ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第1章転節 落暉のアントラクト 2023/11
8話 深紅の情動
「おっつー、紅茶で良かったっけ? ま、もう出来ちったから嫌でも飲んでもらうんだけどね」
「………ああ、悪いな」
「へっへ~、いいってことよぉ。ダチは大切に、ってやつ?」
暖かな暖炉の火が揺れるのを眺めつつ、気怠げで横暴な声と共に差し出されたティーカップを受け取った。
俺が見繕って買い溜めするような安物ではなく、鮮やかな色と香りは一級品。木苺のような木の実を鎮めるのは、淹れ手の趣向――――《アシュレイ》と並び称されるお針子プレイヤーである《ローゼリンデ》の人柄が多分に窺える。当人は縁の太いメガネと赤いジャージ然とした布装備という、いかにもやる気の感じない無防備な風貌なのだが、知る人ぞ知る名匠である彼女は、仕事の腕については文句無しの一級品だ。
そんな一癖あるお針子はトレイから自分のティーカップとポットを降ろし、机の反対側に腰掛けた。
壁側の作業机には針や鋏や定規やミシン、棚にはスクロール状に丸めた布や糸が並ぶ。訪れるまで作業の続けられていた毛糸の編み物は脇に退けられ、藤籠へと納められる。
ここへ来ると、お針子とは斯くも様々な道具を駆使するものかと目を見張らされるものだ。これだけの荷物を持ちながら、未だに工房を持たずに居場所を転々としているのだから、苦労もあるだろうに。ただでさえものぐさなのに、どうしているのだろうか。などと関係のない心配をしてしまいそうになるが、ローゼリンデの声で会話が開始されることとなる。
「そんにしてもさー、一人でウチんとこに来るなんて珍しいねー………なんか良い事でもあった?」
「遊びに来たわけじゃないんだけど、良い事か………まあ、そうなんだろうな」
途端に目を輝かせるローゼリンデの得体の知れない期待には生憎と応えられないが、それでも俺個人の尺度で言えば、間違いなく《良い》部類に入る。独力で得た友人なのだから、人生の内で得たものの中では群を抜いて貴重と言えるだろう。あの二日前の一件は記憶が褪せるには少しばかり刺激が強かった。それほど楽しめて、そして心が楽になった時間だ。
それを知ってか知らずか、相対する赤ジャージはキュピーンとメガネの奥の双眸に一層の光を宿す。
「なになに? もしかしてヒヨリっちと一線越えちった!? どうだったんよ、その辺のお話をウチに詳しく聞かせんしゃいッ!」
「それはない。アンタだってわかるだろ」
「うーん、まぁ、そーねぇ。あのコ、自分の武器を未だに把握してないというか、使い所を心得ていないといいますか………あぁん、もう!」
期待を裏切られたとばかりに、じれったそうに唸られる。
こちらとしても会話の筋が捻じれて進まないは正直なところ困るのだが。
「………ま、そーゆうプラトニックなとこ、お姉さん的には高評価なんだけどね」
「そもそも付き合ってない。ただのPTというヤツだ」
「ふーん、やっぱつまんないの」
「とにかく、今日は依頼があって来た。こいつを白系統に色彩変更してもらいたい」
脱線したまま猛進する話題の行き先に付いて行くつもりもなく、無理矢理に本題へと話を運ぶ。
ついでにオブジェクト化した《女王》のドロップ品であるベールをテーブルに差し出すと、ローゼリンデはそのまま手に取ってメガネをワザとらしく指先で持ち上げる。
メガネ自体が《鑑定スキルの精度に補正を与え、さらに追加情報を付与する》効果を保有するマジックアイテムであるから、意味のない行為ではないのだろうが、それこそが彼女の仕事モードへ移行する為に必要なプロセスなので黙って見守ることとした。
「ふへぇ~、こりゃあまた珍しいもん見っけて来たねぇ。………ドロップするモンスターは《メイヴ・ザ・ショールクイーン》っと……ネームドのレアドロか何か?」
「相変わらず、とんでもない観察眼だな。隠しクエストのボスのLAボーナスだ」
女王の名前の謎も解けたものの、努めて表情に出さぬよう心掛ける。
アイテムの鑑定において《ドロップするモンスターの名称》まで看破してしまう点もさることながら、難解なスペリングでさえ苦もなく読み上げてしまうのだから、尚の事底の知れない相手だ。
「へぇ~、本邦初公開ってわけだ。布系素材としても優秀だけど、ホントに染色だけでええのん?」
