ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!
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第三十六話その2 アンネローゼ様誘拐を阻止します。
某所――
バーベッヒめ、という陰にこもる声が舌打ちを鳴らす。
「自領内で悠々と引きこもっておればよいものを。下手に欲を出すからああいうことになる」
「どうする?あの設備や材料はバーベッヒの下にあるのだろう?」
「やむをえんが、バーベッヒ侯爵を切り捨てる。一連の麻薬の総元締めは奴だということにするのだ。損害は甚大なものになるが、我々組織の存続が一番の目的だ」
「うむ。それにバーベッヒ自身はもうすぐ滅ぼされることは決まっておる。今更彼奴を生かそうと相談することなど、詮無いことだ」
「では、そのように噂をばらまくか」
「そうだな・・・・。それと新たなる拠点を設けねばなるまい。バーベッヒが駄目となると我々は製造における最大の設備を失うこととなる」
「それについては考えておる。・・・ここはどうかな?」
はらりと紙がめくられる乾いた音がし、居並ぶ者たちから驚愕の声が上がった。提示した人物はその口元に不敵な笑みを浮かべていた。
帝国歴484年10月31日――。
バーベッヒ侯爵討伐艦隊についてひとしきりうわさが飛び交っていたが、それとは別に帝都オーディンには奇怪な噂が流布し始めた。
曰く――。
グリューネワルト伯爵夫人には情夫がおり、皇帝陛下御寵愛で得た財貨をその情夫に貢いでいる、と。皇帝陛下には何の情愛も持っておらず、情夫との密会で見せる表情は普段のつつましやかなグリューネワルト伯爵夫人のイメージを完全に裏切るものである、と。
これをラインハルトとキルヒアイスが知れば、彼らは激怒して軍列を離れ、帝都オーディンに戻ってきたかもしれないが、あいにくそれを知らせる立場にあるアレーナもイルーナもバーベッヒ侯爵討伐で帝都を留守にしていたのである。
だが、アレーナは帝都に張り巡らせていた情報網によっていち早くこれをキャッチしていた。彼女は第六感でこれがただ事ではないことをすぐに見抜いていた。
「アンネローゼが狙われる!ラインハルトとキルヒアイスばかり狙われていたから、私たち慢心していたんだわ!」
旗艦自室にいたアレーナは極低周波端末でイルーナと直ちに連絡を取った。日頃のしれっとした態度はどこかに消し飛んでしまっている。
「落ち着きなさいアレーナ。まだアンネローゼが狙われたわけではないわ。逆に言えばこの噂が流布し始めたということは、まずアンネローゼの評判を落とし、そのうえで彼女に危害を加えようという算段だと思うの。敵は原作OVAと同様のことをやろうとしているのよ」
「あ・・・・」
アレーナは冷静なイルーナの言葉に我に返った。こういう時のイルーナの冷静さに前世から度々助けられていたのだ。
「そうか、そうよね。まだ時間はあるわ。でも、護衛が!私もイルーナもバーベッヒ侯爵討伐任務中なのよ。帝都オーディンにはすぐに戻れないじゃない!」
「心配しないで。私が何とかするわ」
イルーナはアレーナを安心させるようにうなずいて見せた。
「あなたが?ここに体があるのに、どうやって帝都オーディンに戻ってアンネローゼを守るというの?」
「私ではないわ。転生者は私たちだけではないもの」
イルーナは微笑んだ。
帝都オーディン――。
エルマーシュ侯爵邸。
■ ヴァリエ・ル・シャリエ・フォン・エルマーシュ
イルーナ主席聖将・・・ではないわね、イルーナ・フォン・ヴァンクラフト准将から連絡が入った。それを持ってきたのはレイン・フェリル少佐だけれど。『アンネローゼが狙われている兆しあり、ついては二人で護衛してアンネローゼを死守せよ』というものだったわ。この帝都に流れているアンネローゼに関するうわさも、大方敵が流したものでしょう。
アレーナは私を将来のケスラー上級大将の右腕、つまり憲兵副総監にしたいのか、グリンメルスハウゼン子爵閣下の情報網を私にも使わせてくれている。
その情報網を使えば、噂の出どころくらいはすぐにわかるというものなのだけれど、問題があるわ。
「レイン。あなた敵が次はどの一手で来るか、予測できるかしら?」
私の問いかけにレイン・フェリルは顔を曇らせた。彼女と私とは前世ではあまり接点はないけれど、レインの実直な人柄はよくフィオーナから聞かされて知っていたし、私自身も一目見て好感を抱いたわ。アレーナとはえらい違いよ。
「おそらく、噂を流布し、ついでラインハルトか皇帝陛下が大けがをされたなどの偽情報を流し、アンネローゼ様を郊外におびき出したところを始末するのではないかと思われますが・・・・」
