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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第139話 失明

 
前書き
 第139話を更新します。

 次回更新は、
 4月20日。 『蒼き夢の果てに』第140話。
 タイトルは、『蛇神顕現』です。

 

 
 先ほどまで確かに存在していた、真円に僅かばかり足りない十六夜の月。吐く息が白く濁る夜に相応しい、煌々(こうこう)とした冷たい笑みを投げ掛けていた艶やかなその姿は既に見えず。
 そして紅蒼、ふたりの女神を取り巻くように瞬いていたはずの星々も消えた氷空……。

 其処に響く哀愁に満ちた犬たちの叫び。そう、それはまるで世界自体を呪うかのような哀しみに満ちた声。
 その声がひとつ響く度、ひとつ分だけ余計に濃くなって行く闇の気配。
 そして引き寄せる。……引き寄せられる異界。

「おやおや、あの程度の相手を守る為に、其処まで被害を受けて仕舞われましたか」

 未だ視力の回復しない俺。その俺の前方から掛けられる妙に馴れ馴れしい……そして、聞き覚えのある男声。但し、その声が発せられた方向に人の気配はない。
 存在するのは濃い闇の気配のみ。紅く、赤く、ふるふると蠢く闇の炎。
 そう、それは正に圧倒的な魔力と底知れぬ知性を持つ存在。古より語り継がれ、人々が恐れおののいて来た闇の支配者に相応しい気配。

 しかし――

 しかし……。溜め息混じりにそう吐き出す俺。これは空虚。但し、同時に怒りの感情でもある。これが自らの力の無さを実感させられる瞬間であり、今までの……。そして、これから先、俺が為す事、目指す事がすべて無駄なんじゃないかと思う瞬間でもあった。

 そう、それはヤツが口にした『あの程度の相手』……と言う部分。こんなヤツに選ばれたと思い込んで生命を落とす人間が居る事が、流石に浮かばれないと思うから。そう感じたから。
 コイツ……這い寄る混沌(ニャルラトテップ)も、邪神と言う名の一種の神だから。

 先ほど、光と共に宝石へと消えて行った犬神使いの青年の姿を、皮肉に頬を歪めながら思い浮かべる俺。これではあの犬神使いが企てた邪神召喚の為に()()()()()()()()たち。操られた犬たちのすべてが浮かばれない。
 ただ、そうかと言って、そんな奴に能力を与えたこの邪神がすべて悪いのかと言うと、そう言う訳でもない。むしろ、そう言うお手軽な方法で能力が得られる事を望み、その能力を使い熟す事もなく溺れたあの ()()使()()の方にこそ、責められるべき理由があると思うから。
 ヤツ……這い寄る混沌と言う邪神は、別に無理矢理に望みもしない能力を与える神ではない。まして、普通の場合は能力を人間に与える為に甘言を耳元で囁いたり、策を弄したりする訳でもない。

 すべてはその能力を得た人間が最初に欲したから与えた。ただ、それだけに過ぎない。
 故に、その能力を与えた人間に最終的に敗れる。そう言う世界すら存在したらしい。

 そう考えた刹那!

「下がれ、魔!」

 鳴弦の弦音が高く響いた直後、前方で大きな物が倒れたような音が続いた。
 そして同時に、大きな熱を持った何かが大地に広がり、その瞬間に、それは得体の知れない()()()か、から、単なる炎へと変化した事が、視力を失くした事で鋭敏に成った感覚が教えてくれた。

「やれやれ、嫌われた物ですね」

 しかし、その直ぐ後に、まったく別の個所に立ち上がる黒い気配。方向と距離から考えると、残された別のかがり火の炎を触媒に使用している事は想像に難くない。
 砂利を踏みしめながら近付いて来る気配と鈴の音色が、俺の直ぐ傍らにて足を止める。その位置は俺と、その黒き気配の間。おそらく炎の巨人から、動けない……消耗し過ぎて、動きの鈍い俺を守る位置に立ち塞がってくれたのだと思う。

