ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第2章 憎愛のオペレッタ 2024/08
12話 争乱の足音
ローゼリンデの内装準備から三日後。
《水着、始めときましたぜ!》と銘打たれた場違いなノボリがはためき、徐々に客足がちらつくようになった縫製店を横目に見つつ、四十八層主街区《リンダース》の大通りを北上する。入店するプレイヤーは女性だけではなく、心なしか男女の姿が目立つが、夏とは如何なる状況であれそういう季節なのだろうと自己完結する。
無数の水車が回る長閑な光景にヒヨリが興味を示し、水車の動力で薬草を挽き潰す設備をティルネルに要求されるも一蹴し、やがて一連の流れのうちに目的地である一角へと辿り着いた。
大型の木造建築物ともいうべき外観で、その離れにあたる小屋にはやはり水車が備えられているそれは複数人の居住を想定して設計されたものだと分かる。一個人でも所有は不可能ではないが、ギルドが所有するためギルドホームと定義されるそれは、俺達にとっては最も親密な間柄である《片翼の戦乙女》の拠点である。六十余名という少数でありながら、女子であるからと侮れぬ精鋭集団。攻略組の一角を為す彼女達の拠点は、しかし物々しい雰囲気で満たされた他の前線攻略ギルドとは一線を画す穏やかな佇まいを見せている。
「クーちゃん、突然どうしたのかなー?」
そして、呼び出しのメールを受信したヒヨリはギルドホームを前に首を傾げる。
要件の確認といったような情報の遣り取りは一切しないまま、二つ返事で受けたことは明白なのだが、それでも話を円滑に進めるという気遣いはなかったものか。
「お前が分からなかったら誰も分からんだろうが」
「でも、絶対に来てってメールに書いてあったから、会ってからでも良いかなって思ったんだよ」
「………まあ、普通はそんなもんだよな」
「ええ、いつも通りのヒヨリさんです」
ヒヨリにとっての普通はそんなところだろう。
とはいえ、別段気を遣うような相手ではない事もまた事実。聖竜連合のように過剰な情報提供を吹っかけてくることも、血盟騎士団のように攻略に死力を尽くすことを強要することもない。その点に至っては安心して良いだろう。
「あ、もしかして………」
「どうした?」
「クーちゃんが私達を呼んだ理由、分かっちゃったかも!?」
「………参考までに、聞いておいてやろう」
表情を引き締め、何ぞ驚愕の真実を目の当たりにしたかのようなヒヨリを横目に見る。
どうせ碌なものではないのだろうが、悦に入ったようなドヤ顔に覚えた苛立ちを抑えて話を聞いてみることにする。
「ふっふーん、それはね………きっと海水浴だよ! みんなで行ったら楽しいよ! 海ッ!!」
「………海は、難しいかもですね」
「生憎だがアインクラッドに海はない。あっても精々湖だ。というか、お前が行きたいだけだろうが」
どこぞの層には海の名残だった層もあったのだが、年月を経て海水が蒸発した結果《一面が塩の結晶で覆われた白の砂漠》というものもあった。砂粒に相当する塩の粒子にはご丁寧に味覚エンジンでの際限が為されていて、大鷲型モンスターの突風攻撃で文字通り辛い思いをさせられたものだ。一方で塩も取り放題という家計に優しい一面もあったのは補足しておくべきか。
「えー、じゃあ………みずうみ、水浴?」
「どうあっても水に浸かりたいのな」
「夏だもん! そうだ、水着買わなきゃいけないよね! ティルネルさんも一緒に買いに行こう!!」
「………水着は、その………」
「………………とにかく、どのみち続きは中に入ってからだ。いいな?」
ともあれ、相棒は相も変らぬマイペースぶりだ。理由は定かではないが、目に輝きを失ったティルネルには心傷を察するとしか言い様がない。
こうしているうちが一番平和を実感していられるのもまた事実ではあるが、それでも余所様のギルドホームの前で延々と続けるような話でもない。
ましてやこの炎天下、装備もネクタイの赤以外は黒系統の俺は望まずとも光を吸収するから暑くて敵わない。一刻も早く屋内に逃げたい。しかし弱音を心のうちに秘めつつ、先陣を切って玄関を開く。流石に空調設備を期待することは出来ないが、屋内を循環する風だけでも十分に涼がとれる。これだけでも少しだけ生き返った気がするのだから、我ながら安上がりだ。
「いらっしゃ…………あらあら?」
