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ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──

作者:なべさん
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
  暗躍はディナーの後で

日本と違って、欧州の外食は基本的に時間を長くかける。

食前酒から始まってデザートがやって来るまで、最終的に二時間、三時間と経ってしまうことも珍しくない。

したがって、食事中は静かにしなさい、なんてのはこちらの文化圏では通用しない。食べるのがメインなのかお喋りがメインなのかが分からない程度なのが、彼らの食事の楽しみ方である。

夜の七時。

この辺りでは別に珍しくもないオーロラに覆われたノルウェーの首都、オスロの街は緯度で言えば極寒のロシアとタメを張れる位置だが、明るい街灯の下に歩く人通りは多い。それもこれも、沿岸部に流れる暖流が温暖な気候を運んできているからだろう。

―――だからこそ、危ういんだよなぁ。ソレがいつまでも続くとは限らんだろーに。

クルクルと回したフォークをサーモンの塊に突き刺しながら、小日向相馬は適当に思った。

品のいい間接照明に浮かぶ店内は、パブやバーなどといった安っぽさは一切感じられない。レストランの中でも王族御用達とか五つ星とか、そんな前置詞がくっついていそうな豪華な内装だった。おそらくは大理石かなにかであろうテーブルの下に敷かれた毛足の長い絨毯にうっかりジュースでも零そうものなら、クリーニング代だけで一生終える人もいるかもしれない。

だが当然そんなところに来る客も洗練されており、離れた席に座る者達はいずれも良く言えば上層階級、悪く言えば成金趣味な雰囲気を醸し出していた。

加えて言えば当然彼らの来ている物もドレスだったりスーツだったりするのだが、小日向相馬はそこら辺にまったく頓着していない。いつも通りの、使い処のよくわからない真っ黒な白衣を着用していた。

傍目からすると異様な光景。

しかしなぜか、それすらも総体的に小日向相馬という存在を仕上げ、また景色に溶け込んでもいた。

異質な空気を常に身に纏う少年のような青年はそこで初めて窓から目を離し、己の対面を見る。

そこには空の椅子。

相手はまだ来ていない。

小日向相馬は軽くため息を吐き出した。

「ったく……。そりゃ呼び出したのはこっちだし、待たなきゃいけねぇのはわかるけどよ。それでもやっぱメンドくせぇモンはメンドくせぇよなー」

青年の声は喧噪に隠れる。

これは別に特殊な機器を用いている訳ではない。

要は何事も見方の問題だ。

人間が聞き耳を立てる際、雑踏の中から特定の声を拾って聞き取るものだ。逆に言えば、そこさえ意識してさえいれば、どんな声も雑音の中へと隠れてしまう。周囲で響いている喧噪という名の総体的な音の振幅や音質などに、意図的に自前の声幅を合わせていれば聞き耳などできはしない。

―――ま、指向性集音マイクとか持ち出されたらさすがに無理だけど。

そこまで小日向相馬が思った時だった。

物腰も所作も完璧に教育されているボーイに連れられた人物がやってくる。

少々歳のいった白人。ガタイはそこそこいいが、いかんせん品のいいスーツの上からでも分かる腹回りが減点対象だった。

エリック=ソールバルグ。

ノルウェーにおいて、運輸、および通信を担当する大臣の一人で、れっきとした幕僚である。

VIP中のVIPの登場ににわかにざわつく店内を横切り、エリックはにこやかに笑いかけてきた。

「久しぶりだね、ソウマ」

政治家特有の、内面をまるで見せないフレンドリーな黒い笑みにチッ、と口内で聞こえないほど小さく舌打ちし、次いで動かしていたナイフを止める。ソースがついた銀色の先端を初老の男に突き付けた。

「十分と三十八秒の遅刻ですよ、大臣」

がらりと、口調が変わる。

小日向相馬は相手によって敬語くらいは使い分けられる大人なのだ。

「いやっはっは、悪い悪い。ただ私にも君が言ったように大臣としての公務が山盛りでね、そうそう抜け出せるものでもないんだよ」

連れられてきたボーイにそのまま注文しながら、恰幅のいい男はからからと笑う。

湿りっ気のない笑いに苦笑を返しながら、小日向相馬は言葉を切り出した。

「さて、大臣。今回お呼び立てした理由は分かっていますか?」

「……あぁ。あぁ、そうだったな」

目線が定まらない。

座ったばかりなのに座り直す。

口許を意味もなく隠す右手。

それら一挙一動をつぶさに観察し、その上で突き放すように――――否、突き飛ばすように小日向相馬は言葉を吐き出した。

「現在、俺とノルウェーが交わしている契約は終わりました。俺はもう撤退します」

「ソウマ、ソウマ。まぁ落ち着きなさい。確かに契約期間は終わったが、君がやりたがっていたマスドライバー計画はまだ始動したばかりじゃないか。現に打ち上げトラブルが続いている。君がいなければ、我が国の宇宙進出は十年は遅れてしまう」

