大刃少女と禍風の槍
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十一節・ほんの僅かな暗雲
「……終わった、のか……?」
夢現の中の如く、キリトがぼんやりとした口調で呟く。
まだ何かあるのではないか? ベータテストとの違いが目の前に現れるのではないか?
その思いが彼の頭の中を支配して、掲げた剣すら満足に降ろせていない。
皆、半信半疑なその思いは同じの様で……歓声など何処からも上がらない。
G隊とE隊は立ち尽くしたまま視線が一点で固定され、空中に浮かぶ《コングラチュレーション》の文字を茫然と眺めている。
C隊とD隊及びA隊は片膝立ちの姿勢のプレイヤーが多く、その回復姿勢を取ったまま、動こうともせずに固まっている。
F隊とB隊は疲労困憊なのか床に座り込み、再び脅威が現れるのではないかと恐れ、首だけで辺りを頻りに見回している。
永遠にも思える沈黙の中―――コツン、と小さくキリトの頭が叩かれた。
本当に軽い動作なのだが、そのくせイヤに良く響く音がし、鬼気迫る表情だったキリトの顔が、いっそ噴き出してしまいそうなほど間抜けにゆるむ。
振り向いた先には……何時の間に拾ったのか槍を肩に担ぎ、パイプを吸いながらニヤニヤと笑うグザが居た。
と、彼に本格的に反応するその前に、キリトの片手にも白い手が触れ……その手の主、アスナが彼の剣をそっと降ろさせる。
「お疲れ様」
まるでその言葉を待っていたかのように、プレイヤー全員の視界に現れる獲得経験値、獲得アイテム、そして獲得コルの記されるメッセージ。
此処で漸く―――――漸く、数十人の歓声が一気に上がり、爆発した化の様な声が部屋中に轟いた。
ある者は歯を食い縛り両拳を天井へ向けて目一杯突き出し、ある者は規則性もない滅茶苦茶な躍りを披露し始め、ある者等は肩を組んで笑いあい、ある者達は泣きそうな表情で抱き合い……ある者は天を仰いで雄叫びをあげている。
唐突に来襲した嵐の如く一気に膨れ上がる喜びと叫び声に、キリトは一人取り残された様な感触を抱きながら、剣を握ったままに茫然と立ち尽くす。
「あいつ等……やり切りおった……」
あの混乱の中――――皮肉にも、ある意味一番冷静で居たキバオウもまた、喜びと驚愕の入り混じる表情で、棒立ちのキリトを眺めていた。
「お疲れさん」
「うおっ!?」
と、未だに何も出来ないキリトへ近付き、三人分ある影の内一人が、声色に似合わぬ勢のよさで背中を叩く。
内二人はパーティーメンバーであった、アスナとグザ。……しかし若干遠い為、背を打ったのは当然彼らではない。
労い始めとキリトの背中を叩いたらしきもう一人は、B隊リーダーを務めた男性、エギルであった。
「見事な指揮、何より見事な剣技だった。……でもまぁ勝利を捧げるには、もっとピッタリな奴が居ちまってるけども」
「ははは……確かにな」
言いながらキリトは視線を傾け、会話しながら歩いてくるアスナとグザを見やる。
踏み込むきっかけを作ったのはキリトで、それを補佐し盤石なものとしたのはアスナ。
初めに支えて基盤を作ってくれたのはエギル達、B隊。
だが…… “諦観” や “恐慌” という名のダムを決壊させたのは、他ならぬグザの超人ぶりだろう。
タダでさえ一匹一匹が強敵で、キリト達は容易く葬って居る様に見えたが……それもコンビネーションや、事前知識があってこそ。
第一層時点に置いて言うなら、決して雑魚に入らない実力を持つ《ルインコボルド・センチネル》を、グザは三体も相手にしつつ士気が整うまでの間ずっと捌き切ったのだ
