銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第三十七話 要塞攻防戦(その2)
■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
ヴァレンシュタイン准将が提案した停戦要請は今攻撃を受けている敗残兵を助け、敵に送り返そうというものだった。当然ながらシュターデン少将を始め多くの参謀たちが“勝っているこちらから停戦とはどういうことか”、“反乱軍を助けるとはどういうことか”と猛反発を受けた。
まあ、当然よね。それに対して准将の主張は
1.攻撃失敗により同盟軍にはイゼルローン要塞攻略の手段が無くなった。
2.同盟軍内部には撤退論と継戦論の二つが今後の方針を巡って争っている可能性がある。
3.継戦論の主張の一つがイゼルローン要塞周辺の敗残兵、負傷兵の撤収と考えられる。
4.停戦し、敗残兵、負傷兵を送り届ければ継戦論は力を失う。
と言うものだった。そして准将はミュッケンベルガー元帥に
「これ以上、だらだらと戦闘を継続しても損害が多くなるだけです。あまり意味がありません。であれば敵を撤退させ易くするのも一案と考えます。」
と言った。ミュッケンベルガー元帥はあっさり准将の意見を受け入れ、停戦を要請する事を決定した。参謀たちは不満がありそうだったが、ミュッケンベルガー元帥が決定した以上不平は言わなかった。
そして今、私はヴァレンシュタイン准将と共に帝国軍戦艦シュワルツ・ティーゲルにいる。役目は同盟との停戦交渉、と言ってもそれほど難しいものではない、要約すれば“兵を助けてそちらに送るから、その間戦争は止めよう”というもの。既に要塞外での戦闘は終結しており、帝国から同盟へ使者の派遣についても連絡は行っている。この点についての心配は無い、心配なのは准将の体調よ。
何を考えたか使者になるのを志願したのよ、この子。蒼白な表情で“小官が使者としていきます”だなんて、何考えてるの? 結局、准将と私、それにリューネブルク少将がメンバーとなった。この男もわからない、亡命者の癖に停戦交渉の使者になる? 何考えてるんだろ。もっとも亡命者は私も同じか……。
シュワルツ・ティーゲルは“我に交戦の意思なし”と信号を発しつつ同盟軍に近づきつつある。艦長はビッテンフェルト大佐といってオレンジ色の髪を持つ筋骨隆々とした好男子だった。私たちが乗り込んだときは、その珍妙さに顔をしかめていた。無理も無いわよ、帝国軍の軍艦に女が乗るなんて先ずありえないし、准将は私に肩を抱えられながら艦に乗る始末。これで同盟軍に行って停戦交渉してきますってなんかの冗談にしか思えないと思う。
同盟軍に近づくと連絡艇が来てシュワルツ・ティーゲルにドッキングした。私たちは連絡艇に乗り込み同盟軍側にさらに近づく。連絡艇がドッキングしたのは同盟軍宇宙艦隊総旗艦アイアースだった。
■ ヤン・ウェンリー
帝国軍より使者が来た。彼らは直ぐ司令部に案内された。使者は三人、一人は三十半ばの長身の男性士官だった。いかにも帝国貴族らしい容姿を持った男と言っていい。今一人は帝国軍では珍しい女性士官だった。長身で赤みを帯びた褐色の髪を持つ美人だ。そして最後の一人は黒髪黒目、華奢で小柄な少年だった。
具合が悪いのか顔色が悪い。体もふらついて、長身の女性士官が気遣うように寄り添っている。副官か?それとも通訳か?そんな事を考えていると、少年は挨拶のために出て来たグリーンヒル参謀長に敬礼をしつつ流暢な同盟語で話しかけてきた。
「帝国軍宇宙艦隊司令部作戦参謀エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将です」
瞬時にして、室内の空気が張り詰める。彼がヴァレンシュタインか、帝国が誇る若き用兵家。アルレスハイム星域の会戦、ヴァンフリート星域の会戦、ヴァンフリート4=2の戦いと我々に煮え湯を飲ませ続けている。先程の要塞攻防戦も彼の采配だろう。室内は好奇と憎悪の視線に溢れた。
「ドワイト・グリーンヒル中将です。ようこそ」
参謀長は答礼しつつ、言葉を続けた。
「ヴァレンシュタイン准将、具合が悪そうですが?」
「今朝から熱がありまして、申し訳ありませんが椅子を用意していただけないでしょうか」
「気がつきませんでした。誰か椅子を」
参謀長の言葉に椅子が用意される。ヴァレンシュタイン准将は付き添いの女性士官に支えられながら椅子に座った。長身の男性士官は護衛役なのだろう、准将の背後に立つ。
「准将、ここへは何用でいらっしゃったのですかな」
「三つ有ります。一つはローゼンリッターのシェーンコップ大佐に話したい事があります。お呼びください」
「シェーンコップ大佐ですか」
「御心配には及びません。この場で、皆さんの前で話します。謀略を仕掛けるような事はありません」
不思議な事に付き添いの女性士官と護衛役の男性士官の顔に動揺が走る、なんだ?
グリーンヒル中将は、すぐシェーンコップ大佐を呼ぶように言った。そして二番目の用件を待つ。
「二つ目は停戦を提案します。停戦時間は十二時間、停戦を受けていただければ、十二時間の間に今回の攻撃の敗残兵、負傷兵を同盟側にお返しいたします」
「!」
ありえない話だった。帝国は同盟を反乱軍としている。反乱者を返す?何を考えている?