落ち着けはテメェのほうだ、と舌打ちしそうになる心をまるで表情に出さず、青年はポーカーフェイスのまま即座に切り返す。

「トラブルはマスドライバーの問題ではなく、打ち上げる衛星にあります。そして俺が協力したのは打ち上げるほうであり、打ち上げられるものではない。あとはそちらの技術の問題では?」

「なら君が衛星方面の技術に口添えしてくれれば――――」

「俺は人工衛星なんかに興味ありませんので」

しかし、と中年の男は食い下がるように言葉を募る。

「君は衛星軌道上に、中東の主導ですでに人工衛星を一機浮かべているじゃないか!?建前上は高軌道宇宙エレベーター実現に向けた試作機という名目だが、その実態は飛来した彗星や小惑星の軌道を歪ませ、地表に落として一時的な氷河期さえ到来させるという究極の戦略兵器、《凍土招来(ニヴル・スレプリカ)》を――――!!」

「だからですよ、大臣」

小日向相馬は否定をしない。

「俺の中で、人工衛星関連についてはもう『掘り終わった』技術でしかありません。科学者が完璧と思ったら、その分野はもう進歩はしない。俺はもう、衛星には興味が湧かないんですよ」

スクールに通う子供がクレヨンで描いたサイキョーの兵器のほうがまだ可愛げのありそうな、荒唐無稽を遥か彼方に置き去りにしたような話を、否定しない。

それがエリックの顔を不気味に痙攣させる。

「それにノルウェー(あなたがた)には、スヴァールバル諸島のイザヴェル基地(ベース)で試験調整中の《M5》があるでしょう。理論上その四機だけで現行文明に壊滅的打撃を与えられる黙示録の四騎士がいる以上、軍事的意味では俺がいる意義は薄い」

眼前に座っているのが、本当の意味で人間なのかどうか。根本的なところで疑問に思うような、そんな言葉だった。

その顔を無感動な瞳で一瞥し、

「……残念なら大臣、俺も忙しいので今日はこの辺りで」

皿上に残っていた残りのサーモンを若干意地汚く掻き込み、青年は忙しなく立ち上がる。

その動作は言外に、これ以上の交渉を跳ね除ける拒絶の意思を伝えていた。

黒衣の襟を正して退出の意を言う相馬に対し、エリックはしばし何も言わなかった。

だが、テーブル上に置かれた拳が小刻みに震えているのが何よりも彼の心情を表している。

追い詰められた鼠は猫をも喰らう。

母国のことわざを思い起こす青年の前で、俯いた男の口から怨嗟のような低い声が漏れ出た。

「……このまま返すと思うなよ、若造」

ドロドロとした人間の悪感情全てが込められたようなその一言を皮切りに。

メインディッシュを運んでいたボーイが。

仲良くディナーを楽しむ老夫婦が。

けだるげに頬を付き、妖艶にカクテルを煽る女性が。

厨房で火柱を上げる肉の塊と格闘していたシェフが。

全員、小日向相馬に顔を向けた。

そして、彼らの手には一様に火器――――銃が握られている。

首ではなく視線だけでそれらを確かめた青年は、小さくため息をついた。

「これは……どういうおつもりですか?大臣」

「ソウマ、ソウマ。本当は私もこんなことはしたくない。だが、君のドロップアウトが我が国にもたらす損失は計り知れないのだよ」

「……契約が結ばれ、俺はそれに従って終了した。契約を持ち掛けてきたのはそちらですよ?」



「では貴様が衛星に仕込んだモノはなんだ?」



一瞬。

確実に、小日向相馬の動きが止まった。

その様子に糸のように目を細めながら、エリック=ソールバルグは続けざまに口を開いた。

「《ソノブイ》……知らんとは言わせんぞ。我が国が打ち上げに成功した人工衛星の中でもありったけの技術と金をつぎ込んだ最新鋭機だ。だが打ち上げた後におかしなことが分かってな。設計図上に存在しない区画が存在している可能性が浮上してきたのだよ。それも、一号機から十号機の全てで、だ」

