満願成呪の奇夜
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第9夜 錯綜
大陸は、静かに崩壊の道へと歩んでいる。
戦いと豊かさを天秤にかけ続けて1000年の時を経た民は、『欠落』を失い、団結力を失い、危機感を失い、ひたすらに惰性へと堕ち続ける。『欠落』が減っているのは大陸の民の呪いが解かれつつあるから等という思い違った思想が蔓延し、中には大陸の外から流入してきた『神』とやらに絆される軟弱者まで現れる始末だ。
ローレンツは、それでも大法師としての責務を投げ出す訳にはいかない。今や呪法教会の活動資金はレグバ元老院の庇護下にいる家畜のような民たちから捻出されている以上、結果的には守護しなければならない。あの愚昧な存在の為に呪法師が命を賭して大陸を取り戻そうとしているのだと思うと、吐き気を催す。
「悪魔から愛想を尽かされた哀れな贄よ。『成呪の夜』まで今際の幻想に酔いしれるがいい」
辺境の砦からもはっきり見える『朱月の都』の天へと上る灯りを見つめながら、ローレンツは吐き捨てるように呟いた。
と、背後から足音が響く。試験監視をしていた教導師のものだと気付いたローレンツは振り返る。
「何事か」
「はっ。実は、試験に参加した生徒の第一陣がそろそろ砦に辿り着いてもおかしくはない時間なのですが……仮設砦からこちらへ向かう光が途中で途絶えています。あそこは本来ならば呪法師優位の地形……しかも監視班の確認では光源杖の使用も確認できないまま既に4つの灯が途絶えたとのことです」
説明する教導師の顔色はあまり良くない。
ペトロ・カンテラが暗夜の中で灯りを消すのは、理由はどうあれ実質的にチームの全滅を意味する。チームは平均3人程度で構成されることが多いため、既に10人以上の若い命が散ったことになる。確かに呪獣を相手にパニックになって致命的な間違いを犯す生徒は毎年存在するが、折り返し地点を抜けたらほぼ合格決定のようなものである。
にも拘らず、そんな生徒達が次々に消息を絶っている。
なるほど、とローレンツは頷く。
「上位種の呪獣だな。我が砦の兵も数名喰われた」
「……存在を、知っておられたのですか?」
「どこにいてもおかしくはあるまい?1000年前はそこらじゅうで出現したのだ」
「そうではありません。『法師クラスでも討伐しきれてない特定上位種の存在を知っていて試験を敢行したのか』と問うているのです」
上位種の呪獣には大別して2種類が存在する。戦闘能力と数の両面で集団の狩りのように行動する不特定多数のタイプと、高い知能を用いて単独で狩りをする特定タイプだ。特にこちらの盲点や僅かな隙をついて安定的に呪法師を殺害する特定タイプの上位種は優先討伐対象であり、事前情報もノウハウもない学徒の手には余る存在だ。
「唯でさえ呪法師の数が減少傾向にある中で、あたら新米の命を散らしたくないのは呪法教会の総意だと愚考しておりましたが……何故それを機関に報告せず、また討伐もなされておられないのですか?」
「怒っているのかね?」
「いえ、大法師が耄碌したのなら速やかに邪魔な老害の座る砦の席を空けた方が呪法師全体の効率が高まると考えただけです」
明らかに不敬に当たる不穏当な発言に、ローレンツは特に怒りを覚えなかった。『欠落』を持つ人間特有の波長のようなものが受け入れられたからだ。呪法師の人間関係は、全て相性で決まる。相性が良ければどんな暴言も受け入れられるし、相性が悪ければどんな綺麗ごとも耐えがたい不快感を与える。そのような意味で、ローレンツとこの教導師は相性が良かっただけだ。
「君は実に合理的だな。確かにその方が効率は良いだろう。だが……現状でこれ以上数を増やしても、『欠落』持ちの出生率が低下し続ける現状ではさしたる増加は望めない」
「戦力補充が望めなくなりますが?」
「たかだか1年分、しかも教会にそのまま昇るかどうかも定かではない一部の呪法師がいなくなるだけで、呪法教会が揺らぐと?……貴殿の心配することではない」
もう数を増やすほどの時間も残されてはいないからな――と言いかけて、ローレンツは口を閉ざした。気弱な発言は呪法師には必要ない。それに、これはあくまで選定の儀。選ばれし存在を協会に迎え入れるためのものだ。
「あれを倒せる新人が得られるのなら、100の犠牲も安い物よ。残った数個がより強い灯になればそれで良い」
