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火影の夜窓(ほかげのやそう)

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第四章 火影の夜窓

祐未は携帯を横の椅子へ放り、肩を落とした。
不躾に割り込んできた迷惑メールのお陰で、誕生会のムードが台無しだ。
ところが今度は、火薬銃のような音が鳴り響いた。
ぴゅーっと派手な音をたてながら火種が上昇し、
それが上空でぱーんと()ぜると、周辺一帯にこだまする。
祭りの興奮冷めやらぬ近所の子供らが、庭でロケット花火を始めたようだ。
祐未は窓辺に立つと障子を閉め、騒がしい夜窓(やそう)を塞いだ。
宿の廊下もにわかに騒がしくなってきた。
はしゃぐ幼子を諌める母親の声。
祭りから戻ってきた泊まり客が、家族揃って貸切風呂へいくのだろう。
祐未は諦めの表情で陽介の写真を見やる。
(ごめんね陽介。今夜は二人きりで静かにあなたの誕生日を祝うつもりだったのに…)
祐未は深くため息をつき、ケーキのロウソクを一本ずつ抜き取る。
スポンジに貼られたフィルムを片手で不細工に剥がすと、
台紙ごと口もとへ運び、無造作にかじる。
歯にしみる強烈な甘さに打ちのめされ、
祐未は、隣の椅子に横たう携帯を忌まわしげに睨んだ。
だが、唇のクリームを舐めながら急に侘しさがこみ上げ、涙に目が霞む。

祐未は食べかけのケーキを皿に戻し、携帯を鷲掴みする。
メニュー画面の削除ボタンを押そうとして、ふと指が止まる。
念のため、メールアドレスをもう一度見てみた。
数字とアルファベットがランダムにならぶアカウント。
何度見ても、やはり見覚えはなかった。
だが、心の奥で何かが引っかかる。
本文に貼られた青いアドレスを見つめ、
首をかしげつつも、思い切ってタップする。
ブラウザが立ち上がり、やがて空白の画面にサイトが現れた。
それは見たこともない動画サイトであった。
動画プレイヤーの静止画面を見て、祐未はドキッとした。
「え!? これ…、私じゃないの!」
表紙に貼られていたのは、なんと祐未の写真であった。
タイトル欄は空白。
だが説明欄に目を落とすと『祐未へ』、とある。
「まさか…」
祐未は急いで再生ボタンを押した。
画面が暗転し、オルゴールの可憐な音楽が流れ出す。
すると、おもむろに写真のスライドショーが始まった。
祐未の写真が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
それは陽介が祐未を写したスナップ写真であった。
(そういえば、しょっちゅう、携帯カメラを向けられていた気がする。)
写真を見ながら、その時の様子が目に浮かんだ。
無邪気に笑う祐未、気取って笑う祐未、
ハンバーガーに大口でかぶりつく祐未…
中には、知らぬ間に撮られた横顔や寝顔、
寄り目でひょうきんな顔をする写真もあった。
どれも屈託のない、人生の春を謳歌する祐未の笑顔であった。
祐未は溢れ出る涙を拭おうともせず画面に見入っていた。

不意にオルゴールが止み、画面が動画に切り替わる。
画面の向こうから寝巻き姿の陽介が、真剣な眼差しでこっちを見ている。
「陽介!」
苦しそうに咳をしたあとカメラに向き直り、
かすれた声で、が、しっかりした口調で陽介が話し始めた。
「祐未、元気にしてるかい。
 今日は僕の誕生日。そして僕たちの初デート記念日だよね。
 なのに、こんな格好でごめんよ。
 スライドショーは楽しんでもらえたかな。
 写真はどれも、僕が二年間見つめてきた祐未の笑顔たちです。
 たまに変顔も混ざってたと思うけど、
 それもまた僕にとっては愛おしい祐未の顔なんだ。
 この先もずっと、祐未の笑顔が見られると思っていたのに…。
 君がこの動画を見ているということは、
 僕はもうこの世にはいないってことになるんだな。残念だ…。
 こんな形で君に会えなくなるのはすごく辛いよ…。悔しいよ…。
 でも、僕がいなくなっても心配はいらない。
 祐未は誰からも愛される、素晴らしい女性(ひと)だからね。
 いい出会いが絶対待ってるさ。
 祐未の幸せは僕の幸せでもあるんだ。
 だから僕に遠慮せず、どうか新たな幸せを掴んでほしい。」