そして、玄関を開けた先。エントランスで俺達の訪問に一早く気付いたあるギルドメンバー――――三角巾に割烹着という、いかにも旧時代の主婦というような出で立ちのグリセルダさんは意外そうに首を傾げる。俺自身がこうしてこのギルドホームに足を運ぶこと自体が珍しいケースである為に、この反応も已むを得ないのであろうが。
「お友達まで一緒だなんて珍しいじゃない、どうしたの?」
「クーネに呼ばれただけだ。要件も聞かされてないから、不安だけどな」
「そう? じゃあ、他のお客さん達と同じ用事なのかも」
「どういうことだ?」
「んー? どういうことって聞かれても、最近はクーさんも忙しそうだし、難しい顔してるし………その事についてはサブリーダーの娘達にはお話ししてるみたいなんだけどね?」
「情報統制のつもりか?」
「どうなんだろう………私は、自分に声が掛かるまでは知らないフリをしよっかなって思ってたから」
情報漏洩を遮断して、上層部でのみ何か行動しているということか。
とはいえ、かつてはギルドを率いていたグリセルダさんにはある程度判るところもあるのだろう。察するに、不穏な翳りが見えなくもないが、ここまで出向いたからには引き返すのも後ろ髪を引かれる気がする。というより、ここで帰ろうにも後ろで目を輝かせているヒヨリに退路を塞がれそうだ。
とはいえ、このまま立ち往生していても埒が明かない。先に通された客の顔触れを見れば、おおよその予測はたつだろうと考えて、グリセルダさんに案内してもらうことにする。
移動中は流石に部屋の多さに驚かされるが、大雑把な構造自体はあまり複雑ではない。エントランスの奥に台所を備えた巨大な一間があり、その周縁を囲うように大浴場やら個室やらが置かれるという大人数での利用を前面に押し出したような単調な構造。通路が無秩序な迷路のように入り組んでいることを除けば大型の高級物件だ。さらに二階は個室のみと潔く、水車を備えた離れには生産系スキル保有者が利用できる工房を外注で備えるという徹底ぶり。この拠点を買う為の金策にどれだけ駆り出されたか、今となっては思い出したくもないものだ。
………ところで、さっきからごくたまに涙目になって周囲を見回す少女と擦れ違うのだが、彼女達は一体何なのだろうか。俺がここに来た所為で戸惑っているのだとしたら、全く以て申し訳ないところである。
というか、数名はヒヨリと会話すると後に続いてくるのはどういうことなのか。
「それにしても、結構人数が増えたんだな」
「ええ、そうね。今じゃスカウトしなくても入団希望があるくらいだし」
「大したギルドだな。聖竜連合とか血盟騎士団の方が効率は良いんだろうけれどさ」
「強くなりたい人や恐がりな人には、そっちの方が合ってるのかも。でもここは《居場所》として在る場所だから………ホッとしたい娘が来るんじゃないのかな」
「ノルマは一切無いってくらいだもんな」
「そうね、だから居易いのよね」
それでも、全員が金策やレベリングを怠らないという。
この場所の為に、この城から抜け出す為に、誰もが無理のない程度に前向きに行動するからこそ、この場所は発展する。グリセルダさんの見解にも見て取れるように、偏にここが《居場所》だからなのだろう。ギルドとしての経営が最低限出来てさえいれば、それ以上は望まないという集団。人命第一、女性保護を謳うだけはある。これについては感嘆せざるを得ない。
「ま、顔触れとかはヒヨリちゃんやティルネルちゃんあたりが詳しいかもね。ヒヨリちゃんなんかはフレ登録で全員網羅してるわよ。よく遊びに来てるし」
「………あ、違うんですよ? もし機会があればリンさんもお誘いしようと思ってましたし、その………」
「いや、別に構わない。その間はレベリングをさせてもらっているからな」
レベリング。
その内訳に《秘蝕剣》の強化も含まれてはいるのだが、こればかりは口が裂けても言えない。
他に習得したという情報がない以上は、例え身近な相手でも公表は控えておくべきだろう。唯一の目撃者たるグリセルダさんも、口を噤んでくれているから有難いところだ。
「それにしても、大したもんだな」
このギルドに所属する六十余名と知り合いとは、中々に強者だ。相棒ながらに侮っていたが油断ならない相手であったらしい。
「むっふっふー、すごいでしょ~?」
「………褒めてやりたいところだが、やっぱりその態度が気に食わない。そのドヤ顔をやめろ」
「そういう問題なの!?」