6つの都の連携が薄まる一方の今、呪法師には象徴が必要だ。鮮烈に時代を彩り、新たな風を巻き起こす古き時代の再来――『新世代』という灯が。
遠くを見据えるローレンツに対し、教導師の男はもっと近くを見つめる。
(………こちらの気も知らずに呑気な老人だ。あんたの言う『強い灯』を生かすのがこちらの任務なのだぞ?結界の端まで追いやられた貴方と違い、こちらは『朱月の都』の重鎮から仕事を貰っているというのに、勝手な真似をしてくれる……)
教導師の手には、二束の書類と添付されたモノクロームの写真が握られていた。片側には黒髪の少女の写真。そしてもう片側には、髪の毛先だけ微かに色が違う少し童顔な少年の写真。100の犠牲の中から生き残る素質は十分あるが、絶対ではない。
(基礎教練は叩き込んである筈だし、護衛代わりもつけた。お願いだから死んでくれるなよ?『やり直しは面倒だから』な……)
教導師が遠い目を向けた仮設砦の方角――その砦の目の前に、一組の呪法師が到着する。
「着いた……折り返し地点」
「………………」
「……行くよ、ギルティーネさん。あまり時間をかけたくはないからね」
油断なく武器を構えた写真の二人――ギルティーネとトレックは、闇の中央にぽつんと浮かび上がる安全地帯へ静かに入っていった。
= =
ペトロ・カンテラを屋内移動用の高度に降ろし、二人の呪法師が仮設砦の中を歩く。
(外は立派な物だったけど、仮設だけあって中は寂しいものだな……)
外見は様々な光源によって照らし上げられていたが、立派なのは外の塀だけで内部には建物が僅か数個程度しか存在しない。端の方を見やれば建設中の資材と燃料、薪が積み重なっている。雨避けの屋根や宿舎らしいものはあるが、砦というよりはこの試験の為に仕方なく砦の体を保っているという印象だ。
しかし、結界の外にあるだけあってその構造は古代史に出てきたそれと全く同じ構造をしている。光源を複数重ねて呪獣の付け入る隙間を排した形状と、薪や油を効率的に補給し、長時間使用するために極めて合理的に設計された構造。
『樹』の呪法を用いて生成された特殊素材の松明は、蝋燭のように静かに、そして熱した炭より明るく砦の内外を照らしていた。『灯薪』と呼ばれるこの素材はオイルカンテラに比べて大型で持ち運びには不向きだが、多少の雨風程度ならものともせずに一晩しっかり燃え続ける。その抜群の安定性は開発から1600年が経過した現在でも完成された状態で維持されており、料理の火としても使える事から砦の外では必需品の一つに数えられている。
その『灯薪』の周囲には、まばらに試験を受けた呪法師が集まっていた。武器の整備、精神統一、帰り道でのポジション確認や戦術の変更――この場所で出来ることなどその程度だろう。恐らくは呪法が開発された古代でも、人々はこのように灯に集って戦いの準備を黙々と進めていたのだろう。
知らぬうちに自分たちも古代の戦士たちと同じ立場に辿り着いたことに不思議な感慨を覚えつつ、トレックとギルティーネは砦の管理者がいる建物へと向かう。呪法教会のシンボルである五芒星の魔法陣を象った旗がはためくそこに待っていたのは、安っぽい椅子に鎮座した正規の呪法師。肘をついたままこちらを一瞥した呪法師は、酷く事務的な男だった。名前を確認すると書類に蝋印を押し、応援の声ひとつかけずに書類をこちらに差し出した。
一応ながら感謝の意を込めて敬礼してみたが、返礼は返ってこなかった。
砦の中にある簡素な休憩場所に腰掛けながら、トレックはひと時の休息を取る。これまでの道のりで集中力を使ったこともあってか体に疲労感が押し寄せる。この試験は水や食料の持ち込みが禁じられているため、余計に疲労がたまっている錯覚を覚える。
戦いに支障を来すほどの疲労ではないが、一度集中が途絶えた状態で直ぐに外に出るのは不安要素がある。
ギルティーネは相変わらず無表情で直立しているが、彼女も体力の概念がないわけではない筈だ。
「ギルティーネさんは休まないの?」
「………………」
それとなく促すが、反応はない。こちらを見ているが、見ているだけだった。
これは自分の休息は必要ないという自信の現れなのだろうか。
彼女は何も語らない。人の言葉にはほとんど反応せず、時折飛ばす命令に沿ったような動きはしても、後はじっとこちらを見つめるばかりだった。透き通った瞳に映る自分自身の顔が、不安げに歪む。