間を置いてから再び話し出した声は、
少しだけトーンが明るかった。
「あと、この動画は、再生できるのが1回きりなんだ。
 こんなみすぼらしい姿を二度と見なくて済むように、
 再生後は自動的に削除されるよう設定してある。
 他の人に見られたくないしね。
 この二年間の君の笑顔は、僕だけのものだ…。
 祐未の輝く笑顔がこれからもずっと絶えることのないよう、
 心から願う。
 最後まで、ご視聴ありがとう…。」
言い終えてからも、陽介の目はカメラをじっと見据えていた。
祐未はその瞳の奥に、彼らしい精一杯の強がりを読み取っていた。
陽介の顔が画面からフェードアウトすると、
入れ替るように白い文字がすーっと浮かび上がってきた。
『追伸… こっそり祐未の子供に生まれ変わってやろうかな。』
その一文を目にして、泣き濡れた頬がわずかにほころんだ。
「あなたって人は…、どこまでもスマ…」
言葉に詰まると、祐未は両手で顔を覆い、泣き崩れた。
単発的に鳴り響くロケット花火の音。
その火影(ほかげ)が障子窓のシェイドを透かして、
むせび泣く祐未の姿を、ネオンサインのように浮かび上がらせていた。



瞼に眩しさを覚え、祐未は布団の中でゆっくり目を覚ました。
時計を見るとちょうど7時になるところだった。
テーブルにはクリームの付いた皿とビールの空き缶が寝そべっていた。
着替えと洗面を済ませ、鏡に向かう。
アイシャドーとアイペンシルを駆使して、
泣き腫らした瞼がどうにかマシになった。
鏡の奥に昨夜のことがぼんやり浮かんでくる。
病の床で咳や痛みに耐えながら、
私のためにだけ作ってくれた、真心の動画。
陽介が自分の口からメッセージを届けてくれたことが
何よりも嬉しかったし、心に響いた。
たが、もう二度とあの動画が見られないのだと思うと、涙腺が緩む。
「陽介の意地悪っ…。」

日にち薬でどんなに痛みを散らしても、
愛する者を失った悲しみは、そう簡単には消えないだろう。
だが、人間には忘却というありがたい能力がある。
それは決して薄情というわけではなく、
悲しみを乗り越えるために授かった能力、神の恩寵(おんちょう)なのだ。
そのことを陽介は最後に、祐未に伝えたかったのだろう。
祐未は陽介の言葉一つひとつを今一度噛み締め、
彼の思いを無にすまいと心に誓った。

1階の広間に下りると朝食の用意がされており、
既に何組かの客は箸をつけ始めていた。
「どうぞ、こちらにお座りください。
 今、ご飯とお味噌汁、お持ちしますね。」
お膳の上を埋め尽くす料理を見て、
祐未はひどく空腹であることに気づいた。
そういえば、昨夜はご飯らしいご飯を口にしていない。
ここの宿は、女将こだわりの朝食が評判で、
祐未も楽しみにしていた。
出来立ての手作り豆腐は、起き抜けの体に温かく胃に優しい。
秩父の名水で炊き上げたご飯や薄味に調理された野菜は、
自然の旨みをしっかりと感じさせてくれる。
特に笹にくるまれた卵の黄身の味噌漬けは女将自慢の一品で、
チーズのようなコクのある味に、恐ろしい程ご飯が進む。
朝から、素材のエネルギーを余すことなく充電させてもらった。

宿を出ると、駅へ続く細道が昨日とはまた違った表情を見せ、
朝日を浴びながら瑞々しく輝いていた。
古民家喫茶のある大通りに出ると、車の往来はまだ少なく、
信号を待たずとも渡れそうだった。
(この“再会街道”とも、しばしのお別れか。)
祐未は見収めるように、じっくりとその光景を目に焼き付けた。
信号が青になり、キャリーバッグを引きながら
祐未は横断歩道を踏みしめるように渡って行った。
歩道の上から振り向くと、
“再会街道”が『またね』とウインクするように、
アスファルトの粒をキラッと光らせた。

 
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