我が子
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2部分:第二章
第二章
「それがわからないようなら本当に先生を辞めなさい」
「国語教師は俺にとって天職だ」
「絶対そうじゃないと思うけど」
また話が脱線してきた。カオスになるのは容易い。
「包丁捌きいいんだから焼肉屋にでもなったら?たれだって美味いし」
「じゃあ御前はカレー屋か?」
「カレーならインド人にも負けないわよ」
なお日本のカレーはインドのカリーとは違う。歩美が知らないだけだ。一応これで教師だ。
「カレーの女王様なのは伊達じゃないわよ」
「そうか」
「栄養はカレーで充分よ」
また話が食べ物のそれになっていく。
「焼肉は栄養が偏ってるのよ」
「それは偏見だ。焼肉は牛だけじゃない」
「鶏とか豚とか?」
「あと羊もあるだろうが。野菜だって焼けるしな」
「野菜焼いたら焼肉じゃないじゃない」
「焼肉屋には野菜も置いてあるぞ」
完全に食べ物の話になってしまった。どうしようもない位話が核心に辿り着かない。
「全然バランス悪くないだろ」
「悪いわよ」
「詭弁だぞ、それは」
「いえ、詭弁じゃないわ」
歩美も退かない。かなり気が強い。
「その証拠にね」
「ああ、証拠か!?」
「あれじゃない。焼肉屋」
名前を出してきた。
「焼肉、肉がメインじゃない」
「ああ、それが悪いのかよ」
「ほら、やっぱりバランスが悪い」
ここぞとばかり主張してみせる。
「お肉だけなんて。かえって不健康よ」
「肉を馬鹿にするな」
京介も退かない。やはり彼も強い。馬鹿でもあるが。
「肉は色々な場所があるんだぞ」
「そんなこと言わなくても知ってるわ」
「いや、知らないな」
だが彼は言う。
「肉はその部分で栄養が違う」
「それだって常識じゃない」
「モツだ」
彼が出してきたのはそれであった。
「モツはそれこそ栄養がな。レバーだって」
「コレステロール」
しかし歩美はここでまた反撃を返すのだった。一進一退の夫婦の攻防が続く。
「コレステロールが高いじゃない。おまけに」
「おまけに?」
「焼肉といえばビールでしょ」
「ああ」
黄金の組み合わせである。最強だ。
「それで余計にコレステロールが溜まるじゃない。コレステロール値が高いと」
「高いと?」
「言うまでもないわ。痛風よ」
その結果としてのこの病気だった。
「痛風になったらどうするのよ」
「そういうカレーだってカロリー高いだろうが」
京介が反撃に転じる。今度言うのはこれだった。
「案外カロリー高いよな」
「そんなの中に入れるのでどうとでもなるし」
「むっ!?」
歩美は当然のようにまた言葉を返す。
「そんなの。全然平気よ」
「それを言えば焼肉もだ」
「まだ言うの!?」
「何度でも言う。魚だってあるしコレステロールを分解するには生野菜だ」
それを出してきた。
「あと玉葱だ。焼肉は哲学だ」
「それを言ったらカレーは宇宙よ」
話がカオスどころか異次元になってきていた。
「子供にはその宇宙こそが一番いいのよ」
「子供に大事なのは哲学だ」
今度はそういう話になってきていた。
「特にニーチェだ。超人だ」
「そのままワーグナーかヒトラーにでもなるつもり?」
ニーチェに関係する二人の歴史上の危険人物であった。どちらも非常に危険な人間なので名前が出ただけで普通の人は引く。普通の人なら。
「自分の子供を性格破綻者か独裁者にでもするつもり?」
「じゃあ宇宙は何なんだ」
「悠久の国インドよ」
また凄い国を話に出す。
「インドの素晴らしさを子供に内包させるのよ。それこそが」
「インドか、笑止」
今度は車田正美の漫画の様な言葉を出す京介だった。ポーズも目を閉じて少し俯き加減にしてそんなムードにしてしまっている。
「笑止!?何でよ」
「やはりドイツだ」
何故かそれになるニーチェのせいだろうか。
「ドイツ!?」
「そうだ。哲学大国ドイツこそが子供に相応しい」
「そのままナチズムにかぶれて終わりね」
「何ィ!?」
「今更欧州贔屓なんて古いのよ」
歩美は今度はそこを攻撃してきた。
「時代はアジアよ。とりわけインド」
「あんな訳のわからない国がいいのか」
「インド映画を見なさい」
話が今度は映画に至った。
「あの素晴らしい芸術を。あれこそが映画よ」
「しょっちゅう見知らぬ人達といきなり踊ってストーリー展開がわからないうえに男の人は皆同じ顔でしかも異常に長い映画がか!?」
「そうよ」
それがいいと力説する。
「あれこそが芸術じゃない」
「芸術はオペラだ」
京介が出すのはそれだった。
「あのドイツオペラの哲学と芸術を融合させた素晴らしさこそが」
「伽藍としてるだけね」
一言であった。
「何が何だかわからないわよ」
「インド映画が言うな!」
「ドイツオペラが言わないで!」
妊娠中でも喧嘩腰であった。
「何だ、あんな訳のわからないもの」
「いい加減ヴォツェックから離れなさいよ」
「ふん」
「ふん」
最後は顔を背け合う。だがここで歩美が顔を背けさせたまま京介に対して問うて来た。相変わらずかなり剣呑な顔と声で問うてきたのであった。
「それはそうとね」
「何だ?」
「今夜、覚えてるわね」
「ああ、義姉さん夫婦と一緒にだな」
「夕食よ」
それを言うのだった。
「わかってると思うけれど一緒に出るわよ」
「ああ、わかってる」
こう歩美に返す。
「グラタンだったな」
「お刺身よ」
随分とかけ離れてしまっている組み合わせだった。
「ペンネと牡蠣のグラタンよ」
「それとハマチのお刺身か」
「姉さんの得意料理なのよ。妊娠してる私にってね」
「じゃあ食えばいい」
京介もまた顔を背けさせたまま歩美に対して言う。
「好きなだけな」
「あんたもね。精々食べなさい」
随分と酷い言葉だった。まるで特撮の悪役の女幹部の様な言葉だった。
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