満願成呪の奇夜
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第13夜 上位
漆黒の中にぽつんと浮かぶ二つのカンテラが照らし出す戦場の上で、二つの影が躍る。
「そこだっ!!」
トレックは相手の正面に立たぬよう間合いを取りながら闇から飛び出した呪獣――これまでの個体より人の形に近い――に『炎の矢』を放つ。炎の弾丸は正確に呪獣の脳天を貫き、顔から肩にかけてが呪法の火につつまれてぼろぼろと崩れ去る。
呪法には基本的に詠唱といった行為は必要ない。最初に呪獣と相手取ったときに態と術の名前を唱えたのは、より精密な力の調整が必要な際にそうするよう教え込まれたからだ。つまりはどんな状況でもそれを唱えれば反射的に術が放てるようにと仕込まれたルーチン。今はそれを行うほど心に余裕がない訳ではない。
いや、そもそも詠唱が呪法に必須な場合、ギルティーネは呪法師に決してなれないだろうが。
トレックとは反対方向から、放物線を描いて跳躍した呪獣をギルティーネがサーベルで無造作に切り裂いた。呪法は籠っていないが、余りに鮮やかな太刀筋をまともに受けた呪獣が怯む。しかし、その隙は不覚にも出してしまったものではなく、彼女によって故意に作りだされた隙だ。
「―――ッ!!」
ギルティーネは裂くと同時に火打石を回転させるワイヤーを引いて火花を散らし『疑似憑依』を発動。返す刃が纏う炎が呪獣を瞬時に焼き尽くし、絶叫をあげる間もなく闇に沈んだ。
だが、直後に合流しようとした二人に怒声のような叫びが届く。ドレッドの声だ。
「二人とも、そちらに厄介な呪獣が行った!警戒されたし!」
「な――」
に、と続く声を呑み込んだトレックは大地を全力で蹴り飛ばして跳躍した。直後、鈍色の影が凄まじい速度で二人の間を通り抜けていく。一瞬判断が遅れれば馬車に跳ねられるように吹き飛ばされていた所だ。トレックは急な危険に焦るとともに、忠告を飛ばしたドレッドに怒りの声をあげる。
「おい!!そっちで戦っていた呪獣ならそっちで片づけろ!!締約を破る腹積もりか!?」
「謝罪はするが、仕留めようとはした!故意ではなく純粋に失敗したのだ!君は呪獣の姿を見たか!?」
「ああっ!?さっきの鉄の色をした奴だろ!!………待て、鉄の色だと?」
複数の呪獣を同時に相手取りながら返答するドレッドの声に、トレックははっとした。呪獣は全て例外なく漆黒の皮膚を身に纏う。色違いなんてものはない。
だとすれば、先ほどの存在は呪獣ではなく猛獣の類だったのか?いや、それは否だ。狂暴な獣は呪獣を手出しできない格上と判断して距離を置きたがる為、呪獣との戦いには乱入してこない。呪獣は人を襲うが、人を襲う時に邪魔な存在も襲う。それを獣たちはよく分かっている。
そこまで考えて、ドレッドはある恐ろしい推測を弾き出し、戦慄した。
「なら、まさか!?」
『ル゛ゥゥルルルルルルル…………ッ!!!』
カンテラの照らす光のサークルの外から、聞くも悍ましい醜悪な獣の唸りが聞こえる。
その獣がいる位置には、普通なら闇に融けるはずの微かな光が「高悪のある何か」に反射して微かに瞬いていた。その「何か」がギルティーネに狙いを定めるのと、彼女が剣を振るうのはほぼ同時だった。
直後、ガキィィィィィン!!と、金属同士が衝突する音。
ギルティーネの斬撃が完全に弾かれ、彼女の華奢な体が宙を浮く。
最悪の光景が脳裏をよぎり、トレックは咄嗟に手を伸ばす。
「ギルティ………ッ!?」
