銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十八話 信賞必罰(その1)
■ 帝国暦486年12月28日 軍務省 尚書室 エーレンベルク元帥
私は尚書室でミュッケンベルガー元帥と対していた。遠征軍は今日帰還したのだが、ミュッケンベルガー元帥は皇帝陛下への帰還の挨拶を済ませるや相談したい事が有ると押しかけてきたのだ。
ミュッケンベルガー元帥の表情は苦い。
「どうされたかな、ミュッケンベルガー元帥」
「厄介な事になった、軍務尚書のお力を借りたい」
「?」
どうしたのだ? この男がこれほど苦悶を表すのは珍しい。何が有った?
「実は、私は軍を指揮できる体ではない」
「!」
何を言っている? 軍を指揮できない?
「心臓を患っている。狭心症だ」
「……」
呆然とした。思わず彼の顔を見詰める。ミュッケンベルガーの表情は苦いままだ。
「誰かに知られたか?」
思わず、囁くような声になった。
「……戦闘中に発作を起した」
では、皆に知られたか……。
「戦闘中に発作……。良く勝てたものだ、危なかったのではないか」
「いや、ヴァレンシュタインが手を打ってくれていた……」
「ほう、ではあの男には知らせていたのか?」
「出兵前に発作を起した。それをユスティーナに見られた。あれが、ヴァレンシュタインに知らせた」
ミュッケンベルガーは苦笑と共に言葉を紡ぐ。
ミュッケンベルガー元帥が事の顛末を話す。話を聞き進むにつれ自分の表情が強張るのが判った。今回の勝利はヴァレンシュタインの策によるものではある。しかしその策は合法とは言い難い……。
「責任を取りたいと言ってきた……。今回の行為はいかなる理由があろうと許されるものではない。これを許せば軍の統制が保てなくなる。それ故自分を軍から追放して欲しいと……困った奴だ」
ミュッケンベルガーが懐から書簡を出す。受け取って読むと確かに今ミュッケンベルガー元帥が話した内容が書いてある。あの馬鹿が。ミュッケンベルガーの気持ちを考えぬか! 年寄りを苛めるものではない!
「私は軍を辞めるつもりだ」
「ミュッケンベルガー元帥!」
「何も言われるな、軍務尚書。遠征軍六百万の兵士を危険に曝すような男に宇宙艦隊司令長官を務める資格は無い……」
「元帥……」
目の前の男の表情にはなんの動揺も無い。しかしその胸中を思うと胸が痛んだ。この男は戦場でこそ輝く。そのことはこの男が誰よりも判っている。この男の一言で兵士たちは死地に飛び込んだのだ、何の疑いも抱かずに……。その男が戦場に立てなくなる。
帝国軍三長官としてこの男とは共に軍を背負ってきた。当初はこの男の持つ威風に気圧され、そのことを不愉快に思ったこともある。しかしあのサイオキシン麻薬密売事件からは最も信頼する同僚だった。
この男が前線に、私が後方に、共に支えあい、反乱軍から内乱から帝国を守ってきた。その男が居なくなる……。思わず哀しみが心を覆う。
馬鹿な、何を考えている、感傷など切り捨てろ! 目の前の危機をどうするか、それを考えるのだ。泣くのはその後で良い……。
「しかし、卿の後のことはどうする?」
「そのことで困っている。それにヴァレンシュタインの処分をどうするか」
「……」
切り捨てることは出来まい。帝国にはあの男が必要だ。しかし、何の処分も無しには出来ぬ……。
「信賞必罰は軍のよって立つところだ。罰せねばなるまい」
「やはりそうせねばならぬか、軍務尚書」
「うむ」
罰は与えねばなるまい。しかし小僧、楽はさせんぞ。責任はきっちり取ってもらう。
■ 帝国暦486年12月30日 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
遠征軍が28日に帰ってきた。やはり元帥は発作を起していたらしい。幸いメックリンガー少将がうまくやってくれた。第三次ティアマト会戦は帝国軍の勝利で終わった。完勝は出来なかったようだが十分な勝利だろう。
元帥は今回の発作から指揮権強奪の件まで全て話したらしい。俺の書簡も話したようだ。元帥は退役するようだが、出来るのか? 現状を見ればちょっと難しいだろう。辞意を表明して皇帝に慰撫してもらう、そんなところかな。
懲戒処分を受けた。少将に一階級降格、一年間俸給の減給、一ヶ月の停職。やめられるかと思ったんだが駄目だった。処分としては結構きつい。懲戒処分だから人事記録にもこの先一生残る。いわば×が付いたのだ。ま、どうでも良い話だが。
まあ、今回の処分はあまり気にならない。これまでが順調すぎたのだし、減給も元々あまり金を使わないから痛くない。一ヶ月の停職も早い話が自宅謹慎させられているわけで、もちろん給与もなし。給与が無いのは良いんだが問題は……。
「閣下、この書類を見てください」
「……フィッツシモンズ少佐、私は停職中なんですが」
「それが終わったらこちらです」
どういうわけか、早朝からヴァレリーが来て俺に書類の確認をさせている。決裁印は要らないらしい。ま、停職中にサインしたらおかしいのは確かだが、だからと言って書類の内容チェックなら問題ないというのは拙くないか?
