銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第九十話 飛翔
■ 帝国暦487年5月 3日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
会議室のスクリーンに第七次イゼルローン要塞攻防戦、通称イゼルローン殲滅戦が投影される。駐留艦隊、遠征軍が包囲殲滅される寸前にメルカッツ、ロイエンタール、ミッターマイヤーの三個艦隊が救援に入る。
それを機に包囲されていた艦隊の一部、ラインハルトの本隊が包囲網から脱出する。脱出後、包囲されていた艦隊は押し潰されるかのように爆発と白光に包まれていく。救援の三個艦隊は退避する本隊を受け入れるとゆっくりと後退し、戦場を離れていく。六倍速の映像で見ても悲惨さは変わらない……。
戦闘詳報、戦闘記録は先行する部隊から超光速通信で今日送られてきた。会議室には正規艦隊の司令官達が集まり戦闘の状況を見ている。
メルカッツ達救援軍がラインハルトと戻るのは五月十日ごろになるだろう。帝国軍三長官の処分はそれから決まる。これだけの敗北だ、軍法会議が開かれる事になっている。
映像が終わると、彼方此方から溜息が漏れる。
「とんでもない戦いでしたな」
ケンプの言葉は皆の気持ちを代弁しているだろう。彼方此方で頷き、相槌を打つ声が聞こえる。
「戦いもそうだが、この要塞から駐留艦隊をおびき出したやり口は罠だと思っていても出ざるを得ないだろう。悪辣と言って良いな」
戦闘詳報で机を軽く叩きながらメックリンガーが苦い口調で言葉を吐き出す。
「反乱軍にも出来る奴がいるな」
面白くもなさそうにビッテンフェルトが呟く。原作ではこの男が一番ヤンの被害にあっていた。
「おそらくこれを仕掛けたのは、ヤン・ウェンリーでしょう」
「ヤン・ウェンリー、ティアマトの英雄ですか?」
俺は問いかけてくるクレメンツに頷いた。
「この男と戦うのは止めて下さい。この男は化け物です。五分の兵力では先ず勝てません。最低でも三倍はいる。この男の手強さはティアマトと今回のイゼルローンが十分に証明しています」
「しかし、それでは」
ワーレンが不審そうな表情で問いかけてくる。不満は分る、しかし許せない。
「反乱軍と戦うなとは言っていません。ヤン・ウェンリーと戦うなと言っています」
「……ヤン・ウェンリー以外の将帥と戦えと?」
お前も不満か、ファーレンハイト。だがな、こればかりは許さない。あの男と戦術レベルで競い合うなど愚の骨頂だ。
「そうです。彼は有能では有るが、総司令官ではない。そこを最大限に利用させて貰いましょう」
政略、戦略のレベルで戦う。あの男に勝つにはそれしかない。
皆頷いているが不満顔だ、心底納得している顔じゃない。有能な軍人であればあるほど、自分の能力を限界まで試したいと思うものだ。それには強い相手と戦うことが一番良い……。強い相手と戦う事に意味がある。その言葉はそこから出ている。
ロマンチシズムでも、戦争馬鹿でもない。ただ自分を試したい、それだけなのだ。欲でも野心でもない、だから始末が悪い。時々釘を刺さなければならないだろう。だが、先ずは彼らにはやって貰うことがある……。
■ 帝国暦487年5月 3日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
ここはあまり居心地が良くない。女性客は私一人だ。何といっても高級士官専用ラウンジなのだから。しかし、ヴァレンシュタイン大将に頼まれては仕方ない。大将の言葉によれば、今夜このゼーアドラー(海鷲)において宇宙艦隊の艦隊司令官達が“フェザーン討つべし” と気勢を上げるのだと言う。
周囲の反応を確認するのが私の役目だ。そんなわけで私は今、リューネブルク中将と一緒にゼーアドラー(海鷲)にいる。さすがに一人では居づらい。今も私たちに周囲の視線が集まっているのが分る。
小面憎いのはリューネブルク中将だ。平然としてウォッカライムを呷っている。周囲の視線など気にならないようだ。私も負けじとジンフィズを呷る。周りからはどう見えるだろう。いけない、少しペースが速いかもしれない。
早速、ビッテンフェルト中将が大声でフェザーンを非難し始めた。“拝金主義者、金の亡者、帝国の血をすする蛆虫” 酷い言葉だが的外れでは無い。誰でも少なからず思うことだ。
ワーレン提督、ルッツ提督が加勢した。今回の戦いで三百万の戦死者が出たのはフェザーンのせいだと言い始めている。この分だと“フェザーン討つべし”の声が上がるのも間も無くだろう。
違和感を感じないのは、おそらく私も今回のフェザーンのやり口に不満を持っている所為だろう。それくらい今回の戦いは酷かった。戦死者が三百万なんて聞いたことが無い。
ヴァレンシュタイン大将はイゼルローン要塞陥落、遠征軍壊滅の報告に少しも動じなかった。救援軍から連絡が有ったのだが、むしろ報告してきた方が、おどおどしていたくらいだ。
周囲には決裁を取りに来た女性下士官も何人か居たのだが、大将の冷静さに感動して泣き出す女の子まで居たほどだ。“副司令長官が居れば大丈夫、帝国は負けない”そんな声が女性下士官の間で上がりつつある。
