銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十六話 疑惑
■ ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト ウルリッヒ・ケスラー
メックリンガー少将が来た。表情が暗い。元帥との会談は上手くいかなかったのだろうか? それとなく聞いてみたが首を振るだけで答えようとしない。その様子にこちらも思わず溜息が出た。
会議室に行くと既にミューゼル提督、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー少将、キルヒアイス中佐が揃っていた。メックリンガー少将がいることが不思議だったのだろう。訝しげな表情でこちらを見る。
「エルネスト・メックリンガーです。此処に来たのは、今回の会戦のことでご説明したいことが有るからです」
メックリンガー少将の言葉に皆不審そうな表情をした。メックリンガーの表情は硬く、いつもの彼らしくない。元帥との会談はそれ程不調だったのか?
「今回の指揮は小官が執りました」
「!」
ミューゼル提督、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー少将、キルヒアイス中佐いずれも驚いただろう。自分も知らなかったら驚いたに違いない。皆、互いの表情を確認するかのように周囲を見ている。
「理由はミュッケンベルガー元帥が戦闘中、体調不良により指揮を取れない状態になったからです」
“まさか” “冗談だろう” 等の言葉が漏れた。困惑はより一層大きくなっている。
「メックリンガー少将、それはおかしくありませんか。ミュッケンベルガー元帥が指揮を取れないなら、ミューゼル提督が指揮権を引き継ぐべきではありませんか」
「そうですね、本来ならそうすべきでしょう」
キルヒアイス中佐の問いはもっともだ、事情を知らなければ……。ミューゼル提督も不満げにメックリンガーを見ている。メックリンガーは丁寧に答えたが、何処となく投げやりに感じたのは気のせいか?
「では、何故指揮権の委譲がなされなかったのでしょう」
キルヒアイス中佐の口調は柔らかいが視線は厳しくなった。ミューゼル提督の権利を侵食されたと思ったのかも知れない。いや、多分そうだろう。
「指揮権を委譲しなかった理由ですか……」
メックリンガーは少し眼を細めてキルヒアイス中佐を、ミューゼル提督を見た。どうした、メックリンガー?
「指揮権を委譲しなかった理由は、委譲すれば負けると思ったからです」
微かに口元に笑みを浮かべ、メックリンガーは平然と言い放った。会議室の空気が一瞬にして凍りついた。何が有ったのだ、メックリンガー。
「それはどういう意味だ、メックリンガー少将。私が無能だとでも言いたいのか?」
怒りもあらわにミューゼル提督が問いかけた。キルヒアイス中佐もメックリンガーを睨みつけている。しかしメックリンガーは微かに苦笑すると問いに答えることなく言葉を続けた。
「出兵前の事です。ヴァレンシュタイン中将が元帥閣下の体に異常があることに気付きました。そして小官たちにそれを伝えたのです」
「小官たち?」
ミッターマイヤー少将が訝しげに問いかける。
「ええ、小官、新規編制された二個艦隊の司令官達、そしてケスラー少将です」
周囲の視線が私に集まる。覚悟はしていたが気持ちの良いものではない。
「ケスラー少将、卿は知っていたのですか」
ミュラー少将が私に問いかけた。咎めるような口調ではなかった事が救いだ。
「知っていた」
「ケスラー、何故私に言わなかった」
眉を寄せ、私に視線を当てる。裏切られたとでも思っているのかもしれない。
「言うべきではない、そう思ったからです」
「どういうことだ、卿も私が無能だとでも言いたいのか?」
顔を朱に染め言い募る提督に、私は疲労感を感じた。この気持ちがわかるのはロイエンタールだけだろう……。
「そのような事は言っておりません」
「しかし」
なおも言い募るミューゼル提督に私は出来るだけ冷静に話した。
「指揮権を委譲すれば、兵は元帥が指揮を取れないことを知る事になります。そのことが兵にどのような影響を与えるか、お解りになりませんか」
「……」
ようやく判ったか……。戦場での指揮は能力だけの問題ではないのだ。
「それに司令部が素直に指揮権を委譲するかどうか、また直属艦隊が素直にミューゼル提督の指示に従うかどうか……その辺の判断が付かなかったのです」
周囲からは未だ十分にその力を認められているとは言えないのだ。
