銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第九十九話 焦土作戦
■ 帝国暦487年 6月23日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エルネスト・メックリンガー
新無憂宮より戻ってきたヴァレンシュタイン司令長官が各艦隊司令官を会議室に集めた。例の新しく作った会議室だ。会議を始める前に司令長官付きの女性下士官達が笑顔で好みの飲み物を訊いてくる。
女性下士官たちは皆美人だ。一瞬此処が会議室であることを忘れそうになった。皆コーヒーを頼んだが、司令長官だけはココアを頼んだようだ。彼女たちが飲み物を運んでくるまで雑談で時間を潰す。
彼女たちの所為だろう。会議室の雰囲気は何処と無く浮ついた感じがする。提督たちの表情にも笑顔がある。可笑しなことに女性下士官達が飲み物を配るときは皆無言になった。
飲み物が配り終わり、会議室の中が男だけになると穏やかな表情で司令長官が話し始めた。
「先程、国務尚書閣下に新無憂宮に呼ばれました。フェザーンの帝国高等弁務官、レムシャイド伯から連絡が有ったそうです」
フェザーン? 提督たちの間で視線が交わされる。我々が司令長官の命令で“フェザーン討つべし”の声を上げたのは、一月以上前の事だ。それ以後、軍の中では反フェザーン感情は強い。
あの件に関わりがあるのだろうか? フェザーンへの軍事行動が起きるのだろうか? 司令長官はココアを一口飲むと言葉を続けた。
「自由惑星同盟を僭称する反乱軍が帝国領への出兵を決めたそうです。動員兵力は三千万を超えると」
「!」
三千万! 大軍を指揮統率するのは武人としての本懐だが三千万か。敵ながら天晴れと言うべきか。提督たちの間から吐息が漏れる。
「これの意味する所は明々白々、反乱軍は帝国の中枢部に全面攻勢をかけるということです。反乱軍は遅くても七月の末には帝国領に攻め入ってくるでしょう」
七月の末には帝国領に三千万の大軍が攻め込んでくる。思わず武者震いが出た。それにしてもよくそんな落ち着いた表情で話せるものだ。
「驚くことでは有りません」
「?」
「反乱軍に攻め入るように仕向けたのは私なのですから」
「!」
攻め入るように仕向けた? どういうことだ? 皆驚いた表情で顔を見合わせ、司令長官を見る。しかし彼は私達の驚いた様子が可笑しかったのかクスクス笑っている。
「これから話すことは他言無用に願います」
笑いを消し、厳しい表情を浮かべ司令長官は我々を見渡して言った。思わず首を縦に振ったが私だけではないだろう、皆同じはずだ。
「私は陛下の余命は長くないと思っています」
「!」
会議室の中が緊張に包まれた。司令長官の大胆な予測に私たちは思わず司令長官の顔を見る。彼は少しも動じることなく言葉を続けた。
「陛下に万一のことがあれば帝国は内乱状態になりかねない。そこを反乱軍につかれれば、帝国は大混乱になるでしょう。最悪の場合、滅びる事もありえると考えています。ですから、今攻め込ませました」
なるほど。今なら反乱軍も万全の状態ではない。その状態で攻め込ませたほうが勝つ可能性はかなり高いだろう。司令長官の考えは判る、判るが……。
「これについては、国務尚書、軍務尚書、統帥本部総長、そして陛下にも御理解をえております」
「!」
陛下にも御理解を得ている。つまり、帝国領内に誘い込んでの撃滅は帝国の決定方針と言う事か。先程から驚かされてばかりだ。
「質問があります」
手を上げたのはロイエンタール提督だった。
「どうぞ」
「敵を撃滅すると言いましたが具体的にはどうするのでしょう?」
確かにロイエンタール提督の言うとおりだ。言葉に出すのは容易いが実現は難しい。どう考えているのか。
「反乱軍を奥深く誘い込み、前後から挟撃することになるでしょう」
挟撃、しかしうまく行くのだろうか?
