鎮守府の床屋
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番外編 ~最期~
帽子
雲ひとつない快晴の中、私はいつものように確保した資材を満載したドラム缶を2つ引っ張り、波の穏やかな海上をひたすら走っていた。
あの秋祭りからもう一週間ほど経つ。毎年のことだが、秋祭は本当に楽しかった。電の浴衣も着ることが出来たし、雷が残してくれた大きなうちわでハルたちに風のおしおきををすることも出来た。
「そういえば、去年は響もいたんだっけ……」
フとそんなことを思い出しながら、私は海上を進む。響が轟沈してまだ一年経ってないことに驚いた。体感としてはもう何年も前に轟沈してしまった気がするんだけど……
響が轟沈した時のことは今でもよく覚えている。戦火が激しさを増し、司令官が次第に苦い顔をしながら私たちの報告を受けるようになった頃、響は遠征任務中に轟沈した。
――私のことを、いつも本当の名前で呼んでくれて、ありがとう
響の最期の言葉を思い出し、目頭が少し痛くなった。雷が轟沈し電が轟沈した頃、私は響と『二人の分まで生きよう。最後まで生き残ろう』と約束した。その約束を交わした途端、響は私を残して轟沈した。
「そっか……響が轟沈してまだ一年経ってないんだ……」
響が轟沈したあの日、私は執務室で、一人で声を上げて泣いている司令官を見た。何度も何度も『済まない』といい、涙で顔をぐしょぐしょにしながら、小さな子供のように嗚咽している司令官を見て、響は司令官に大切にされていたんだなぁという実感が湧いた。私たちは、こんなにも司令官に愛されているんだなぁと思えた。
ならば、私はみんなの分まで生きようと決心した。たった一人の第六駆逐隊になってしまったけれど、響との約束を守り、もう二度と司令官を泣かせたりしない。だからみんな安心してね。この一人前のレディーは、もう決して司令官を泣かせたりしないから。
そんな決意を胸に秘めて、まだ一年弱。去年の今頃は、響と一緒にこんな風にドラム缶を抱えて遠征任務に出ていたことを思い出し、胸が締め付けられる思いがした。少しだけ目頭が熱くなり涙が溜まってきたが、今日の天気は快晴。こんな天気のいい日に泣いていては、一人前のレディーにはなれない。そう思い、私は涙が零れないよう、上を向いてお天道様を眺めた。
「眩しい〜……」
今日のお天道様はとても機嫌がいいらしい。季節は秋だから風は冷たいが、お天道様は夏のように元気を振り絞り、私と海を照らしている。
「小島もいっぱいあるし、どこかで一休みしていこうかしら。……でも一人前のレディーなんたから、さぼったりしたらダメよね。早く帰らなきゃ」
あまりにもぽかぽかと暖かく、冷たい風が気持ちいいため、そんなことを考えてしまう。ここらは小島が多い。陸に上がれば昼寝も出来る。こんなに気持ちいい天気なら、誰だって昼寝がしたくなるだろう。鎮守府に戻ったら、司令官にいっぱい褒めてもらった後、加古と古鷹のお気に入りのあの場所でお昼寝でもしようか。そんなことを考えながら、私はお天道様を眺めていた。
「……あれ?」
異変を感じた私は、眩しいのをこらえてお天道様をよく見た。お天道様の眩しさに紛れて、黒い点が一つ見えた。その黒い点は、空中でゆっくりと円を描いている。
「……? なにかしら?」
足を止めることなく、上空の黒い点を観察する。お天道様の眩しさに紛れているので今一分かりづらい……見間違いか気のせいかもしれない……まぶしすぎて黒い点が見えているだけなのかも……
「……?!」
私があの上空の黒い点の正体に目星がついたのと、私の頭に徹甲弾が直撃したのは同時だった。私はその勢いで大きく背後に吹き飛ばされてしまい、ドラム缶から手を離してしまった。
「いたた……帽子?! 響の帽子は?!」
自身の頭に響の形見の帽子がないことに気付いて、私は慌てて周囲を探した。響の帽子は私から少し離れたところに落ちていた。今にも海中に沈んでしまいそうだったが、既の所で回収できた。幸いなことに、徹甲弾による傷は見当たらなかった。
安心したのもつかの間、第二撃の徹甲弾が再び私の眉間に直撃した。再び背後に吹き飛ばされた私は周囲を見るが、敵らしき姿は見えない。ここからは見えないほど遠くにいる敵からの砲撃……ということは、相手は戦艦クラスの深海棲艦だろうか。ここまで正確無比な砲撃をしてくるあたり、やはり頭上でくるくると円を描いている黒い点は深海棲艦の観測機で、観測射撃を行っているに違いない。
――暁、体勢を立てなおして
聞き覚えのある声が耳元で聞こえ、私は脳震盪でグラグラする頭を抱えながら立ち上がった。主機の出力を上げてその場からすばやく離れた時、私がいた場所に第三撃の徹甲弾が着弾した。あのまま呆けていたら、私は確実に轟沈していた。
響の帽子をかぶり直し、私は前方を睨んだ。小島の陰に隠れていたのだろうか。周囲には駆逐艦と軽巡洋艦が合わせて4体、私を囲むように陣形を組んでいた。敵艦隊の砲塔が、こちらに狙いをつけているのが分かる。
――背後にも気をつけるのよ暁!
