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火影の夜窓(ほかげのやそう)

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第二章 水入らずの旅

午後3時過ぎ、西武秩父駅へと降り立った。
改札を出ると、仲見世通りの提灯ゲートが出迎えていた。
奥までまっすぐ続く垂れ幕が、観光気分を思い切り煽ってくる。
だが、祐未は仲見世とは反対方向へと歩き出した。
右手に伸びる細道に入りしばらく進むと、やがて大通りに出た。
(今のところは、地図で予習した通りの行程ね。)
地の利がごく自然に読めた自分に、なんだか自信が湧いてきた。
信号を渡った角で、和風の喫茶店が目に入る。
「ねぇ、あそこ見て。民芸茶房だって。
 小腹が空いたし、ちょっと寄ってみようか。」
見えない相手にぶつぶつ言っているところをうっかり見られたのか、
正面から来た男性がぎょっと視線を固めたまま通り過ぎて行く。
その背中をチラッと見送り、
「見られちゃった…。」照れて伏し目になる祐未。
《ほらほら、気にしないで。》
「うん、そうよね。行こ。」
気を取り直して歩き出す。

喫茶店の入口は開いたままになっていて、
横の格子戸に手書きのポスターが貼ってある。
(展示会だって。ふーん、アートギャラリーにもなってるんだ。)
《もしかして、オーナーさんも芸術家なんじゃないの。》
(ああ、そうかもね。)
中に入ると、木製のなだらかな階段が2階へといざなう。
階段を一段ずつ踏みしめるごとに、
木目に染み付いた(いにし)えの匂いが立ち上る。
やがて、大正時代に迷い込んだような、情趣溢れた店内が見えてきた。
まず目を引くのが、要所に配された民芸家具と絵画の数々。
天井には木の曲線をそのまま活かした黒い梁が何本も組まれ、
ランプの明かりが、店内をセピア色に照らし出している。
「どうぞ、お好きな席に。」マスターに促され、
正面に見えた窓辺の席に座った。
障子からもれる明かりがやさしいな、
と思いながら横の壁に視線を移して、一瞬目を疑った。
レトロな真鍮製の蛇口が不自然な高さに取り付けられている。
しかも、下に受け鉢は見当たらない。
(うん? …飾り?)
《ふふ、変わってるね。
 頭がぶつからないように気をつけるんだよ。》
向かいの壁には旗のような細長い布が掛かっており、
中世の衣装を着た中国の偉人らしき肖像が、緻密に描かれている。
この不思議な空間。どこを見ても飽きさせない。

携帯で検索してみると、ここは古民家の納屋を
改装して作ったお店で、手作りプリンが人気らしい。
メニューにもたしかに、プリンが載っている。
(これは絶対外せないね。陽介も好きだもんね。)
《いいね、プリン。久しぶりだな。》
そこへ「いらっしゃいませ。お決まりですか。」と
母親くらいの女性がお冷を運んできた。
「はい。ええと、ミックスピザと…、アイスココア、
あと、このプリン、お願いします。」
「プリンは食後にお持ちしますか?」
「いいえ、全部一緒で結構です。」
「かしこまりました。」
女性がテーブルから離れると、祐未はすかさず、
辺りの風変わりなインテリアを携帯カメラに収め始めた。
(なんか、変わってるけど落ち着ける、このお店。)
《長居してしまいそうだね。》
お冷で一息入れていると、早速一品運ばれてきた。
「お待たせしました。アイスココアです。」
そのグラスもまた、ちょっと個性的だった。
大きな飲み口から下へ向かうほど平たく潰れ、くびれている。
(こういうお店って、食器にもこだわりが見えるよね。)
《うん。見てごらん。キッチンの棚にも
 年季の入った和食器がいっぱい並んでるよ。》
(ほんとだ。)
ストローで吸い上げ、勢いよくココアを喉に流し込む。
(うーん、ミルクチョコが冷たくて美味しい!)
《僕にも飲ませて。》
(いいわよ。お好きなだけどうぞ。)
グラスのココアが半分になった頃、
今度は熱々のミックスピザが運ばれてきた。
祐未はピースの尖った先から、ほふほふ言いながら頬張る。
(うーん、このチーズの塩気がたまらない。)
《汗で失った塩分がこれで補えるね。》
(ほんと、体が欲してたみたい。どんどん食べれちゃう。)
いよいよお待ちかねのプリンが来た。
白いガラスの器にたっぷり注がれたカラメルソース。
その中央にそびえ立つ、ふくよかなプリン。
“す”が入った側面に、素朴な手作り感が出ている。
《風格があるなぁ、このプリン。祐未、食べないの?》
(だって、なんか崩すのもったいないんだもの。)
《いいから、食べて感想を聞かせて。》
(わかった。)
一口すくって食べてみる。
舌の上でひんやりした柔肌がとろっと崩れ、
カラメルの苦味と混ざりながら、するすると喉をすべり下りる。
(ああ美味しい。期待通りの味。)
《ほんと? 僕にも食べさせて。あーん。》
すくったプリンを陽介の口もとへ運ぶ。
《うーん、美味いっ! ほろ苦い甘味が後を引くなぁ。》
キッチンから注がれる視線をよそに、
祐未はいつまでもごっこ遊びに浸っていた。