「俺のじゃないからな。頼んできた相手も結婚式をやりたいっていうから、それっぽく仕上げてくれると助かる。こういうのはアンタにしか頼めないからな」
《忙しそう》などと理由づけこそしたが、実際の根拠は別のところにある。
ヒヨリは脳の構造が単純作業向けだから却下。
リゼルは変な方向に暴走して収拾がつかなくなりそうなので却下。
アシュレイは色々と面倒臭いから却下。
「あぁー、確かにアシュレイとかだとブチギレそうだよね。プロ意識あるし、こういうの適当に出来なさそうだし」
「そういうわけだ。頼んだぞ」
つまるところ、《纏まらない意見を汲んでくれる》彼女しか適任がいないのである。
アシュレイとローゼリンデ。両者共に技術面では拮抗しているが、作品に対する顧客自身の思い入れが感じられない以上は仕事さえ請け負わない《頑固一徹な》職人肌なアシュレイに対して、ローゼリンデは自分の感覚だけで仕事を始めるという《きまぐれな》職人肌なのである。こうしたスタンスの違いもあってか、お針子としての人気は《意見を反映してくれる》アシュレイに軍配が上がったのである。
しかし、決して仕事が無いわけではない。異性の感覚の分からないプレイヤーが意中の相手に何かしらの贈り物を見繕う際に、彼女のセンスが大いに輝くのである。贈り物を差し出すシーンから先の結末は当人に依存することだろうが、今回はあくまで頼まれただけ。彼女の下を訪れる客のような決死の覚悟など持ち合わせていないだけに、気は相当に楽だ。
「へーぃ。じゃ、チャチャっとお仕事始めよっかね」
気怠そうに棚に向かったローゼリンデは、棚から小瓶を幾つか拾い上げて再び机に向き直る。
「はい、一応説明。コイツがアイテム本来の色を落とすヤツで、コイツとコイツが隠し味ね」
「………なるほど、俺でも隠し味以外は分かったような気がする」
「ほとんどダメじゃん。まー、こんなのはウチらくらいじゃないと役に立たないだろうし、知らなくたってだいじょぶっしょ。じゃあ始めちゃいますよーっと」
瓶を一つずつ持ち上げながら説明してくれた彼女には申し訳ない限りだ。説明責任が果たされたかというと、その限りではなさそうだが。
とはいえ、それを差し引いても成績表の上での評価だが、生憎と俺の美術のセンスは最悪だ。しかし、ローゼリンデは苦笑い一つで場を収め、作業に取り掛かる。とはいえ、水の張った桶に小瓶から数滴中身を零し、そこにベールを沈めるだけ。それだけ済むと、ちょうど空いている隣の席にわざわざ移動してくる。
「はい。じゃ、時間もあることだし、新しく出来たダチについて聞こうじゃないの」
「………まだそんな話してないよな」
「でも、間違ってないっしょ? キミのダチで結婚なんて浮いた話ってのも聞かないし、必然的に別の誰かってことになる。でもその誰かは全くの無関係じゃない。そんでもって普段と違って機嫌が良いし、そんな分かりやすい変化を踏まえて考えたら、在り得そうな線ってのはそのくらいってもんよ。どーだ参ったか」
「………まあ、そういうことだ」
見透かされている。
ホントに底の知れない女だ、恐ろしいことこの上ない。
そんな戦慄さえ気にも留めず、ローゼリンデは暖炉の火に松ぼっくりを放って遊び始める。青い炎が揺らめく度に歓声をあげる赤ジャージを横目に、半ば観念するような心持ちで白状する。
「なんてことはない。歳の離れた知り合いが出来たってだけだ。相手は旦那さんだっているしな」
「年上の女の人なのん?」
「そうだな………年功序列というか、姉御肌というか、おかげで随分と振り回されたよ」
「もしかして、略奪愛に発展したり? 良い具合に爛れた関係ってやつ!?」
「だからそういう展開になるわけねぇだろ!? そうなっても断るわ!!」
「………えぇー、つまんねーのー」
唇を尖らせながら露骨に退屈を訴えてくるが、生憎と楽しませるような話題は持ち合わせていない。
ローゼリンデの趣味趣向には少なからぬ危機感めいたものを感じさせられるが、これでお針子として商売をやっていけるのだから驚かされる。アルゴの事もあるし、SAOにおける商売人の対応力が気になるところだ。他人事ながら不安に思わされる。
「でもま、愛人じゃなくても、仲良く出来る友達ってのは大切にしなよ? 後になって後悔しても遅いんだかんね」
言いつつ、ローゼリンデは暖炉に松ぼっくりを焼べる。
彼女には珍しい説教臭い台詞は、しかし切ない響きを感じさせるようにも思えた。事の真相は定かではないが、気安く探って良いものでもないだろう。敢えて深くを知ろうとはしないように努めた。