 かがり火を正面に見据え、静かに息を吐き出しながら、ゆっくりと弓を打ち起こして行く彼女の姿が見えるような気がした。いや、現実には自らの直ぐ傍に立つ、黄金色に光り輝く人型を感じているだけの状態なのだが。
 そう。普段は物静かで清楚。感情を強く表に出す事のない彼女が、この時はかなり強い怒に彩られた感情を必死になって押さえ込んでいる。そう言う部分まで今は強く感じる事が出来るようになった……と言う事。黄金色は彼女……弓月桜を指し示す土行の精霊たちが、彼女の感情の高ぶりに刺激され活性化した証。
 但し――

「あ、いや、弓月さん。多分、大丈夫や」

 今にも鳴弦を放ちそうな弓月さんを制する俺。確かに、この邪神自体が何を考えているのか分からない相手だけに、絶対に安全だ、と言い切る事は出来ない。
 しかし……。

「あの偽良門の犬神使いを封じた以上、今のソイツは敵ではない……と思う」

 ヤツ……現在は炎の巨人と言う姿。更に、今は一時的に目が見えない状態なのではっきりとした事は言えないが、声には確かに覚えがある。多分、ハルケギニアではゲルマニアの皇太子ヴィルヘルムと名乗り、この長門有希が暮らして来た世界ではオーストラリアからの交換留学生ランディと名乗った青年の方だと思う……のだが。
 多分、ヤツに取って俺は積極的に。どうしても、倒さなければならない敵と言う訳ではない――可能性が高い。

「俺が深手を負った理由は、犬神使いの青年を封印する事に俺が(こだわ)ったから。それで、アイツを殺してアラハバキの封印を破る糧にしようとした自称ランディの術の効果範囲内に留まって終った」

 其処に留まる事が危険な事だ、……と言う事は最初から理解しながらも。
 もっとも、もしかすると俺を術の効果範囲内に納めたが故に、あれほど強力な術を行使して来た、と言う可能性も否定出来ない。……のですが。
 それでも矢張り、現状ではヤツが積極的に俺を殺す理由は存在しないはず。

 第一の理由は俺が持って居る職能の問題。これは俺自身が制御出来ない部分なので何とも言い難いのですが、這い寄る混沌と他のクトゥルフ系の邪神の違いは、這い寄る混沌は奴らの中で唯一封印を免れた存在だ、……と言う点。その唯一の利点を失う危険を冒してまで、この場で俺を殺さなければならない理由はないでしょう。
 そして第二の理由。こちらの方が理由としては大きいと思いますが、俺と言う存在は自らが能力を与えた奴ら。……今回の例で言うのなら、あの犬神使いの青年に取ってはちょうど良い試練だから。
 絶対に越えられない壁。倒す事の出来ない敵と言う訳ではない。まして、あの犬神使いに取っての勝利条件は幾らでもあったはずです。例えば、当初の目的通りにアラハバキを召喚する事。ハルヒを、さつきを殺す。その他の不特定多数の人間を殺す。エトセトラエトセトラ。

 結局、最初から最後までアラハバキ召喚に拘ったから、最終的に俺に封印されて終わったけど、昨夜、俺が現われた段階で、この地での企てをすっぱりと諦めて何処か別の場所に逃亡する。そんな後ろ向きの選択も、あの犬神使いの青年に取っては勝利と言う結果に成る可能性すらあった……はず。
 何故ならば、あの召喚の術式では、高坂の地で目的の高位の神を召喚する事は難しかったと思いますが、他の場所でなら何モノかを召喚出来る可能性が非常に高いと思いますから。

 その試練を如何にして切り抜けるのか。その足掻き、苦しむ様を神の視点から眺める。それがヤツの目的。
 その為の相手役として必要な人材を、自らの手で殺して仕舞う可能性は低いでしょう。
 それに、そもそもヤツに与えられている職能は混沌と矛盾。理に適った行動を必ず取るとは限らない。時には自分たちに取って不利となる行動を取る可能性もある。

 もし、俺を殺す……排除するのなら、それはヤツの主。所謂、外なる神と言われる連中。無限の中核に棲む原初の混沌などが俺の事を邪魔だ、と考えた時にのみ、コイツ……這い寄る混沌は俺を全力で排除しに掛かると思いますね。
 おそらく本体は三大欲求しか持たない、しかし、それでも自らを創り出した神であるアザトースに使われる事に大きな不満を感じながら。

