バーチスティラントの人間達
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それぞれの夜
その日の夜。巡回を終えた僕は、昼間のトレイターさんが気になって彼のコテージを訪れることにした。とはいえ、僕には堂々と入るというおこがましいことはできないのでちょこっと覗く程度だが。
案の定灯りは消えておらず、またエフィさんは負傷兵の元に泊りがけで看病しに行っているのでそっと中を見ることができた。
やたらと本が多いコテージの中で、トレイターさんはどこか寂しそうに、いつも片手に携えている本をじっと見つめていた。時折中を開き、とあるページで手を止めてはため息を繰り返している。
なんとなく声をかけたくなったが、どうかければいいのか。そもそも自分がここにいること自体おかしいのだから、声をかけたら怪しまれるのでは。
後ろ髪を引かれる思いでコテージから数歩離れると、
「……そこにいるのは誰かな?」
中からそんな声が聞こえてきた。後ずさりした時に、足音でも立ててしまっただろうか。逃げようとも思ったが、なぜか足が動かなかった。
「…………なんだ、ストラトか。敵じゃなくてよかったよ。」
思わずびくっと肩を震わせてしまったが、平静を装って「すみません……」と小さく言った。
「いいよ。君のことだし、きっと俺を心配してくれたんでしょ?」
「ど、どうしても気になって……。け、決して変な意味ではなく!」
「分かってるよ。……ねえ、特に用事とかないなら入りなよ。疲れてて眠いならいいけど……。」
随分と穏やかな、そしてちょっぴり人恋しげなトレイターさんの様子に、僕はその誘いを断ることはできなかった。我ながら、ちょろいと思わないことはない。
「本当に、書物がたくさん……。」
「所謂"ビブリオマニア"ってやつだよ。本に囲まれていないと落ち着かなくてね。」
困った体質だ、とトレイターさんはくすくす笑う。だから本をいつも持ってるのか……と思いつつ本棚を一通り見まわす。医術に関する書籍、魔法に関する書籍、長編小説……。内容は多岐に渡っていた。
が。何故かとある本棚だけ、隣にある本棚とまったく同じ本が並んでいた。
「……ああ、不思議に思った?左の方は俺が昔写生した作品だよ。」
「へっ!?」
言ってなかったっけ、とトレイターさんが困惑する僕に懐かしそうに語り始めた。
「俺は昔、写本師だったんだ。とは言っても、趣味でやってたんだけどね。」
「し、趣味の領域ですかこれ……!?」
「稼ぐ、ということには頭が回らなかったんだろう。恐ろしく純粋だったから。」
「……それは今もですね。」
「そ、そう?」
トレイターさんの昔の話は、エフィさんからもたまに聞くことができる。昔はもっと可愛かっただの、弱々しかっただの。その話をするたびにエフィさんはなんとなくいつもと違う優しい雰囲気になるので、こちらも自然に笑顔になれるのだった。
エフィさんといえば。
「そういえば……ちょっと気になったのですが。いや、よく隊内でも話題にはなるのですが。」
「何かな?」
「……トレイターさんとエフィさん、何がどうなってその、今に至るんですか?」
随分と失礼な質問であることは十分わかっている。他人のなれそめなど聞くものではない。
だが、僕が知る限り、トレイターさんとエフィさんほど特殊な例はない気がするのだ。なにせ、
「エフィさんは、魔導師じゃないですか……。」
僕達"軍"を筆頭とし、人間は長年は魔導師と対立している。何十年も前に魔導師が人間に戦争を吹っ掛けて以来、魔導師と人間の中に友好関係が築かれる例はなかった。そう、学校で教えてもらった。
故によく話題になるのだ。軍を率いている人間が、どうして魔導師の妻を持つのか。魔導師の妻は何の不満も持つことなく、なぜ人間側にいるのか。
「……『愛さえあれば人種など関係ない』なんて綺麗事を語るつもりはないけどさ。」
意外なことに、トレイターさんは微笑を崩さずに、また僕のことを怒らずに話し始めた。
「エフィとは、友達の延長線上そうなっただけ。知り合って間もない頃は彼女が魔導師だなんて知らなかったし……。」
「確かに、夫婦というより友達っぽい印象がありますが。」
「そうかもね。……でも、そのうち俺達は友達っぽくない部分に気がついたんだ。」
「お互いがお互いを放っておけなかった?」「まあ、分からなくもないかな?」
「よーーく考えるのです。トレイターを放っておいたら寂しくて孤独死してしまうに違いないのです。エフィはそれが昔から心配だったのです。」
ベッドが多く並ぶ処置室の隣、衛生兵の待機用コテージ。僕達はエフィさんに手助けを頼まれ、一段落ついていた。
「じゃあじゃあ、トレイターさんはなんでエフィさんのことを?」「放っておけないの?」
「トレイターは優しいだけでなく、心配性なのです。ぼろ雑巾同然だったエフィがほぼ回復しても、随分と労わってくれたものなのです。」
エフィさんが記憶喪失にあったことはもちろんびっくりしたが、何より僕達はトレイターさんとの偶然の出会いの話を聞くことができて興奮していた。まるで、物語みたいで。
「ね、エフィさんは魔導師でしょ?」「でもトレイターさんは人間でしょ?」
「トレイターがエフィを傷つけようとする様子は一切なかったのです。であれば、逃げる必要はないのです。それにトレイターは、すごくいい人なのです。それはお前たちも分かることですね?」
「「わかるよー!!!」」
「だから、エフィはトレイターと一緒にいるのです。例え同じ存在である魔導師を敵に回しているとしても、トレイターのやっていることを間違いだとは思わないのですから。魔導師は実際、悪いのばっかりなのです。」
「なるほどー。」「すっきりしたー!」
「ねえ。そういうストラトは誰かいないの?」
「はっ……!?」
にこにこと顔を覗き込んでくるトレイターさんに、ついいつもの癖で罵詈雑言を吐きかけるが何とか抑えた。
「い、いませんが。」
「守りたい人、とかは?」
「……。」
「俺かな?」
「んなっ!?!?」
「冗談だって。」
たぶん、今の僕の顔は見れたものじゃない。顔全体に熱を感じ、複雑な表情をしているのだろう。前髪が長くてよかったとも思う。
「……君は、強いね。昔のことを後悔することはないの?」
唐突にそう切り出され、僕は火照った顔を冷ましながら言葉の意味を考えた。たぶん、"彼女"のことを言いたいのだろう。
「ないです。いつも僕の背中にいますから。」
「…………そう。」
背負っている剣の重みを改めて感じながら、僕は僅かに微笑んだ。トレイターさんはまた寂しそうな顔をしたが、突然首を振っていつもの微笑を携えた。
「付き合ってくれてありがとう。そろそろ、君も休んだほうがいい。」
「い、いえとんでもありません!貴重なお話が聞けて楽しかったです!」
もうしばらくいたい、などという欲は引っ込めて僕は立ち上がり、コテージの外に出た。辺りは真っ暗で、非常に静かだった。
「君と、君の大切なものを大事にしてね。」
その言葉に深く頷き、僕は自分の寝床へ走って帰った。
背中の剣――"Stella"と銘打たれている――の柄を、軽く握りながら。
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