「中将、これって司令長官の責任を軽くするためなんでしょうか?」
私は小声で中将に問いかけた。周りには聞かれるのは拙い。自然体を寄せる形になる。
「単純に考えればな。しかし副司令長官は単純な人ではない、違うか?」
リューネブルク中将は、グラスを揺らしながら答える。中将の言うとおり、大将は単純な人ではない。
「本気でフェザーンに攻め込むというのは?」
「同盟も戦力が枯渇気味だ。ここでフェザーンに援軍を出すほどの余力があるかどうか、可能性としてはありえない話ではない。しかし、もう一つだな」
周囲では提督たちに煽られたのだろう。フェザーン討つべしの声がちらほら聞こえる。
「裏が有るだろうな、何枚裏が有るかはわからんが」
何処か楽しそうな口調でリューネブルク中将は話す。
「楽しそうですね、中将」
「ああ、楽しいな。昔の彼が戻ってきたからな」
「?」
昔の彼? どういうことだろう。私の疑問を感じたのだろう。中将は含み笑いをしながら答えてくれた。
「最近はごく普通の有能な副司令長官だったな。しかし、要塞陥落後は違う」
「?」
「ヴァンフリートを思い出すな」
「ヴァンフリート?」
思わず出た私の言葉に中将は頷いた。何処か懐かしげな表情だ。ヴァンフリート、私が捕虜になった場所。あそこから今の私が始まった……。
「ああ、あの頃の彼は、まだ大佐だったがミュッケンベルガー元帥でさえ眼中に無かったな。勝つためなら元帥であろうと平然と利用する、無視もする。そんな底の知れないところがあった」
「少佐、副司令長官は動くぞ。内乱の危機と外からの侵略の危機。帝国はかつてない危険な状態にある。どう動くかは分らんが、彼が動けば全てが一変する。それだけは間違いない、楽しくなるな」
「……」
中将の言う事が私にも分る。第六次イゼルローン要塞攻防戦、皇帝不予、どちらも大将が動いたとき、全てが劇的に変わった……。大将は今動き始めようとしている。どのような形になるのかは分らないが、全てが一変するだろう……。
■ 帝国暦487年5月 3日 オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー
ヴァレンシュタイン提督がいらっしゃった。イゼルローン要塞が陥落し、遠征軍、駐留艦隊が壊滅的な敗北を喫した事で忙しいはずなのに、こうして養父の所に来てくれる。
提督は何時もと違い、とても厳しい表情をしていた。私には笑顔を見せてくれたけど、養父に会うと直ぐに表情を引き締め、二人で書斎に入っていった。普段と違いなかなか書斎から出てこない。
私は心配になって、書斎に様子を見るためお茶を持っていった。ドアをノックしようとすると中から声が聞こえる。
「本当にそんな事が出来ると思うのか」
養父の声だ。声には半信半疑の響きがある。はしたないとは思ったが、つい立ち聞きしてしまった。
「出来なければ、帝国は滅びます」
提督の声だ。帝国が滅ぶ? 提督は銀河帝国が滅ぶと言っている!
「しかし、難しいぞ。場合によっては帝国は外と内に敵を持つ事になる」
養父の声には深刻な響きがある。こんな声は珍しい。
「今迄もそれは変わりません」
「しかし、今迄はイゼルローンが有った」
「ですから、せめて主導権はこちらで持ちたいと思います。このうえ主導権まで握られては帝国を守る事は出来ません」
提督の声は落ち着いている。でも主導権? 一体何のことだろう。
「主導権か……。卿の言う事は分る。しかし持ち続ける事が出来るか?」
「持ち続けます。勝つために」
「勝つためか」
しばらく沈黙が続いた。もう一度ノックしようとしたときまた養父の声が聞こえた。
「博打だな。ヴァレンシュタイン」
「はい、負ければ全てを失うでしょう。しかし勝てば全てが変わります」
結局私はドアをノックすることなく戻った。提督は更に一時間ほど養父と話した後帰った。
「ユスティーナ、お前はヴァレンシュタインが好きか?」
提督を見送った後、養父に問われ思わず顔が紅潮するのが分った。なんて答えよう。
「そうか……好きか。苦労するなお前も……」
「?」
苦労する? どういうことだろう? 私の疑問を読み取ったのだろう。養父は言葉を続けた。
「あれには翼が有るのだ。今まではその翼を使おうとはしなかった。もしかすると飛ぶのが怖かったのかもしれん」
「怖かった?」
「そうだ。誰も付いて来れんからな。おそらく孤独だろう。それが分っていたのだろうな、だから飛ばなかった」
分るような気がする。クロプシュトック侯事件の時、私は一瞬提督が怖くて避けた……。あの時の提督の驚いた顔が今でも眼に浮かぶ。
「飛ぼうとしているのですか、提督は」
「そうだ、自らの翼で飛ぼうとしている。この国を守るにはあの男が羽ばたくしかないのだ。ローエングラム伯が敗れた今となっては」
「……」
「お前があの男の孤独を癒してやれるのなら良い。しかしその自信が無いのなら、あの男の事は諦めろ。それがお前のためだ、そしてあの男のためでもある」
養父はそれだけを言うと、私から離れていった。私は養父の背中を見詰めながら何度も自分に問いかけた。私に提督の孤独を癒せるだろうかと……。
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