「………リンさん、あまり冷たくしたらダメですよ? ヒヨリさん泣いちゃいますよ?」
だが、やはりどうしても態度が気に食わない。
ティルネルの忠告は素直に受け取りたいところだが、どうしても譲れない一線というものは如何なるものにもあるものなのだ。例え後ろにゾロゾロとくっ付いて来た女の子が敵に回っていようと、それだけは揺るがない。
………と、そうこうしているうちに先導するグリセルダさんが足を止める。その先には観音開きになった大きなドアがあり、広々とした室内を予想させる威容を晒していた。
「ここね」
「………なんだこれ、増築でもしたのか?」
「前からあったらしいんだけど、こんなに大きいと部屋を把握するのも一苦労らしくてね。それに、こういう時にでも使っておかないと勿体ないじゃない?」
「まだ全部把握できていないのか………」
「ギルドに加入して日の浅い娘の中には迷っちゃって、そのまま誰かに泊めてもらうこともあるそうよ」
「欠陥住宅じゃねえか。ってか、もしかしてさっきの泣きそうになってたやつらは………」
「………この空間の餌食になった娘よ」
五十層主街区に踏み入れでもすれば遭難沙汰になりそうだと危惧しつつ、いつの間にか増えた取り巻きをグリセルダさんに任せて室内へと進むべくドアを開く。
内装は広い天板のテーブルと造りの良い机にソファ、壁際に幾つか置かれた棚の織り成す執務室然とした内装。そこに集まっていたプレイヤーは、どれも見覚えのある顔ばかりだった。
このホームの主である《片翼の戦乙女》の最古参である四名は言わずもがな、その他にもう二人の姿が確認できた。
一方は白地に赤い十字架の意匠が刻まれた装備の細剣使い。血盟騎士団副団長、《閃光》ことアスナ。
もう一方はフードを目深に被ったクロー装備の情報屋。《鼠》ことアルゴ。どういうわけか、彼女だけソファに腰掛けている。
この取り合わせはかなり珍しいが、少なくともアインクラッドにおいてそれぞれの分野で名を馳せるプレイヤーだ。まずヒヨリの思うような遊びの誘いではないだろう。何より雰囲気が物々しい。
「ようやく来たわね。待ってたわよ」
「全員、揃いましたね」
入室一番、クーネとアスナから一瞥向けられる。
アスナはいつもと変わらず切れ味が鋭いように見受けられるが、クーネに至っては僅かばかり違和感を覚えてしまう。どうにも態度が淡泊という印象を受けてしまうというか、普段であればもう少しフレンドリーに接してくれるものだが。この張り詰めた雰囲気も今回の召集に関係するものなのだろうか。流石のヒヨリも場の状況を察知して神妙に口を噤んでいる。
「先ず、突然のお呼び立てにも関わらず、応じて下さったこと感謝致します」
「ううん、全然平気!」
「え、ぁ………うん、ヒヨリちゃん、ありがとね?」
前言撤回、ヒヨリはそこまで殊勝な性格ではなかった。というか、意図せずというべきか。
出鼻を挫かれたアスナは苦笑いしつつもヒヨリに優しく接し、咳払いを一つ零してから再び場を整える。
というより、俺も疑問が生じたので質問でも投げかけておくことにする。
「俺達は片翼の戦乙女から召集を受けた筈だが、血盟騎士団も関係しているのか?」
「というより、前線攻略ギルドが主体となっての働きかけです。今回はクーネさん率いる片翼の戦乙女、彼女達と親密な関係にある前線ソロプレイヤーである貴方とヒヨリさん、そしてティルネルさん、更にアルゴさんにも同席して頂いての《協力要請》を兼ねた事前説明会とお考え下さい」
「協力要請だと? 何の情報も開示されないまま手を貸せって言うのは随分と都合の良い話じゃないか?」
「その点につきましてはお詫び申し上げます。しかし、情報を事前に開示しては漏洩のリスクもありましたので………もし、この時点で納得いただけないのでしたらご退席されても結構です。ですが、その後の情報開示は出来かねますのでご了承ください」
淡々と返される応答に、眉を潜ませる。
勿論、副団長様の態度ではなく、その内容に。
前線攻略ギルド主体ということは、普段から角を突き合わせている派閥が手を取り合うという、ある種の異常事態に他ならない。考え得る範囲として、現階層のフロアボスが余りにも強力であったか、それとも分け前を設けても十分に旨味のある超大型クエストでも確認されたか。現状の攻略組の価値観から推測するならば、この辺りが妥当なラインなのではないだろうか。そうすれば、俺とアルゴが呼び付けられた理由は納得できる。ヒヨリも当の副団長様と同列の細剣使いとしての地位を確立しているし、何よりも弓を操るテイムモンスターを引き連れている時点で戦力としては文句の付け様のない実力者だ。ボス戦であれ大型クエストであれ、召集する人材としては十分な面子となろう。そう考えると、推測にも信憑性が増すというものだが………