青年は何も喋らない。

余裕がないようにも見えるし、泰然としているようにも見える。

つぶさにその一挙一動を観察しながら、エリックは言う。

「しかもその区画は主要中枢(メインパート)にがっちり食い込んでいて、下手にいじればどんな影響が出るか分からないときた。さて、そこで疑問が出てくる。こんな厄介な代物を、どこのどいつが組み込みやがったんだろうな?」

「俺がやったとでも?」

「残念ながら、証拠はない。設計者がなぜか、設計図とともに雲隠れしているからな。――――これだけならば、私はまだ君を信じたよ。だが……」

男は懐から何かを取り出し、テーブルに叩きつけるように置いた。

それは写真。

ひどく不鮮明だが、遠目にも分かる真っ黒な白衣を纏う男が、少ない人数を率いて何かをやっていた。

「これは……」

「これは一番最近に打ち上げ失敗し、北海の底に沈んでいる衛星《ルーヴィン》だ。重なる打ち上げ失敗に対抗するために、幾重もの安全策や対策を乗せた衛星だった。だが、それでも堕ちた」

ギロリ、とエリックは小日向相馬を睨みつける。

怒気を通り越す明確な殺意がそこにはあった。

「貴様は打ち上げに失敗した全ての衛星に《ナニカ》を積んでいた。それも大量に。それが打ち上げ失敗の原因ではないのかね?」

「…………」

「今なら分かるぞ。貴様が、打ち上げるマスドライバー技術には積極的に関与し、その反面打ち上げられる方の衛星にはまったくノータッチだった理由」

「…………………………………」

隠れ蓑だろう?と初老の男はねめつけるように青年の瞳を覗き込む。

「貴様の行動は逐一世界の闇に把握されている。我が国の宇宙開発関連にしても、どれだけ隠匿しようと完璧とはいえないからな。だから貴様は、世界の視界から少しでも《本命》を隠すため、わざと衛星ではなくマスドライバーのほうに注力した。違うか?」

「…………………………………………………………………………………………………」

「……おつむの出来に感謝するんだな、小僧。貴様には我が国の頭脳として働いてもらうぞ。手始めにルーヴィンらに詰め込んだ謎の積み荷について――――」



「あーなるほどなるほどぉ~。監視カメラ全部ジャックしたのになんでこんなもん残ってると思ったら、これ角度的に市販レベルのハンディカメラか?そりゃ気付かねっつのどこのバカが国宝級の極秘施設の保管庫にそんな庶民的なもんがあると思うよー」



ぐ、と。

エリックは無作法で無遠慮に踏み込んできた声に、出そうとしていた言葉を呑み込んだ。

銃器に囲まれた青年は、あまりにも、あまりにも無防備な――――無邪気な笑みを浮かべている。いっそ不気味なほどの綺麗な笑顔の東洋人を男はこの時、本気で気持ちが悪いと思った。

自然、握りしめた拳と視線に力がこもるが、小日向相馬はそんなことは歯牙にもかけない。

いや、そもそも。

そもそもの話、もうこの青年は――――

「いやー、もう一、二機分はバラ撒きたいトコだったがなぁ。ま、許容範囲内だろ」

もう、周りを見てすらいない。

自らに照準を合わせる無数の銃口の洞も、それらを取り巻く殺気も、等しく彼の前では空気となる。

いっそ鼻唄でも歌いそうな気軽さで、小日向相馬は端末を取り出しスケジューラを起動する。

変異層圏(ミラーレイヤー)は無事完成、……っと。ん、《Gコード》方面も順調だな。ザ・シードを介した上層(オーバーレイ)ネットワークとソノブイ十機間のリンク構築も済んだことだし、うん、この辺が潮時かな」

「な、何を……」

とくに意図しての言葉ではない。

ただ、思わずというふうに出た言葉に、意外にも小日向相馬は笑ったまま返答を返した。

「変革ですよ、大臣」

端末を適当に放り投げた青年は、男をテーブルに置き去りにして静かに歩み出す。

何も持たず、ただ無造作に歩を進める彼に圧されるように、人垣が割れる。

コツ、コツ、という靴音だけが空間に沁み込んでいく

静寂だけが場を支配している中、それさえも無視したような音声で小日向相馬は言った。

「時代に合わない天才っつーのはいるもんだ。例えば、無線送電を考えたニコラ=テスラ。重力波の存在を提唱したアインシュタイン……。《持ってる》ヤツらがいちいち時代に合わせる必要がどこにある?時代を乗り越えてこその天才だろーに」