「保留付きね」
「はい。いささか早急なようにも思えますので」
確かにそうかもしれないわ。でも、これまでベーネミュンデ侯爵夫人は幾度となくラインハルト暗殺に失敗している。ラインハルトが無理と悟ったベーネミュンデ侯爵夫人が本来の目標に狙いを変えたのだとしても私は不思議には思わない。
「アンネローゼの身辺を監視強化しましょう。そのうえで彼女がどこかに出かけたら逐一後を付けることにする。それは私がやるわ。あなたは軍の勤務がある。始終監視をするわけにもいかないし、忙しいでしょう?」
「ええ。ですが、お一人で大丈夫ですか?」
無論よ、レイン。ここではエルマーシュ侯爵令嬢かもしれないけれど、私はただの侯爵令嬢ではないもの。
「何かあれば、あなたに連絡を取るわ。応援をお願いするかもしれない。それに備えて待機していて」
そう言ってレインを帰すと、私はグリンメルスハウゼン子爵閣下の情報網を駆使して噂の出どころを探った。ところが、噂というものはまるで蜘蛛の巣のようなもの。「それについては私はAから聞いたのですが」とBは言う。そのAは「いや、私はCから聞きましたが」と言い、Cに話しかけると「私はBから聞いたのですがねぇ」という答えが返ってくる始末。堂々巡りを繰り返す塩梅になることはよくわかっているわ。
となれば、噂の出どころを特定するのは難しい。宮廷が発生源なのは自明の理だけれど。だったら、アンネローゼの動向を逐一見守り、敵が動き出すのを待つしかないというわけね。
フィオーナ、見ていてね。前世における監察官の実績をもってアンネローゼを守りきるから。
帝都オーディン ノイエ・サンスーシ――。
アンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人はめったに外出をしない。皇帝の寵姫として常日頃側にいなくてはならないということももちろんであるが、彼女自身「世捨て人」のように宮廷の社交界にもパーティーにも極力顔を出さなかったのである。むろん国政についての口出しも一切しない。
ところが、この生活が仇になった。アンネローゼが表にあまり出ないのは、人目を避けて愛人と忍んでいるという噂が広まったのである。
これに対して宮廷の主要貴族は激怒した。アンネローゼ擁護派も反アンネローゼ派閥もである。アンネローゼ擁護派は「誰だ?!そのような不埒な話を出すのは!?」と怒り、反アンネローゼ派閥は「やはりそういう女狐であったか!?」とののしった。
フリードリヒ4世は表向き、この噂に対して何も処置しなかったが、リヒテンラーデ侯爵がある日国事に関する決済を受けに来た際に、皇帝陛下に指摘した。
「近頃帝都に置いてよからぬうわさが流れております事、陛下はご存知でいらっしゃいますか?」
「ほう?どのような噂かの?」
「このようなことを口にのぼせるのもはばかりある事ながら、あえて申し上げますれば、グリューネワルト伯爵夫人が、よからぬ者と忍びあっているとのことにございます」
フリードリヒ4世は軽い笑い声を立てた。
「はっはっは。それはそれは、確かによからぬうわさで有ろうな」
「陛下」
思わず険のある視線を送ったリヒテンラーデ侯爵に、
「よいよい、あれの気質は余は充分に理解しておる。そのようなことをする者ではない。大方あれに嫉妬する者が流した噂で有ろう」
「それだけで済めばよいのですが」
リヒテンラーデ侯爵の口ぶりはさすがのフリードリヒ4世をして、おやと思わせる響きがあった。
「国務尚書にはなにか不審事があるのかの?」
「口にのぼせるのも恐れ多き事ですが、この噂に乗じて何者かが宮廷内に混乱の火種を持ち込むやもしれませぬ。グリューネワルト伯爵夫人に危害を加えようとする者がいてもおかしくありますまい。ご用心あってしかるべきではないかと愚考いたす所存です」
「そうじゃの。卿の言う通りであろう」
フリードリヒ4世はかすかに、ほんのかすかに憂いを帯びた瞳を国務尚書に向けた。何もかも見透かしているのか、それとも単にアンネローゼのことを案じているのか、リヒテンラーデ侯爵には見当がつかなかった。
「どう思うな?アンネローゼを宮廷から遠ざけた方がよいか?」
「臣には判断しかねることですが、愚見をお聞き届けくださるならば、今帝都にグリューネワルト伯爵夫人がおとどまりになるのはよからぬ噂を招きます。十分な護衛をお付けになり、どこか郊外の別荘にお移しになるのがよろしいかと」
「国務尚書のよきように」
皇帝陛下はそう言って、玉座の肘掛にもたれかかった。疲れ切った顔をしていた。もめ事にはうんざりしている、そういうような表情もにじみ出して――。