だが、それはギルティーネにとっては不要な行為だった。
彼女は空中で体を回転させながら全身のばねを効かせて危なげなく着地し、瞬時にトレックの下に舞い戻ったからだ。その光景にホッとするのもつかの間、彼女を吹き飛ばした後に再び闇に突進するそれの姿を、今度は間違いなく確認した。
背中の黒い皮膚と、体の前面を覆う人工的な物体を、確かに見た。
そうだ、色が漆黒ではないと言う事は、その漆黒の皮膚の外に更に鉄のような色の何かを纏っているということだ。推測が的中して欲しくなかったトレックと、ドレッドの忠告の声とはもった。
「「奴は、人の鎧を纏った上位種の呪獣!!」」
『鉄』の呪法の唯一の弱点……「同程度の硬度を持つ物質には効果が薄い」という点をカバーする、古代の兵士の鎧をまとった上位種の呪獣が、戦場に乱入した。
上位種――その言葉が実感を伴った瞬間、トレックは背筋に冷水を浴びせられたような悪寒を覚える。
脳裏をよぎった記憶は、「5割」。
この割合は、上位種の呪獣と戦闘を行った時に死者ないし重症者を出す確率を表している。
上位種の呪獣は出現の予兆など無いし、どのような戦法を取るのかも相対するまで分からない。最悪の場合だと対抗手段を編み出せないまま全滅することもありうる。呪法師のチームは生きて帰るか全滅するかの二択である場合が多く、そのうちの7、8割程度上位種の呪獣に殺害されていると呪法教会は推測している。
つまり、今、控えめに見てもこの二つのチームが犠牲者を出さずに上位種の呪獣を倒せる確率は50%しかないのだ。そしてその50%にトレック自身が含まれていない保証はどこにもない。
ここで、トレック・レトリックという男は何の結果も出せずに闇に沈むかもしれない。
(何で……何でよりにもよって俺が試験する日の、俺の所に来るんだよ!来るんなら別の学徒か砦の呪法師のでも挑んで来いよッ!何で、俺に他の連中と同じように運よく試験を突破させてくれないんだ……!)
顔は青ざめていくのに、最初に呪獣を倒したことで抑えこんだはずの死への恐怖心が瞬時に沸騰した。非生産的でヒステリックな感情が爆発しそうになる。死にたくないのなら戦わなければいけないのに、死にたくないという恐怖心が戦いへの忌避感から体を震えさせる。
だが、残酷な事に逃走はありえない。闇に生きる呪獣と闇の中で追いかけっこをしてもどちらが不利なのかは目に見えている。先手必勝の速攻撃破も無理だ。相手に先手を取られている。選択肢は自然と呪法師の基本である迎撃に絞られていた。
殺せるのか、自分にあれを――自問したトレックは、生唾を呑み込む。
(た、戦ったら殺されるかもしれないだろ……!だったらいっそドレッドを見捨てて……駄目だ、いまチームを分断したら人数の少ない俺達の方が不利だ!だいたい逃げ出した時にギルティーネさんは俺に着いてきてくれるのか?そも、生き延びた後で呪法師失格の烙印を押されるかもしれない……いやでも、それで俺が生き残れるなら………)
死への恐怖を拭えない人間に、戦うという選択肢を積極的に取れる度量がある筈もない。故に誇りを捨ててでも生き残る方法へ思考が流れる。
だが、己が握る拳銃に目を落としたトレックは思い出す。
『呪法師の誇りにかけて』――悪魔に誓った盟約。より多くが生き残る為に、ひとつの能動的戦闘集団となる事を誓い合った時の感触が、臆病者の自分に待ったをかけた。
戦うのか?
戦わないのか?
戦うしか、ないのか?
(くそっ、どうする……どうすれば……っ!!)
