異界の王女と人狼の騎士
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第八十二話
まさに―――。
それは、ありえない話だけど、そこにいるのは、まさに映画やゲームの中でしか見ることのない狼男(ウェアウルフ、ライカンスロープ、ルー・ガルーと呼ばれるモノ)だった。形状的には、ゲームのモンスターとして現れる、顔は完全にヒトのものではなくオオカミそのものといった凶悪凶暴な形状のモノだった。そして、それらよりも体が一回り以上巨大だ。
ただ、今、眼前に立つモノは俺の知る人狼と決定的に異なるところがある。それは、両肩の肩の僧帽筋のあるあたりに薄いピンク色の人のこぶし大の大きさの瘤が左右二つづつ盛り上がっていることだった。
そしてそれ自体はまるで一つの生物のように透明のドーム上の膨らみのなかでそれぞれが動いている。蠢いている。まるで鼓動を打っているように見える。
そして、その形状・大きさから心臓であることが分かった。だけどそれが何のためにあそこにあるのかは理解不能だった。
しかし、その4つという数、それが心臓ということから分かってしまったことがあった。それは漆多が殺して奪い去った心臓であることに。
「おむあえ、こぉs」
何かを喋った。
しかし、急に口の形状が大きく変わったせいか、うまく声に出せないようだ。
だけど、俺には聞こえたんだ。
「お前を殺す」って。
はっきりと聞こえた。
漆多は地面に転がる石ころを掴んだと思うとその両手の親指で器用に弾いた。
風が唸る。
ピンポン球くらいの大きさの石があり得ない加速度で俺の顔を狙って飛んできたんだ。
弾丸のような速度だけれど、交わすのは不可能じゃない。
少しスウェイバックをして回避する。
石は後方の柱に激突し、粉々に砕け散る。
今の攻撃で石鉄砲の威力と精度を把握したんだろうか? 人狼となった漆多がニヤリと笑ったように見えた。
同時に石を弾丸のような速度で弾く攻撃が始まったんだ。最初は両手で弾いてきたけど、それでは直ぐに弾切れになること、補給するために攻撃を止めなければならないという非効率さに気付いた。奴は地面にしゃがむとその姿勢で攻撃を再開したんだ。
左手で弾込めをし、右手で射出する。その連続攻撃はマシンガンによる掃射に匹敵した。
あれは指弾とかいうやつか? 子供の頃、真似してやったことがある。曲げた人差し指に乗せた石ころを親指で弾くやつだ。でも1メートルも飛ばなかったような。
しかし、漆多の指弾はそんな子供の遊びなんてもんじゃない。
明らかな殺人的な威力を誇るんだ。しかも弾は地面に無数に落ちている石ころ。弾切れなんて無い。
その速度、その手数のため、この場での回避など不可能と判断した俺は、もはや後方へと飛び退くしかなかった。
ここ付近は石が豊富な上に遮蔽物が少ない。
俺は回避しながら、遮蔽物を求めて逃げ場を探す。そして背後の視界にコンクリート柱が密集したエリアを見つけたんだ。
能力【Three times】を連続保持したまま、俺は風切り音を感じながら飛んでくる石を回避しつつ、そのコンクリート柱の森を目指し駆ける。
顔のすぐ傍をブォンと不気味な音を立て何度も石が飛んでいく。地面に当たり弾ける音を聞く。
走った時間はほんの僅かだったかもしれない。だけど、体感時間はかなり永く感じられた。
前方にコンクリート柱が見えると、転がるようにして柱の影に飛び込み、俺は柱の陰から漆多のいる後方を見た。
漆多もこちらを目指して走りながら、指弾を撃ってくる。飛んできた石が柱に辺り甲高い音を立ててはじけ飛んでいく。
しかし、この場所ならあの攻撃も柱に阻まれて使えない。あとは漆多がここに足を踏み入れてからが勝負だな。……と思って奴を見て驚愕する。
なんと、奴は指弾による攻撃を諦め、今度は真っ二つに割れた柱の一つを両手で持ち上げ、大きく振りかぶっていたんだ。
こっちに向けて唸り声を上げて巨大な石柱を放り投げた。
なんて馬鹿力なんだよ!!