普通のゲームと違い、プレイヤー本人が身体を動かしてアバターを操作するフルダイブゲームだからこそ、そして僅かとはいえモンスターMobとのレベル差があったからこそ、成す事の出来た驚異的な芸当。
例えゲームの域に収まろうとも、しかしゲーマーの域に収まる様な人間では断じて無い、凄まじい技量だと言わざるを得ない。
(本当に何者なんだ、グザ……あんたは……)
「だから! あんな動きが何もしていない人に出来る筈ないでしょう!?」
「いーやいや、そう決めつけるのは良くないわな。本当にオレちゃん、何もしてねー人間よ?」
「あーもう! っ……はぁ……もういいです」
何が発端か実にのんびりとした会話を繰り広げる彼等を見て、最後まで心の隅に引っ掛かり続ける張った気が、すんなり千切られ緊張が解けてしまう。
ふと顔を上げてみれば、エギルが苦笑しつつも拳を突き出してくる。
キリトは一瞬躊躇うもちゃんと拳の打ちつけ合いに答え、続いてパーティー二人の方を指差され、何が言いたいかをすぐに理解し頭を掻きつつ歩み寄る。
「えーと……こういう時、何つぅんだっけか? コーングラッツ?」
「食べ物みたいになってるじゃない……コングラチュレーションよ」
「早々それそれ、それだ。ホレ、お決まりぶつけようや、キリトの坊主」
槍を担いだままにグザの左手が掲げられ、アスナもそれにならって咳払いの後右手を上げ……エギルの後だからかすんなりキリトも手を掲げる。
やがて距離は近くなり、四つの手が通り過ぎ様に重なり―――――
「なんで……っ!? なんでだよっ!? 」
たった一つの悲鳴染みた叫びが、歩みも手の振りも強引に留めた。
お祝いムードのそぐわぬ、ほぼ泣いている様なその声に、周りの物たちの騒ぎも止み、再び閑散とした部屋に逆戻りしてしまった。
声を上げたらしきシミター使いの男は、間違いなくキリトの方を睨みつけており、肩を震わせ必死に何かを堪えているようにも見える。
彼が誰なのか、如何いった人物なのか、自分に何の関わりがあったか、それをキリトは咄嗟に思いだせずに居たが……次の言葉で理解し、瞬間的に何故叫んだかを悟った。
「何で……何でそいつが湛えられてるんだ!? そいつは、ディアベルさんを見殺しにした張本人なのに!! そいつが知っていた『刀ソードスキル』の事を教えていれば、ディアベルさんは死なずに済んだんだ!!」
シミター使いの言う通り、キリトは《コボルドロード》の刀系スキルを知っており、だからこそ全てパリィして見せていた。
が、頼もしい活躍だと称えられる半面、それは同時にベータテスターである事の露見と、何故持った知識を黙秘していたのかという不信感を生んでしまう結果につながったらしい。
現に周りからも、「そう言えばそうだ……アイツ全部弾いていて……」「攻略本にも書いてなかったのに……なんでだ……?」と、明らかに良くない感情を含んだざわめきが広がっている。
されど……知っての通り、キリトはグザの一言で野太刀に気が付いたのであり、《コボルドロード》が刀系ソードスキルを使ってくるなど、予想すらしていなかった。
刀身のディティールをじかに見るその時まで、タルワールを使ってくると思い込んでいたのだから。
更に言うならあの時は相当切羽詰まった局面であり、キリトが留める前にディアベルが走り出してしまっていた為、ディアベルに刀系スキルの基礎を教える時間など、ほぼ用意されていなかった事は明白な筈。
恐らく詳細を考えるその前に、感情が先走り糾弾してしまったのだろうが……彼の一言が生んだ不信は、確実に漂い立ちこめてしまっていた。
「LAだ」
その黒い雲を…………更に濃くする言葉が投げ掛けられる。
「あんたはLAをディアベルさんに取られるのが嫌だったんだろう? だから敢えて情報を伏せてディアベルさんを見殺しにしたんだ―――――図星だよな、“ベータテスター” 」