不気味だ。今までの人生で感情の薄い人は沢山見てきたが、ここまで反応のない人間には出会ったことがない。彼女の胸が呼吸で微かに動いていなければ、自分は等身大の精巧な人形と二人きりでいるものだと思い込んでしまうだろう。
あるいは、彼女は今『人喰い』らしくトレックの臓物を喰らう算段を立てているのかもしれない。
あるいは、気の利かないトレックが休憩しろと言ってくれない事に焦れているのかもしれない。
あるいは、彼女の心は氷のように停止し、感情というものがないのかもしれない。
(………違う。意志はある筈だ。だって彼女は、人形じゃなくて人間なんだから)
あの時にサーベルの柄を握る手が強まったのを、トレックは見た。
彼女も人間だ。賭する何かを持ち、戦っている。しかし――教導師の口ぶりからするに、彼女はその欠落を差し引いても『行動』そのものを制限されているのだろう。
だからその何かを共に掴むために、彼女のコンディションを『管理』する。
「ここにおいで」
自分の隣に空いた休憩所のベンチの一角をぽんぽんと叩く。ギルティーネは機械的に動き、トレックが叩いた場所に寸分の狂いもなく収まった。ベンチにカタリと音を立ててサーベルの鞘がぶつかり、また静寂。
帰り道に関しては、特筆するほど警戒すべきポイントはない筈だ。先ほど別の学徒の会話を聞いた限りではすぐ近くに舗装された道もあるらしい。道を通って戻りきれば、晴れて二人は実地試験を合格できる。
(二人、か――このタッグ契約は果たして実地試験の後も続くのかな)
契約時にはその辺りの事がはっきりしなかった。ずっと一緒かもしれないし、すぐ解散かもしれない。解散すればまた地獄が待っているが、一緒ならばそれはそれで気苦労が多そうだ。ギルティーネの方を見やると、彼女はこちらから目を離して灯薪の暖かな光を見つめている。
その横顔は絵画のように美しいが、ひとつだけ、その美しさを阻害するものがある。
鉄仮面を被せられていたせいでくしゃくしゃにされた、彼女の黒髪だ。
トレックは、彼女を解放した時に「櫛を貸してあげよう」と思ったのを今更になって思い出した。
母親からもらった小さな櫛はトレックの愛用品だ。特別高価な代物ではないが、自らの寝癖が付きやすい金髪を梳かすのに毎日のように使用している。一時気は何故か先端のみ黒く変色する毛先を染めるのにも使用していた。『欠落』持ちには身だしなみに極端にこだわる人と全くこだわらない人でほぼ真っ二つに分かれているが、トレックは小さな身だしなみ程度……普通止まりの拘りだ。
その拘りを貫く事も許されなかった彼女の髪は、女性から見れば「泣いている」のだろう。
それはきっと、灯薪の光が生み出した陰影が目を錯覚させたのだろう――彼女の横顔は何となく、髪が傷んでいることに悲しみを覚えているように見えた。
懐に放り込んでおいた櫛を取り出したトレックは、ギルティーネにそれを手渡した。
「これ使って、髪を梳いて」
手渡された櫛を暫く見つめたギルティーネは――突如として立ち上がる。
急に立ち上がった理由が分からず呆気にとられているトレックを無視したギルティーネはベンチの裏に回ってトレックの背後に立ち、細い指でトレックの髪を掬い――。
「………………」
ものすごく優しい手つきでその金髪を梳きはじめた。
時には優しく、時には強めに、乱れた髪の全てを直線に戻すような華麗な手さばきに暫く呆然としたトレックは、気付く。彼女は致命的な勘違いをしていることに。
「いやいやいや、そうじゃないよ!?俺じゃなくて自分の髪の毛を梳いてって事なんだけど!?」
「………………」
「無視!?」
ギルティーネはサラサラになるまでトレックの髪を櫛で梳きつづける。「もういいから」と頭を動かそうとしたら、鋭い動きで頭を固定され、更に梳かされる。しかもその手つきが母親を連想させるほどに柔らかく、そして暖かい。
(ほんっと、この人何考えてるのか分かんない……)
マジボケなのか人で遊んでいるのかは全く理解できなかったが、予想以上に彼女の髪梳かしが心地よかったためトレックは抵抗を諦めて暫く為されるがままだった。
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