 もっとも、門にして鍵(ヨグ=ソトース)ですら、その本体がどんなモノなのか分からないのに、そこに無限の中核に棲む原初の混沌(アザトース)の事など、流石に俺では理解の遙か向こう側の存在となるので……。

「それで、ひとつ相談なんやけどな」

 魔との交渉。……非常に危険な行為を行う割にはかなり無防備な問い掛け。
 俺の正面には二人の人間の気配。おそらくこれは、さつきと弓月さん。二人で完全に其処から大体五メートル先に存在する黒い気配から、俺を隠すように立っている。
 ……と言うか、俺の言葉を聞いた瞬間、間髪入れず「あんた、自分が何を言っているのか分かって居るの!」とか、「あんた、やっぱり馬鹿なのね。そうなんでしょう?」などと騒ぎ出したヤツは素直に無視。
 何故ならば、

「すまんけど、この両腕、斬り落としてくれへんか?」

 さつきに頼んだけど、聞いて貰えないから。
 そもそも、その騒いでいるヤツが最初に頼んだ時に素直に斬り落としてくれたら、こんな危険な事をせずとも済んだのです。故に、今回に限り、さつきが何を言おうがすべて無視。

「矢張り貴方は面白い人だ」

 その程度の事なら御自分で出来るでしょうに。
 笑ったような声でそう答える炎の巨人。一瞬、ゲルマニアの皇太子やオーストラリアからの留学生と自称していた時のヤツの姿形を思い浮かべ、少し不愉快な気分に陥り掛ける俺。何にしても、イケメンと言うのは世の中を渡って行きやすいように出来ているのが気に食わない。
 ただ、今の笑ったように感じた波動に付いては、何故か真実の気配をその内側に籠めていたので……。

 もっとも、其処は今、重要な個所ではない。まるで荒れる海で漂う筏状態、波のままにあちらに流され、潮の都合でこちらに戻される思考を、無理矢理に元の航路へと戻す俺。

 そう。ヤツが言うように、確かにそれが出来れば苦労はない。ただ、目が見えないからちゃんと使えない部分だけを斬り落とす事が出来るかは微妙。何故ならば、組織として使い物にならなくなった部分から先の部分に、急場しのぎの木製の腕を再生させたとして、その腕がちゃんと機能するかどうかが分からないから。
 間に死んで仕舞った神経や細胞を挟んで、其処から先に微妙な動きを要求される印を結ぶような行為や、剣を振るうような戦闘行為が出来るか、と問われると流石に……。
 まして、今の俺に出来るのは生来の能力を使ってねじ切るか、引き千切ると言う、非常に大雑把な方法しか持たないので……。
 その他の斬り裂く系の仙術は流石に剣呑すぎて、腕を斬り落とすついでに別の個所まで斬り落とし兼ねない。

「大丈夫。貴方ならその腕でも十分に戦えますよ」

 その事は僕が保障します。
 かなり軽い口調でそう言葉を続ける炎の巨人。但し、当然のように信用度ゼロの相手から保障されたとしても嬉しい訳はない。
 確かに、最初から期待はしていなかったから、このような不誠実極まりない答えであったとしても、落胆する事はありませんが……。

 仕方がない。かなり大雑把になるが肩に近い部分から腕をねじ切って、其処から先に腕を生やすしかないか。頭で釘が打てる事を自慢している奴と、他人を揶揄する事しか出来ない奴に心の中でのみ悪態と罵詈雑言を浴びせ、それでも決断は早い方が良い。
 それでなくても、時間が掛かり過ぎている。
 犬の遠吠えは止まず。異界の気配はますます強く、最早、現実の崩壊は時間の問題かと思われる状況。

 普通の人間なら絶対に辿り着く事のない思考の到着点。いや、おそらくタバサに召喚される前の俺でも、この結論に到達するまでにはもう少し逡巡と言う物を抱いたはず。
 僅かに憐憫(れんびん)にも似た感情が心を支配し掛けるが、それを無理に呑み込む。何故だか妙に鉄臭いその感情に皮肉な笑み。心が血を流す事だってあるのだろう。
 但し、それがどうした。能力がどうであろうと、身体中のすべての細胞が既に以前の自分とは違う存在へと置き換えられていたとしても、記憶が何人分の人生に及ぼうとも、心は人間のままだ。
 後ろを見るな。今は前だけ向いて居れば良い。振り返って、失った物を後悔するのはすべてが終わってからでも出来る。