何処からともなく響く声で、湧いて出た疑いの感情は更に色濃くなっていく。
なによりキリトが何も言わない事と、彼がベータテスターなのだとそう確信付けられてしまったせいで、『LAの為にディアベルを見殺しにした』という理由の不自然さに気が付けない。
エギルはどう養護したらいいか分からないといった顔で立ち尽くし、キバオウは意外にも罵声を浴びせず難しい顔で黙り……グザは俯いたまま静かに息を潜めている。
「まって、それはおかしいわ」
ここで、今まで戸惑い悩み、踏み出しあぐねていたアスナが声を上げた。
「ベータ時代の情報はベータテスターだけの物じゃないわ。私たちだって、攻略本から得ていた。ならベータテスターの知識はあの攻略本と一緒……そう差は無かった筈じゃない?」
数十人集まる男達の中で唯一の少女という事もあってか、キリトへと集まっていた不信の目は一旦なりを潜め、問う様な視線がアスナに集まる。
「彼がボスのスキルを知っていたのも……此処よりもっと上で同じスキルを使う敵が出てきていて、そのモンスターを何度も相手取ったからと、そう考えるのが自然でしょう?」
「いいや、違うね」
アスナの弁舌へ更に乗り掛る形で、またも何処からか疑いようもない悪意の含まれた、何処か『何かを』先導する様な声が届いて来る。
「そもそも攻略本の情報が嘘だったんだ。アルゴとかいう情報屋と、其処のベータテスターはグルだったんだよ……それなら、認めたくないが辻褄があう」
「何を………っ!?」
「ベータテスター同士で協力して謀略を広げ、俺らを騙し自分達だけ美味い汁を吸い続ける為にな。……恐ろしい奴等だぜ……コッチは数少ない情報で必死だってのに」
「……っ!!」
コレも冷静に考えれば、数々の矛盾が生じている言葉ばかり
例えば…………今はまだ第一層、言うまでも無く浮遊城の最下層に位置する場所でしかない。
そんなまだまだ先の分からないこんな場所で、周りの人々に信頼されて止まない人物を、間接的とはいえ手にかけた事が知られればその人物はもう終わりだ。
高々『第一層のレアアイテム』取られる事を忌避して命を奪うのは世間体的も、攻略ペースの保持的にも全くもって割に合わない。
オマケにそれで手に入れられるのは、何処まで使えるかも分からないアイテム一つだけ。
装備なら階層の数字が二桁いくまで持つかどうかも分からず、アイテムならピンチに使ってしまうしかないのでその一時しか意味が無い。
何よりベータテスターとビギナーの間には元々軋轢が存在しているのに、そこへハイリスクローリターンの作戦を持ちこむなぞ、不可解且つ愚かの極みな行動だとしか言えない。
何が起こり得るか……それは他ならぬベータテスター本人らが一番よく理解している筈だろうに。
更に言うなら仮に視線を逸らそうと東方西走した所で、手に入れようとして自分で動けば今みたいに怪しまれる事は自明の理だ。
なにせ先程の闘いでキリト以外、刀系スキルの存在も詳細も知らなかったんだから。
何で教えなかった!? ―――とか言われるのは分かり切った事だろう。
それに旨味があると仮定した所で、得するのはキリト一人のみ。
『情報屋』という職業は正確な情報を伝える事が一番大事なポイントで、しかも此処はファンタジー世界じゃ無くゲームの中。
オマケに今彼等の居るここは超序盤で……騙した所で返ってくるのは金だけだ。
後は自分の情報を買わなくなったり目の敵にされたりと、『鼠』のアルゴは協力して尚、損ばかり。
ポッと出の新人に取られたくないから……等とそんな理由は最早理由になっていないし、たった一人の僅かな期間の旨味の為に自分の地位を貶める事が出来るのかと考えれば――――否、考えるまでもなく『断る』だろう。
