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9部分:第九章


第九章

 相手は阪急だった。その阪急だ。この時本田は本来は近鉄担当だが読者の熱狂的な要望により特別に日本シリーズ限定で阪急担当に復帰した。本田と小坂のシリーズ対決ということで紙面は賑わい紙面はシリーズ開始前から好調な売れ行きだった。本田もまた昔の顔に戻っていた。
「阪急の日本一は間違いない!」
 彼は宣言していた。
「それこそ四連勝だ!最初からな!」
「阪急有利なんだ」
「決まってるだろ。山口がいるんだ」
 去年の発言はもう奇麗さっぱり忘れてしまっているのだった。こうしたところも実に彼らしいと言えた。彼はそのハイテンションで色々と書き続けている。
「しかもマルカーノも」
「セカンドだったね」
「あいつは凄いぞ」
 誇らしげにそう語る。
「優勝できるなんてものじゃない」
「日本一どころじゃないって?」
「大リーグにもあんなチームはない」
 当時大リーグは夢の様な存在だった。彼はそれを越えているとまで言っているのだ。
「巨人なんかものの数じゃないな」
「黄金時代の西鉄よりも上なんだ」
「もっとな」
 自信に満ちた言葉は続く。
「稲尾が毎日投げても負けるさ」
「そんなになんだ」
「さて、まずは第一戦は阪急が圧勝で」
 もう試合の予想に入っていた。
「第二戦も阪急で第三戦も阪急、最後も阪急で終わりだ」
「けれど世の中は長嶋一色だよ」
「それは奴等の知能が低いからだ」
「知能が低いって」
「冷静に戦力を見てみろ」
 まず戦力を指摘する。
「ナインもピッチャーも控えも阪急は揃ってる。西本さんの育て上げた人材がな」
「巨人はかつての人材が結構いるし張本とライト、ジョンソンが」
 東映からトレードで加わった男と助っ人二人だ。
「いるけれど」
「ものの数じゃない。しかも監督も」
 彼の自信は続く。
「こっちは上田さんだ。長嶋とは違う、長嶋とはな」
「まあ確かに長嶋さんの戦術はね」
 小坂はかなり冷静であった。冷静なまま述べる。
「首を捻る場面も非常に多いのは確かだね」
「それで負ける。さて、日本一になって時の紙面でも考えとくか」
 上機嫌で書き続ける本田だった。かくしてシリーズがはじまると阪急はいきなり三連勝を遂げた。とりわけ山口の剛速球は凄まじく誰も打てはしなかった。阪急は彼の剛速球により勝利を掴んでいき忽ちのうちに王手となったのだった。
「よし!!」
 本田は球場で叫んでいた。その阪急の三連勝が決まったその場で叫んでいたのだ。
「あと一勝。次に勝てばそれで終わりだ」
「やれやれだね」
 小坂は溜息をつくだけだった。記事を書くその手も元気がない。
「三連敗か。辛いね」
「悪いがこのまま勝たせてもらうな」
 本田はその横で誇らしげに宣言する。
「さて、次の試合で上田さんが胴上げで」
「巨人も意地を見せて欲しいな」
「それはないな」
 本田はそれを完全に否定した。
「阪急には勝てないな。今の阪急にはな」
「やっぱり山口が凄いよ」
 小坂もそれを認めるしかなかった。
「あの剛速球はちょっとやそっとじゃ打てないね」
「そうだろ?俺が言った通りだろ」
「うん」
 あらためて本田の言葉に頷く。
「張本や王も打てないなんてね」
「あれは打てるもんじゃない」
 本田はここで首を横に振った。
「近鉄でもあいつは全然打てていないんだからな」
「ペナントでも凄いらしいね」
「横からだと全く見えない」
 それが山口のボールだった。
「本当にあんなのははじめて見た。あれはとんでもないぞ」
「とんでもないんだ」
「ああ、とんでもない」
 その言葉にも頷いてみせる。
「打てる方が凄いさ」
「誰か打ってくれないかな」
「打たれたその時は阪急が終わる時だ」
 豪語そのものだった。
「山口が打たれたその時がな。それでだ」
「うん」
 ここで話が終わった。
「俺は書き終わった。御前は?」
「ああ、あとちょっとだよ」
 こう彼に答える。
「今すぐに書くから」
「いや、急がなくていいさ」
 しかし彼は親友にこう言って落ち着かせた。
「ゆっくり書けばいい」
「有り難う。とりあえず書き終えてくよ」
「さて、明日は」
 また本田は言う。
「上田さんの胴上げか。楽しみだな」
 こんなことを言っていた。ところがその試合は敗れてしまいそのまま何と三連敗を喫してしまった。上田も焦っていたが本田の焦りもかなりのものになっていた。
「おいおい、本田記者」
「随分焦ってるのがわかるな」
 何と三勝三敗で互角に持ち込まれた次の日の新聞では。本田の焦燥と狼狽が読者にも見て取られていたのだ。読者達はそれを見て笑うことしきりだった。
「まだ日本一になったわけじゃないか」
「この前何て書いていたっけな」
 そこを突っ込まれるのだ。
「明日巨人は終わるだの」
「最早盟主ではないだの」
「まあ真実だがね」
 アンチ巨人がポツリと呟く声もあった。
「それでもこれはなあ」
「ないだろ」
 本田の記事は本当に笑われていた。
「七点差をひっくり返されたがこれは敗北を意味するものではない」
「まだ一試合ある」
 その記事が読まれていく。
「事実は事実だけれど」
「あの負けはやばいだろ」
 誰がどう見てもそうだった。日本シリーズは短気決戦であり一敗、またその中のさりげないプレイやアクシデントが勝敗の流れを決してしまうのだ。例えば本田が倒れてしまった昭和四十六年のシリーズにおける王のホームランだ。あれでシリーズの流れは完全に決まってしまったのだ。
「今年もやっぱり巨人じゃないのか?」
「阪急は負けるよ」
 誰もがこう思っていた。思わせる敗北だった。
「あれはどうしようもないさ」
「山口も打たれたし」
 その剛速球が打たれたのだ。山口はこのシリーズ連投だった。その連投の疲れが出てしまったのだ。如何な豪腕といえど人である。疲れもあるのだ。
「切り札はもうないだろ」
「終わったよ」
 彼等は口々に言う。
「さて、長嶋の胴上げか」
「やっぱりミスタープロ野球には晴れ舞台だよな」
「そうだな」
 所々でそんな話になっていた。その朝本田は苦虫を噛み潰したどころではない顔で出社してきた。しかもその身体からは強烈なまでの酒の匂いを漂わせていた。
「飲んだんだね」
「ああ」
 憮然とした顔で隣にいる小坂に答える。
 
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