「閣下」
「何でしょう、メックリンガー提督」
「挟撃と言いますが、上手くいきましょうか。敵に気付かれずに後背に回り込まなければなりませんが?」
何人かの提督が頷いている。当然だろう、敵に気付かれれば後退されるか、防がれるか、どちらにしても失敗しかねない。
「それについては、今手を打っています。未だ話すことは出来ませんが、上手く行けば挟撃は可能だと考えています」
穏やかな表情で司令長官は話すとまた一口ココアを飲んだ。
上手く行けばか……。まあこの人の事だ。上手くいかせるのだろう。となれば私たちは艦隊の錬度を再確認しておくべきだろうな……。
■ 帝国暦487年 6月23日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
三千万、おそらく正規艦隊だけで十万隻を超えるだろう。手は打った、おそらく上手くいくはずだ。同盟軍は前後からの挟撃で大打撃を受けるだろう。最低でも原作レベル、七割は潰したいものだ。
原作同様焦土作戦を取る事も考えたが、辺境星域二億人が飢餓地獄に喘いだ事を考えるとどうも気が進まない。それにあれはただ勝てば良いという発想から生まれた作戦だ。政治的なマイナス面の影響が大きすぎる。取るべきではない。
俺がこの世界に来てから感じたことがある。帝国では軍は国民を守るという概念が非常に希薄だと言う事だ。彼らは皇帝の軍隊だ。極端な事を言えば皇帝を守るために有るといっていい。国民を守るためではない。
おまけに同盟との戦争が始まって以来、同盟領に攻め込んでの戦いばかりだった。自国民を守ると言う意識が無いのも無理は無いだろう。その事が自国民の軽視に繋がっている。
原作でミッターマイヤーをはじめ平民出身の軍人たちが焦土作戦に驚愕はしても反対していないのがその証拠だ。同盟で同じ事が起きたら暴動が起き、政府が転覆しただろう。
焦土作戦のマイナスが最初に出るのがリップシュタット戦役だ。キルヒアイスは辺境星域の制圧に向かうが、彼は大小六十回以上戦っている。少し多くないだろうか? 本隊だとて六十回以上も戦っただろうか?
おそらく辺境星域にはラインハルトに対する恨みが骨髄まで染み込んでいたはずだ。当然だろう、食料を奪われ飢餓地獄に追い込まれたのだ。体力の無い人間から死んだとなれば犠牲の多くは老人、女子供だろう。
アムリッツア会戦が終了したのは帝国暦487年の十月だ。リップシュタット戦役が始まったのは翌年四月。いくら平民の味方だと宣言しても飢餓地獄に追い込まれた人間が僅か半年で“はいそうですか”と信じるだろうか。
“ふざけるな”の一言で終わったろう。辺境星域の戦いが多かったのはそのせいだ。貴族たちは搾取はしたかもしれないが飢餓地獄には落とさなかった。その一点で辺境星域の平民は貴族達を支持したのだと思う。
キルヒアイスがただ勝てば良いという発想から脱却したのはこの時だろう。彼がヴェスターラントを非難したのはその所為だ。一方ラインハルトはそれが判らなかった。
ラインハルトから見れば辺境星域で二億人を飢餓地獄に追い込んだ時は何も言わなかったのにヴェスターラントの二百万で何故それ程非難するのか、そんな意識があったのではないだろうか? それがガイエスブルク要塞の悲劇に繋がった……。
そしてこの焦土作戦はキルヒアイス以外の人間にも影響を与えている。先ずルッツ、ワーレンだ。彼らはキルヒアイスの副将だった。キルヒアイス同様、焦土作戦のマイナスに気付いたに違いない。あるいは彼ら三人の間で話し合ったことがあったかもしれない。
キルヒアイスとラインハルトの決裂についてもオーベルシュタインのナンバー・ツー不要論よりも戦いに対する考え方の違いが原因だと判断しただろう。キルヒアイスと決裂したラインハルトに対して不信感を持ったのではないだろうか?
ルッツはラインハルトを守って死んでいる。何処かで気持ちに折り合いを付けたのだろうか? あるいはイゼルローン要塞陥落の責任を取ったのかも知れない。
ワーレンはどうだろう。俺はワーレンはラインハルトに対し不信感を最後まで抱いていたのではないかと思う。ロイエンタールが反乱を起したとき、ビッテンフェルトがワーレンに問いかけている。
“皇帝が俺を討てと言ったらそれに従うか” ワーレンはほとんど間髪を置かず“ヤー”と答えている。常に無条件にラインハルトを礼賛するビッテンフェルトに対しどこかで反発していたのではないだろうか。
そしてケスラー。焦土作戦では初恋の女性を犠牲にされ、皇帝誘拐では彼自身が処断される寸前だった。到底ラインハルトを信用できなかったろう。それ以外にもブラッケ、リヒターたちの文官達がいる。
彼らにとって辺境星域の統治は悪夢だったはずだ。いくら善政を敷こうとしてもトップであるラインハルトに対し根強い反感を抱いているのだ。素直に統治に協力したとは思えない。当然ブラッケ達はラインハルトの政治家としての資質に深刻な疑問を抱かざるを得なかっただろう。
色々な意味で焦土作戦は悪影響をもたらしたと思う。たとえ勝利が不徹底なものになろうと俺は焦土作戦を取るつもりは無い。そのほうが将来的にはプラスに成ると思うからだ。
ちなみに俺が一点だけ気になっていることがある。それはラインハルトが焦土作戦の実施以後、辺境星域に行った事が無い事だ。偶然なのか、それとも彼自身何か感じるところが有ったのか。俺としては後者であって欲しいと思う、切実に……。
ページ上へ戻る