パンデミック
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第七十三話「暗闇から見たもの」
「クレア!! 無事か!?」
旧市街にタガート隊がようやく到着した。
タガートと彼の部隊の兵士たちが、ボロボロのクレアに駆け寄ってきた。
「タガート! 無事だったのね!」
「旧市街の方まで逃げた適合者を追ってここまで来たんだが……」
「これは……どういう状況だ?」
この状況を初めて見たタガートとその部下たちは、困惑と驚きでその場に固まった。
それは当然だ。
周囲に立ち込める土煙。
粉々に砕けた瓦礫の山。
身体中血で染まった白いトレンチコートの女とアクエリアス。
身体のほとんどを黒い硬化物で覆われ、赤黒く変色した眼を見開き、歪んだ笑みを浮かべている。
あの正義感に溢れるブランクとは思えない有り様だった。
「(あれが……暴走? しかし司令から聞いたものとは違う…戦闘中に悪化したとでも言うのか?)」
「畜生………ッ!! アタシたちが…適合者が2人いても勝てないっての!!??」
「………聞いていた以上の怪物だな……」
2人の適合者は、ほぼ同時に同じ表情を浮かべる。
悔しさと苛立ちの混じった表情。
今まで、適合者として様々な生物と戦い、それらを残らず潰してきた。
兵士、感染者、突然変異種、時にはスコーピオが創った生物兵器を。
どんな相手だろうと、負けることはなかった。
だからこそ、目の前にいるイレギュラーな存在を認めることが出来ない。
歯が立たない悔しさと苛立ちを募らせているが、それで自分を奮い立たせてもどうしようもできない。
そんな2人の適合者を、ブランクは赤黒く変色した眼で見据える。
「…………」
「……? なんだ? 何故殺しに来ない?」
引き千切られた片足の断面を押さえながら、アクエリアスが呟く。
ブランクの様子がおかしい。
先程の、2人へ目にも止まらぬ高速攻撃を仕掛けた時とは一変して、その場から全く動こうとしない。
2人を睨む顔が、少しづつ俯いてきている。身体中の力も抜け始めていた。
「…………ブランク?」
一瞬の静寂の後、タガートがブランクに声をかける。
しかし、彼はその呼びかけに応じることなく、静かに俯き、ゆっくり目を閉じた………
………………
………………………
…………あぁ、またか。
また"これ"か。
いい加減にしろよ。
まともに制御できないくせに、またこの力に縋ったのか。
何が"仲間のため"だ。
その仲間にさえ危険が及んでいるだろうが。
つくづく屑野郎だな、俺は……
周囲に何もない、ただただ真っ暗なだけの空間。
ブランクが意識を失いながらに目覚める、彼だけの世界。
この世界で目覚めたのは、これで3度目だ。
1度目は、本部防衛作戦でスコーピオに殺されかけた時。
2度目は、先ほど適合者の亡骸を喰らった時。
しかし、この3度目は何か様子が違うらしい。
過去に"ここ"で目覚めた時は、自分の存在を自覚した直後に、思考と理性が薄れる感覚がきた。
この3度目には、その感覚がまるでない。
意識もはっきりしている。
思考も理性も、ちゃんと人間性を保っている。
「……」
ブランクは今の状況に困惑しつつ、暗闇の中に何かないかと、周囲を見渡す。
「……!?」
周りに光源は全くない。しかし、段々と目が慣れてきて、周囲の暗闇に何があるかが見えてきた。
ここは、なにもない"ただの暗闇"じゃなかった。
周囲にあったのは、黒ずんだ無数の死体の塊だった。
無数の死体が、まるで壁のように積み重なって、ブランクを囲んでいた。
下半身が消失した兵士。
頭部の左半分を齧り取られた民間人。
腹部を引き裂かれた同期。
心臓と肺を刺し貫かれた上官。
死体の一つ一つに見覚えがあった。
忘れるはずがない。
ここにある死体は、助けようとして助けられなかった人々だった。
恐怖、苦悶、絶望に染まった死に顔の一つ一つを心に刻み、その無念を背負い、戦い続けた。
何度繰り返したことか。
「………そうか、そうだったな。……俺は、犠牲にしてしまった無念を晴らすために……戦ってきたんだ」
自分を取り囲む死体の中心で、そっと目を閉じた。
死者たちに黙とうを捧げ、その無念の全てを背負い戦い続けるために。
再び目を開けた時、ブランクの世界に一つの変化が生じた。
死体の暗闇の真ん中、自分の正面に誰かが立っている。
暗くて顔は見えない。ただ、薄ぼんやりとシルエットは確認できる。
左足と右腕が無い。
感染者に喰われて無くなったかのように欠けていた。
にもかかわらず、そのシルエットは何事もなくじっとブランクを見ている。
「…………あぁ、お前は…………」
顔は見えない。しかしブランクには、目の前にいるのが誰なのか、自分でも驚くほどはっきりと分かっていた。
目の前にいるのは"俺"だ。
"人間じゃない"俺だ。
「俺は……つくづく自分が情けなくなるよ。誰も死なせたくないから"お前"の力に頼ったのに…肝心の俺が使いこなせないなんて…」
―――俺は力が欲しくてコープスに頼ったんだ。力さえあれば、仲間が守れる。どんな奴も殺せる。
「そうだ。俺もそう思って"お前"の力を貸してもらった。でも、今ここに来て、分かったよ」
―――何が?
「俺は仲間を守ることに……敵を殺すことに固執し過ぎた。だから俺は自分の根本をコントロールできなかった」
―――俺は身をもって思い知ったはずだ。コープスは制御できない。
「そう思うか? ……………俺はもう決めたよ」
「ちゃんと"お前"に向き合うよ。ずっと"お前"が大嫌いだったけど、今度は受け入れてやる」
「だから、もう一度俺に力を貸してくれ」
表情も分からない"自分"への自問自答。
自分への問いのはずなのに、返ってくる答えを静かに待つブランク。
人間ではない自分は、未熟な人間である自分にどんな答えを返すのだろう。
―――今度こそ使いこなせよ
タガートとクレア、彼らの部隊の兵士たち、そしてヴァルゴとアクエリアスは、ブランクの変化に戸惑いを隠せなかった。
今までの暴走状態が、嘘のように鎮まった。
身体の力が抜けていくと同時に、身体中に広がっていた硬化したコープスが、少しずつ剥がれ始めている。
顔の右半分を覆っていた、鬼の顔のような形状のコープスが剥がれ落ち、ブランクの表情が見えるようになった。
穏やかな顔で目を閉じ、ゆっくり上に顔を向ける。
「スゥー………フゥー………」
深く息を吸い、肺から酸素がなくなるまで吐き出す。
肺の酸素を出し切り、ブランクは静かに目を開ける。
「ブランク? 正気に戻ったのか?」
戸惑いながらも、タガートがブランクに問いかける。
「タガート! クレアを連れて退避しろ! この2人は俺に任せてくれ!」
「ッ! 分かった!」
理由は分からないが、完全に正気に戻っているようだ。
それに安堵しつつ、タガートはブランクの言う通りに、傷だらけのクレアの肩を担ぎ、退避の準備を済ませる。
「ブランク!」
退避するクレアが、ブランクを呼び止める。
ブランクは振り返らず、背を向けたままクレアの言葉を待っている。
そんなブランクにクレアはたった一言
「………無茶はしないでね」
と、告げた。
「……分かっているさ。…早く行くんだ」
そう言ったブランクの瞳は、未だ赤黒いままだったが、理性の光が確かに存在していた。
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