「少佐、私は停職中なんです。おまけに降格処分を受けて傷ついている。ゆっくり休んで心身を癒したいんです」
「ですから書類を持ってきました。閣下を慰めるにはこれが一番です」
ヴァレリーは酷く機嫌が悪い。俺のせいで何かとばっちりでも食ったんだろうか?
「少佐、怒っていますか? でもあれは仕方が無くて……」
「閣下、お辞めになった後、小官をどうするつもりでした?」
「もちろん、リューネブルク中将にお願いするつもりでしたよ。元々中将から預かったんですから、お返しするのが筋でしょう」
「……」
「それに、中将なら女性士官についても偏見が無いでしょうし」
「……」
溜息を吐かれた。
「あの、睨むのを止めて貰えませんか。私が少佐の事を考えないなんてあるわけ無いじゃないですか」
「……そうですね。でも、出来れば隠し事は無しにして欲しかったですね」
「ああ、それは少佐を巻き込みたくなかったんです。後々問題になりますからね」
「それでもです!」
「……はい」
■ 帝国暦487年1月29日 軍務省 尚書室 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「失礼します。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、参りました」
「うむ」
尚書室に入るとそこにはエーレンベルク元帥とミュッケンベルガー元帥が居た。やれやれ、どうやら次の配属先が決まったか。兵站統括部から異動かな。
「ヴァレンシュタイン少将、一ヶ月間ゆっくり休めたかな」
「はっ」
「それは良かった」
エーレンベルク元帥が俺に話しかける。しかし、全然良くない。この一ヶ月間、毎日ヴァレリーは俺に書類を持ってきた。おまけに遠征軍に参加した連中も毎日やってくる。ミュラー、キスリング、メックリンガー、ビッテンフェルトをはじめアイゼナッハまで入れ替わりでやってきた。
連中が言うのは同じ言葉で“自分だけ処分を受けると言うのは水臭い”、“今回の処分は間違っている”だった。まあ、アイゼナッハだけは無言のままだったから、俺の方から同じ事を言ってやった。やたらと頷いてたな、あいつ。
ケスラーとロイエンタール、ミッターマイヤーもやってきた。ケスラーは “最初から辞めるために全部仕組みましたね” なんて言っていたが俺はそこまで腹黒くない。まあ辞められればいいな、とは思ったけど。ロイエンタールも似たような事を言っていたが、あいつら妙な誤解をしている。
ラインハルトとキルヒアイスは来なかった。ローエングラム伯爵家の継承でバタバタしているからな。まあ、来られても何を話して良いかわからん。ちょうど良かったと思う。
そんなこんなで、正直この一ヶ月は何処が停職なんだか全くわからなかった。逃げ場が無い分こっちのほうがきつかったくらいだ……。
「さて、今回ミュッケンベルガー元帥が退役する事になった」
エーレンベルク元帥の言葉に俺は正直驚いた。陛下は引き止めないのか?
「陛下から慰留されたが、私としてもけじめはつけたいのでな」
「しかし、元帥以外にどなたが宇宙艦隊を率いるのです。司令長官はどなたが……」
実際誰が司令長官になるんだ? ラインハルト? あれは副司令長官だろう。
「ローエングラム伯が司令長官になる」
エーレンベルク元帥の言葉に俺は驚いた。本気か、いや能力は有るけど現時点では誰も納得しないぞ。
「卿はどう思うか」
どう思うって、ミュッケンベルガー元帥、それはちょっと無理じゃ……。
「能力は問題ないと思いますが……、周囲が認めるでしょうか? 副司令長官にして、元帥閣下が司令長官を勤めるべきでは有りませんか」
「それはできぬ。退役は既に決めたことだ。だが卿の言うとおり周囲がなかなか認めまい。そこで、副司令長官に信頼の厚い人物を当てようと思う」
なるほど、若い司令長官を支える老練な副司令長官か……。悪くない、メルカッツを持ってくる気だな。
「名案だと思います。恐れ入りました」
「卿もそう思うか、では副司令長官を頼むぞ」
「?」
何だ? ミュッケンベルガー元帥は何を言った? 意味がよくわからん、頼むぞって何頼むんだ?
俺の目の前には人の悪そうな笑顔を浮かべた二人の老人がいた。お前ら正気か?
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