損害しか生まないのなら、尚更に当たり前のことだ。
ディアベルに恨みがあったのだと無理やり仮定しても……それならそれで、何故ここまで目立つ真似をしたのか、やっぱり疑問が生じてやまない。
……しかし、不審に思う者は…………余りにも少ない。
皆、大なり小なりディアベルの死にショックを受け、尚且つキリト達ベータテスターへの不信感が強まっている中でのこの先導文句だ。
他者を疑うよう単語を交え、巧妙に声色を変えつつ発せられる―――その言葉に騙されている。
その、余りに理不尽な状況と物言いに耐えられなくなったか、アスナの中で抑えようもない怒りが膨れ上がった。
何故、キリトとたった数日組んだの彼女が、態々目立ってまで口を出したのか? ……それはキリト彼以外のベータテスターとの接触にある。
アスナもまた情報屋の『鼠』アルゴと面識があり、情報を得ていた事があった。
その頃のアスナはベータテスターへの不信や敵愾心など到底知る由もなく、アルゴから最後に掛けられた心配するような言葉と、
「ベータの情報に頼り過ぎちゃだめだヨ。しっぺ返しを絶対に喰らうから、臆病に行ってくレ」
という忠告の言葉も、余り耳に張っていなかった。
それが、周りの声を聞き入れ始め、キリトと組み、そこで初めて―――――彼女を真っ向から見る事が出来ていた。
……もし本当にディアベルを貶める様な人物なら、女である無しに関わらず心配と忠告の言葉を投げかけたりはしないと。
『ベータの情報は絶対じゃない』等と言わない、と。
「あの人はそんな人じゃない……っ! さっきから誰なの!?」
怒りのこもった言葉を投げ掛けつつ周りを見渡すが、其処には本気で知らないと首を横に振ったりジェスチャ―で表す人間ばかり。
誰かの後ろに隠れながら、コソコソと移動しながら、不安と敵対心を煽っているその人物に、アスナは歯を食いしばるほどの怒りを覚える。
そしてそんな彼女を嘲笑うかのように、今度はアスナへも注意を向けさせる言葉が振り掛ってきた。
「なら……仮に騙していないとして――――何故ベータテスター共は情報を教えてくれなかった? そりゃあ、ボスが刀スキルを繰り出しくるなんて知らなかったかもしれない……でも刀スキル自体は知っていたじゃないか? なんでベータと異なると言われた時に、教えてくれなかったんだ?」
この、少し聞いただけでは矛盾しかない様な言葉に反論したのは……やはりアスナだった。
「貴方がさっき言ってたじゃない! 知らなかったから、そも教えようがなかったって!」
「そうだよな……けどさ、刀を抜いた時点でもっと早く教える事は出来ただろう? ……緊急事態や、予想外の事態なら、隊列がどうの言ってられないしな」
「……それは……」
「それにコレは此処だけの問題じゃあ無い……もっと早くもっと前から、ベータ上がり達が情報を教えていたら、今日の悲劇は防げたはずだぞ? 何で攻略し始めて一ヶ月も過ぎてから、漸く本なんか出したんだ?」
謎の声の言う事は尤もで……ベータとの違いがあるのなら強引にでも教えるべきであり、更に第一層で死んでいった者達を減らす事が出来ていれば、今日の事件を物量で防げたかもしれない。
何よりビギナー達へ己の持つ情報を伝えるのが、余りにも『遅すぎる』事が説明できない所為で、再び不信感を募らせてしまっている。
「ベータテスター達のその殆どが、“始まりの街” から早々に出てスタートダッシュを掛けたらしいじゃないか。しかもベータとの違いを確認するかと思いきや、過信しての自滅や自分達ばかりアドバンテージを溜めこんでいるだけで…………誤差の確認や情報の処理なんてしてなかった」