 そう考え、動きの悪い首を前に向かせる俺。その時、俺の前に立つふたりの少女の内、背の低い方が振り返り――
 二度、俺の傍を何かが走り抜ける気配。同時に、神速を超えた刀が発する衝撃破が大地に溝を刻んだ。
 ……普段はそんな物を作らない彼女なのだが、矢張り今、この時のさつきは怒っている。そう言う事なのだろう。

「さぁ、斬り落として上げたわよ! これで文句はないでしょう!」

 さっさとその腕を使えるようにしなさい!
 さつきはさつき成りに俺の事を考えて、腕を斬り落とす事を最初は拒否したのでしょうが……。俺の立場から言わせて貰うのなら、それは要らぬお節介。そもそも現状で使える戦力を遊ばせて置く余裕がある、と考える方がどうかしている。

 組織を完全に死亡させる訳には行かないので、ある程度先の方まで通わせて居た血液が吹き出し掛けるのを、精霊の守りを傷口に集中させる事により、無理矢理に抑え込む。
 そんなに長時間持たせる必要はない。その間は仮死状態に近い状態で維持すれば良い。まして、これから行うのは仮の腕の再生。本格的な治療は俺が行うよりも、有希に頼んだ方が確実でしょう。

 そう。今は時間が惜しい。何故ならば、今は術的には素人の犬神使いがアラハバキ召喚を行って居た時とは訳が違うから。ヤツ……この犬の遠吠えが繋がるかのような召喚の術式を行使して居るヤツが望むのなら、ありとあらゆる世界に通じる門を開く事が出来る……と言われている存在がアラハバキ召喚を行っている状態。おそらく、この召喚作業が失敗に終わる可能性はゼロ。まして、その召喚の儀式を行っている場所の中心が何処なのか分からない以上、今から俺たちが阻止に動くのは難しい。
 今は使える戦力を充実させて、次の動き――召喚されたアラハバキを再封印する準備に費やすべき時間だと思う。

 冷静な頭でそう結論に到達する俺。
 先ずはありがとう、と言った後に、

「嫌な役を押し付けて終ったみたいやな。すまなんだ」

 但し、心のままを台詞にする訳には行かない。普段と同じように、素直な振りをして感謝と謝罪をして置く。
 真っ直ぐに上げた顔。未だ回復しない瞳は閉じたまま。しかし、表情は柔和な表情で。

 その瞬間、何故かかなりハッとしたような気を発するさつき。しかし、直ぐに怒ったような雰囲気へと変わる。
 ……と言うか、コイツ、術者としては心の動きが分かり易すぎ。何も弓月さんみたいになれ、とは言わないけど、それでも少しは隠す方法を学ぶ必要があると思うけどね。

 心の中でそう考え――

「我、木行により樹木を探す。疾く律令の如くせよ!」

 生来の能力で無理矢理に立ち上がりながら、口訣を唱える俺。
 尚、普通は樹木の種類を決めてから行使する術なのですが、今回は樹木なら種類は問わず。ただ、ある程度の大きさと、その木が立っている場所が分かれば良いだけのかなり情報のレベルを下げた術の行使と成って居ます。
 確かに木の発して居る極薄い気配も感じる事が普段は出来るのですが、今宵、この場所は闇の気配が濃すぎて少し不安。そうかと言って、この瞳の不調は簡単に回復させられるような物では無さそうなので……。

 しかし――

「ちょっと、何を勝手に始めようとしているのよ!」

 あんた、落ち着きがないって、小学校の頃の通信簿に書かれなかった?
 さっさと腕の再生を行おうとする俺に待ったを掛けて来るさつき。後に続く言葉は蛇足に過ぎないとは思いますが。しかし、このクソ忙しい時に、何を……。
 ……訳の分からない事を、と一瞬、ムッとし掛けた俺。しかし、直ぐに冷静になり、次に彼女の言い出しそうな言葉を予測する。