カツ、と青年はレストランのある一点で立ち止まる。

首を巡らせ、底知れない笑みを向けてくる相馬を険しい顔で睨みつけたまま、エリックは口を開いた。

「……何が言いたい」

「やだなーただの討論じゃないですか、お得意でしょこーいうの。常識(モラル)っつーのは超えることでそいつの価値が決まると思うんだがなーて話」

「……………………」

「まぁ?《Gコード》の単語にすら辿り付いてないような、常識に囚われたアンタには――――」

軽く周囲を見回し、何度か頷いた青年は、がぱっと口を開けた。

全員が一様に柳眉を寄せる中、小日向相馬は勢いよく上顎を振り下ろした。

自らの――――舌の上に。

「な……」

勢いよく吹きだす鮮血。

もう言語は喋らない。喋れない。

そのはずなのに。

エリック=ソールバルグには、眼前の男が言い放った言葉を確かに聞いた。

「これ以上は……土台無理だ」

直後。

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十キロ遠方からでも見える黒煙を視認した女性は、頭部を覆う軍用のゴツいタイプの暗視(NV)ゴーグルを外した。

続いて本格防寒なファーコートのポケットに手を突っ込み、携帯端末を取り出した。

だが画面に光は灯っていない。女子高生のように大量にぶら下がったキーホルダー。一つ一つは一見、身元不明のご当地パチモンキャラのようだが、その中の一つが身を震わせ、『音』を造り出す。

『どうだった?』

「建物丸ごとフッ飛んだのを確認した。あれでは死体の特定も難しいだろうな」

ノルウェー警察の最初の仕事は現場の肉片集めになりそうだ、と女性はまったく表情を崩さずに割とエグいことを平然と言った。

「……それにしても《代替身体(クローンドール)》か。製造ラインは中東紛争集結と同時に切っていなかったか?」

『その頃の在庫が余りまくってんだよ。どっかで放出しねェと倉庫代だってバカになんねっつの』

もともとは《死兵》用。

いわば、現実での仮想体(アバター)と言える、脳波で操るクローン体に装備を持たせ、少しでも不利になると手榴弾やら最悪地雷でも抱えて敵陣に飛び込んでいく、れっきとした兵器転用を目的とした技術だ。

国際法で禁止されているヒトに対するクローンだが、紛争という名の狂気はその辺りを実に好意的に、そして恣意的に解釈する。(例えば兵士の一人に改宗させ、宗教上ではヒトではないと定義づけるなど)

まぁ、その側面を利用していないと言えば嘘になるのだが。

そして、この技術は別の側面もある。判りやすく言えば、影武者用のものである。

現状、小日向相馬の立場は危ういなんてモノじゃない。薄氷どころか、命綱無しで高層ビルの間を綱渡りしているようなものだ。

文書化されているだけでも、彼の死亡回数は二百回を超えているだろう。公的文書に残せないものであれば、両手の指×100では足りないかもしれない。

そのレベルの暗殺全てを、たかだか一個人が所有できる部隊で守らせるのは不可能に近い。暗殺とは必ずしも狙撃といった直接的手段とは限らない。毒殺などは、遅効性の毒物を使われたら犯人の特定は困難だ。そもそも実行犯を処分したくらいで止まったら苦労はしない。

だから彼は、究極的に強引な手段を実行した。

つまり、殺されるべき自己を複製したのだ。いかな世界の闇が仕向けた選りすぐりの暗殺者でも、目標(ターゲット)が複数、しかもそのどれもが偽物などではお手上げだ。

ともあれ、そんな技術をキラキラした声質で自慢してくる(本人は隠しているつもりらしい)『声』に呆れたように女性は小さくため息をついた。

「なるほどな。……で、ノルウェー側はどこまで掴んでいたんだ?」

『衛星墜落と《ソノブイ》について、……あとはカモフラのためにバラ撒いてた《凍土招来(ニヴル・スレプリカ)》について、かな。ま、エリック(あのジジィ)は捨て駒扱いだった可能性もあるし、ノルウェー全体がどこまで把握してるかは不透明だな』

「意外だな。《Gコード》くらいは触れられると思っていたが」

『まぁこんなもんだろ。どっちみちノルウェーの役割は《ソノブイ》打ち上げで八割方終わってる。変異層圏(ミラーレイヤー)の完成はオマケみたいなもんだ。せいぜい、ありもしない戦略兵器(ニヴル・スレプリカ)とやらに踊っててもらおう』

