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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百八十九話  併合への歩み



帝国暦 490年 10月 15日      オーディン ゼーアドラー(海鷲)  エルネスト・メックリンガー



「随分賑やかだな、クレメンツ」
「ああ、確かに」
店内に入ると明るい雰囲気が私とクレメンツを包み込んだ。彼方此方で談笑する軍人の姿が有る。皆の顔が明るい。昇進を祝っているのだろうがもう戦わずに済む、死の恐怖と向き合わずに済むという気持ちも有るのだろう。私にもそういう気持ちは少なからずある。ようやく戦争が終結した。

ウェイターの案内で席に着く。白ワインとチーズの盛り合わせ、それとサラダとポテトフライを頼んだ。他愛ない会話をしていると直ぐにワインとチーズの盛り合わせが出てきた。ウェイターが最初の一杯をグラスに注ぐ。透明な液体がグラスを満たした。

二人でグラスを掲げた。
「元帥昇進、おめでとう」
「有難う、メックリンガー。卿もおめでとう」
お互いの昇進を祝しワインを一口飲む。美味い、芳醇な香りと微かな酸味が心地良かった。

「さて、次は色の選定だな」
クレメンツが茶目っ気たっぷりにウインクした。思わず笑ってしまう。
「厄介な問題だ。それにしても士官学校に入った時は将来色で悩む事になるとは思わなかったな」
「同感だ」
クレメンツも声を上げて笑った。チーズを一切れ食べた。ブルーチーズ、白ワインに良く合う。

不思議な事だ。自分もクレメンツも平民階級に生まれた。士官候補生当時、将来帝国元帥になる、マントの色を如何しようなどと言えばキチガイ扱いされただろう。
「それで、何色にするのだ?」
「青か緑の系統にしようと思っている。メックリンガー、卿は?」
「ふむ、紫を考えている。濃くするか淡くするか、迷うところだ」
「なるほど、色の濃淡か。それによって大分感じが変わるな。……色は淡くしようかな」
クレメンツが頷きながらチーズを口に運んだ。淡い色か、若葉の色か空の色を考えているのだろう。

ヴァレンシュタイン司令長官を思った。トレードマークになった黒のマントと濃紺のサッシュ。軍服も含めてごく自然に黒を着こなしている。今ではそれ以外の色は思い浮かばないが元帥に昇進した当時、淡い色を選ぶという事は考えなかったのだろうか……。

「昇進は決まったが役職はどうなるのかな? 何か聞いているか?」
クレメンツが小首を傾げながら問い掛けてきた。
「私も詳しくは知らない。だがフェザーン遷都が来年に有る。遷都後に発表するようだな。それまでは最小限の異動で済ませるらしい」
「なるほど、帝国だけではなく同盟領の事も考えなければならんか」
クレメンツが二度三度と頷いた。

「それも有るが……」
「何だ?」
ウエィターがサラダとポテトフライを持ってきた。テーブルに料理を並べると彼が一礼して離れた。周囲を見回した。幸いこちらに注意を払っている人間は居ない。小声で“耳を貸せ”と言うとクレメンツが訝しげな表情をしたが顔を寄せてきた。

「驚くなよ、司令長官を政府閣僚にという話が有るらしい」
囁くとクレメンツが目を瞠った。目を左右に動かして周囲を見ている。安心しろ、誰も気付いていない。
「本当か?」
「先日、ケスラー提督から聞いた。あくまでらしいという話の様だがな」
クレメンツが唸り声を挙げた。

「出所はリヒテンラーデ侯の様だな。侯も御高齢、今の内にしっかりとした後継者を、そういう事らしい」
「なるほど。これから三十年かけて新帝国を創る、そのためか……。しかし今でも変わるまい、わざわざ軍人から政治家への転身というのが分からんな」
クレメンツが首を傾げた。
「自由惑星同盟では軍人が政治に携わるという事は無い。その辺りも関係が有るのではないかな」
クレメンツがまた“なるほど”と言って頷いた。

