銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第八十話 決断
■ 帝国暦487年1月30日 フェザーン アドリアン・ルビンスキー
ボルテックが慌てて執務室に入ってきた。
「どうした、ボルテック」
「自治領主閣下、たった今オーディンの弁務官事務所から知らせが入りました」
「ほう、それで」
「ミュッケンベルガー元帥が退役しました」
「そうか」
俺は内心可笑しく思ったが、出来るだけ気難しげな表情を作った。
「新任の宇宙艦隊司令長官は上級大将、ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵です」
「ローエングラム伯……、旧姓はミューゼルだな」
「はい、そのとおりです」
一時間八分だな……。ボルテックは知るまいが、約一時間前オーディンから帝国軍の新人事について直接俺に連絡が有った。俺は一時間後にもう一度ボルテックに同じ報告をするようにと命令した。
八分遅れか……、許容範囲だろう。報告を受けて自分なりに判断する時間も有っただろうからな。十五分以上かかるようだと俺以外の誰かに報告していた可能性もある、この男の身辺に注意が必要だ。三十分以上なら何処かへ飛ばすしかない、問答無用だ。あとはこの男が八分のうちに報告から何を判断したかだな。
ボルテックは俺が考え込んでいるのをじっと見ている。まさか自分のことを考えているとは思わないだろう。さて、何を話すか?
「帝国軍も内情は苦しいな。二十歳にならぬ若者を宇宙艦隊司令長官にするとは」
「ミュッケンベルガー元帥の強い推薦があったそうです」
「そうか、確かに無能と言うわけではなさそうだからな」
「はい」
なかなかヴァレンシュタインの事は切り出さないな。俺の驚く様を見たいらしい。人の悪い奴だ。いや、お互い様か。
「それと宇宙艦隊副司令長官ですが……」
ようやく話すのか、ボルテック。少しはお前を喜ばせてやろうか
「ほう、副司令長官を置くのか。だれだ、メルカッツ大将か?」
「いえ、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大将です」
「大将? 少将に降格したと思ったが?」
「今回の人事で二階級昇進しました」
俺はわざと訝しげな声を出した。ボルテック、もう少し声を抑えろ。嬉しそうなのが判るではないか。
「なるほど、大胆な人事だな。で、補佐官はどう思う、今回の人事を」
「なんとも苦しい人事だと思いますが」
「苦しいか」
確かに苦しい人事だ。しかし何処が苦しいか、お前には判っているか?
「はい、司令長官も副司令長官も若く経験不足です。周りが納得するかどうか」
ま、妥当な判断ではあるな。
「補佐官ならどうする」
ボルテックは少し緊張しているようだ。俺に試されていると思っているらしい。残念だな、俺は楽しんでいるのだ。
「私なら、司令長官にメルカッツ大将を持ってきます。もちろん昇進させてですが」
「それで、副司令長官はどうする」
「ローエングラム伯を持ってきます。まあ、司令長官と副司令長官は逆でも構いませんが」
誰でも考えつく案だ。帝国の上層部が考えなかったと思うか? そう思うならお前は彼らを甘く見すぎだ。彼らとて同じ事を考えたろう。その上でこの人事を行なった。その意味をお前は判っていない、いや判ろうとしない……。
「なるほど。若さと老練さを組み合わせるか」
「はい。このほうが安定するでしょう。それにメルカッツ大将の人望も見逃せません」
俺が否定しないので同意見だと思ったらしい。自信ありげに話してくる。
人望か。年を取っていれば人望が有るというわけか……。残念だがボルテック、ヴァレンシュタイン大将の人望も決してメルカッツ大将に劣らんぞ。
「私はそうは思わんな」
「?」
「平時ならそれでいい。しかし、今は非常時なのだ」
「非常時ですか?」