分かってるわよ雷。私だって艦娘だし、何より一人前のレディー。こう見えて戦闘経験も豊富なんだから。
主機の出力を最大まで上げ、私は全速力でその場を離れた。駆逐艦の私は、スピードなら誰にも負けない。たとえ頭上から観測されていたとしても、私のスピードなら偏差射撃は難しいはずだ。距離を詰めている駆逐艦や巡洋艦も、私のスピードに照準を合わせることは難しいはず。逃げに徹すればなんとかなる。
――暁ちゃん 右から魚雷が来ているのです
電の声が聞こえ、右から接近している魚雷に気がついた。かなりきわどいところで魚雷を避け、逆に私が魚雷を放つ。放った魚雷は敵駆逐艦の一体に直撃し、大破させた。
――砲撃も来てるわよ!
ありがとう雷。私はその砲撃を避け、今の砲撃の主と思われる軽巡洋艦に砲撃仕返した。私の砲撃は相手に着弾し、相手は中破。
いける。これなら押しきれるかもしれない。倒せなくてもいい。この場から逃げおおせて、無事に鎮守府に戻ることが出来ればそれでいい。私は全速力で小島の陰に逃げ、上陸して身を隠し、鎮守府に通信を送った。
「司令官?」
「おお。どうした暁」
「ごめんなさい。今敵と遭遇して、資材を手放してしまったわ。持って帰れないかもしれない」
「お前は大丈夫か?」
「暁は大丈夫。でも資材が……」
「そんなもんどうでもいい。敵の規模はどれぐらいだ?」
「駆逐と軽巡が合わせて4体。見えないところに戦艦が1体いるわ」
「分かった。ビス子たちを至急向かわせる。それまで耐えろ」
「わかったわ! なんせ暁は一人前のレディーだから」
「頼むぞ。信じてるからな一人前のレディー!!」
司令官への連絡も終わり、私は林の陰で三人の到着を静かに待つことにした。このままここに隠れ続けていれば、ビス子たち三人が到着するまでは持ちこたえられるはずだ。ひょっとすると、私を見失った敵艦隊も、諦めて撤収するかもしれない。
だが、私のそんな甘い目算は通用しなかった。
不意に、私の周囲に生える木々が燃え出した。空を見ると、夏の花火がすぐそばで爆発したかのように、土砂降りの雨のように火が降り注いでいた。
「三式弾?!」
しまった……相手に戦艦がいたことを忘れていた。相手は私が小島に逃げ込んだことを見破り、その小島を三式弾で火炙りにする作戦に出たようだ。
――逃げて暁!
雷の助言に従って、私は即座に小島から離れて海に出る。
――まだ観測機は飛んでるのです 気をつけるのです
電の言った通り、上空ではまだ観測機が円を描いてこちらを観測している。思いっきり蛇行しながら小島を離れる。相手の偏差がズレ、私は寸前のところで相手の砲撃をかわしていった。
いける。これならいける。妹たち三人が私を支えてくれている。これなら逃げられる。あとはうまく砲撃を避け続ければ……
――暁!!
「え?」
響の叫び声が聞こえ、私は足元を見た。私の足に吸い込まれるように、魚雷が向かってきていた。
「魚雷?!」
私の主機に魚雷が命中し、主機が機能を停止した。私は爆発の勢いで海面をバウンドして転げまわってしまい、響の帽子を汚してしまった。
――足を止めないで暁!!
雷の悲鳴のような警告と、私の艤装が爆発したのは同時だった。敵戦艦の観測射撃が私の艤装に直撃したようだ。艤装が壊れた。これでは反撃が出来ない。敵の戦力を削れない。
軽巡と駆逐の砲撃も始まった。はじめこそ距離を測り損ねた砲撃で私に当たることはなかったが、私は今動くことが出来ない。次第に砲撃は挟叉となり、私の身体を捉え始め、私の身体に直撃していった。主機を動かしてみるが、さっきの雷撃のせいかほとんど稼働しない。かろうじて海面に立っているのがやっとの状態だ。
「負けない……私は絶対に帰るんだから……一人前のレディーなんだから!!」
敵の砲撃が、私の身体に容赦なく突き刺さっていく。響の帽子だけは傷つけないように……響との大切な約束の証だけは、絶対に何があっても守らないと……
――こっちだ暁
――電が暁ちゃんを引っ張るのです
気のせいだろうか、あの時と変わらない姿の響が、私をなんとか立ち上がらせようと、必死に私を抱きかかえようとしていた。轟沈する前の元気な姿の電が、泣きながら私の手を取ろうと必死にがんばっていた。
――私が暁のこと守るんだから!
