銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百四話 カストロプの動乱
帝国暦 487年7月29日 カストロプ星系 シュムーデ艦隊旗艦 ロルバッハ エグモント・シュムーデ
「あれがアルテミスの首飾りか」
「はい」
副官、アーリング大尉の返事を聞きながら私はアルテミスの首飾りを見つめた。
宇宙に浮かぶ姿は高貴なまでの美しさにあふれている。まさに処女神の首飾りと言って良いだろう。しかし不用意に近づけばその美しい姿からは想像もつかない恐怖を撒き散らすに違いない。
三百六十度、全方向に対して攻撃能力を有する十二個の軍事衛星。レーザー砲、荷電粒子ビーム砲、中性子ビーム砲、レーザー水爆ミサイル、磁力砲等を装備し、準完全鏡面装甲を持つ大量殺人兵器。
「閣下、攻撃は何時頃になるのでしょうか」
「宇宙艦隊司令部から連絡が有り次第というところだが、後五日程度はあれを見ながら過ごす事になるだろうな」
「それにしても司令長官閣下はとんでもない事をお考えになります」
「全くだな、アーリング大尉。私も同じ思いだよ。閣下が敵でなくて良かった」
「はい」
マクシミリアン・フォン・カストロプは五万隻以上の艦艇に囲まれ怯えているだろう。だが、こちらが攻撃をしないとなればいずれ気が大きくなるに違いない。真実を知ったときのマクシミリアンの顔が早く見たいものだ。
「例のものは準備できているか」
「はい。こちらへ向かっている最中です、明日には着くでしょう」
後は宇宙艦隊司令部からの連絡を待つだけだ。
■ 宇宙暦796年8月 5日 アムリッツア星系 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー
第十三艦隊はアムリッツア星系まで進出した。恒星アムリッツアが様々な色彩の炎を躍動させている。赤、黄色、紫、余り見ていて気持ち良い色ではない。もっともこの作戦に対する私の気持ちがそう思わせるのかもしれない。
此処まで敵の反撃は無い。やはり同盟軍を奥深くまで誘引し、補給線を断つか横から分断するかだろう。ビュコック提督達と出撃前に話したが特別な名案らしいものは出なかった。
出来る事はごく当たり前の事でしかない。周囲に索敵部隊を置き、もし敵を見つけたときには第四陣のボロディン提督の所まで後退し集結する。その上で後続を待つか、待たずに撤退するか、戦うかを判断する。
消極的なようだが、勝つことよりも生き残ることを優先すべきだし、分散して戦うよりも兵力を集中して戦う方が損害も少なく生き残る可能性は高いだろうというのが四人の一致した意見だった。
哨戒を重視した進攻だ。当然だが速度は遅くなった。いや、むしろ故意に遅くしたといって良い。総司令部は不満のようだったが私もウランフ提督も無視した。最前線が進まないのだ。遠征軍自体の進攻はゆっくりしたものになっている。
総司令部にはハイネセンから帝国の情報が送られてきている。フェザーン経由の情報だが、ヴァレンシュタイン司令長官は未だ反乱を鎮圧していないようだ。どうもおかしい、そんな事があるのだろうか?
罠だとしか思えない。フェザーンがこちらを騙そうとしているのだろうか? それともフェザーンも踊らされているのか。同盟軍は少しずつ破滅へと引きずり込まれている……。
どれだけの人間が生きて帰れるのだろう。その思いが心臓をきりきりと締め付けてくる。第十三艦隊百五十万の兵の命の重さに私は潰されそうだ。指揮官というものがこれ程の重圧をもたらすものだとは思わなかった。
いや、重圧をかけてくるのはヴァレンシュタインか。彼が相手でなければこれ程の苦しみを味わう事は無かったはずだ。
「閣下、総司令部より連絡が入っております」
「有難う」
際限なく落ち込んでいく私を救ったのはグリーンヒル中尉だった。電文を私に渡す。
~帝国軍は国内の反乱鎮圧に失敗、鎮圧軍はかなりの損害を被った。それにより帝都オーディンでは政治的混乱が発生した模様。各艦隊司令官はこの千載一遇の機会を逃すことなく急ぎ進攻されたし~
電文を持つ手が震える。ありえない、こんな事は断じてありえない。叫びだしそうだった。正直に言えば総司令部がいつかは危険に気付いてくれるのではないかと思って、いや願っていた。だが総司令部は進攻を急かしている……。
自分を落ち着かせようときつく目を閉じて深呼吸する……一回、二回。ゆっくりと眼を開けもう一度電文を見る。
~帝国軍は国内の反乱鎮圧に失敗、鎮圧軍はかなりの損害を被った。それにより帝都オーディンでは政治的混乱が発生した模様。各艦隊司令官はこの千載一遇の機会を逃すことなく急ぎ進攻されたし~
同じだった。私は思わず電文を握りつぶした。グリーンヒル中尉が驚いたような眼で私を見ている。
「グリーンヒル中尉」
「はい」
「……全艦に艦隊速度を上げるように命じてくれ」
帝国暦 487年8月 3日 カストロプ公爵領 マクシミリアン・フォン・カストロプ
帝国軍はアルテミスの首飾りを囲むようにして艦隊を配備している。やつらもこの首飾りの威力を知っているらしい。なすすべも無く囲んでいるだけだ。高い買い物だったが、それなりの価値はあったと言うものだ。
もうすぐ反乱軍が帝国軍と戦う。あの小生意気な金髪の小僧が性懲りも無く戦うのだ。イゼルローン同様大負けして帰って来ればよい。奴が敗れれば帝国政府も変わる。
大体あいつらは父を殺したのだ。奴らこそ反逆者ではないか。あげくの果てに私には相続を認めないとは、私を馬鹿にしているのか。私こそがこのカストロプの正統な支配者なのだ。
リヒテンラーデ侯が失脚すれば、私の反逆罪も取り消されるだろう。フェザーンやオーディンにいる友人たちが動いてくれる。
いずれあいつらには必ずこの礼はする。いや、私がするまでも無く帝国は反乱軍に滅ぼされ、奴らも殺されるかも知れない。それでも良い、誰も私には何も出来ないのだ。
「閣下!」
「どうした」
「敵が動き出しました」
オペレータの緊張した声に慌ててスクリーンを見る。スクリーン上には白い大きな何かが衛星に向けて直進しているのが見えた。徐々にスピードが増していく。あれは何だ?