「分かってる。それにただでさえあの人は強いし、センスもある。そのベールだってその人と取ってきた戦利品だ。あんな人が前線に来れれば、もっと勢いも増すんだろうな」
「へぇー、珍しく持ち上げんじゃん」
「正当な評価だ」
「ま、そーいうことにしときますかねー」
何か意味有り気な物言いではあるが追及は為されず、そそくさと席を離れては桶からベールを引っ張り出す。水を滴らせながら現れたベールは、色彩系統のパラメータが初期化されたかのように純白で、これ以上に手を加える意味があるのだろうかと内心で疑ってしまう。
「一応言っとくけど、これで納得しちゃったらダメだかんね?」
「これでは駄目なのか?」
「ま、見ときんしゃい。この状態はアイテムの色が初期化されてる状態なわけ。これにちょい手を加えとくのよ」
説明もそこそこに、白くなったベールに小瓶の中身を一滴ずつ落とす。
しかし、何が変化したのかは俺如きでは皆目見当も付かない。思わず首を傾げると、ローゼリンデの苦笑いが再び零れる。
「ホレ、ちょっとだけ光沢付いたっしょ? ついでに触ってみ?」
「………言われてみれば、そんなふうに見えなくもないし、なんかサラサラした気がする………」
「イイトコ気付いたね。お姉さんが褒めたげよう!」
察するに、今垂らした雫は《光沢をつける染料系アイテム》と《肌触りを変更するアイテム》だったわけだ。どうにも俺のデータベースにはないような専門アイテムの存在に感嘆しつつ、頭に伸ばされた手を払い退ける。
「もー、恥ずかしがり屋さんなんだからー。ヒヨリちゃんはもっと素直だぞ?」
「俺とヤツを一緒にするな」
「ハイハイ、っと………話を戻すけど、コイツは元々はシースルー系でね、黒かったから良い具合にエロかったんだけどさ、色を落としちゃうと安物感がハンパないんだなーコレが」
布に印象を見出す境地たるや、流石は名匠と言わざるを得ない。
だが、話に付いて行けない俺からしてみれば辛い状況ではある。
「ま、安っぽい薄切れじゃ結婚式なんて出来ないから、こうして光沢を出して風合いを変えればシルクっぽく見えるっしょ?」
「………そんな気が………する………」
申し訳ないが、絹という素材についての知識はあっても実物をよく知らない。
「キミは、美術だけじゃなくて家庭科もダメだったクチだね?」
「………悪かったな」
「うんにゃ、別にぃ。弱みのあるくらいが可愛げあるって言うじゃない」
弱みじゃなくて汚点だな。
それ以外が完璧だったかと言われると、素直に首を縦に触れないところが悔しくもあるが。
「シルクを調達して来てあげても良かったんだけど、せっかく頑張って取って来たんだから使わなきゃね。リメイク品ってことで仕立ててみよう」
「なんか、見てるだけだと簡単そうだな。お手軽というか………」
「いやいや、こっちのが断然値が張るっての。ぶっちゃけ、ここまでで使ったアイテムだけで同じだけのシルクベール一年分くらい用意出来ちゃうレベルだね」
「………嘘だろ?」
「のーん、いっつれぁりぃ」
気の抜けたイングリッシュで返答され、いよいよ言葉を失ってしまう。
価格的に大丈夫なのだろうか。懐具合が本格的に心配になってくるが、ローゼリンデは対して不敵な笑みを浮かべて俺に告げた。
「分割支払い、やっちゃう?」
「利息が怖いわ」
「冗談、こんくらいのシルク生地だったら今の相場で一切れ五十コルってとこだから、二万コルでオツリが出ちゃうね! おっとくー!」
「安くないだろ」
「いやいや、レイヤー志望のプレイヤーさんやコスプレ専門のお針子さんは300Kからが本番ってのもわんさかいるし。リゼっちなんかは頑張ってんじゃないかなー」
「業が深いな」
食指が動いた女性プレイヤーを自分好みの服装へと無理矢理に着せ替えるリゼル。
その凶行の裏側にあった涙ぐましい努力があってこそだと知ると、どうにも言えない感情が湧き上がってくる。なんというべきか、努力する方向を著しく間違えているように思えてならない。
「そんで、ここにレースっぽい刺繍入れてくと………どーよ?」
「お、おぉ………すげぇ!?」
「すげぇだろー、もっとお姉さんを褒めれー。つっても、工程はシステムで省略なんだけどね」
思わず感嘆が口を突いて出ると、ローゼリンデは得意気な笑みを以て手を止める。如何にセンスがない人間であっても、施された意匠が如何に凄まじいかは理解できるつもりでいる。
