうする?

俺は自室にあるTV電話を見ながらどうすべきかを考え続けた……。



 
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