「……!」
「もっと早く、もっと詳しく……圧倒的な知識というアドバンテージがあいつ等には合ったのに、それを溜めこむばかりで、俺達ビギナーにはまるで頓着しやしない。もう少し踏み込んだ情報さえあれば、ディアベルさんが死なずに済んだかもしれないのに」
「……だから! ボスが刀を使うなんて分からないから教えようがないって……!」
「でも、ベータとの違いが有るかもって教える際に、曲刀に似てるスキルだとか同スキルの拡張版とか、色々言えた筈だろ? なのに、何故かずっと黙ってるなんて、やっぱりベータ共は……」
キリトやアルゴの様な仮にも攻略に貢献した一個人ではなく……ベータテスターという多数の、他者の視点からも語られている為に、恐らくこうだろうと値を付けて発言しても、すぐに反撃を喰らってしまう。
アスナは行き詰り、その目は助けを求めるかのように、自然とグザの顔へ向く。
されど……伏せられた表情はそのままで、やはり其処からは何も読み取れず、口を閉じたまま一言も発さない。
「細剣使い? アンタ随分とベータ共の肩を持つじゃあないか? なぁ……若しかしてアンタもグルなのか?」
万事休すか―――――。
「クククッ……………!」
と……唐突に聞こえる、無理矢理堪えるている様な、奇妙な笑い声。
グザを除いた全員が目線を動かし、首を動かし、その声の主を探し始める。
「ハハハハッ! ハハハハハハハ!!」
我慢できないといった様子で、笑い声が遂に高らかに上がった。
――――黒髪の少年、キリトの方から。
「そいつは正真正銘のビギナーだぜ? 何でこの俺と一緒にされなきゃいけない?」
肩に剣を担いであざ笑う様は、間違ってもアスナに仲間意識を抱いている様には欠片も見えない。
「困るんだよなぁ……優等生気取りの細剣使いさん。そう頑張ってもらったらさぁ、コイツらに仲間だと思われるだろ?」
「……」
「お前らもお前らだ……ベータテスター? 情報屋? あんな素人共と一緒くたにされちゃあ、正直虫唾が走るんだよ」
キリトのそのあんまりな物言いに、まだ全体を言いきっていないにもかかわらず、行き場をなくしていた怒りと疑心が……段々と彼の方へ集まる。
「βテスト募集枠は千人……そのたった千人ぽっち中に、本物のMMOゲーマーと言える人間が……一体何人いたと思う? その殆どはレべリングのやり方すら知らない初心者ばかりだったぞ? ……そういや、あたふたする姿は結構笑えたな」
思い出し笑いをしつつ過去の記憶を掘り返し、さも “言葉を選んでいます” といった感じで一拍一拍余分に置きながら、キリトは更に言葉を紡いでいく。
「でもな、俺はそんな連中とは違う……本物さ。なにせ、誰よりも上の階層に登って、誰よりも知識を溜めこんでいる。……じゃ無けりゃあ、《コボルドロード》と真正面からやりあえない」
「……なら、その知識を……」
「勿体ないだろ? まだ必要でもないし、俺だけがより上に行ける確かな命綱だってのに……そうホイホイ話せるもんかよ」
“勿体ない” 。
たかがその程度で知識を詳らかにせず……ディアベルを失うという最悪の結果を作った。
幾ら、知らなかったかもしれないという希望を作っても、当の本人が絶望を語ってしまっては……もう皆が抑えきれる筈もなかった。
「……チーターじゃねえかよ、そんなもん……!」
「最低すぎるぜコイツ……チート野郎にも程がある……!」
「ベータ上がりでチートとかなんだよそれ……」
情報を溜めこむか吐き出すかは本人の自由であり、何よりベータテスターは先にテスト版をプレイしていて、ビギナーよりも情報を持っているというだけ。