ついに作業工程を終えて返されたベールは、オリジナルからデザインを異にする別物として姿を改めていた。
アイテム本来の羽のような軽さと透けるような薄さをそのままに、光沢のある純白と柔らかい肌触りは相応のレアアイテムの働きか。しかし、施された精緻で華麗な刺繍が職人の技量の高さを声高に物語っている。赤ジャージが手掛けたとは思えないような逸品が今ここに誕生したのだった。
「刺繍はいつもの素材のお礼にとっといて。そんで、お友達によろしく言っといてね」
「何から何まで悪いな」
「いいってことよー。んじゃま、お外は暗いから気ぃ付けて帰んなよー」
「徒歩三分圏内だけどな」
「え、もしかしてご近所さん? ヒヨリっちにお姉さんの晩御飯もお願い出来ちゃう?」
「ヒヨリとティルネルは留守だよ」
「ありゃりゃ? じゃあ、お姉さんトコに泊まっとく? その代わり、今夜は寝かさないぜ!」
「帰る」
「もー、照れ屋さんなんだからぁん」
冗談の大安売りも終わり、ひらひらと手を振るローゼリンデに見送られながら自分の拠点へと歩を進める。ともすれば雪でも降りそうなくらいに冷え込んだ気温を仮想の肌で体感しながら家路を目指す。
――――そんな折、メールの着信を報せるサウンドが鳴り、思わず足を止めてしまう。
差出人は、意外にもグリセルダさんだった。
何らかの略称かアルファベットの羅列が数文字だけ並んでいる。
真意を問うべくメールを開くと、メッセージは白紙。軽く見積もってもタイプミスか、考えづらいことだが悪戯か、それとも誤って送信してしまったか。俺の見解としてはどれも決定打に欠けた選択肢だ。グリセルダさんの性格からして悪戯や誤送信はそれこそ在り得ないと見て良さそうだが、断言も出来ない。
「ったく、何をしているんだか」
しかし、もし今後もこのような得体の知れないメールが届くようでは困る。
怒鳴り込みにいくという訳ではないが、気を付けてもらう意味でも文面ではなく出向いた方が説得力の面でも有効な場合がある。居場所を探るべく《追跡》スキルでグリセルダさんの居場所を探ることにする。
「………なに?」
受信メールから沸き上がった疑問が、更に増量する。
追跡スキルが示すグリセルダさんの所在地は、なんと現アインクラッド攻略最前線である三十五層。
しかし、主街区ではなく村に居たらしく今は真っ直ぐに北上を続けている。三十五層の北、そこにあるのは《迷いの森》と呼ばれる、現層攻略において最難関たるエリア。碁盤上に区切られたエリアで構成されたフィールドは、一区画に一分滞在すれば周囲がランダムに連結され、現在地の把握を阻害する。出現するモンスターのレベルから考えても、クリセルダさんには荷が重い。ましてや、自身の安全マージンから大きく逸脱したエリアで狩りを行うことなど、グリセルダさん個人が考え付くとは思えない。
とはいえ、結論は出ないまま、俺は北へと駆け出していた。
そうしなければいけないと、思考や理性とは別の領域でそう感じたのだから。
後書き
スレイド君のおつかい、そして不穏回
脱力系お針子プレイヤー《ローゼリンデ》爆☆誕。
前回、名前だけ出ていたキワモノ枠、《干物姉リンデさん》をお迎えする運びとなりました。性格は見ての通りです。適当そうでこだわりがあって、残念そうで面倒見が良くて、不思議な二面性を持ったキャラクターではありますが、この方は次章やその他でも活躍する予定であります。この回はお披露目程度に思っていただければ。
そして、スレイド君の知り合いにやたら女性が多い理由についてそろそろネタばらしを。
単刀直入に言うと、元を辿ればヒヨリちゃんのお友達です。更に厳密に言えば、ヒヨリとクーネ達のコネクションです。スレイド君自身は進んで誰かと縁を結ぶような性格ではないので、必然的にヒヨリ達と仲良くなりやすいであろう《女性陣》が増えていく図式が完成するというわけです。
ちなみに原作で僅かにお名前の登場した《アシュレイさん》はスレイド君が自力で友人になれた稀有な人物ですね。街中で服のセンスを褒められたものの、ケアがなっていないと怒られてオーバーホールされたのがキッカケとなります。アシュレイさんの性格はぶっちゃけオネエ系ですが、厳密な部分はDEBANさん達の活躍する漫画をご参照下さいませ。
次回、別キャラ視点でお送り致します(予定)
ではまたノシ
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