鎮守府の床屋
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後編
9.店の名前は……
昔からうちのじい様と懇意にしていたという不動産屋の紹介で、俺は新たなテナントを借りることが出来た。大家との度重なる交渉の末、元々の賃料からかなり抑えたリーズナブルな金額で借りることが出来たのは幸いだ。
北上が生還し、俺の隣に球磨が戻ったその日のうちに、俺は新たな店を作る計画を立てた。球磨と北上は身寄りがない。軍に戻ることも考えたそうだが、それは俺が制止した。
「ハルー。球磨たち、軍に戻ったほうがいいクマ?」
「私もそれ考えてるんだよね」
「なんでだよ?」
「球磨たちはずっと軍にいたから、普通の生活ってよくわかんないクマ……」
「私たち、何ができるかなんてよくわかんないし……」
「特に何をやってもいいとは思うけど、軍に戻るのはやめろ。それは俺が提督さんに怒られる」
俺は、提督さんが戦後の艦娘の処遇を心配していたのを覚えている。こいつら艦娘に、戦後の平和な世界を生きて欲しいと思いなからも、現実問題として雇用や社会生活の面での心配をしていた。
確かに軍に戻れば楽だろう。今まで軍の中で生活してきていたのだから、それがそのまま今後も続くだけだ。今までの生活と何も変わらない。
でも俺は、それは提督さんへの裏切り行為に思えてならなかった。提督さんがあの心配をしていたということは、逆に言えば、艦娘の軍への復帰はまったく考えてなかったということになる。ならばあの人の親友として、二人のことを託された俺が、提督さんの意に沿わないことをするわけにはいかなかった。
――ありがとう ハルに任せて正解だった
そう言ってくれると、親友になった甲斐がありますよ提督さん。
――あたしたちの分まで幸せになりなよ
任せろ。お前と提督さんが成し遂げられなかったことは、俺たちが代わりに成し遂げる。隼鷹たちの分まで。
というわけで、俺は二人を当面の間養う決心を固めた。
「とりあえず二人はここに住んでバイトでも探せ。俺はまた店を始める」
「「わかった」クマっ」
北上は割とすぐにバイトを見つけてきた。なんでも隣町にもうろくした爺さんが経営している昔ながらの喫茶店があるらしく、そこでバイトをすることに決めたようだ。
「ねえねえハル兄さん」
「なんだよ。お前がハル兄さんって呼んできた時は悪い予感しかしない……」
「隣町だから通勤が大変なんだよねー……あー……足が欲しいなー……」
「……俺が昔使ってた原チャリがあるから、それ乗ってけよ」
「あ、いいの?」
「それよりお前、免許は大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるから」
そういって北上は、ヘルメットをかぶって原チャリにまたがり、軽快なエンジン音を鳴らしながらジト目で走っていった。
「……なんであいつ、原チャリに乗る時ジト目なんだよ?」
「球磨は北上の姉ちゃんだけど、さっぱり分からんクマ……」
球磨はしばらくバイトを探していたようだが、それよりも俺の新店舗の方に興味が移ったようで……
「仕方がないからハルを手伝ってやるクマっ」
と言い出し、今では俺の新しい店の開店準備を手伝ってくれている。おかげで店作りを任せることが出来、俺としては大助かりだ。
一度、開店準備の合間を縫って北上がバイトする店に一人で顔を出してみた。どうも客の少ない喫茶店のようだが、おかげで北上のゆるい接客も店に合っており、評判がいいらしい。
「ところでさ、ハル兄さん」
「ん? なんだよ?」
「ちゃんと球磨姉との約束は守ってあげた?」
「霧吹きはこの前俺の頭にさんざん吹きかけてたな」
「それじゃなくて」
「足の裏はまだ掻いてないぞ?」
「もひとつ」
……なんで知ってる?