そうか、と相槌を打ちながら、女性は暗視ゴーグルを開けっ放しにしていた窓から車内に放り込み、代わりに懐から常用のメガネを取り出した。

「だが今回の一件で、ノルウェーはお前を許さないぞ。これにかこつけて、米中露も介入してくるだろう」

介入で済んだらまだいい。

ただでさえアメリカは艦載AIに対してキューバの対艦兵器の件がある。敵意剥き出しでちょっかいを出してくるだろう。

それに中露――――とくにロシアはことさら酷い。技術と資源でリードを奪っていた優位性の内、技術面の軍事バランスを不透明化され、さらには他国には散々技術提供して自国には音沙汰さえないのだ。相当はらわたが煮えくり返っているに違いない。

今回の一件は、そんな彼らの怒りを公然と振るえる理由づけになる可能性がある。

テロ首謀者のレッテルでも張り付け、表世界で堂々と探し回ることだろう。

完全に居場所を失う行為。

だが男の声に後悔の感情は一片も含まれていなかった。

その理由を、その訳を知っている女性の身からすれば、そっと目を伏せる以外には何もできない。

『勝手にさせときゃいンだよ。どーせ連中は派手な手出しなんてできないしな』

散発的な軍事介入の目的はここにある。

米中露の世界三カ国が特殊(コマンド)部隊などを使って本格的に手出ししてこない理由は、究極的なところこちら側の手札が完全に見え切っていないせいだ。手のひらを全て見たと思った瞬間、まだ彼らに見せたことのない――――彼らの常識の度外にある最先端を出す。心理戦で言えば結構えげつない手ではあるが有効には違いがないだろう。

だが、それもいつまでもは続かない。

「あまり……世界を舐めるなよ」

「それは経験者の判断か?」

「……かもしれない。だが――――」

ふっ、と『声』は笑ったようだった。

「わぁーってるよ、別に舐めちゃいねぇ。……ンなクソッタレな運命なんてモン作りやがったヤツ相手に舐めプする度胸なんてねぇっつの」

「……………………」

その声は、字面だけ見たら軽かったろう。

だが、その一つ一つ、単語の隙間に捻じ込むようにこめられた殺気に、女性は一瞬、本当に一瞬黙り込んだ。

黙らされた。

不敗。否、そもそも負けという概念すら知らなかった彼が唯一敗北を――――これ以上ない《屈服》をさせられたモノ。

世界。

苦々しいなんてものじゃない。憎々しいでもまだ足りないだろう。

《鬼才》と呼ばれるこの男が、地を這い泥を啜り、それでも届かなかったモノがあった。

この言葉は、そう――――ただの負け惜しみだ。

だから――――

「あぁ……そうだな」

端末に声を吐きかけ、女性は穏やかに言葉を紡ぐ。

「……そろそろ切るぞ。この極寒下ではバッテリーがもたん」

「ああ」

通信を切った女性はまず、端末にぶら下げていた大量のストラップを一つ一つ丁寧に外し、端末本体をそれまで暖を取るために燃やしていたたき火の中に放り込んだ。

じゃらじゃらと非常にやかましいキーホルダーをひとまずポケットに入れてから、女性は頭上を見上げる。

ノルウェーはかなりの高緯度地域。降るような星空で、オーロラが美しい光のカーテンを広げていた。その裾野は遠く、地平線の彼方まで続いているような錯覚に陥る。

だが、そんな写真家が涎を垂らしそうな光景を見ても、女性の心には波紋の一つも立てることができなかった。

何分そうしていただろうか。

誰もいない、オーロラのかかるノルウェーの空の下、女性は静かに口を開く。

いつも言えない、その一言を。

ひっそりと

「……だから、止めなきゃいけないんだよ」

言った。










ALO、イグドラシル・シティ。

大陸中央にそびえる世界樹上空に広がる枝葉に支えられる形で浮かぶ天空都市の片隅に、胡散臭い一つの店があった。

訪れた(数少ない)客の大半は雑貨屋というが、店主によれば骨董品店(アンティークショップ)なのだとか。

見事な達筆で書かれた看板の下、すりガラス張りの扉がゆっくりと開いた。カランコロン、とパブや喫茶店にあるような鈴の音が軽やかなサウンドエフェクトを添える。

出てきたのは、首元も覆うタイプのセーターもその上に羽織るベストも長いスカートも靴も黒一色で統一した妙齢の美女だ。乳白色の肌の色から、辛うじて闇妖精(インプ)とは分かるが、逆に言うとそれくらいしかわからない。徹底的に内面が見えないお姉さんだった。

