我が子
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1部分:第一章
第一章
我が子
松山京介は悩んでいた。一人勝手に。
「果たしてどうなのか」
一人必死な顔で呟いている。完全に己の中で呟いている。
「実際のところは。どうなんだ」
「ちょっとあんた」
そこに妻の歩美が来た。見ればそのお腹がかなり大きい。
「何悩んでるのよ」
「そろそろ産まれるな」
「もう九ヶ月よ」
歩美はむっとした顔で夫に答えた。
「何でそれでそろそろって言えるのよ。もうすぐよ」
「もうすぐか」
「そう、もうすぐ」
また答える。
「あんたの子供よ」
「俺の子供か」
この言葉を聞いて複雑な顔になる京介だった。
「そうだよな」
「そうよ。何言ってるのよ」
「俺も遂に父親になるのか」
「そういうことよ」
ショートヘアで奇麗だが無愛想な顔だった。髪を長くすれば美女に見えるようだが今はどうにもボーイッシュな感じだ。京介は茶色の髪を少し伸ばしていささか鋭い目をして目線が強い。口が尖り気味なのが印象的だ。
「それさっきから言ってるじゃない」
「さっきからか」
「九ヶ月の間ずっと言ってるわよね」
また言う。
「九ヶ月の間。人の話聞いてるの?」
「聞いてるぞ」
京介もまたむっとした顔で歩美に言い返す。
「それもな」
「そうか」
「そうよ。あんた日本人でしょ」
「生粋の日本人だ」
京介は歩美に対してまた言い返した。
「戸籍ちゃんと調べてるよな」
「私が言ってるのはあれなのよ」
歩美の言葉は続く。京介に負けていない。
「あれって何だ?」
「だから。あんた日本語わかるの?」
「当たり前だ。学校の時はいつも国語系統の成績は五か十だっただろ」
「調べた人間が国語わからなかったのね」
随分と酷い言葉だ。容赦がない。
「日本の教育もいくところまでいってるわね」
「って御前学校の先生だろうが」
「そういうあんたもね」
実はそうなのだった。歩美は数学の先生で京介は国語の先生なのだ。その国語力を生かして学校の先生になったのである。しかし歩美に随分と言われていた。
「まあ学校の先生はどんな人間でもできるけれど」
「どんなでもか」
「そうよ、あんたでもな」
「御前な、それが実の夫に言う言葉か?」
いい加減京介も頭にきていた。そのうえでの言葉だった。
「国語教師で焼肉名人の俺を」
「それを言ったら私は数学教師でカレーの女王様よ」
どちらもかなり出鱈目な表現だった。少なくとも教師には思えない。
「それがどうかしたの?」
「妊婦にカレーはいいのか?」
「刺激物さえ強くなければね」
歩美は答える。
「そうじゃないの?」
「栄養を採らないと駄目だ」
京介は強弁する。
「だからこそ。俺はだな」
「焼肉ばっかり食べてどうするのよ」
またむっとした顔で夫に言い返す。
「肉は食べ過ぎると太るのよ」
「太るのは運動が足りないからだろ」
京介の言葉も負けていない。
「だからだ。いつもはードに身体を動かしてだな」
「妊婦がどうやって身体を動かすのよ」
「腹の中に子供が一人いるだろ」
「二人でしょ」
何と子供の数を忘れている京介だった。かなり酷い。
「この前教えてもらったでしょ」
「ああ、そうだったか」
「そうだったかって子供の数位覚えなさい」
今度ばかりは本気で少し頭にきたようである。
「全く。私より一個年下なのに」
「おい、御前さりげなく間違えるな」
今度は京介が言い返す番だった。
「三つだろうが。俺より三つ上だろ」
「女は時々年齢を忘れるものなのよ」
歩美もまた平然としていた。
「女も二十四ともなればね」
「俺、二十三だぞ」
京介は自分の歳だけは覚えていた。
「御前二十六だろ。だったら俺は二十一になるんだが」
「女の年齢は気が向いたら変わるのよ」
かなり勝手だ。最早話が何なのかわからないようになっていた。いい加減カオスになってきたので歩美は話を戻してきたのだった。
「で、何で悩んでいるのよ」
「ああ、お腹の中の子供はな」
「紛れもないあんたの子供だから安心しなさい」
「そうか」
「そうよ。DNA検査もしたでしょ」
今度はかなり本気の言葉だった。
「私から言って」
「ああ。そうだったな」
「男の子二人よ。しかもね」
「いいことだ」
「私は女の子が欲しかったんだけれど」
本気で頭にきだしていた。いい加減夫の馬鹿っぷりに腹が立ってきたようである。
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