放たれた巨大な柱は、相当な速度で放物線を描きながら飛んでくる。抜群のコントロールで俺へと落ちてくる。
この攻撃は、速度は指弾と比べれば明らかに遅いが破壊力が半端ではない。何トンも有るであろうコンクリートの塊の落下だ。直撃を受けたらひとたまりも無い。
咄嗟に回避する俺。
落下予想点から余裕をもって回避しようと駆け出し、柱と柱の間を通り抜けようとする。
刹那、視界の隅に何か銀色に光るものを見た。
いや、正確には感じたんだ。
それはただの気のせいだったかもしれないけど、直感的に危険を感じた俺は即座に全力を用いて止まろうとした。
通常の三倍速で移動していたこと、砂利と礫のため滑りやすい地面のためブレーキの利きが悪かったけど、なんとか寸前でとどまることができた。
同時に、左腕に痛みが走る。
それは何かに触れたような冷たい、そしてチクリとした感触。
俺は左腕をみた。
「痛っ――! 」
少し遅れて痛みが来る。
なんてこどだ。ブルゾンの袖が肘のあたりまでザックリと切断されていた。中に着ているシャツも同様だ。
当然、俺の腕だって手首の辺りから肘にかけて皮膚が割け、ピンク色の肉がむき出しになっていた。そして驚くばかりの大量の出血。静脈をスパッとやられているかもしれない。
傷の深さは深いところで2センチ以上……。
痛みと吐き気をこらえながらブルゾンを脱ぎ、強引に左腕に巻き付けて強く縛る。
出血を止めないと!
こんな素人療法で出血が抑えられるかどうかは分からないけど、やらないよりはましだ。
体の直ぐ側で、今まで見えなかった物が見えていた。
俺の血で染められることで実体化した、柱と柱の間に張られたよく見ないと見えない細さの「糸」があったんだ。ちょうど俺の胸辺りの高さに張られている。
止まらずに突っ込んだら、真っ二つだった……な。
背後で咆吼が響く。
奴がもうそこまで来ているんだ。
俺は慌てて張られた糸をくぐってさらに奥へと逃げるしかなかった。外の場所へ逃げようとすると、また石つぶての乱射を受けてしまうからな。もはや逃げ場はそこしか無かったんだ。
俺は隠れて柱にもたれかかる。
左手が痺れるような感覚だ。ブルゾンがじっとりと湿り、重さを感じる。それだけで分かった。怪我は全く回復していない。
王女がいたときにはあり得なかった状態だった。
そしてそれが今の俺の置かれた状態をしめしていたんだ。
もはや、この戦いで左腕は使えない。
漆多の方を見た。
狼の顔をした漆多はそんな姿になっていても、今、アイツが何を思うかが分かてしまったんだ。
そして、それは、本来は俺にとっての厄災でしかなかった。
俺の周りは無数のコンクリート柱の森。俺はその中に逃げ込んだつもりだった。
周囲を見回す。
柱は無秩序に並んでいる。地面への埋まり具合で違うけど、高さはだいたい3~4m。その柱と柱の間、それもあちこちだ、に光の加減で時々なんとか見えるものがあった。頼りないほど細い細い線。
それが先刻、俺の左腕をザックリと切り割いたあの鋭利な糸であることを。
―――気付いてしまったんだ。
必殺の罠を仕掛けた森の中に、俺が踏み込んでしまったことを。
これは罠だ!!
ここにいたら危険すぎる。
とにかくここから脱出すること。とにかく離れなければいけない!
そう思って動こうとした時、俺の視界の中に人狼化した漆多が、異様なまでの圧迫感で現れていたんだ。
「遅かったか……」
思わず口に出てしまう。
これは本格的にピンチとなってしまった。最初からここでケリをつけるつもりだったんだ。指弾による攻撃はここに追い込むための布石でしかなかったわけか。
見えない糸で囲まれた檻の中に俺は閉じ込められてしまったわけだな。そしてその鉄格子は視認性がとても悪く不用意に触れると剃刀以上の切れ味で俺を切り刻む。だけどそれを恐れると漆多の攻撃を喰らってしまうということか。
金網デスマッチなんて児戯に過ぎないくらいヤバイ状況だな。檻の中に閉じ込められ、そこに血に飢えた猛獣を放された感じといったらいいのか……。まだそっちのほうがましだな。
それにしても……。さっきからずっと加速能力を使い通しだから、だいぶというか、本気でシンドイな。かといって止めてしまったら漆多の攻撃を回避することはできない。
この能力を使い続けるのもあとどれくらい持つか。おまけに怪我をした左腕からの出血が止まらないや。疲労と出血でまじでクラクラしてきてるや。
「やばいかな」
そんな弱音を吐いてしまう。
人狼化した巨大な生き物は俺の前方5メートル!
ちょうどコンクリート柱の森の入口に立っていた。
罠の状況を確認するように左右をゆっくりと見回した。そしてオオカミの顔をしているのに、それが笑ったように見えた。
さて、どうする?