会計を済ませると、オーナーが二冊のまめ手帳をくれた。
見れば表紙に、手描きの招き猫。
どうやら二冊とも手作りのようだ。
これは嬉しい。店への愛着が一気に増した。
(寄り道して正解だったね。)
《うん、またいつか来ようね。》
祐未は満足げに頷くと、店を後にした。
(さあ、4時を過ぎたから、宿へ向かいましょう。)
店の横道をまっすぐ歩いて行くとT路地に突き当り、
そこを右折した時だった。
背後で突如花火が打ち上がった。
バン、バンバンバン!!
間を置いて、同じリズムで三回。
すると、向こうから歩いてきたおばあさんが、
空を見ながら声をかけてきた。
「今日は祭りをするんかねぇ。」
「えっ?」
(なんのことかしら…。)
《あの花火、祭りを開催する合図なんじゃないの?》
おばあさんがまた繰り返し尋る。
「今日は祭りをするんかねぇ。あっちの川で。」
「ああ…、そう…かもしれませんね。
 さっきの花火、その合図でしょうかね。」
祐未は動揺しつつも、うまく話しを合わせて笑顔を作った。
けれど、おばあさんは一度も祐未と目を合わさず、
空を見上げたまま、一人歩いて行ってしまった。
《おばあさん、祐未のこと地元人と間違えたんだね、きっと。》
(ふふ、そうみたい。)
再び歩き出そうとして、目の前の分かれ道に歩が止まる。
(たしか、こっちのはずなんだけど…。)
ためらいつつも左へ曲がると、すぐに古民家風の宿が見えてきた。
(あ、着いたよ。あそこ。)
《へぇ。これまたノスタルジックな佇まい。》

ガラガラっと戸を開ける。
「こんにちはー、今夜お世話になりますー。」
受付には誰の姿も見えない。
靴を下駄箱に入れ一段上がると、奥の台所から会話が聞こえてきた。
「すみませーん、…すみませーん!」
呼びかけるも反応なし。
湯気がもうもうと玄関まで立ち込めている。
「すみませーん、すみませーん!」
何度も呼びかけて、ようやく中から女将が現れた。
「あら、ごめんなさい、気がつかなくて。いらっしゃいませ。」
「予約した高橋です。」
「はいはい、高橋様ですね。
 では、恐れ入りますが、先払いでお願います。」
慌てて財布を取り出し、言われた額を揃えて出す。
「……はい、ちょうどですね、ありがとうございます。
 それでは、レディースプランですので
 この中からお好きな物をひとつどうぞ。」
カゴの中には自然派化粧水や石鹸、アロマエッセンスなどが入っていた。
祐未は迷った末に、竹炭が織り込まれたタオルを選んだ。
「それじゃお部屋へご案内しますね。」
2階に上がり薄暗い廊下を進むと、
右奥に“空き室”の札が下がった貸切風呂の入口が見えた。
「すぐそこがお風呂なんで、混んで来るとちょっと煩くなるかもしれないけど。」
女将はそう言って、一見木戸の一部にも見える
横長の取っ手を浮かしながら部屋の鍵を開けた。
戸を押し開くと軋んだ音がして、中から陽光がもれてきた。
「昔の鍵だから、開けるのにちょっとコツがいるんですよ。
 中から取っ手の木鍵をスライドさせて締めれば、
 外からは絶対開かない仕組みになってますので、ご安心くださいね。」
部屋へ通されると、格子窓からそよぐ風が涼しい。
板の間には真っ赤な座面の木の椅子が二脚と
勾玉(まがたま)のような形のガラステーブルがあり、
それらが部屋を和モダンに彩っている。
隣の畳敷きは50センチほど上がりになっていて、
一人分の布団が敷かれていた。
「冷蔵庫はコンセントを抜いてありますので、
 使う時に差し込んでください。では、ごゆっくり。」
女将はそう言うと、テーブルに鍵を置いて出て行った。
(ああ、洗面台の下に冷蔵庫もあるんだ。ビールあとで冷やしておこうかな。
 はぁ、いい部屋ねぇ。くつろげそう。)
さきほどの古民家喫茶と同じ匂いがする。
《お洒落だよね。中がこんなだとは思わなかったよ。》
畳部屋の押入れを覗くと、バスタオルと部屋着が入っていた。
(あ、そうそう、今のうちにお風呂入っちゃおうか。)
とそこへ「すみません、お邪魔します。」と声がした。
戸を開けると、女将がお盆に何かを乗せて部屋に入ってきた。
「お赤飯を炊いたんです。
 少しですけど、召し上がってくださいな。」
(ああ、さっきの湯気はそれだったんだ。)
浅いお椀に盛られたつやつやのお赤飯。
その上にはごま塩、きんぴらごぼう、南天の葉が添えられている。
「うちは片泊まりなんで、本来は夕食をお出ししないんですが、
 今日はお祭りだから特別に。」
「ありがとうございます。
 そういえば、さっき花火が上がってましたね。」
「ええ、夜は花火大会もありますよ。祭りには行かれるんでしょ?」
「え? ええ…」
「ん…まあ、…部屋からも花火は見えますけどね。」
祭りを見物しに来た客ではないらしいとわかると、
女将は少し怪訝そうな顔で部屋を出て行った。