「さーてねー。ねー大井っちー?」
「恐るべき姉妹間連携だ……」
「つーかね。球磨姉がそう言って頑張ってた」
「? あのアホ毛女が?」
「うん。私をおんぶしながら『帰ってハルにいっぱいチューしてもらうんだクマッ!!』って叫んで頑張ってた」
「あのアホ……」
なんつー恥ずかしいことを……。ついでに聞くところによると、球磨だけでなく北上も、沈んだ子たちの声が聞こえていたそうだ。だが最近はまったく聞こえなくなったと言っていた。
「まーいいんじゃない? 心配事がなくなったんでしょう」
「俺の心配事はお前のことで鰻登りだけどな」
「えー? 私のことが気になってんの?」
「アホ」
「でも残念だねー。私は人のものに手は出さない主義なんだよ」
「義理の妹に手なんか出すかっ」
「やっと妹だって認めてくれたね-」
北上は、俺の店の隣に喫茶店を出したいと言っていた。こいつなら、そう遠くない将来に実現しそうだ。それまで店をしっかりと続けないとな。
そうして数週間後、晴れて店は完成した。理由があって開店祝いにかけつけたのは、喫茶店に向かう途中に寄った北上ただ一人。
「ハル」
「ん?」
「店の名前……」
「言うな……」
店の看板を見た俺は、北上と共に絶句した。俺は、自分の店に『バーバーちょもらんま鎮守府』という名前をつけ、工務店にもそのままの名前で看板を作るように依頼したはずだ。デザインイメージを見ても問題なかったし、引き渡しの時も問題なかったはずなのだが……
「いやハル兄さん……『バーバーちょもらんま鎮守府“だクマ”』って名前はさすがに自分の嫁を贔屓しすぎだと思うよ?」
そう。実際に開店当日……と言っても正規の開店日はまだ先だけど……の今朝、看板を見て絶句した。いつの間にやら看板に余計な一言が追加され、シザーバッグに描かれていたものと同じクリーチャーのイラストが看板を賑わせていた。そのため看板のセンスのよい配色やデザインが台無しになっていたのだ。
まぁ、あの文を見る限り犯人は誰か分かってるし、この方が個性が出ていいかもな。
「球磨姉に甘いねーハル兄さんは」
「アホ」
「いやハル兄さんはいいだろうけどさ。この隣に店を構える予定の私は今から戦々恐々だよ。私の店にも余計な一言が加わりそう……」
「その頃には妖怪アホ毛女も落ち着いてるだろ」
「本当にそう思う?」
「思えん……」
その後北上は『んじゃあとでねー』といい、なぜか相変わらずのジト目でパルパルと原チャリのエンジン音を周囲に轟かせながら、先に喫茶店に向かった。
俺はというと、そのまま店に入って開店準備をすませ、客の第一号を待つ。第一号は決まっている。あの時の客第一号にして、足をかいてやる約束をしたあいつだ。
カランカランというドアの音がなり、その第一号の客が入ってきた。俺は、嫁作の落書きだらけのシザーバッグを腰に巻き、第一号の客を出迎えた。
「いらっしゃいませ。……妖怪アホ毛女ぁあああああ!!!」
「来たクマ!!」
「今日こそはそのアホ毛!! 切らせてもらうからなぁぁああああ!!!」
「切れるものなら切ってみるがいいクマぁああああ!!!」
店内に響き渡る、俺と球磨の叫び声。そして球磨の手に握られた霧吹きによって、過剰に店内に供給されていく湿気。少しだけお互い素直になったけど、あの時のまま変わらない俺たちの関係。この店の空気感は、あの時のままだ。
確かに今のバーバーちょもらんま鎮守府には、開店後に店に来ては『一人前のレディー!!』と大騒ぎする二人組はもういない。暇を見つけては散髪代のソファを占拠してうとうと居眠りする奴もいなければ、夜に『やせーん!!!』と襲い掛かってくる奴も、一升瓶片手に『ヒャッハァァアアア!!!』と騒ぎ立てる奴も、もういない。
それに、俺たちにはもうみんなの声は聞こえない。轟沈したかつての仲間や、俺とともにかけがえのない毎日を過ごした仲間たちの声は、もう俺の耳に届くことはない。
みんなに会えない。そしてみんなの声も聞こえない。これは寂しいことなのかもしれない。あの鎮守府での思い出は、キラキラと輝く宝石のように今では感じられる。そんな日々に比べると、今のこの状況は寂しいものなのかもしれない。
でもいい。あとは俺達が、みんなの分までこの平和な生活を送ることが出来ればそれでいいんだ。あのみんなが命と引き換えに守ってくれた平和な毎日を、残された俺たちがみんなの分まで堪能すれば、きっとそれでいいんだ。
「そのアホ毛だとドレス着た時ベール付けられんだろうが!!」
「そんなにベールが好きならハルがドレス着てベールつければいいクマッ!!」
「男がドレスなんて聞いたことねーよ! お前はどうすんだよッ?!」
「球磨は燕尾服を着るクマっ。キリッ」
「あ……」
「クマ?」
「すまん……カワイイと思ってしまった……」
「き、急にそういうこと言うのやめるクマっ……」
「お、お前こそ顔真っ赤にしてアホ毛をグニグニさせるのはやめろ……」
恥ずかしそうに顔を真赤にしてくねくねとうごく球磨を無理矢理座らせ、アホ毛を切った。
――さくっ
しかし、いつかのように後頭部からびよんと立ち上がるアホ毛を前に、俺は一時間後に迫った写真撮影に遅刻する覚悟を決めた。先に喫茶店に向かって準備してくれてる北上に連絡しておかなければ……
――ぷぷっ…… 末永くお幸せに
なんだか懐かしい誰かの声が聞こえた気がして背後を振り返るが、誰もいない。でも俺が振り向いたその先には、なんとなく賑やかで懐かしい、あの頃の雰囲気が漂っていた。
「どうかしたクマ?」
「いや、誰かいたような気がして」
「ぷぷー。アホ毛すら成敗出来ないハルの不甲斐なさを誰かがあざ笑いに来てるんだクマ!!」
「黙れ妖怪アホ毛女!!」
「クマクマっ」
終わり。
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