「いつ皇帝が死ぬかわからんのだぞ、補佐官。それなりの対策が要るだろう」
「……」
ボルテック、お前は軍のことしか考えていない。しかし、軍も国家の一部なのだ。帝国の政治情勢、社会情勢、そして宮中の情勢を踏まえた上で考えなければならない。そして帝国の上層部はそれを考えた上で決断したはずだ。
「帝国の上層部が恐れるのは、軍の遠征中に皇帝が死ぬ事だ。そしてそのことで内乱が起きるのを恐れている、判るな」
「はい」
本当に判ったか。これが前提なのだぞ。
「ローエングラム伯、メルカッツ大将は戦場の将だ。確かに戦場では強いのかもしれん。しかし、今帝国で本当に必要とされているのは、万一の場合内乱を防ぐ謀略・政略センスのある将なのだ」
「……ヴァレンシュタイン大将ですか」
「そうだ、帝国の上層部にとってはローエングラム伯よりもヴァレンシュタイン大将を副司令長官に持ってくることが大事だったろうな」
実際、一度内乱を防いでいる。その事実は大きいだろう。
「しかし自治領主閣下、今まではヴァレンシュタイン大将は副司令長官ではありませんでした。何故今、副司令長官にする必要があるのです?」
不思議そうにボルテックが訊いて来る。
「ミュッケンベルガー元帥が強すぎたからだ。強すぎたから副司令長官をおく必要が無かった。つまり宇宙艦隊の残留部隊を指揮するものが居なかった、だから彼らは暗黙の了解で皆ヴァレンシュタイン大将の命に従ったのだ」
「……」
「副司令長官を置けばどうなる、残留部隊は副司令長官の命に従うだろう。ヴァレンシュタイン大将は、憲兵隊と帝都防衛軍だけで内乱を防がねばならん」
「……」
「もし、副司令長官がブラウンシュバイク、リッテンハイムに与したらどうなる。内乱の勃発は必至だ」
「なるほど」
「宇宙艦隊司令長官が強ければ問題は無い。しかしローエングラム伯は年齢、人望、実績においてまだ不安定な状態だ。ミュッケンベルガー元帥に比べ明らかに見劣りがする、弱い司令長官なのだ。当然補佐が必要だろう、それはヴァレンシュタイン大将しかいないのだ」
俺の話をボルテックは無言で聞いている。表情に敗北感があるようだ。まあそう嘆くな。俺も一時間近く考えて得た結論だ。お前が妙な気を起さないように芝居をしているがな。
問題はこれからだ。外に強い司令長官と内に強い副司令長官。確かに能力的には噛合う。しかし手を取り合っていけるだろうか。ローエングラム伯は人望、実績において自分より上の副司令長官に耐えられるだろうか?
ヴァレンシュタイン大将は、自分より若い司令長官に耐えられるか。また周囲はどう判断するか。宇宙艦隊内部で抗争が起きる可能性が有るだろう。帝国は内乱を防ぐために新たな爆弾を抱え込んだようなものだ。
問題は同盟がこの人事をどのように判断するかだな。安堵感を持つか、それとも危機感を持つか。特にティアマトの英雄はどう思うか。面白いところだ。
シトレ本部長の腹心であるヤン・ウェンリー、ミュッケンベルガー元帥の腹心であるヴァレンシュタイン。両者ともこれまではどちらかと言えば黒子であったと言って良い。しかし此処に来て両者とも表舞台に立ち始めた。この二人の動きは注意する必要があるだろう……。
■ 宇宙暦796年2月5日 自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー
キャゼルヌ先輩から本部長室へ来るように言われた。多分先日のイゼルローン要塞攻略についてだろう。大体の案は説明したが本部長は半信半疑だった。少し時間をくれと言われたが、今日は返答をもらえるに違いない。
出来れば自分で指揮を取りたい。正直、宇宙艦隊司令部に居るのはもうたくさんだ。ドーソン司令長官の嫌味や、嫌がらせにはうんざりする。最近は尻馬に乗る馬鹿な参謀まで出てきた……。
「ヤン・ウェンリーです。入ります」
ドアをノックして部屋に入る。部屋にはキャゼルヌ先輩とシトレ本部長がソファーに座っていた。