拳銃を握る手が震え、脂汗が頬を伝う。
頭の中でギルティーネの攻撃を弾いた獣の姿が何度もリフレインされる。
駄目だ、自分が敵う相手じゃない――。
「奴め、突進と同時に俺達を突破して闇に潜るのか……これでは誰を狙って突っ込んでくるのか予測がつかない!おまけに万が一光に体を蝕まれていても、視界から外れた隙に闇がダメージを癒す!どうする、トレック君。何か策を講じなければ――トレック君?」
「え………あ、ああ」
言われて、はっとする。ドレッドが険しい顔でこちらを見ていた。こちらを叱咤する意図ではない、目の前に迫る危機に対処するために集中力を高めているが故だ。トレックはまだ戦いに気持ちが向かないまま、とにかく思いついたことを喋る。
「着こんでる鎧は、大昔の呪法師が使ってた奴……だな。呪法式の影響で壊れにくく、酸化もしない。拳銃も剣もあれが相手じゃ効果が薄いだろう」
「妥当だな。かといって下手な『地』や『熱』の呪法ではあの突進速度に対応できまい。下手の鉄砲で当たったとして、闇に逃げ込まれたら傷が癒える。消耗戦になればこちらに勝ちの目はない」
「人間が着込むと重量がかさむだけなのに呪獣が着ればこれか……悲しくなるよ」
「しかして、我々には悲しんでいる時間はない。今出会った以上、今撃破するしかあるまい。なまじ逃げられたとして、その後に別の試験参加者を襲うのでは呪法師として本末転倒だ」
その言葉は、トレックの胸を抉った。先ほどまで「自分以外の相手のところに行け」と内心で叫んでいたのを真正面から否定された形になる。トレックが自分本位の我儘を吐き捨てようとしている時、ドレッドはもう呪法師として呪獣と戦う事を決断していたのだ。
気高いドレッドと醜いトレック。痛烈な自己嫌悪感が圧し掛かる。
同時に、トレックは思う。
(決断が早すぎる。迷いが無さすぎる。恐怖をまるで感じてないように『振る舞えすぎる』。そんな態度、普通の人間には出来ない………やっぱり『欠落』持ちと俺は、違う生き物なんだな)
ガルド・ステディは既に雑魚呪獣を蹴散らして臨戦態勢に移行し、ギルティーネはトレックをの斜め前で油断なくサーベルを腰だめに構えている。その姿は人形のように忠実に教練に倣っているようでもあり、誰かを庇う守護者のようでもある。
自分の命が懸かった瞬間だと理解して尚、迷わずに前へ進む選択を取る。
それは、普通の人間では失敗のリスクや恐怖を覚えて躊躇うものだ。失敗すれば自分が危ういのだから当然のことだ。精神の根底には自己保存機能があるのだからトレックの選択はおかしくない。
おかしいのは、こいつらだ。
生存本能を押し殺して、自分個人とは異なる集団的な目的のために苦難に殺到する。そんな存在を、果たして自然な人間と言えるのか。『欠落』のせいで人間に大切な何かまで母体に置いてきてしまったのではないのか。それこそが、こいつらに架された「躊躇えない」呪いなのではないだろうか――。
そこまで考えて、トレックは気付く。
(でも………そうか、俺はそんなおかしい連中に合せて戦う世界に足を踏み入れたんだ。これから出会う連中も、皆そうして戦いに赴く、或いは覚悟がないから絶対に赴かないと判断している)
戦いが出来ない呪法師は、学者の道を進む。トレックが本当に戦えないのなら、その時に決断して前線を目指さないと決めればよかったのだ。なのに自分はこちらを選んだ。
(なら、俺はここで『戦う事も選べる』筈だ。俺の感情がどうあれ、『普通であること』を曲げながら進むことが結果的に生き延びる事に繋がるというのなら――!)
表面上でいい、一時的でもいい。今まで相性の悪い相手とも何とか接してきたように、相手に合わせて柔軟に対応する。これまでそうやって生きてきたのだ。これからだって、トレック・レトリックという男はそうして戦う事が出来る。
思考がクリアになっていく。鎧の上位種の特徴とこちらのとれる策を加味して、トレックは手荷物の中から水筒を取り出した。ただし、中身は試験に持ち込みが禁じられている飲料用の水ではなく、呪法の触媒として態々用意された泥水だ。
「ドレッド、俺に一つ策がある。他の3人も耳を貸してくれないか」
「貴様、ドレッド様を差し置いて勝手に取り仕切る気か?」
「その疑問は策の内容を聞いてからにしてくれ、ステディさん」
『欠落』を抱えた彼らの集中力と判断力があれば、この作戦は必ず成功する。
大丈夫、これは勝てる戦いだ。あいつに鎧を着こんだことを必ず後悔させてやる。
後書き
ちなみにこの世界では「鎧」は割と過去の産物です。昔は呪獣の攻撃を防ぐために大量生産されましたが、五行結界の安定化と前後して呪法師に機動力が求められるようになったので時代遅れになってしまっています。今でも衛兵系の人は軽量化された鎧を使っていますが、然程多くはありませんね。
1000年前の鎧が何で未だに頑丈なままなのかは次回にでも。
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