故に、チートなどしていないのは自明の理であり……されど、恐らく今この時は、《最低のクズ野郎》を最も顕著に表わす言葉として、今居る人数の殆どをゲーマーが占める彼等が選んだのだろうと推測できた。
もしくは―――ディアベルの生死云々よりも、デスゲームだという事を弁えずにその知識に嫉妬して、今憎悪と共に本音が吐き出されているだけなのか……。
そんな蔑み一色に染まる言葉の嵐の中、キリトの耳へとある一つの、ベータテスターとチーターが不自然に混ざった単語が聞こえた。
「いいな、それ……案外良いじゃないか。ボスのLAと一緒に貰っといてやるよ……その『ビーター』って名前を。今後はぜひともそう呼んでくれ……元ベータテスター如きと一緒にしないでもらおう」
キリトはその単語―――『ビーター』を口にしつつ、LAアイテムであろう黒いコートを身にまとい、集団へ背を向けて、次の階層に続く扉へ歩き出す。
「ま、一応第二層をアクティベートしていてやるけど……ついてくるなら気を付けるんだな。β時代に良く居たんだよ。ボスを折角倒したクセに、次の階層の街道でモンスターに殺されるマヌケがさ……クククっ……」
「ふざけるなッ……謝れよお前! 謝れっ!!」
「……ハハハハハハハ!!」
「ディアベルさんに謝れよっ!? ビータアアァァァッ!!」
シミター使いの叫び声に最早振り向く事も無く、キリトは扉の奥へと消えていく。
地面にへたり込む彼を慰めながら、元・ディアベル隊の面々は事後処理の手伝いも任されていたか、周りへ声を掛け現状確認を行い始める。
そんな中、キリトが去っていた方向を依然として見つめるアスナに、周りに聞こえぬ様声を押さえて掛けられる声があった。
「……アレが本心じゃあ無いことぐらい……」
「……分かってますよ、エギルさん。言われなくても……」
キリトが行った嘲りが―――――しかし偽りの物であったと、この二人は見抜いていた。
憶測となるが……このまま会話を続ければベータテスター全員が疑われる事となり、何より話題に上がったアルゴが尤も危うい立ち位置に陥る羽目にもなってしまう。
当然、ある程度時間が経てば、先の先導文句がどれだけ矛盾しているのか理解も出来るだろうが……されどその間に間違いが起きないとも限らない。
だからこそ他のベータテスター達が吊し上げられるような事態を回避するべく、キリトは敢えて憎悪を己に集める様な真似を行ったのだ。
「……あの様子だと早々にバレると思うがねぇ……あの坊主は意外とお人よしだ。顔にも出やすいから演技なんか向いとらんさね」
見抜いている内の一人らしいグザが、パイプを吸いながら槍で肩を叩きつつ近寄ってくる。
そんな彼にアスナは、『何故あの時発言しなかったのか」と言いたげな、避難の混じる目を向け……グザは早々に読み取ったか、パイプを一旦口から放した。
「確かに言いくるめる事は出来たろうが……何せオレちゃん、ちょいと活躍し過ぎたわな」
「あっ……」
「発言したが最後ベータ上がりだからあんな動きが~、とか言われたら証拠有無がどうこうの論争になっちまう。例えディアベルを見殺しにするメリットが無い事を解いても……それだけで収まるとは思えんかったしねぇ」
言いながらグザの視線は、最初に叫んだシミター使いの方へ向いている。
彼の怒りがある程度収まらない限りは、感情論と場の雰囲気で強引に否定され、謎の声という不確定要素もあり……ベータテスターとの格差は、立て直し不可能な位置まで落されたかもしれない。
アスナもそれを理解しており、尚更に否定できなかった。
「…………それに―――――が、まだ見逃せねぇ―――のよ。だから――――――で……」
「えっ?」
「や、独り言だわな。独り言」