 それは、

『視力が回復するまで前に出て来るな』
「目が完全に見えるようになるまで、アンタは後ろでじっとしている事。いいわね!」

 そもそも、九天応元雷声普化天尊法(きゅうてんおうげんらいせいふかてんそんほう)を誤射なんかされたら、こっちが迷惑なのよ!
 目の前に居るはずなのに、何故か声はあらぬ方向に向かって居る事が分かるさつき。
 ……確かにそう無茶な要求と言う訳でもない。まして、高空で神刀を振り回す味方と、雷系の術の相性は最悪。誤射と言うか、術の発生する場所と敵との間に入られたら、その時は間違いなくさつきにも命中させて仕舞う。

 ただ、これも俺の身体の事を考えた上での言葉である事は間違いない。但し、その言葉の中には、おそらく彼女自身の安全が担保されていない。

「あぁ、了解や。今回は少し頑張り過ぎた」

 そう答えながら、生来の能力を発動。そっぽを向いたままのさつきの目前に、犬神使いを封じたターコイズを浮かび上がらせる。
 一瞬、驚いたような気を発するさつき。その彼女に対して、瞳を閉じたままで笑い掛ける俺。
 そして……。

「アイツを封じた宝石を預かってくれるかな?」

 今の俺の状態では、これから先の戦闘中に失くして仕舞う可能性もあるから。
 取って付けたような理由。そもそも、前衛に出ないのなら戦闘中に失くす事などあまり考えられない。要は、これを預けるから無理をするな、と言う意味。
 それに、これに封印された犬神使い……の魄の部分は、おそらく、平安時代に別れたさつきの弟。つまり彼女は、今回の生命でも彼の事を守れなかった、と言う事。更に言うと、この戦いが終わった後に水晶宮へとその宝石を預けて仕舞えば、もう二度と彼女が彼……本当の平良門の転生者をその手に抱く事は出来なくなる。
 邪神の贄にされた人間の魂が輪廻に戻る可能性は非常に低い。更に、魄を失った魂も転生に重大な影響が出る。その為に前世の俺はカトレアさんと白娘子の融合を図ったのです。死んで仕舞えばすべて終わり。ここは、どんな形で生命を終えたとしても次の転生に問題なく進める……などと言う呑気なシステムに支配されている、と言う世界ではない。

 つまり、彼女はこれから先、何度転生を繰り返しても、彼に出会う可能性は――

「しょ、しょうがないわね!」

 仕方がないからアタシが預かって上げるわよ。感謝しなさい。
 ……ハルヒと同じような上から目線の台詞を返して来るさつき。但し、ハルヒと違い、さつきの場合には何故だかその台詞の際に妙なギリギリ感が漂う。
 どう考えても虚勢を張って居るのが丸分かり。見た目の幼さとも相まって、態度や言葉の内容はハルヒのソレとかなり似ているのに、さつきに関してはそれほどの反発も感じない。

 もっとも、件のハルヒにしたトコロで、俺が反発を覚えているか、と問われると、そんな事はない、……と答えるのですが。

 ただ、何にしても……。
 もう文句はないだろう。そう考えて、かなりバランスの悪い足取りで、先ほど見つけた樹木の方向に進もうとする俺。
 その瞬間、自らの身体にかなり近い位置で微かに鳴る退魔の鈴の音。
 そして――

「おやおや。その姿を涼宮さんが見ると、何と言いますかね」

 しっかりと右側から身体を支えられる俺。僅かに甘い香りと、かなり柔らかな――有希やタバサとは違う女性らしい華奢な感じ。そして、和装に相応しい生地の触り心地。
 強く香る香水や化粧品の類を(みそぎ)の後に使用するとも思えないので、この甘い香りの正体はおそらく(こう)。白衣や彼女の黒髪に焚き込められた退魔の香の香りだと思う。

「うるへい。誰の所為でこんな事になったと思っている」

 いくら方向と距離が分かっているとは言え、先ほどまで行われた戦闘の所為で足場は異常に悪い。所々に仙術の作り出した大穴が口を空け、それでなくとも、砂利を敷き詰めた歩道と、冬枯れの芝生に覆われた広場との境界線には低木の植えられた花壇が行く手を遮っている。
 こんな場所を、両手が使えない、更に一時的な可能性が高いとは言え視力を失った俺が普段通りに歩く事が出来る訳はない。