一気に来た!
遮蔽物や足場の悪さなどお構いなしに、突進してくる。咆哮を上げ、猛然と襲いかかってくる。地理的条件を全て頭に叩き込んでいるような無駄の無い動きだ。
コンクリート柱を利用して指弾を交わそうとしたのが裏目に出てしまった。今更ながら俺の判断ミスだ。だけど済んだことを嘆いたところでどうにもならない。
「ちっ」
俺は舌打ちをし、加速度を更なる領域まで引き上げるしかなかった。
足場の悪さ、トリッキーなワイヤーの配置のため、速度が殺される。漆多の爪撃を食らえば無事ではすまない。コンクリート柱を抉るような威力だからな。遅い加速度では大きく移動しないと攻撃を交わせない。必要最小限度の移動で済ますにはさらなる高みの領域で迎え撃たなければならない。
Quintuple……。
世界の色がさらに変化する。限界移動速度の増加による副次的作用により、動体視力が劇的に向上する。
漆多の動きが見える!
動きを最小限に抑え、ギリギリのタイミングで、かつ最小限の動きで攻撃を回避していく。
移動は特に最小限だ。不用意な動きは仕掛けられたワイヤーの餌食になるから特に注意をしつつ見切る!
しかし、攻撃は執拗かつ的確だ。際どく避けるからほんの一瞬の油断が命取りになる。回避しながらも体にダメージを受けているのがわかる。ごくごく浅くではあるけど、攻撃を交わした部位の皮膚が斬られたように裂ける。
風圧によるカマイタチ現象なのか?
否、そんな現象は存在しない。……その原因はすぐに判った。
漆多の全身を被った体毛が俺の皮膚に当たって切り傷をつけているんだった。つまり、あの銀色に輝く体毛は想像以上の硬度を誇り、予想を遥かに超えて鋭利だったってことだ。
漆多の繰り出す攻撃は、一度駆け抜けると柱に手をかけ、それを支点にして外周を一蹴してターンし、別の柱まで走りそこでまたターンをする。そして隙を見ては攻撃をかけてくる。それを複雑に何度も何度も繰り返す。
右へ左へ前へ後へと目まぐるしく攻撃が展開される。
俺は休む間もなく5倍の加速度を維持させ続けられる。それは次第に俺の体力を奪っていっている。
視界の中でさらに驚愕するものを見てしまった。あいつは柱の周りを周回しながら、自分の体毛を引き抜いて柱に打ち込み、さらに別の柱まで行った時に同様に打ち込んでいたんだ。つまり、あのトラップとして張り巡らされたワイヤーのような糸は漆多の体毛だったんだ。あの体毛は細く鋭利なだけでなく、弾力性に富んだ素材なのか??
攻撃と罠の敷設を同時にやっていたんだ。そしてその張り巡らされたワイヤーの籠は次第にその範囲を狭め、俺の退路を絶っていくんだ。
この場から脱出しないと、完全に閉じ込められる。それが判っていてもどこに仕込まれたか判らないワイヤーを避けつつ、漆多の攻撃を回避するなんて余裕は無かった。
ただただ、追い詰められるしかなかったんだ。
施術されたあのワイヤーを利用して逆に漆多を罠に嵌めようかと一瞬考えていたけど、あれが漆多の体毛では効果があるとは思えない……。
漆多は停止した。俺の前方6メーター。
もはや殺人的な糸がどのような経路で張り巡らされているか想像できない。すぐ傍にまで張られているかもしれないし、どこにもないかもしれない。
しかし、漆多はお構いなしに攻撃してこられる。俺は注意して動かざるをえない。
あまりに条件が悪すぎる。
そしてもはや退路は無い。
カウンターで決めるしかない……か。
こちらを向いたままの漆多が笑ったように見えた中腰になって吼えた。
何かを仕掛けるつもりだ!
右肩の瘤の一つの内部が沸騰したかのように泡立つ。
首筋の被った体毛の間から蒸気のような白い煙が左右に一気に噴出す。
ポシュウン。キュウゥウウイーーーーーーーーン!!
「ダァアアアイイィィィィィィルゥウウウェェエィクーーーートゥゥゥォオオーーーーオ!! ップォオオオオトウウォォォォゥゥゥゥーーー、オゥウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーヌンゥ! 」
叫ぶ!! いや叫んだように聞こえた。
その声が聞こえる早く、唐突に、アイツが眼前に現れたんだ。あまりの加速度のため、一気に体が膨らんだようにしか見えなかった。
続けて猛烈な速度で繰り出してくる右手。
―――来る!!
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