手をヒラヒラ振りつつニヤリ笑って、何故かアスナから視線を逸らさずそのままパイプを吸い始めたグザに妙な圧力でも感じたか、アスナは自分から目を逸らしてしまった。
そんな彼等を苦笑いして見ながら、エギルは軽く溜息を吐く。
「なあ……一つ、伝言を良いか?」
「伝言ですか?」
「ああ。アイツが悪いと思ってる訳じゃあないんだし……頼めるよな?」
アスナは迷っている、というよりは聊か困っているに近い表情を浮かべながら……それでも断るつもりもないのか微笑に戻り、エギルの方へ振り向く。
「ちょい待ちぃ」
「!」
「……キバオウ……」
そんな彼等を、何時の間にか近寄ってきていたキバオウが止めた。
しかしその顔に非難は宿っておらず……心の中で今思った事を、此処で出すか引っ込めるかで揺れ動いているらしく、気不味い表情がそのかなり微妙な心境を物語っている。
「あ~……クソ……―――……ッ!」
「……キバオウ、さん?」
「ハァ~…………ワイからも、頼むわ……伝言」
「えっ?」
頭を書きつつ言い出したその言葉―――それはアスナにとっては思わぬ申し出だったのか、身構えた表情がキョトンとしたものに変わる。
それを見たグザはより一層口角を上げてニヤリと笑い……アスナがバッ、と振り向いた瞬間に元へ戻した。
相変わらずペースを崩さない彼に呆れつつ、アスナはエギルとキバオウの伝言を届けるべく、彼等に先を促した。
・
・
・
・
・
盛り上がりに欠ける多数のプレイヤー達と、一部何やら会話を交わす者達の声が、ざわめきとなって第一層ボスフロアに広がる一方……
「はぁ……」
キリトが立っている、第一層と第二層を繋ぐ階段付近の草原は、いっそ落ち着けないぐらい静かだった。
「まぁ……元より覚悟してた事だしな……気合い入れてかないと……」
……この発言からするに、憶測は案外事実なのかもしれない。
頭を振ってネガティブな考えを彼なりに追い出したらしいキリトは、遠くに広がるテーブルマウンテンの群と、一番はじからでも容易に確認出来るほどに高い、フロアを縦に貫く迷宮区の塔を目に映す。
丁度夕日が差し込んでいる事もあって、中々に幻想的な風景を作り出していた。
此処から第二層の主街区は一応確認でき、後は《転移門》に触れさえすれば……それだけで、その《転移門》を経由して一層と二層が繋がるのだ。
仮に何もしなくとも、ボス撃破の二時間後には自動で《開門》される為、万が一開かないという事はあり得ない。
それにボス撃破後しばらくはモンスターMobのPOP率が大幅に下がるので、疲れている所にとどめを刺される可能性もぐっと低くなるのだ。
だからこそ余り気にしなくて良い為か、それとも静かに見れる今を大事にしておきたいのか――――暫くの間、キリトは風が吹き抜ける草原で黄金色の光を浴び、遠くを哀しげに見つめていた。
「エギルさんから伝言よ」
「ぃっ!?」
と―――――突如として聞こえてきた予想外の女声に、大きく肩をびくつかせた。
まあ……女声を発せるプレイヤーなど、攻略集団の中では一人しか居ないのだが……。
「ア、アスナか……それで、伝言て?」
「『また一緒にボス戦をやろう』……ですって。あとキバオウさんからも預かってるわ」
「えっ……!?」
キリトとしても思わぬ人物だったか、数分前のアスナの如くキョトンとした表情を見せてしまう。
それに若干噴き出しながら、アスナは一つ咳払いをかまし、キバオウの口調を真似て言う。
「『今日は助けて貰たけど、やっぱりジブンの事は認められへん。ワイはワイのやり方でクリアを目指す』……らしいわ」
「そう……か」
暫くキリトはその言葉をかみしめ、反芻するかのように黙りこくる。