現実時間ではもう真夜中に近いのだが、時間がずれているALOではちょうど朝日が昇るところだった。

世界樹の巨大な枝葉の向こうから零れてくる陽光に背伸びをし、インプのお姉さんはずり落ちそうだったメガネを直す。これもやっぱり黒縁だった。

「ん、ん~っ。さっむいわねー、もう冬かー。こないだまで春だった気がするんだけどなぁ」

微妙に年寄り臭いことを言いながら、肩をゴキゴキする妙齢の美女(笑)

何となくその場のノリで、ラジオ体操っぽい動きを店の軒先でおっぱじめたお姉さんは、

「ん?」

玄関脇に設置されているポストから、羊皮紙の端っこがはみ出していることに気付いた。

メガネのリムを上げ直し、お姉さんはポストから紙を引っこ抜く。正直、ゲーム内でのポストなどフレンドメールの概念がある以上、装飾品以上の意味合いはない。だが、その上で書面に記しているのはそのマイナーさを逆手にとった手法だ。ホロキーボードで文字を打ち込むメールと違い、モード変更で直接文字や絵を書き込める関係上、サーバにログが残りにくいという側面もある。

ぺらりと紙面を広げ、そこに綴られたきっちりとしたフォントを眼で追っていたお姉さんは――――にんまりと笑った。

見た目の神秘的で厭世的な雰囲気とは違い、ひどく俗世にまみれた人懐っこい笑みだった。

「ふんふん……、なるほどなるほど。あっちもあっちで大分面白そうな感じに仕上がっちゃってるみたいねー」

鼻唄を口ずさむほどに上機嫌になったお姉さんは、その場でくるくる回転し始めた。どうやらよほど面白いことでも書いてあったのか。

一通り回って満足したのか、勝手に疲れたお姉さんは前髪をかき上げて引っ張り出した額をこりこりしながら宙空を仰ぐ。

「さーて、忙しくなるわよ」

そう言って、《兎轉舎》女店主、高原イヨはどこか宣言するように呟いた。










予定調和は終わる。

《鬼才》の思惑なんてどうでもいい。

《魔神》の大仰な計画など知ったことか。

そんな対立軸がまた一つ。

どうしようもない世界に、新たな産声を上げようとしていた。










最も強い者が生き残る訳ではなく、最も賢い者が生き延びる訳でもない。

唯一生き残るのは、変化できるものである。

――――チャールズ・ダーウィン 
 

 
後書き
年内最後にキレイに終わる、今回の編の最終話でございます。
長々と続きましたが、やっぱり最後はお兄たまが持っていくんだなぁ。レン君が仮想世界に入り浸りなので、現実世界の諸々はもっぱら彼に任せっきりになっている現状は今後解決するのか!?(たぶんしない←
さて、今編はレン君がいないALOというメインテーマの上で色々好き勝手に上乗せベットして気が付いたらこうなった、みたいな闇鍋状態のデッドレースだったりしたのですがいかがだったでしょうか。
作者的にはうんうん唸った結果くらいは出ているのではないかとw
何度も蒸し返すようですが、黒幕ちゃんの言う事は今でも正当性があると思っております。今回彼女が悪という風に描かれているのは、全体的な総意という圧倒的な『正義』に彼女が抗ってしまった結果という感じです。要するにKYとか懐古厨とかに分類されるものかと。
でも、他のゲームからズカズカやってきて「その武器前のゲームだと装備してるだけで嫌がられてたから付けない方がいいよ」とかしたり顔で言ってくる連中にムカつくのは心底分かりますけどね?←
そういう意味では作者の私の意見を一番反映したキャラかもしれません。
さてはて、まとめ感想はいったん切り上げ、この後の展開ですが、実はまだちょっとした小話を一つ。
こちらもGGOの裏側……というのは時系列的に少し違うかな?GGO最終盤、シゲさん家にてレン君とシゲさんが話していた時、欠席していたユウキ視点の話でございます。
年齢のまったく違う二人が政治家みたいな話をしていたその時、少女は思いもかけない邂逅をしていました――――(予告風
そんな感じでお楽しみに。さすがにこちらは今編のような長丁場にはなりません、極薄ですのでご心配なく(笑)
それでは2017年もありがとうございました。良いお年を~! 
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