リヒテンラーデ侯爵は深々と頭をを下げ、礼儀に恥じぬよう重々しい足取りで退出したが、退出し終わってからの動きは機敏であった。彼はアンネローゼを郊外にある別荘に移すことを既に決めていたのである。このままでは宮廷内にアンネローゼ派と反アンネローゼ派が生じて抗争になる。それでなくとも今の宮廷は微妙なバランスをもってようやく保たれている最中なのだ。これ以上余計な火種を増やしたくはないというのがリヒテンラーデ侯爵の正直な感想であった。
アンネローゼはリヒテンラーデ侯の申し出に、反対を一切唱えずに、ただ従う旨だけを伝えた。安堵したリヒテンラーデ侯はアンネローゼにどこか希望の場所があれば遠慮なく言うようにと言ったが、アンネローゼは特に何も言わず、すべてをお任せします、とだけ言ったのである。
リヒテンラーデ侯爵は、その諦めきった顔に胸をうたれたが、それを決して表には出さず、委細お任せくださるように、とだけ述べるとアンネローゼの下を退出した。
アンネローゼは名目上「保養」と称して郊外山岳部にある皇帝陛下の持ち家の一つに移ることが発表された。これを聞いたベーネミュンデ侯爵夫人の喜びはどのようなものであったか、ご想像にお任せしよう。
直ちにその持ち家は手入れがされ、家具が運びなおされ、綺麗に整頓され、十数人の侍従や侍女、それに護衛兵卒たちが先行して赴き、準備をすることとなった。
なお、アンネローゼの行先や日程については、極秘とされていたが、ベーネミュンデ侯爵夫人一派は宮内省担当者に賄賂をつかませて、その行き先と日取りを聞き出していた。
1週間後――。
護衛の車3台に囲まれたアンネローゼの乗った車はノイエ・サンスーシを後にした。スミレ色のワンピースを着て肩にケープを羽織ったアンネローゼは、車に乗り込むと、後はただじっとその白い顔を左車窓の外に向け、数千光年先に思いをはせているかのようにじっと身動き一つしていなかった。運転手のほかに同乗していたのは侍女一人と、護衛役の宮廷親衛隊の近衛士官の一人である。
車は市街を抜け、ほどなく郊外の一本道に入った。信号もなく、ただひたすらに舗装された道が人気のない森を縫うようにして伸びている。日中はどうということもないが夜間などはとても人が通れないほどうっそうとして暗いのである。
ふと、アンネローゼはサイドミラー越しに一台のバイクが後をつけてきたのに気が付いた。市街を走っているときにはさほど感じていなかったが、こうして人気のないところに来ると、なぜあのようなバイクが走っているのかが気になり始めた。
「どうかされましたか?」
侍女が問いかけたその時だ。
不意に車がトランポリンに乗ったかの如くバウンドし、一回転して急停止した。アンネローゼは自分の右わきに柔らかいものが押し付けられるのを感じた。侍女が倒れ掛かってきたのである。
「大丈夫ですか?」
アンネローゼが侍女を抱き起すと、申し訳ありません、とか細い声が返ってきた。だが、アンネローゼはそのような声を聴くことができなかった。続けざまの爆音!!!護衛の車のうち2台が炎上し、残りの1台が横転して中から男たちが吐き出された。
「待ち伏せです!!引っ返すんだ!!」
近衛兵たちが叫んだが、どこからか放たれたブラスターによって、次々と倒れていく。運転手は顔面蒼白であったが、急発進し、ハンドルを切った。180度回転した車は来た道を一目散に戻ろうとした。 その時――。
ブラスターの閃光が運転手と助手席に乗っていた近衛士官を貫いたのである。制御者を失った車はあらぬ方向に走りだした。アンネローゼと侍女は狂奔する車に自分たちの運命を任せるほかなかった。
その時は長くは続かなかった。重い衝撃と共にアンネローゼは額を前のシートにぶつけた。幸いシートはクッション材だったから、それほど衝撃はなかったが、一瞬息が止まった。侍女の悲鳴が耳に残った。車が脇の木の一つにぶつかって止まったのである。
アンネローゼは重苦しい頭を抑えながら、何とか気を取り戻し、あたりを見まわした。
「・・・・・・!!」
覆面をした男たちが10数人、車を囲んでいたのである。
「さて、グリューネワルト伯爵夫人でいらっしゃいますな?」
「・・・・・・・」
アンネローゼは顔を引き締めていた。先ほどの憂い顔から一転、さすがはラインハルトと血を分けたと評されるほど凛とした顔立ちである。
「無駄なことはおやめなさい。降りて我々に従っていただきましょうか」
「・・・・・・・」
「お嫌ですか?それならばこの車ごとあなたを吹き飛ばすまでだ」
アンネローゼは覚悟を決め、侍女を促すと、静かに車を降りた。
「なかなか良いお覚悟ですな。では、こちらにおいでいただきましょうか」
男たちは手際が良かった。既に回していた車にアンネローゼと侍女を乗せると、急発進し、市街と反対方向に走り出したのである。
