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岩清水健一郎という存在

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1部分:第一章


第一章

                  岩清水健一郎という存在
 いじめをテーマとした作品も書かせてもらっていますが僕は『絶対の正義』という作品の中で岩清水健一郎というキャラクターを書きました。また彼の従弟に岩清水健也というキャラクターもいます。
 彼等の性格の特徴としていじめを絶対に許しません。そしていじめをおこなった相手に対してはそれがどれだけ過去であっても徹底的に糾弾します。
 その糾弾の方法は残酷というものでは済まされません。学校や職場だけでなく相手の家まで来て抗議しますし家族も周りも巻き込みます。僕はこの岩清水というキャラクターを今まで書いた中で最も邪悪だと感想への返信で書かせてもらいましたがそれは根拠のあるものです。
 何故こうしたキャラクターを書いたかというと僕が実際に見てきやものもありますがこのキャラクターに関してはそれ以上にテレビでのいじめドラマを観てです。『絶対の正義』では『人間・失格』をモチーフにしています。ここで僕が今まで観たいじめをテーマとしたドラマのキャラクター達について私見を述べさせて頂きたいと思います。
 まず『人間・失格』ですがこのドラマのいじめは観ていて吐き気を催すものでした。人間とは醜いものでもありますがその醜さをこれ以上ないまでに映し出した作品でした。
 このドラマでは演じていた役者さん達、いじめ役を演じていた方々に尋常ではないバッシングがありました。何しろ街を歩いていたら罵られ石を投げられ剃刀が送られました。挙句には街で何もわかっていない人に絡まれたこともあったそうです。これは伝聞や御本人のコメントですがそうしたバッシングのせいかいじめ役の方々は以後主役の方と競演される時はいい役でした。テレビ局も配慮したのでしょうがそれだけにこのドラマでのバッシングがどれだけ酷かったか予想されます。 
 僕はこのドラマでいじめる側のキャラクターの末路には常にガッツポーズをしましたが個人的に最も問題があったと思うのは父親の大場衛や影山留加です。まずは父親から書かせてもらいたいと思います。
 彼は確かに息子を愛していました。しかし自分の頭の中だけでしか教育しようとせず世の中というものも我が子も何もわかっていませんでした。その結果我が子を信じず結果として追い詰めることになっていきました。確かに新見という誰もが嫌悪感を抱く、それこそ演じていた役者さんの人生まで左右しかねないような歪んだ邪悪な存在があったでしょう。しかし彼は結果として我が子を信じませんでした。そして最後の方まで一方的に責めて愚かな行動を繰り返しました。その結果我が子へのいじめを助長しそして破滅に至らせています。
 これを愚かと言わずして何と言いましょうか。僕は彼が最終回で自分を最低な父親だと言っていますがはっきりとそうです、と言うかも知れません。それまでの行動を見ているからです。大場誠を殺したのはかなりの部分彼であります。こうした親は実際に結構います。我が子を完全にわかっておらず誤った価値判断に基づく教育を行いどうしようもない事態にしてしまう親はです。我が子を信じないのも同じです。その時点で彼は父親失格であります。
『俺は最低の父親や・・・・・・』
 刑務所での自省の言葉ですがその通りです。我が子のことを何もわかっておらず信用もしませんでした。そして事態を悪化させていきました。彼が誠のことを本当にわかっていれば悲劇は避けられたでしょう。しかし彼はそれをできませんでした。愚かという言葉すら生ぬるいかも知れません。
 かなり冷酷だと思われるかも知れませんが死んだ人は絶対に帰っては来ないのです。それを考えれば彼の罪は絶対に消えませんし許せません。彼はそれだけのことをしてしまったのです。我が子を死に追いやっているのです。それでどうしてそのことを言わずにはいられましょうか。
