異界の王女と人狼の騎士
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最終話
そして―――
奴の背中の、最後の瘤が激しく泡立つ。
同時に緩慢だった奴の体の動きが速まったかと思うと、瞬時に横へと飛びのいたんだ。
俺の攻撃見て、それを避けるように。だけど俺も逃すまいと必死で手を伸ばす。
胸の瘤には触れられなかったが、右肩にある瘤は確実に捉えた。
俺の発光した指先に触れられた瘤はプルプルと震えたと思うと、光を放つ。そして崩れ去る。
アイツは残り一つのニトロタンクを使用して、更に更に加速することにより俺の致命的な攻撃をすんでのところで緊急回避したのだった。
もっとも、回避したといっても致命的な傷を回避しただけなんだが。
―――時間が元の速度を取り戻す。
漆多の右肩が爆発し吹き飛び、噴水のように真っ赤な血しぶきをあげる。
呻く漆多。左手で吹き飛ばされた右肩を押さえた。
確実な勝利の予感が一気に吹き飛ばされ、あり得ない形勢逆転に憔悴した顔を見せる。
もはや、勝負はあった。
右腕を吹き飛ばされ、頼みの加速のための背中のニトロタンクも全て使い果たしている。
そして、漆多の怪我はもう治ることはない。何故なら俺の攻撃は不可逆な死への誘い。破壊されたものは永久に回復することのない呪い|(curse)なのだから。
肩膝を付き、俺を睨み付ける漆多。
「く、……ククク。今度は俺を殺すのか、月人。お前は寧々を俺から奪い取り、それに飽き足らずに親友だった俺の命も奪おうっていうのか。全く、たいした奴だぜ」
息を切らせ、呻きながらも必死に俺を責める。もはや痛みと出血のために瀕死の状態だ。ただ、ただ俺への憎しみだけで立っている様なものだった。
「ごめん……仕方無いんだよ。俺は、お前を見逃す訳にはいかない。もし、そんなことをしてしまったら、また誰かが犠牲になり寄生根の宿主となってしまう。そして、再び同じように人を喰う。何の罪もない人を殺す。そして周りの人たちに悲しみを与える。どこかの誰かが寧々と同じ目に遭ってしまうんだ。そんなことは許せない。それだけは止める。もう終わりにするんだ」
俺は一歩、漆多へ歩み寄る。後ずさりする漆多。
「くっくっっく……これまでか、これまでなのか? いや、まだだ。俺はまだまだ戦える。戦わなければならないんだ。こいつを、月人を殺すまでは」
ふらつきながら、しかし必死の形相で立ち上がる。しかし、いきなり吐血してしまう。
「もう、お前に勝機はない。それに、この上どうやって戦おうというんだ。お前だってそんなことは判っているんだろう? もう終わりだ、もう、終わりにしよう」
せめて最小限の苦痛で屠ってやろう。それが唯一、俺にできるたった一つのことなんだから。
俺は漆多の前に立つ。彼を見つめる。
彼の全身に張り巡らされた線、そして頭、胴体、左肩、両足にそれぞれ浮かんでいる死を司る瘤が見える。
右手をゆっくりと動かす。
俺の指先が青白く発光するのがわかった。それに呼応するように、漆多の体の瘤も発光し、その存在がはっきりと見える。
熱くは無い。むしろ凍りつくように冷たい感触が指先に集中する。
「漆多、すまない。先に逝って待っていてくれ。今は逝く事ができないけど、俺もやがては向こうに逝くことになる。その時にお前と寧々には謝らせてくれ、……な」
それは、本気で言った嘘偽りの無い言葉だった。
「全ては俺が引き受けるから」
「させてたまるかよぉっ」
漆多は絶叫する。血まみれの左腕を振って、俺の接近を阻止しようとする。その攻撃はあまりに遅く、もはや攻撃とは呼べないものだった。
「俺は負けない。負けるか糞ったれ」
そう言うなり、自らの左腕を胸に突き刺す!
吐血し、かすかに呻きながら、その腕を更に更に体の中へと突き入れる。
「うがががががっ!! 」
抉るような動きを見せる。激痛に悲鳴を上げる漆多。
「何を! 」
それ以上言葉は出てこない。
メリメリ
何かを引きちぎるような音がした。
そしてアイツは胸に突き入れた手を引き抜いた。左手を俺に向けて突き出す。
そこには、ピンク色の心臓があった。
「ぐう、へへへ、……俺は、お前なんかにやられたりしない。俺は、絶対にお前に負けない。負けちゃいけないんだよ。負けてたまるか、殺されてたまるかっていうんだ。お前に殺されるくらいなら、そんなことになるくらいなら、これだ! くそったれが」
一瞬、ニヤリと笑ったと思うと、突き出した手で「それ」を握りつぶした。
プシュ
音とともに、漆多の拳の間から血しぶきが上がる。
ぐへっと呻き、そのまま奴は地面に倒れ込んだ。
「う、漆多!! 」
駆け寄る。
血だまりが広がっていく。
漆多伊吹の死を確認した。
そして空にヒビが入り、その亀裂が次第に全天へと広がっていく。その向こうには、本当の星空が見える。
この荒涼とした空間にノイズが混じりだし、風に流されるようにその密度を薄くし、やがて消えていく。コンクリート柱の森もゆっくりと消滅していくんだ。
結界がゆっくりと消失していくんだ。
漆多を見る。強く握り締めた拳。血がぬるぬると染み出している。
その指と指の隙間から這い出してきた一本の糸のようなものを見た。
漆多の体毛ではない、異質なそれ。
見るとその線にも小さな瘤が見えた。つまりこれは生物だということか。……これが寄生根?
特に動くわけではなく、ただ漂うだけのような存在。
その瘤をつまむと、潰した。
それは、崩れるように消えていった。
俺は、勝利した。
だけど、それだけだった。
何も、無い。
戦いの中、俺はあまりに多くのものを失い、得たものなどなにもなかった。仮に何かを得たんだとしたら、そんなものなら返すから、寧々や漆多を生き返らせてほしかった。
お願いだから。
俺は泣いた。声を上げて泣いた。泣き崩れた。
人狼のまま息絶えた漆多からしばらく離れられずにいたんだ。
第1部 完
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