アンネローゼと侍女には目隠しがされていた。どこをどう走ったのかわからない。どれくらいたったのか、急に車が止まり、アンネローゼは手を取られ、車外に連れ出されていた。
「もうしばらくの御辛抱です」
男とも女ともつかない声がアンネローゼの耳に入った。彼女は腕を取られるようにして一歩一歩進み、最後は10段ほどの階段を上った。ガチャリとノブが回される音がして、アンネローゼは中に導かれたのである。
アンネローゼから目隠しが外された。一緒に立っている侍女も同様である。二人が連れ込まれたのは、簡素な山荘の一階ロビーだった。入り口わきには居間があり、二人はそこに押し込まれた。正面には火の消えた暖炉があり、暖炉の上には風景画がかかっている。このあたりを描いたものであろうか。山岳部には雪がかかっており数頭の馬が草を食んでいる様相が描かれている。暖炉の両脇には座り心地のよさそうな肘掛椅子が2脚。そしてこちらに背を向けてソファーが一脚暖炉と向かい合っている。そのソファーには一人の軍服を着た者が座っていた。右手には窓があった。あければそのままテラスに出れるようになっており、先ほど乗ってきた黒い車が止まっているのが眼下に見えた。
「あなたは?」
「私の名前などどうでもいい」
軍服を着た男はぴしゃりとアンネローゼの言葉を封じた。
「ここに連れてこられた以上はあなたもうすうすは感じていることでしょう。あなたには死んでもらう。それを欲している方がいらっしゃるのでね」
「・・・・・・・」
「あなたにはどこぞの知らぬ男と密通をした情婦という役を演じてもらうことになっている。だが、すぐには殺さない。あなたの死にざまをご覧になりたいというさるお方がここにきてからだ」
「それは、誰なのです?」
「来ればわかるさ。だが、その前にあなたには眠っていてもらおうか」
男はソファーから立ち上がり、一本の注射器を取り出した。
「即効性のあるモルヒネだ。重篤な薬物中毒を出すほどのな。私も念には念を入れておきたいのでね」
アンネローゼは一歩下がったが、すぐに控えていた男たちに抱き留められてしまった。
「おやめくださいまし!おやめ――!」
侍女が叫ぼうとしたが、男たちの平手打ちをくらって、床に崩れ落ちてしまう。
「なんということを!やめなさい!」
アンネローゼの叱責に、
「黙っていれば危害を加えようとはしない。それを実演してやったまでさ」
アンネローゼに対峙した男は30代半ばと言ったところだった。特徴のない軍隊風にカットした黒髪。能面のような顔には表情一つない。だが、その仮面のような顔の下にはどす黒い火がともっているようにアンネローゼには見えた。
「腕を差し出せ」
陰にこもる声で男が指令したその時だった。窓ガラスが粉みじんにぶち割られ、閃光があたりを覆った。
「なに!?」
男がとっさのことに腕を庇いながら叫ぶ。その直後、絶叫が室内を満たし、血の匂いがあたりを覆った。
目を覆っているアンネローゼには何が起こったのかわからなかった。次々と起こる絶叫、そして足音、そして一秒ごとに濃くなる鉄臭いにおい。
「貴様・・・ぎゃあっ!!!」
陰にこもる声が絶叫に変わった。どっと重いものが床に倒れる音がし、辺りは静かになった。
「もう、大丈夫ですよ」
女性の声がした。アンネローゼが目を開け、はっと息をのんだ。床は文字通り血の海で有り幾人もの男たちが床に転がって息絶えている。その中には例の注射器を持った男の姿もあった。その傍らにまだ血の滴る剣を引っ提げてこちらを見ている水色の髪を長く伸ばした美しい顔立ちの女性が立っていた。 まだ若い。イルーナ・フォン・ヴァンクラフトやアレーナ・フォン・ランディールより年下のような感触を受けていた。
「お怪我はありませんか?」
少々冷たい声であったが、その中には相手を気遣う調子が含まれていた。
「遅れてすみませんでした。本来ならば黒幕をおびき出したかったのですが、あなたの身に危険が迫っていたので、やむをえず・・・・」
水色の髪の女性は男の注射器をもぎ取ると、それを大事そうにくるんで、肩に下げた鞄の中に入っている容器の中に入れた。
「あなたは誰なのですか?」
「ヴァリエ。ヴァリエ・ル・シャリエ・フォン・エルマーシュ。エルマーシュ侯爵家の娘です。アレーナ・フォン・ランディールとイルーナ・フォン・ヴァンクラフトの知人と言えば、すぐにお分かりだと思いますが」
「まぁ!」
アンネローゼは口元を手で覆った。目の前の女性は華奢なすんなりした長い手足を持っているのに、数人の男たちを一瞬で葬り去ったのである。世間で知られている侯爵令嬢の概念と悉く反する目の前の事象にさすがのアンネローゼも当惑を隠せない様子でいた。いったい彼女は何者なのだろう?