 それはいじめをしていた松野祐次も同じです。最終回で彼はどん底にまで落ちています。そして糾弾され自殺までしようとしています。ですが彼の罪は許されないものであります。そのことも言わずにいられないではいられません。何しろ彼はドラマの中では常にいじめる立場にいます。このドラマでは武藤和彦という徹底的に嫌なキャラクターが出ていますがまず彼の陰湿さも目につきました。
 そして景山留加です。彼はそもそも兎を殺したりしています。兎達に何の罪がありましょう。この時点で許されない程心を病んでいるとしか思えません。そうした人間に誰かを救う資格があるでしょうか。僕はそれに全く値しない人間だと思います。彼は新見の策謀で誠を助ける立場から陥れる立場になったという人がいますがそもそも誠が辛い時を見ていても学校では何もしていません。辛い目に遭っているのは学校であるというのにです。そもそも勇気がありません。勇なきは、とは儒学の言葉ですが彼はそもそもそれがありません。そして異常なまでに心を病んでいます。見えている、感じているのは自分だけという人間なのではないかとさえ思います。
 そうした人物が土壇場で、しかも己の異常さを見せたうえで誠を助けられるのか。そんなことが出来る筈がありません。廃人になったのは当然の結末です。因果は確実に巡りその者を必ず罰します。そうした意味で大場衛にしても景山留加にしても当然の結末を迎えたのだと言うのはあまりにも冷酷でしょうか。
『僕は君を助けられた』
 この言葉ですがそもそも彼は誰かを救う資格すらない人間です。罪のない兎達を殺した人間が何故誰かを救えるのか、廃人になったのは天罰です。そのまま一生壊れているべきなのでしょう。それこそが相応しい報いです。
 このドラマでは人間が死んでいるのです。その結果それを観る目が厳しくなるのは当然ではないかと思います。誠が死ななければその目も変わったでしょう。しかし死んだ為にどうしてもその目が厳しくなってしまいます。大場衛は父親として最低であり景山留加は人を救うに値しない人間と僕は観ます。迎えた結末がどんなものでありそれを招いてしまったのは他ならない自分自身です。新見や宮崎といった演じていた役者さんが素で道で攻撃を受けるような反吐が出る存在がいたにしてもです。彼等はそもそも己の偏狭な価値観や病んだ心により誠を死なせてしまいました。二人がその後の一生を重い十字架を背負うことになったのも当然の結末です。
 そしてドラマの中でいじめ役の一人がオートバイ事故で瀕死の重傷を負いその親がです。
『うちの息子は死にそうなんですよ!』
 この言葉を病室で言っています。しかし果たしてあそこまでした人間に生きる価値があるかというとです。僕は疑問に思います。このドラマではどうしてもキャラクターへの評価が厳しいものになってしまいます。
 次に『ライフ』です。僕はこのドラマで最も注目したのは廣瀬倫子というキャラクターです。最初はいじめられる立場で後にいじめる、しかもそれを率先して行うようになったということでは『人間・失格』の武藤和彦と同じ立場にあります。しかし彼女が辿った経緯は武藤とは全く別のものになりました。
 些細なことから仲間外れにされ陰湿ないじめを受けていきます。その中で彼女の心は傷つきましたし歪んでいきます。主人公の椎葉歩に助けを求めますがそれは拒まれます。そのことにより歩を激しく憎悪していきます。
 その憎悪の結果歩を陥れ自分の身代わりにします。ここからこの倫子というキャラクターが異常なまでに醜くなっていきます。
 自分をいじめていた仲間に歩のことを話し彼女を完全に自分の身代わりにしてです。そこからいじめには常に先頭に立ち歩を攻撃していきます。
 その陰惨さと醜悪さは顔にも出ていてドラマを最初から観ていてこれが同じ役者さんなのか、と驚く程です。この辺りは演じておられた星井七瀬さんの熱演の賜物です。
『私に何やったか覚えてるでしょうね』
 こう言って歩に頭からお茶をかけた時の顔は物凄いものでした。その他の表情だけでなくその行動も極めて醜悪でした。しかも彼女は自分がいじめられていたことの記憶もあり逆恨みもありました。それが殊更醜悪にさせていたのですがその他にです。彼女には醜悪になる重要な要素があったと思います。
 
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