「ミューゼル提督の能力を疑うようなことはありません。しかし、現時点での指揮権の委譲は危険すぎる、その判断は間違っていなかったと思います」
ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー少将は顔を見合わせている。ある程度納得したのだろう。
「そうだとしても、事前に一言あってしかるべきだろう」
まだ納得できないのだろう。ミューゼル提督が食い下がってきた。
「指揮権を委譲しないということは司令部が指揮を執る事になります。認められましたか、それを」
「……」
そこで黙るから話せないのだ。何故それが判らない。
「指揮権を巡り司令部と争いになりかねない。それは遠征軍内部での新たなしこりになる可能性が有ります。そのような事は出来ませんでした」
「卿らに話さなかったのはすまないと思っている。しかし、提督に話さない以上、卿らにも話すべきではないと思ったのだ。許して欲しい」
「いえ、仕方の無い事だと思います。気にしないでください」
ロイエンタールが落ち着いた表情で話してくる。そう、彼ならわかってくれるだろう。ミュラー、ミッターマイヤーも頷いている。ミューゼル提督はまだ唇を噛み締め、悔しそうだが反論はしてこない。元々愚かではないのだ、判ってくれるだろう。
「ところで、メックリンガー少将、司令部が指揮を執るのはわかりましたが卿が指揮を執ったのはいささか腑に落ちないのですが?」
ようやくそこに気付いたか、ミュラー。ここからまた一悶着だな。
「ヴァレンシュタイン中将が策を講じてくれた。いささか非合法な手段であったが指揮権をシュターデン中将より奪う事が出来た……。そうでなければ、シュターデン中将が指揮を執っただろう……」
沈痛な表情でメックリンガーが呟く。
ミューゼル提督の表情が歪んだ。キルヒアイス中佐も表情を曇らせている。
「ヴァレンシュタインか、またあの男か」
不愉快そうなミューゼル提督の言葉にメックリンガーが反応した。
「ミューゼル提督は今回の件にヴァレンシュタイン中将が関わっている事が不愉快ですか?」
「……そのような事は言っていない」
メックリンガーの声には冷たい響きがある、視線も冷たい。ミューゼル提督もそれを感じたようだ。メックリンガー、元帥との会談で何が有った? 無理にでも聞き出すべきだったか?
「そうですか、それならよろしいのです。今回の戦い、我々は中将のおかげで敗北することなく済みました。中将の功績は誰よりも大きいと言えるでしょう。しかし、中将は今回の指揮権奪取の件で責任を取りたいと元帥に申し出ました」
「責任?」
ミューゼル提督が問い返す。周囲も皆不思議そうな顔をしている。メックリンガーは微かに嘲笑を浮かべ言葉を続ける。いやな予感がする、責任とは何だ、一体。
「ええ、軍から追放してくれと」
「追放? 馬鹿な、何を考えている」
「メックリンガー少将、本当ですか」
ミュラー、ロイエンタール少将が問い返す。どういうことだ、ヴァレンシュタイン、何を考えている?
「本当だ。先程私が、中将から預かった書簡を元帥に渡した。それには “元帥の信頼を裏切るような今回の行為はいかなる理由があろうと許されるものではない、これを許せば軍の統制が保てなくなる” と書いてあったそうだ。元帥が教えてくれた」
「……」
会議室の中が沈黙に包まれる。ミューゼル提督もキルヒアイス中佐も声が無い。メックリンガーの憤懣に満ちた声だけが聞こえる。
「馬鹿げた話だ、中将はただこの艦隊を救いたいと思っただけなのに。その中将が処分を受けねばならないとは」
ようやく、メックリンガーの気持ちがわかった。まさかそんな事があったとは思わなかった。彼が平静な気持ちでいられなかったのも当然だ。ミューゼル提督に冷たい視線を向けたのもその所為か。しかし、本当に今回の件の責任を取る、それだけなのだろうか?
彼の言葉が私の耳に蘇る。
~排除されるのは私のほうになりそうです~
~ある時期が来たら退役するつもりですが、そう遠い事ではないでしょう。私は未だ死にたくありません~
まさかとは思う。しかし、もしかすると彼は今回の事件で最初から辞めるつもりで動いたのかもしれない。他に手は無かったのか? 合法的で非難を受けない手が。出兵間際になってから相談してきたのは他に手が無いと思わせるためではなかったのか?
ロイエンタールと視線が合う。彼は複雑な表情で私を見返してきた。私と同じ事を考えているのだろう。もし私達の考えがあっているのだとすれば、今回の会戦は最初から最後まで彼の思惑のままに動いた事にならないだろうか?
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