「おそらく軍部、政府の上層部で揉めているのではないかと思っている。だから新しい体制が決まらない」
「それは分かるが簡単に決まる問題でもあるまい。長引くのは良くないぞ。現状ではガンダルヴァにルッツとワーレンが居るがあの二人に同盟領の全てを任せたままというわけにはいかんだろう。負担が大きすぎる」
クレメンツの言う通りだ。現状はあくまで一時的なもの。常態化は拙い。

「ガイエスブルクの件もある、あれを如何するのか」
「フェザーンに持って行くという話が有るようだが……」
「俺もその話は聞いた。もう一つ要塞を造るという話もな」
もう一つ? 如何いう事だ? 疑問に思っているとクレメンツが“どうやら知らないらしいな”と言って話し出した。

「フェザーン回廊の帝国側、同盟側の出口にそれぞれ要塞を置こうという事だ。だがそこまでやる必要が有るのかという意見も出ているらしい」
「なるほど。一つはガイエスブルク、もう一つを新しく造るという事か。新たな帝都の安全保障を考えるならおかしな話ではないな」
「それに戦争が無くなったからな。軍事費は当然削減されるだろう。軍需産業が困らん様にという事も有るらしい」

クレメンツが小声で教えてくれた。なるほど、軍需産業救済か。平和による不景気、妙な話だ。先の遠征ではかなり儲けた筈だがそれだけにいきなりの不景気には耐えられんか。待て、フェザーン遷都が有るのだ。今後はフェザーンの企業がかなり食い込んでくるな。それも考えての事か。

「勝ったとはいえ問題山積みだな」
私が言うとクレメンツが肩を竦めた。
「どんな時でも問題は無くならんよ。それに負けるよりはましだろう」
「まあそうだな」
確かに負けるよりはましだ。私もクレメンツも悩みながらも美味い酒が飲めるのだから。



宇宙暦 799年 10月 1日    ハイネセン ある少年の日記



ようやく静かになってきたよ。ついこの前まで同盟領の彼方此方で反政府運動、反帝国運動が行われていた。運動は結構激しかった。毎日毎日何処かで騒ぎが起きてそのニュースばかり、うんざりだよ。このハイネセンでもデモ隊と警察が何度も衝突している。怪我人が何人も出たし逮捕者も出た。死んだ人が出なかったのは幸いだってニュースで言ってたくらいだ。

一昨日、帝国政府が憲法を制定する事を発表した。それで騒いでいた人達も大人しくなった。未だ内容が分からないから安心は出来ないけど市民の権利が守られるんじゃないかって皆が言っている。デモを起こしていた人達は自分達の勝利だ、帝国から譲歩を勝ち取ったって喜んでいる。でも母さんが買ってきた週刊誌に書いてあったんだけど帝国は以前から憲法を制定するつもりだったみたいだ。それに憲法制定の責任者はヴァレンシュタイン元帥、これって意味深だよね。元帥が帝国に戻った途端に憲法制定を発表したんだから。これでも勝ったって言えるのかな?

それに如何なんだろう? 帝国軍が居る時は黙っていて帝国軍が還ったら騒ぎ出す。卑怯だって帝国は思わないかな。ガンダルヴァには二個艦隊が居るらしいけど今回は何もしなかった。でも次は如何なんだろう? 凄い不安だ。ニュースでも余りやりすぎると帝国から報復を受けるだろうって言っている。でも騒ぎを起こした人達は意気軒昂だ。帝国なんて大したことない、もっと声を大きくして自分達の主張をすべきだって言っている。政府は弱腰だって。そうなのかな?



宇宙暦 799年 10月 9日    ハイネセン ある少年の日記



やられたよ、やっぱり帝国は凄く怒っている。昨日、政府から重大発表が有った。同盟政府が発行した国債、それに年金に対して同盟政府が無くなった後は帝国が責任を持って支払う事で合意したって。僕の父さんも戦争で死んだから遺族年金を貰っている。だから年金については大体分かる。でも国債っていうのは良く分からなかった。母さんに聞いたら国債って国が作った借金らしい。これが物凄くあるみたいだ。