「………それで、協力して頂けますか?」
今度はアスナから問い掛けられる。
とりあえず、俺の一存で判断するのも憚られるのでヒヨリとティルネルに視線を向けると、両名は頷いて返す。ついでにその奥のアルゴにも頷かれたが、そちらは求めていないので無効票として扱おう。
「ああ、手を貸そう」
「ありがとうございます。では、単刀直入に本題へと移りたいと思います」
了承を取ってからの説明という順序には不安を掻き立てられるが、それでも無暗に無茶苦茶な難題を吹っかけてくることはないと思いたい。
「今回、皆様にお集まりいただいた理由、それは………大型殺人ギルド《笑う棺桶》討伐作戦についての協力要請、及び事前準備の依頼です」
「ちょっと待ってくレ。オイラにラフコフの相手をしろってのカ?」
これまで静観の姿勢を貫いていたアルゴもようやく口を開く。
非戦闘系とはいかなくても、アルゴの装備では対人戦に特化したプレイヤーを相手取るのは困難窮まる。それこそ、自殺を促すような意味合いが強いようにも思えるくらいだ。
「いいえ、アルゴさんとリンさん達には実行作戦に参加されなくても問題はありません。あくまで事前準備までで結構ですので」
「その事前準備云々でいうところの《俺達》には………ヒヨリとティルネルも含まれるのか?」
「はい。貴方達には可能な限り協力を依頼したいところですが………私も、あまり無理強いはしたくありません。荒事は私達に任せていただければ結構です」
ヒヨリとティルネルは無理強いされない。それは結構だ。
………だが、クーネ達は血盟騎士団と同じ立場にあるのだろうか?
「クーネ達は、行くのか?」
「………うん、最近は犠牲者も多いし、ウチの娘たちも不安そうだったから………皆を安心させてあげなきゃでしょ?」
犠牲者。
その言葉にふと、三日前にローゼリンデから見せて貰った《行き先を失った品物》が想起される。
贈る側と、受け取る側。その両者が、こんな世界でも希望を見出して、掴もうとした未来さえ容易く手折れる存在が、それ以外でも暗躍しているのだとしたら。確かにそれは忌々しい事態ではあろう。
………だが、俺はあくまで幼馴染と仲間しか守れない。若しくは、守ろうとしない人間だ。
「その、事前準備というのは………ラフコフのアジトを探れってことか?」
「そうです。片やSAO一の情報屋、片や隠しダンジョンや隠しクエストを探り当てる嗅覚の持ち主。これほどの適任はいないと、団長の推薦でしたので」
「団長様の、ね。買い被り過ぎなんじゃないか?」
「団長の決定ですので。………とはいえ、リンさんが協力を承諾して頂けるとは思っていませんでしたが」
「その辺りは適切な見解だ。………だが、俺にだって思うところくらいはあるさ。可能な限りで協力しよう」
「そういうことにしておきましょう。………アルゴさんは、協力して頂けますか?」
「………契約金に特別手当マシマシで頼むゾ。アーちゃん」
ラフコフの居場所を探れと言われるとは思わなかったが、しかし今回は隠しコンテンツとは勝手が異なる。当面はアルゴの助手になりそうだ。
ともあれ、俺は役割を全うするだけ。
それ以上でもそれ以下でもなく、自分に与えた役割を遂行するまで。
――――それが、《誰の目に留まらない場所》であっても………
後書き
ラフコフ討伐戦前日譚
諜報班結成回。
緩い空気から一転、ラフコフのアジトを捜索するお仕事を与えられたアルゴさんと燐ちゃん達。ラフコフ討伐戦の導入部としてのお話でした。次回の燐ちゃん視点からストーリーが動きます(多分)
情報関連で一目置かれる燐ちゃんと、アルゴさんのコンビは何気に1部2章以来なんですよね。
ただ、それ以上にピニオラさんが存在感を出してくるかもしれないです。何といってもフラグの立ったヒロイン(!?)ですからね!
ということで、次回の更新も頑張りたいと思います。
ではまたノシ
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