 故に、弓月さんの気遣いにはとても感謝している。
 それに……。

「そもそも、ハルヒが俺の事を気にしているのは、未だ恋愛感情には至っていないモヤモヤの所為。その正体が判らないから、俺に対して妙に突っかかって来てみたり、絡んで来たりしているだけ。おそらく、この場にハルヒが居て弓月さんが俺に手を貸した時にアイツが感じるのは、何故、自分は何も考えずに手を差し伸べられなかったのだろう、と考える事ぐらいや」

 この場に居るもう一人のツンデレ体質の少女に、敢えて聞かせるように話しを続ける俺。それに、どうにも敵と認識するのが難しい相手だけに、敵愾心をムキ出しにして……と言う訳にも行かず、まるで友人に対するような軽口風の対応で。まして今回、俺が重傷を負った理由は、俺が犬神使いの封印に固執したのが原因でもある。これは、ルルド村の時の名づけざられし者と戦った時とはやや事情が違うでしょう。
 確かに、あの犬神使いに関しては封じた方が良い相手だったと思う。しかし、自分の生命と天秤に掛けてまで行わなければならない事であったか、と問われると……。

 この場に這い寄る混沌が分霊を送り込んで来る理由。当然、分霊だけで為せる事は少ない。まして場の状況を混乱させるだけが目的ならば、もっと早い段階の方が効果的だった。既に状況は落ち着いて居り、あの場面から犬神使いの青年が何らかの策を用いて召喚作業を成功させる方法はなかったと思うし、更に言うと最早逃げ出す事も無理だと言わざるを得ない状況だったでしょう。
 そう考えると、あの犬神使いを現在進行形で行われている名づけざられし者に因る、アラハバキ召喚の生け贄として捧げる為に現われた、と考えるのが妥当だと思う。

 ヤツの目的と、俺の目的。怨みなどの負の感情に囚われた魂の解放と言う意味では完全にバッティングする目的同士がぶつかったのです。それも、無防備な状態で戦場のど真ん中で棒立ちとなって仕舞うような形で……。

 自分では正しい判断だったと今でも胸を張って言える心算ですが、多分、他の人間から見ると、もっと良い答えがあったのではないか、……と言われる事は間違いないでしょう。
 其処まで固執しなければならない目的だったのか、と。

 言葉でのみ這い寄る混沌の分霊に答えを返し、俺と居ると頼ってばかりだ、と言った少女の身体を支えられ、目的の樹木の前まで移動する俺。
 ……もっとも、これではどちらが相手の事を頼ってばかりなのか分からないが。

「すまんな、弓月さん。せやけどもう大丈夫。後は一人ででも出来る」

 僅かに自嘲の笑みを心の中にのみ浮かべながら、言葉では弓月さんに感謝を伝える俺。
 まして、これから先にも彼女には頼る事になるのが確実。当初の予定では犬神使いを封印出来ればそれで終わり。其処から先に準備した策……アラハバキが召喚された後の為に準備して置いた策は、本来、使わずに済ませるはず……だったのですが。

「大丈夫ですか?」

 そう問い掛けながら、俺の左腕……肘から先を失った左腕を目の前にある樹木の太い幹に触れさせてくれる弓月さん。これは、術の効果について話してあった訳ではない。おそらく、同種の術の例から彼女が想像して、再生したい個所をその再生させる素材に触れさせて置いた方が良いと判断してくれたのでしょう。
 例えば土系統の術なら大地に。水なら水面に手を触れさせてから術を発動させるように。

 当然、弓月さんの判断は正しい。更に、今の俺の腕はすべての感覚が麻痺した状態なので、実を言うと何かが触れて居ても良く分からない状態。普通の場合は目で確認出来るのでしょうが、目の方が受けた被害はどうやらもっと酷い物であったらしく、未だ回復する様子はない。
 故に、何も言わずとも察してくれる彼女が傍に居てくれる事は非常に有り難い。有り難いのですが……。

「我、木行を以て――」

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『蛇神顕現』です。
 
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