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トンデケ

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第二話 過失

 数日経っても、辰郎は姿を現さなかった。
 それも気にはなったが、困ったのはスマホである。
 辰郎に奪われたままなんの連絡もない。
 家に固定電話を置いていなかったため、パソコン以外に仕事先とのやりと
 りができなくなっていた。

 それだけではない。
 ネットの記事や本を読むときにスマホが欠かせなくなっていた彼女。
 読みづらい漢字や横文字が出てくると、すかさずスマホで調べるのだ。
 暇な時間には、摩周の動画をスマホで投稿していて、
 人気の動画は閲覧数が5万人を超えている。
 買い物ももっぱらネット通販を利用。ネットスーパーがやっと最近、
 この僻地にも配達してくれるようになった。
 寝る前には紙パックの焼酎をストローでチューチュー吸いながら、ベッド
 に寝そべって、夜遅くまでスマホゲームに没頭するのも習慣だった。
 そんな干物女子っぽいところが摩周には受け、独身男性には敬遠されるの
 だろう。

 昼過ぎ。食事を済ませ寛いでいると、玄関のチャイムが鳴った。

「うん? 誰? まさか…、辰郎!?」

 恐る恐るインターホンをとる。

「どなたですか?」

「警察のものです。」

 え? 警察? 嫌な予感がする。
 玄関を開けると、厳つい顔の中年男性が二人、スーツ
 姿で前後斜めに立っていた。

「圷 百香さん、ですね?」

「はい。」

 二人は持っていた手帳を縦に開き、彼女の目の前に提示した。顔を近づけ
 てよく見ると、上に貼られた顔写真と文字は小さくてわかりづらいが、
 その下には金色のバッジのようなものが付いている。
 どうやら二人とも、本物の刑事らしい。百香が顔を上げると、

「とつぜんで、すみませんね。」と二人が軽く会釈した。

「眞鍋辰郎さん、ご存知ですよね」

「ええ。」

「実はですね、その眞鍋さんがお亡くなりになりましてねぇ。」

「そう…ですか。」

「あれ、あまり驚かれないんですね。」

「いえ、そんなことは…」

「いえね、誰かが亡くなったと聞くと、第一声は大抵『いつ?』とか
 『どこで? なんで?』って聞かれることが多いんですよ。」

「ああ…。あの、いつ、亡くなられたんですか。」 

「四日前の夕方に事故に遭われたんです。ここから車で十分ほどのところに
 ショッピングモールがあるでしょ? あの近くの通りで、
 トラックにはねられましてね。」

「事故・・・」

「ええ。それでですねぇ、ちょっとご確認いただきたいんですが…。」

「これなんですがねぇ。」と、後方の刑事が、持っていた写真を手渡す。

「あっ、これ、私のです。」
 
 液晶画面に大きなヒビが入っていたが、そこに写っていたのは紛れもなく
 百香のスマホであった。

「やはりそうですか。実はこれがね、事故現場に落ちていたんですよ。
 それでちょっと、気になりまして。圷さん、あなた、ひょっとして事故現
 場におられましたか?」

「いえ・・・。」言葉に詰まった。

「お二人のご関係、少し調べさせてもらいました。
 以前、眞鍋さんからストーカー被害を受けておられたそうですね。」

「あの、よろしかったらちょっとぉ、中で詳しくお話を伺えませんかねぇ。」
 
 二人の刑事に畳み掛けられ、拒否できる雰囲気にない。
 やっかいなことになってしまった。とにかくここは、あの日の経緯を素直
 に話した方が良さそうだ。
 百香は意を決し、二人をリビングへ通した。
 見知らぬ男たちがいきなり侵入してきた為、寝ていた摩周が飛び起きて、
 テレビラックの裏へ素早く身を隠した。

「あの子、人見知りで。どうぞ、お掛けください。今、お茶を。」

「突然お邪魔して、すみませんねぇ。どうぞお構いなく。」
 
 百香はテーブルのリモコンをかざして、観ていたテレビを消し、スタスタ
 歩いてキッチンに立つと、ポットにジャーッと勢いよく水を入れた。
 刑事たちは日当たりのいい窓辺から外を眺めながら、二人掛けのソファに
 並んで座った。テレビラックの隙間から摩周がこっちを睨んで、緑色の彩
 光を丸く光らせた。

「ネコちゃん、お名前は?」

「摩周といいます。」

「男の子ですか。」

「はい。」

「黒ネコちゃんかな? 種類はなんです? 」

「雑種です。」

「慣れたら出てきてくれるかな。うちも似たような野良が一匹おりましてね。」

「えっ、そうだったけ?」
 
 そこからは、刑事同士の雑談が始まった。

「そうさ、一年前の雨の日に娘が、こんなちっちゃい黒猫拾ってきてさ。
 それが体じゅうノミだらけで…、クシで一匹ずつ捕るのに苦労したよ。」

「ああ、それ、聞いたなぁ。おれんとこも犬がいるよ。」

「知ってるよ。前に写真見せてくれただろ。ほら、足の短い・・・、
 なんてったっけ?」

「コーギー」

「そうだ、それそれ。今人気の犬種なんだってな。」
 
 刑事さんたち、仲良さそう。でも、なんか不自然な気もするけど。
 きっと間が持たないのね。
 それとも、私を油断させようとしてるのかしら。
 もんもんと思いを巡らせながら、百香はお茶の用意を急いだ。
 電気ポットは沸くのが速い。ぐつぐつ煮えてるから、もう切れるだろう。
 そこへまた、トーンの高い声が飛んできた。