そのかなりの部分を帝国が所持している。何でも十兆ディナールを超えるらしい。とんでもない金額で僕にはとても想像出来ない。元々はフェザーンが持っていたものだったんだけど帝国がフェザーンを征服したから帝国の物になったって言っていた。他にも帝国は同盟の企業の株を大量に持っている。これもフェザーンが持っていたものだ。まったく、フェザーンの奴、碌な事をしない。

もしこれを全部買い取れと帝国に言われたら同盟は破産しちゃうそうだ。お金の価値が無くなってとんでもない事になる、その日から何も買えなくなって生活出来なくなるってニュースで言っていた。そうなったら一日も早く帝国に併合して貰って帝国領になるしかないって。

でも帝国はそんな事はしなかった。株はただで返してくれたし借金も三十年後は帝国が責任を持つって言ってくれた。年金も払ってくれる。同盟市民の生活を保障してくれたって事だ。でもその代り政府の予算案、何に幾ら使うかって事だけどそれは帝国の承認無しでは作れない事になった。要するに帝国の言う通りに御金を使いなさいって事だ。

ニュースでもアナウンサーや評論家が凄く複雑そうな表情で話していた。経済は安定するけど政治的には同盟は死んだも同然だって。もう完全に帝国の傀儡国家だって言っていた。傀儡国家って意味が分からない。母さんに聞いたら誰かの言う通りに動く国家だって教えてくれた。悔しいな。でも母さんは仕方無いって言っている。ちゃんと生活させてくれるんだから言う事は聞かないといけないって。

先日まで騒いでいた人達は帝国は卑怯だって非難している。でも帝国の提案を受け入れずにやっていけるのかって反論されると皆黙ってしまう。結局母さんの言う通りなんだ。皆貧乏にはなりたくないし良い暮らしをしたい。同盟政府にはそれが出来なくて帝国政府にはそれが出来る。それが全てなんだ。悔しいよ。



宇宙暦 799年 10月 13日    ハイネセン ある少年の日記



また帝国にやられたよ。今日発売された週刊紙に凄い記事が書かれていた。帝国は暦の統一を考えているらしい。そして同盟政府に打診しているとか。打診と言っても多分命令なんだろうな。今日のハイネセンはその話でもちきりだ。同盟評議会では議員達がレベロ議長に喧嘩腰で記事の内容が本当なのかを確認していた。あれ、確認なのかな? どっちかって言うと要求、命令みたいな感じだったけど……。

議員達は暦を統一するなら宇宙歴にすべきだってレベロ議長に言っていた。帝国にもそう言うべきだって。宇宙歴の方が先に有ったんだからおかしな考えじゃないと思う。それに帝国歴なんて同盟市民なら誰も使いたくないと思う。議員達の要求は実現は難しいかもしれないけど気持ちは凄く良く分かる。でもレベロ議長が質問に答えた内容を聞くとちょっと違うみたいだ。

帝国の考えている暦の統一は宇宙歴でも帝国歴でもなく新しい暦を作って一緒に使おうって事らしい。帝国でも宇宙歴、帝国歴のどちらかに統一しようというのは難しいと考えているみたいだ。まあ当然だよね。それに帝国では大併合(最近ニュースでは三十年後の併合の事を大併合って言っている)を単なる統一ではなく新しい国造りだと考えているらしい。だから暦も新しくするんだとか。

なるほどって思った。新しい国造りなら新しい暦もおかしくない。母さんもそれなら仕方ないんじゃないって言っている。議員達もちょっと予想外だったみたいで全然勢いが無くなっちゃった。帝国はやり方が上手いよ。同盟が反対し辛い様に、出来ない様に持って行く。

その所為で最近同盟には親帝国派って呼ばれる人が増えてきた。帝国に協力して新しい国造りを一緒に行おうっていう人達だ。母さんなんて帝国が年金と国債の保証をしてくれてからは半分以上親帝国派だ。反帝国派はゆゆしき問題だって騒いでいるけどゆゆしきって如何いう意味なんだろう?