私と敵の間に立ちふさがるように、雷が大の字になって私を身を挺して守ろうとしていた。だが敵の砲弾は無情にも雷の身体をすり抜け、私の身体に新たな傷をつけていくだけだった。
三人の妹は、私を助けようと必死に頑張ってくれている。ならば一人前のレディーの私が諦めるわけにはいかない。
「大丈夫! 暁は一人前のレデイーなんだから! みんなのところに帰るんだから……鎮守府に帰るんだからッ!!」
私は最後の力を振り絞り立ち上がった。砲撃は止まることなく私の身体を打ち抜いていくが、雷が身を挺して守ってくれている。電が私の手を引っ張ってくれる。響が私の身体を支えてくれている。
みんなが私を助けようと頑張ってくれている。だったら私は生きて鎮守府に戻らないと……みんなが助けてくれたことを、みんなに伝えないと……ハルに自慢するんだ……司令官に教えてあげるんだ! 三人が助けてくれたって、妹たちが助けてくれたって、司令官に自慢するんだ!!
煙を上げ、もはや雀の涙ほどの推進力すら出ない主機をフル回転させ、私はその場から離れようとした。砲撃が一層の激しさを増した。魚雷が迫っているのも見えた。それでも私は、退避を止めなかった。寸前の所で魚雷をかわし、砲弾を紙一重で避けた。
だが、そのままバランスを崩して倒れた私の視界に、自身の主機が入った。主機が動かない理由が分かった。主機を含めた私の両足は、すでに海中に沈みつつあった。
「せめて……せめて響の帽子だけは……!」
帽子を脱ぎ、それが傷ついてしまわないよう、大切に抱きかかえて守った。
――暁ッ!!
周囲を飛び交う砲弾の動きが止まり、それらが私の方を向いた状態で宙に浮いたまま停止していた。不思議に思った私は、周囲を見回し、背後を振り返った。その時、私に迫っていたのは一発の砲弾だった。砲弾は私のおなかに直撃し、そのまま私を突き破って海面に着弾した。
私は、逃げ切ることが出来なかった。響との約束を守ることはもう、出来なかった。
私の身体が下半身まで海に飲み込まれた頃、私を囲んで砲撃と雷撃を続けていた敵艦隊が次々に撃沈されていった。はじめ私は意味が分からなかったが、もはや胸元まで沈み込んだ私の手を、泣きながら必死に引っ張っているビス子の姿を見て、やっと助けが来たことが理解出来た。
「待って! アカツキ!! 沈んじゃダメ!! あなたは一人前のレディーなんでしょ?! 行っちゃダメ!! 行かないで! アカツキッ……!!」
ビス子が、そのキレイな顔をぐしゃぐしゃに崩してポロポロ泣きながら、私を必死に海から引っ張りだそうとしていた。子どものように泣きわめきながら私の手を引くその姿は、あの時の司令官を私に思い出させた。
――諦めちゃダメだ暁!
――私たちが下から押し上げてあげるから!
――だから暁ちゃんはがんばって帰るのです!
もう海中深く沈んだ私の身体を、響たち三人が必死に押し上げようとしていたが、私の身体が沈むのは止まらなかった。首まで沈んだ私は、ビス子に響の帽子を託した。
「ビス子……ビス子は一人前のレディーなんでしょ?」
「あなたもでしょ?! だったら沈まないで帰りなさい!」
「んーん。暁はもうダメ。だからこの帽子をお願い。大切にしてね」
「そんなこと言っちゃダメ! 帰るのよアカツキ! 私と一緒に帰って、ハルに膝枕してもらうの!! 提督が作ってくれた美味しいお子様ランチ食べるのよ!!」
「ごめんなさいビス子。元気でね」
響の帽子をビス子に託し、もう何もすることが無くなった私は、そのまま全身を海に飲み込まれた。泣かないでビス子。あなたみたいな一人前のレディーに涙は似合わないわ。私も笑顔であなたと別れるから、あなたも笑って?
――ごめんなさい暁 助けてあげられなかったわ
いいのよ雷。身を挺して守ってくれたあなたは一人前のレディーよ?
――暁ちゃんごめんなさいなのです 守ってあげられなかったのです
泣かないで電。あなたの気持ちはお姉ちゃんに伝わったから。お姉ちゃん怒ってなんかないわ。
――ごめん 約束を守らせてあげたかった 私も暁に、約束を守って欲しかった
私こそ、約束を守れなくてごめんなさい。でも、私は響に……みんなに久しぶりに会えて、とても嬉しかったわよ? 出来れば司令官にこのことを伝えたかったけれど……みんなに会えたことを、司令官に教えてあげたかったけど……
……あ、みんなに別れの言葉が言えなかったな……司令官、一人前のレディーがいなくなったからって、子どもみたいに泣かないでね? 加古? あんまり寝てばかりいちゃダメよ? 北上さん、マイペースもほどほどに。川内さん、もっとおしとやかになれば一人前のレディーになれるわよ? ハルと球磨、いつまでも仲良くしてね。……ビス子、一人前のレディーのあなたと一緒にいられて、とても楽しかったわ。
みんな、今までありがとう。少しさみしいけど、暁は一人前のレディーだから大丈夫。
それに暁には、響も雷も電もいるから。だから慌てて来ちゃダメだからね。
終わり。
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