「なかなか、眺めのいいお宅ですねぇ」

「ええ、でも、古い建物で。直し直し住んでるんですよ。」

「そうですか。ここには、お一人で?」

「ええ。」

「圷さん、有名な絵本作家だそうですね。」

「ええ、まあ。」

「うちのカミさんがね、あなたの絵本持ってましたよ。読んでやると息子が
 すぐに寝付くって喜んでました。」

『うちのカミさん』ですって。刑事コロンボのやり口じゃない。
 百香は横を向いてくすっと笑い、カップに沸きたての湯を注いだ。
 茶の色目を見ながら、ティーバッグを軽くゆすり、引き出しからスープン
 とスティックシュガーを取り出す。
 カチャカチャと忙しないキッチンの様子に、

「あのう、ほんと、お構いなく。」

「どうぞ、気ぃつかわんでくださいね。」

 刑事たちがすまなそうに声をかける。

「あ、いえ、ティーバッグの紅茶しかなくって。」
 
 言いながら、百香は熱々の紅茶を乗せたトレーを慎重にリビングへと運
 んだ。

「どうぞ。熱いので気をつけてくださいね。」

「こりゃどうも。それじゃ、失礼して、いただきます。」

 二人の刑事は、揃ってカップの握りに指をかけた。そこからは、まるで
 シンクロだった。顎を突き出し、口からカップを迎えると、ふうふう冷ま
 しながら、ずずずず~、ずずずず~と下品な音を立ててふた口啜った。
 百香は一人用のソファに静かに腰掛けて、胸に手を当てる。
 冷静さを装いながら、頭では必死に記憶を整理していた。

「おでこの傷、どうされました?」

「え?」

 ここ、ここ、と刑事が自らのおでこを指す。

「ああ、これ。ちょっと外で転んで…」

 不意を突かれ、ぽっと口を衝いた出まかせ。

「そう・・ですか。ところで、スマホの件なんですがぁ・・・」

「辰郎に、彼に奪われたんです。」

「というと?」

「あの、実は、四日前の夕方、彼が私に会いに来たんです。」

「事故の日ですね? どこで会ったんです? 時間は?」
 
 百香は、ショッピングモールの二階にあるスタジオでラジオの収録をして
 いたこと、収録が終わり五時半にスタジオを後にしたこと、その数分後に
 彼と屋上で出くわし、スマホを強引に奪われたこと、そのショックで気を
 失ったため、その後の彼の行動は何もわからない、ということを、順を
 追って説明した。

「なるほど、それは怖い思いをされましたね。で、時間ですが、スタジオを
 出たのが五時半でしたね。スタジオから屋上の駐車場までは何分ぐらいか
 かりました?」

「うーん、五分ぐらいでしょうか…」

「では、お二人が会っていたのは五時三十五分前後、ということですね?」
 
 すると、メモをとっていたもう一人の刑事が口を挟んだ。

「ちょっと待ってくださいよ。眞鍋さんが事故に遭ったのが五時三十六分、
 これは実況見分で確認済みです。で、圷さんが彼と会っていたのが五時
 三十五分頃? だとすると、おかしくないですか? 
 眞鍋さんは徒歩ですよ。彼のバイクは駐車場で発見されてますから。
 事故現場はモールの真下ではなく、大通りに出て、そこから更に
 三百メートル先ですからねぇ。圷さんが気を失った直後、そんな瞬間的に
 眞鍋さんが事故現場まで移動できますか?
 走ったとしても、どうでしょう・・・。」
 
 屋上からエレベーターを使っても、下りるのに1分以上はかかるはずだ。
 モールの敷地を抜け、道路に出て、そこからさらに三百メートル先まで走ったとしても、
 彼がその時間に事故に遭うなんて有り得ないのではないか…というのだ。 

 やっぱり、アレをやってしまったんだわ…
 私が気を失っている間に辰郎は…
 「ふーう」百香はやりきれない思いで深くため息をついた。 
  
 
 (睨んだとおり、やはりこれは、ただの事故じゃないな。
  圷 百香の証言には不自然な点がある。
  ちょっと調べてみる必要がありそうだ。)

 二人のベテラン刑事は胸中にほぼ同じ見解を下していた。

 
 
 後日、壊れたスマホが届けられ、
 それをショップで新しいものと交換してもらった百香は、生き返った思いだった。
 ただ、辰郎のことを思い返すと、なんとも言えない過失感が疼く。
 あれから、刑事は来ていない。百香の証言はすぐに裏が取れただろう。
 だが、辰郎の事故までの行動が理路整然としないことを
 警察は不信に思っているに違いない。
 
「間接的にとはいえ、彼を殺してしまったのは、わたし…」 
 
 罪悪感がのしかかり、潰れそうな心。
 その奥から染み出すように、辛い過去の記憶がじわじわと甦った。
 両親が死んだあのおぞましい地獄の夜を…。 
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