「どれに攻撃を仕掛けてきたのだ」
「それが、十二個の衛星全てに対してあれと同じものが向かっています」
「十二個?」
何を考えている? いや、あれは何だ?
「あれは何だ? 誰か答えよ」
「……」
「誰も判らんのか、この役立たずどもが!」
スクリーンが作動し、あの物体を拡大投影した。大きい、戦艦より大きい。何だあれは、氷のように見えるが、そうなのか?
「あ、あれは、氷か?」
「……」
私の疑問にも誰も答えない。顔を見合わせるだけだ。役立たずどもが! 何のためにお前たちは居るのだ? しばらくしてオペレータが答えた。
「衛星からあの物体の成分が送られてきました。あれは氷です。間も無く衛星が攻撃を始めます」
やはり氷か。馬鹿な、氷など何の役に立つ、ぶつかる前に破壊されるのが落ちだ。ヴァレンシュタインめ、虚仮脅しをしおって。攻撃が始まった。レーザー砲が氷を襲う。効かない! 氷からは水蒸気が上がるだけで何の効果も無い……。
衛星は次々とレーザーを発射するが氷は直進を止める事は無い。馬鹿な、このままでは衝突する。あれがぶつかったら衛星は……。
「氷が、間も無く衛星に衝突します」
オペレータの怯えたような声が部屋に響く。どうすれば良い。あれがぶつかったら衛星は……。
帝国暦 487年8月 3日 カストロプ星系 シュムーデ艦隊旗艦 ロルバッハ エグモント・シュムーデ
「アルテミスの首飾り、全滅しました」
アーリング大尉が何処か放心したような声を出した。気持ちは分かる、反乱軍の誇るアルテミスの首飾りが一瞬にして全滅したのだ。味方でさえ呆然としている。敵の混乱はどれほどのものか。
「マクシミリアン・フォン・カストロプとの間に通信を開け」
私の命令に艦橋の人間たちがわれに返ったように動き出す。やがてスクリーンにマクシミリアンが映った。眼が血走っている。恐怖で動転しているのか……。
「マクシミリアン・フォン・カストロプ。私はエグモント・シュムーデ中将だ。降伏したまえ、命は助ける」
「嘘だ! 帝国が反逆者を許す事などありえん。私を騙すつもりか?」
「宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン上級大将の言葉だ。降伏すれば、命は助ける」
「……」
「卿が降伏しないと言うのなら私は次の命令を発する事になる。……マクシミリアン・フォン・カストロプを殺した者は今回の反逆を終結させた功労者として遇す。当然今回の反乱に参加した罪は問わない」
マクシミリアンはぎょっとした表情で周りを見渡す。そして恐怖で血走った眼で私をにらみつけた。
「ひ、卑怯だぞ、シュムーデ」
「降伏か、それとも部下に殺されるか、五つ数える間に決めたまえ。一つ、二つ、三つ……」
「降伏する! 頼む、殺さないでくれ! 部下を止めてくれ」
マクシミリアンは恐怖の余り悲鳴のような声を上げて降伏した。
「マクシミリアン・フォン・カストロプの降伏を受け入れる。これ以後、彼の身柄は帝国軍の管理下にあるものとされる。いかなる意味でも彼に危害を加える事は許されない」
私の言葉にマクシミリアンはホッとしたような表情を浮かべている。どうやら本当に部下に殺されると思ったらしい。人望など欠片も無いようだ。だがこの男に死なれては困る、やってもらうことが有るのだ。
「反乱の首謀者であるマクシミリアンでさえ助命される。反乱に参加した者たちがマクシミリアンを超える処罰を受ける事は無い。ただし、これ以後抵抗するような事があれば、それに対しては容赦する事は無い」
私が話を終えると部下たちからも降伏を申し入れてきた。反乱は終結した。しかしまだ終わりではない、副司令長官に反乱の鎮圧を報告し、カストロプで新たな任務につかなければ。
「閣下、上陸後の手順ですが、最初にフェザーンでよろしいでしょうか?」
「そうだな、最初にフェザーン、次にオーディンに居る協力者だな」
「……我々は何時まで此処に居るのでしょう?」
「今回の反乱軍の侵攻が終わるまでだ。我々の任務はカストロプの反乱の鎮圧とフェザーンに対する欺瞞工作だからな」
私はアーリング大尉に答えながら外を見た。外には五万隻以上の大軍が居るように見えるだろう。しかしその殆どがダミー艦だ。
ここに居るのは私の率いる三千隻のみ。他は皆シャンタウ星域に向かっている。今頃は既にリヒテンラーデについた頃だろう。
司令長官の策は確実に敵を絡め取りつつある。カストロプ、フェザーン、オーディン、そして反乱軍。その全てを反乱軍撃滅に向けて動かしている。今月中には全てが終わっているだろう……。
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