隣と景色を交互に忙しなく見つつ、キリトは何やら言いだそうとしているらしく、顎に手を当てたり離したりを繰り返す。
「えーと……さっきは、その……ゴメ―――」
「ごめんなさい」
被せ気味に謝罪を遮られたキリトは、またも呆けた顔をアスナへ向けてしまった。
「私があんな事言った所為で、貴方に重荷を背負わせてしまって……」
「い、いや、ボス戦も今も最後は俺が自分で選んだ事だし……それにグザの奮戦もだけど、君の激も合ったからこそ戦線は立て直せたんだ。それにはかなり、感謝してる」
其処で一つだけ拍を置き、キリトは深呼吸の後に微かな狼狽を押し込め、真剣な表情でアスナの方を見る。
「君にはそういった、人の心を一つに出来る力があると、俺は思ってる。そりゃ空気に罅を入れたのはグザだろうけど……最後に纏めたのはアスナ、君だ。だから、誰かにギルドに誘われたら絶対に断らない方が良い。攻略への貢献度合いの問題だけじゃなくて……ソロプレイには絶対的な限界があるから」
「……そう」
否定も拒否もせずに、アスナは一言だけ呟き、ゆっくりと頷いた。
かと思うと行き成り、キリトへ一歩詰め寄って訝しげな表情をする。
「それよりも一つ、疑問があるんですけど?」
「な、何だ? アスナ」
「それよ」
「え?」
「さっき 『アスナ』 って私の事呼んだじゃない……今だけじゃないわ、ボス戦の時もよ。まさかアルゴさん経由で知ったの?」
可笑しい……と、キリトは率直にそう思った。
何せHPバーの横にはちゃんと、《Kirito》《Asuna》《Guza》と未だ記されているからだ。
アスナにだって見えている筈なのに、何故名前を呼んだ事とアルゴが関係してくるのかと悩んで……一つの答えに辿り着く。
「ああ……アンタ、パーティー組むのって初めてだよな?」
「そうだけど」
「……左端にさ、HPバーがあるんだけど、その横に書いてあるだろ? ……あ、顔を動かすと付いてっちゃうから眼だけ動かして」
言われるがままアスナは目線を動かし、今まで視界の端にしか存在しなかったHPバーを真ん中近くへ持っていく。
「き、りと……キリト……コレがあなたの名前?」
「ああ」
そこに書いてある名前を見て、初めて己の口でアバターネームを口にし、漸くキリトが自分の名を呼んだ事に合点が行ったらしかった。
アスナは数秒黙った後、軽く溜息を吐いて、景色を見やる。
「じゃあ、伝えたい事も伝えたし……私はもう戻るわね」
「わかった……先にってるよ、アスナ」
「ええ。すぐに追いつくから、まってなさい」
其処で会話は本当に途切れ、キリトはそのまま歩き出す。
アスナは振り向いて第一層と第二層の階段がある扉の方を向き……其処の前に一人の人間がそ~っと―――何処ろか堂々仁王立ちして、此方を見ている事を初めて知った。
「グ、グザさん! 何時から其処に!?」
「ああ、『エギルさんからの伝言』の時からだわな」
「ほぼ最初からじゃないですか!!」
「ちなみにエギルも来とるけどね」
「ちょ……バラすなってグザ……!? ……お、俺はこれにてじゃあな!」
「そんじゃ、オレちゃんもトンズラ~っと」
「待ってくださいエギルさん! グザさん!! まさか今の情報を売る気じゃないでしょうね!?」
言い合いながら階段を下りて行くアスナ等の会話を背に、キリトは草原を一歩一歩踏みしめるのだった。
後書き
グザは “悪人” ではありませんが “善人” でもありません。
結構、悪い意味でも良い意味でも『大人』であり、『子供』な人物です。
……ってこれだと、元から曖昧なのを更に曖昧にしただけじゃあ……?
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