「いかがでしょう」
グリーンヒル参謀長はロボス総司令官と視線を交わす。ロボス司令官は軽くうなずいた。
「わかりました。停戦を受けましょう」
室内に安堵の空気が広がる。こちらが、今一番悩んでいた事が負傷兵の存在だった。
撤退論を唱える人間に対し、継戦論を唱える人間が拠り所としたのが負傷兵の存在だったのだ。なるほど、こちらを撤兵させるためか。上手い手だ。その場で帝国側に停戦の受け入れが伝えられた。司令部内の空気が緩む。
「敗残兵、負傷兵の受け取りが終わりましたら、撤退されるのがよろしいかと思います」
「無礼な!我が軍は未だ戦える。侮るか」
「そうだ、戦える」
いきり立つ参謀達を抑え参謀長が問いかけた。
「ヴァレンシュタイン准将、それが三つ目の要件ですか?」
「いいえ、これは小官個人の意見です」
「ならば、それについては無視してもよろしいですな」
「第六次イゼルローン要塞攻略戦は失敗しました」
「!」
「先程の攻撃失敗により同盟軍にはイゼルローン要塞攻略の手段が無くなりました。これ以上戦闘を継続しても損害が多くなるだけです。であれば撤退するのが上策ではありませんか」
「馬鹿な、敵に言われて撤退など出来るか」
「そうだ、我々にも面子がある」
「あなた方の面子でどれだけの犠牲者を出せば気が済むのです。五十万、それとも百万ですか?」
「それは……」
「兵が可哀想とは思いませんか。彼らには家族がいるのですよ、彼らを待っている家族が」
「ヴァレンシュタイン准将、貴官の意見はわかりました。しかしこの場で我々の回答を出す事は出来ません。参考にさせていただきます」
苦しげな参謀長の言葉にヴァレンシュタイン准将はうなづいた。変わった男だ、こちらを挑発するのではなく本気で撤退を勧めていた。どういう男だ?
「ワルター・フォン・シェーンコップ、参上しました」
ローゼンリッターのシェーンコップ大佐がやってきた。洗練された容姿を持つ三十前後の男だ。恭しい口調と不敵な表情のアンバランスさが奇妙にあっている。
「貴様、リューネブルク!」
「久しいな、シェーンコップ大佐、俺の事はリューネブルク少将と呼べ」
「何を言うか、この裏切り者が」
「使者に対して無礼だぞ」
その言葉でリューネブルクと呼ばれた男の正体がわかった。第十一代ローゼンリッター連隊長へルマン・フォン・リューネブルクだ。周囲もざわめいている。しかしなぜ此処に来た?
「シェーンコップ大佐。小官はヴァレンシュタイン准将です」
「ヴァレリー!貴様らヴァレリーを」
「落ち着いてワルター」
いきなり修羅場になった。付き添いの女性士官はヴァレリーと呼ばれている。知り合いか?いや彼女も亡命者か?よくわからない。
「シェーンコップ大佐。話を聞いて欲しいのです」
「……」
返事が無いのを了承と取ったのだろう。ヴァレンシュタイン准将が話し始める。
「我々は戦争をしています。当然ですが其処には憎しみや恨みが生まれる事もある。しかしその憎しみや恨みに囚われないで欲しいのです。忘れろと言っているのでは有りません。囚われないで欲しいのです。憎しみや恨みで戦争を始めれば、それはもう戦争ではありません。ただの殺し合いです。違いますか」
「……」
「貴官が今回したことは戦争に勝つ事ではなく、ただリューネブルク少将を殺そうとした、そうではありませんか」
「……」
「貴官らが、リューネブルク少将の亡命後、辛い立場に置かれた事は想像がつきます。しかしリューネブルク少将とて帝国で安寧を得たわけでは有りません。それなりに辛い思いをしてきたのです。それは判っていただけませんか」
ヴァレンシュタインは本気でシェーンコップを説得している。この男とリューネブルクはどういう関係なのだろう。亡命者と若き英雄、ちょっと見当がつかない。
「……リューネブルク少将。どうやら貴官はよい上官を得たようだな」
「小官はリューネブルク少将の上官では有りませんよ」
「准将の言うとおりだ。上官ではない、今はな」
「なるほど、今はな、か」
「同盟に居たとき、俺には居場所が無かった。才能が有れば忌諱され、才能が無ければ侮蔑される。よき上官にも恵まれず、ローゼンリッターの未来にもなんの展望も見出せなかった。それが嫌で帝国に亡命した。だが帝国でも居場所が無い事では条件は同じだった。なんのために亡命したのか、毎日考え続けた…。しかし今は違う。俺にも居場所がある」
つぶやくような声だった。しかし不思議に耳に届いた。
「……」
「シェーンコップ、貴様はどうだ。居場所が有るのか?」
「……さてな」
「居場所が欲しくなったら何時でも来い。帝国にはな、馬鹿かと思えるほどのお人好しがいる。貴様の一人ぐらい楽に受け入れてくれるだろう。なんだったらローゼンリッターごとでも構わんぞ。貴様らの腕がどれほどになったか、俺が試してやろう」
リューネブルクは本気でシェーンコップを誘っている。同盟では辛くなるだけだと。
「ふざけるな。三年前ならいざ知らず、今なら俺のほうが上だ」
「そうか、多少は腕を上げたか、ハハハ」
リューネブルク少将は良い上官を得たらしい。しかしシェーンコップ大佐、彼はどうなのだろう。いつか巡り会えるのだろうか。彼にとってのヴァレンシュタインと……。
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