携帯で調べてみてようやくわかった。
今日は川瀬祭の日だったのだ。
有名な秩父夜祭は以前から知っていたが、
梅雨が明けたばかりのこの時期に、
夏祭りがあるとは思ってもみなかった。
小中学生が主役の祭りだそうで、
今日は昼から市内を山車が巡行しているらしい。
夜になると屋台4台、笠鉾4台が秩父神社に集まり、
高さ6メートルの柱を立て、スサノオを迎える神事が行われるのだという。
それが終わる頃、盛大な花火大会が始まり、
深夜には若者が荒川の水を汲んで町内に撒いて清める
「お水取り神事」も行われるそうだ。
祭りは明日まで続くらしい。
お裾わけの赤飯を頬張りながら、祐未は少し迷っていた。
(祭り会場は相当な人出だろうな。
 今夜は陽介の誕生日を二人きりで祝いたいんだけどな。)
《せっかくだから、行ってみようよ。》
(そう? …そうね。
 考えてみれば、陽介の誕生日にお祭りだなんて、嬉しい偶然よね。
 じゃあ、お風呂はどうする?)
《祭りがあるんなら、夜遅くなると、家族連れで混むんじゃないかなぁ、風呂。》
(そっか。じゃ、今のうちに入っちゃおっか。)
祐未はバスタオルを脇にはさんで、
カラになったお椀を1階の台所口まで下げに行くと
そのまま部屋には戻らず、貸切風呂へと向かった。
他にチェックインした客は居ないようで、廊下はしーんと静かだ。
風呂の入口にかかった札を“使用中”に裏返し中へ入る。
カゴにタオルを置いて、脱いだ衣服を入れていく。
《うわ、久々に見たな。祐未の裸…》
(いいわよ、じっくり見てちょうだい。)
《あ、首の辺りが赤いよ。》
(え?)
《お湯に入ったら痛そうだなぁ…》
(やだぁ、そんなに?)
壁の鏡に背中を映すと、首から肩にかけて赤く日焼けしていた。
どおりでヒリヒリするわけだ。
(しまった… 日焼け止め塗っておくんだった。)
《祐未は肌が白いから、すぐ赤くなるんだよな。》

浴室に入ると細かいタイルが足裏のツボを押してくる。
L字型の浴槽には余裕で5~6人は入れそうだ。
(さ、汗を流しましょう。)
白肌に手桶の湯をたっぷり這わせ、静かに湯の中へ足を沈める。
肩まで浸かれば、やわらかい湯に体の芯からほぐれた。
(はぁ~、気持ちいい。ちょっとしみるけど…。)
《ああ~、いい湯だねぇ。
 やっぱり風呂はこうして、足を伸ばして入るのが一番だね。》
窓から下りてくる涼風が湯気に当たると、白い粒が小さく渦を巻く。
その中に、白い歯を見せながら笑う陽介の顔が見えた気がした。
「陽介…。ちゃんとそこに居るのね。」
嬉しさと寂しさが入り乱れ、
笑顔の目から、涙がぽとりとこぼれ落ちた。
 
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