「ヤン少将、待っていた。こちらへ」
シトレ本部長が良く響く低い声で呼ぶ、遠慮なくキャゼルヌ先輩の脇に座り、本部長に対した。
シトレ本部長が私に文書を渡した。
「ヤン少将、これを見てくれ。フェザーンの駐在弁務官事務所より送られてきたものだ。一見の価値はある」
「失礼します」
私は本部長に断ると資料を読み始めた。読み終わって溜息が出る。
「どうかね、ヤン少将」
「あの二個艦隊はヴァレンシュタイン少将が絡んでいましたか」
「そうだ。編制から訓練まで全てに絡んでいたらしい」
「それを司令部は寄せ集めだなどと……」
シトレ本部長と会話をしながら私は疲労感に打ちのめされそうだった。
この情報をもっと前に得ていれば、司令部ももっと慎重になったかもしれない。そうすれば犠牲も減らせただろう。ヴァレンシュタイン少将、なんとも厄介な男だ。今回何らかの事情で降格したらしいがこのままで終わる男ではないだろう。
「各艦隊司令官を見たか」
「ええ見ました」
キャゼルヌ先輩が問いかけてくる。そう、私も気になった所だ。
「いずれも若く、そして平民か、下級貴族のようです。門閥貴族のひも付きではないにも関わらず少将にまで昇進している。軍主流派からは外れたが実力は有る男たちでしょう。実際前回の戦いでは彼らが同盟の両翼に大きな打撃を与えました」
私の答えに、シトレ本部長とキャゼルヌ先輩は顔を見合わせた。表情が暗い、どうかしたのか?
「その男たちだが、おそらく今後は宇宙艦隊の中核になるはずだ」
「どういうことです。シトレ本部長」
困惑する私にキャゼルヌ先輩が応じる。
「ヤン、帝国で新しい動きがあった」
「?」
「ミュッケンベルガー元帥が退役した」
「!」
ミュッケンベルガー元帥が退役、後任はだれだ?
「ミュッケンベルガー元帥の後任は、上級大将ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵だ。旧姓はミューゼル、そう言えば判るだろう」
「本当ですか、キャゼルヌ先輩。彼はまだ二十歳にもならないでしょう」
「驚くのは未だ早い」
「?」
キャゼルヌ先輩の口調は苦い。一体何が有った。
「宇宙艦隊副司令長官にヴァレンシュタイン大将が任じられた」
「大将?」
「二階級昇進したらしい」
一層苦い口調でキャゼルヌ先輩が言葉を吐き出す。そうか、副司令長官か、確かにあの艦隊司令官達は宇宙艦隊の中核になるだろう。
シトレ本部長が口を開いた。
「ヤン少将、君は帝国がこれからどう出ると考える」
「そうですね、……ローエングラム伯は自ら攻めてくるでしょう」
「その根拠は」
「ローエングラム伯には実績が少ない。実績をつけ元帥に昇進し自らの地位を磐石にしたいと思うはずです。それに帝国は内乱が起きる前に同盟を叩いておきたいと考えている。」
「私もキャゼルヌも同感だ。で、勝てるか」
本部長は強い眼で私を見てくる。少しの躊躇いも見逃さないつもりだ。
「……難しいですね。彼は間違いなく有能です。前回の戦いでも彼の率いる軍に中央は押されまくりました。あれで両翼との連携が取れなくなったんです。それに副司令長官にはヴァレンシュタイン大将が居ます。負ける戦をさせるとも思えません」
本部長は目を閉じた。表情には迷いが有る、そう思ったのは錯覚だろうか。次の瞬間、眼を開けた本部長には間違いなく迷いは無かった。
「ヤン少将」
「はい」
「先日君から聞いたイゼルローン要塞攻略作戦だが、準備にかかってくれ。艦隊はこちらで何とかする」
「よろしいのですか、本部長」
「このままでは同盟はジリ貧になる。君の手で帝国軍を止めてくれ」
「判りました。微力を尽くします」
先ずはあの男に協力を依頼しなければならないだろう。急ぐ必要が有る。ローエングラム伯も出兵は急いでいるはずだ。時間との勝負になるかもしれない……。
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