その他にも凄い発表がレベロ議長から有った。帝国は遷都を考えているらしい。今の首都、オーディンは帝国の奥深くに有って新しい帝国の首都には相応しくないって帝国の政治家達は考えているみたいだ。だから首都を移す。その新しい首都がフェザーン……。

吃驚したよ、新しい首都がフェザーンだなんて。皆吃驚している。評論家達も凄く興奮している。フェザーンならフェザーン回廊を直接押さえられるし同盟領にも出兵し易い。経済面でも凄く有利だって言っていた。そして帝国は本気で新帝国を造ろうとしているって言っている。

なんかもう帝国はガンガン新しい国造りを進めている感じだ。こっちは全然かなわない、帝国の言う通りにするだけだ。傀儡国家って意味がようやく分かったよ。僕は親帝国派じゃないけど、仕方ないんだろうけど凄く惨めだ。これから同盟はどうなるんだろう……。



帝国暦 490年 10月 20日      オーディン   ミュッケンベルガー邸  ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



夫の胸に顔を乗せ深々と息を吸った。微かにソープの香りがした。
「如何したの?」
「いいえ、何も」
私が答えると夫は背中に手を回し私の身体を優しく抱き寄せてくれた。もう一度息を吸った。夢じゃない、夫はここに居て私を抱きしめてくれている。

戦争が無くなっても夫の忙しさは変わらない。朝早く出勤し帰りは決して早くない、食事も外で済ませてくる事も有る。仕方がない事だとは理解していている。でも寂しいという感情までは抑えられない。そんな私にとって寝室でのこの一時だけは夫を独り占め出来る時間だ。私にとっては何物にも代えられない至福の時間。

夫の胸から鼓動がトクトクと聞こえた。間違いなく夫は此処にいる。そう確信出来る事が本当に嬉しい。
「如何したの? 何か話したい事でも有るの?」
「いいえ、何も」
「本当に?」
気遣ってくれる事が嬉しかった。でもこうして心臓の音を聞いているだけで十分幸せ。そして夫の手が背中を撫でてくれるのがとても嬉しい。

「遠慮はいらないよ、夫婦なんだから」
「でもお疲れでしょう?」
「大丈夫、それほどでもない」
顔を上げて夫を見ると優しい目で私を見ていた。恥ずかしくて直ぐ顔を伏せてしまう。夫は困っているかもしれないと思った。もう何日も同じ様な会話をしている。でも私も困っている。このままで十分幸せ、これ以上望む事など無いのだから。

「……今度帝国と同盟で暦を統一する。聞いているかな」
「ええ、聞いています」
「……如何思う?」
如何しよう、夫は何を話して良いか困っているのかもしれない。だから暦の話を持ち出した。何か話さないと……。
「あの、お休みは如何なりますの?」
「お休み? ……ああ、祝日の事か」
夫がウンウンと頷くのが分かった。ホッとした。

「帝国と同盟の祝日をそれぞれ適当に入れるよ。似た様なのは削ってね」
「同盟のも入れますの?」
「ああ、自由惑星同盟建国記念日とか銀河連邦建国記念日とか」
「大丈夫ですの。そんな事をして」
驚いて夫の顔を見た。夫は楽しそうな笑みを浮かべている。

「大丈夫だよ。自由惑星同盟はもう反乱軍じゃない、帝国が認めた国家なんだ。そして三十年後には併合する国家でもある。同盟の祝日を入れる事に問題は無い」
「でも……」
「そのかわり帝国側の祝日も入れる。銀河帝国建国記念日、ルドルフ大帝生誕記念日、皇帝誕生日とかね」
「まあ。……同盟の人達、怒りますわ。それに帝国の人達だって……」
夫が声を上げて笑った。

「不満に思う? 祝日が増えて怒る人は居ないと思うよ」
「でも」
「その他にも憲法を制定すれば憲法記念日、フェザーンに遷都すれば新帝国成立記念日を制定する。同盟を併合後は統一記念日が出来るだろう。同盟市民にも嫌とは言わせない」
夫は悪戯をしているかのように楽しそうだ。

「呆れた。本当に人が悪いんですから」
「そんなことは無い。祝日は少ないより多い方が嬉しいからね。皆喜んで一緒に祝ってくれるよ」
夫がまた声を上げて笑った。本当にそんな日が来るのだろうか? でもそうなれば夫と一緒に居る時間も増えるかもしれない。そうなれば良いのだけれど……。



 
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