「ここは危険です。階下に護衛たちがいます。すぐにここを出て帝都に戻りましょう」
その言葉と共に部屋に入ってきた軍服を着た男たちが倒れ伏している男たちをよけ、例の陰にこもる声の男を抱き起した。血に染まっているがまだこと切れてはいないらしい。
「レイン」
後から入ってきた少佐の軍服を着た赤い長い髪の女性はうなずいた。
「すぐに護送して取り調べを行います。皇帝陛下の寵姫暗殺未遂の罪は軽いものではありませんから」
うなずいたヴァリエはすぐに連行するように示した。と、男が顔を上げる。
「おのれ・・・・このようなことになろうとは!だが、邪魔立てはさせぬぞ」
男は何かをかみ砕くように口をかみしめた。
「飲み込ませないで!!」
ヴァリエがとっさに叫び、男の両脇を固めていた男たちが口をこじ開けようとしたが、無駄であった。数秒後男はこと切れ、左手を握りしめたまま床に倒れ込んだ。
「口に仕込んだ毒を嚥下したのか・・・・」
ヴァリエは忌々しそうにつぶやいたが、不意に視線が男の左手に注がれた。表情がはっと変わる。
「退避!!全員この山荘から退避!!」
ヴァリエの叫びにレイン・フェリルもアンネローゼも侍女も男たちに抱えられるようにして一斉に走り出し、山荘を飛び出した。その直後強烈な熱風と爆音が一行の背中を襲い、宙を飛んだ一同は頭からスライディングして突っ伏した。
「くそ!」
ヴァリエが顔を上げて振り返る。轟音と共に山荘は火に包まれていた。
「爆破装置が仕掛けてあったとは・・・・これで証拠はなくなりましたね」
レイン・フェリルがつぶやいた。
「せめて襲撃を受けた護衛の車や死者を回収するしかないか・・・」
ヴァリエがつぶやいたが、これはいささか遅きに過ぎた。というのは、現場に戻ってみると、護衛の車の残骸も、死体も、まるで最初からなかったかのように消え失せていたのである。
「敵は相当な手練れね。痕跡一つ残さずに消えるなんて・・・・」
ヴァリエが悔しげに唇をゆがませた。
「でも、このままでは済まさないわ」
ヴァリエとレイン・フェリルに護衛されたアンネローゼはレイン・フェリルが用意した車に搭乗し、一路オーディンに引き返すこととなった。
引き返してきたアンネローゼたちと対面したリヒテンラーデ侯爵は驚きもし、かついぶかしんで問い詰めたが、彼女たちから山荘の襲撃の模様を聞くと、すぐさま部下たちを派遣して調査に当たらせた。
ほどなくして山荘が火災にあってほぼ全焼していること(それも爆弾で吹き飛ばされていたとのこと。)、付近にて護衛に当たっていた部下のうち数人の遺体が発見されたとの報告が入ってきた。リヒテンラーデ侯爵は事態の重要性を察知しアンネローゼに口外しないように言い渡すと、すぐさま皇帝に拝謁し、事情を説明した。ケルリッヒ宮内尚書も呼ばれ、彼は蹌踉とした足取りで黒真珠の間に入っていった。
三人の間にどのような取り決めがあったかはわからない。ただ、これ以降アンネローゼはノイエ・サンスーシの広大な敷地の中に館を立ててもらい、宮廷内の寵姫たちの居住する部屋から移ることとなった。彼女はそこに侍女や護衛たちと暮らすこととなったのである。
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