ローゼンリッター回想録 ~血塗られた薔薇と青春~
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第9章 その後
ライフルスコープに奴がうつる
引き金を引こうとする
向こうも狙っている
引き金が引けない
敵のライフルからレーザーが放たれる!
胸部に衝撃
意識が遠のいていく
左を見ると自分の左腕が転がっている
そして血だまり
上を見た瞬間に擲弾装甲兵がトマホークを振り下ろそうとする
・・・・・
はっと目が覚める
全身汗でびっしょりになっている
場所はハイネセン中央軍病院
自分の左腕を見る
義手装着用の機器がついている
戦争が続くおかげで医療技術が発展し義手の技術も飛躍的に向上した。
その日は義手を初めてつけるのだった
私の率いていた第3中隊の生存者はたったの41名
しかも、そのうち13名は軍務復帰不可能とされた重症者だった。
残る28名のうち無傷だったのはリューカス中尉(宇宙歴792年 5月12日昇進)含めて7名のみ
士官での戦死者はユースフ・シュタイン大尉(負傷がもとでハイネセン帰還途中で戦死 宇宙歴792年 5月11日昇進)、クレメンツ・マッケルティ大尉、ニール・グスタフ大尉、コール・ハルトマン大尉、ジョアン・マッケンジー少佐(全員 宇宙歴792年 5月10日付で昇進)の5名。
下士官・兵士の名前を挙げればきりがなかった。
モレッティ・ハボック中尉(宇宙歴 792年 5月12日昇進)は右腕を完全に吹き飛ばされたものの私と同様に義手の訓練を受けることとなっていた。
リューカス中尉から聞かされたのだが
中尉はどうやら時間が過ぎても私を待ち続けていたらしくその時間を利用して脱出艇から救難信号を打ち上げまくっていたらしい
それを受信したローゼンリッター連隊が搭乗した輸送艦(周辺衛星攻略戦が完了し撤退していた最中だったらしい)が受信し、リンツ大尉以下3個中隊が我々がいた強襲揚陸艦に接舷して我々は救出されたとのことであった。
私はハイネセン帰還途中で少佐昇進の辞令を受けそうになったが辞令を破り捨てて
「ふざけるな!」
とそれを持ってきた第4艦隊司令部第1課(人事・総務課)のカロリーナ・ロコトフ大尉に投げつけた
彼女は動揺していたが私は容赦なく
「こんな無様な敗戦をして
自分は多くの大切な家族のような部下を失い、自分自身も左腕を失ったんだ!
貴様らのような人の命を損失数とか負傷者数とか数で扱うようなやつらに何がわかる!?」
同室にいた他の2名の負傷した士官たちは一瞬動揺していたがあとは同情するような目でこちらを見ていた(らしい。そこにいたリューカス中尉曰くだが)
私は彼女の前に来た彼女の上司であるマークス・フェルッフェ大佐が何食わぬ顔でしかもにこにこしながら名誉負傷勲章と第2級殊勲勲章を持ってきて、さらに何食わぬ顔をして広報チームの写真屋を連れてきて挙句の果てに言った言葉に怒り心頭であった
それは
「貴官に勲章を授与できることを誇りに思うぞ
貴官の中隊は本当に不遇だった。生還した部隊の中でもトールハンマーに最も近かった。
損失数は非常に多いが、その代り貴官が生還させた隊員数、そして貴官とリューカス中尉がを倒した敵数ことは素晴らしいと思うぞ。」
ということだった。
私はもらった勲章を大佐の顔面に投げつけそうになったがリューカス中尉がめちゃくちゃ厳しい目で大佐を睨み、ハンドサインで私に
「大尉。落ち着いてください。」
と言ってきたので何とか乗り切ったが
カロリーナ大尉が整然と辞令を持ってきたこと、それを整然と命令したマークス大佐のいかれた精神に心底怒り心頭だった。
結局奴らからすれば人の数も数字
死んでいるか、生きているか、戦えるのか
その3種類のみしか考えれない。
前線で戦えばこんなことは決して思わない
カロリーナ大尉とは実は面識があった。
彼女は私が特殊作戦課出向が決まった時に私に辞令を渡したアレックス・コードウェル少将の補佐官をやっていて、向こうから話しかけてきて少しながら面識はあった。
人当たりの良いおっとりとした女性士官であったがまさかそんなことも考えずにやってくるとは思わなかった。
彼女は私の病室を出るとき今にも号泣しそうな顔で敬礼をして出て行った。
少しまずかったかと思ったが、彼女が病室から出ていくなりリューカス中尉がため息をついて
「大尉。
あれは言い過ぎです。
あなたがいつも温和で、怒らないのは知ってましたが
あれは本当に言いすぎです。
大尉のお気持ちは理解できます。けれど…」
と説教が始まった。
中尉には結構迷惑をかけている
私がいない間中隊の状況維持と再編成へ向けた事務処理が忙しいはずなのに1日に3度も中央病院に来てくれる。
ローゼンリッターの戦友や上官たちも3日に1回は来てくれる。
シェーンコップ中佐はわざわざコーヒーを入れて差し入れに来てくれるし、リンツ大尉やブルームハルト大尉もローゼンリッター連隊の近状や連隊での笑い話を差し入れに来てくれる。
同盟軍は今回の敗戦をうまい英雄話で取り繕うのに必死だった
並行追撃作戦や無人艦艇突入作戦でイゼルローン要塞に肉薄するまで行ったことでシトレ大将は元帥に昇進し、ヤン少佐は帝国軍が敵味方関係なく無差別に行ったトールハンマー攻撃ののちにすぐに救出作戦案を立案しエリー准将とともに多くの損傷艦艇・将兵を救出したことでヤン少佐は中佐に、エリー准将は少将に昇進しそれぞれ勲章をもらっていた。
確かに、あの時点で帝国軍がトールハンマーを撃つなんて誰が考えただろうか
しかし、それによる敗戦を敗戦と素直に認めればよいのにその時の与党は支持率低下を恐れてかそれを行わなかった。
そのため、今回の作戦参加将兵は複雑な感情だった。
英雄扱いされるのは確かに誇らしいが、死んでいった戦友たちは同盟市民の記憶の彼方へ行ってしまいまたこの悲劇が繰り返されるのではないだろうか?
そういった感情の板挟みにあい苦悩する将兵たちがいた
私の士官学校同期生たちもかなりの人数で戦死又は行方不明になっていた。
その中でも私が一番ショックだったのがナセル・ガルシア中尉の戦死であった。
彼も私たちと同様にイゼルローン要塞への揚陸部隊の一員として強襲揚陸艦「ケベック3号」の航宙長を務めていたがトールハンマーの一撃をくらって戦死した。
当然だが、艦長のナターシャ・リン少佐も戦死した。
また、ケベック3号を指揮艦としていたバークレー中佐も同じ運命をたどった。
私たちにとって前哨戦となった作戦でお世話になった少佐以下乗組員たちの顔や中佐との思いでが思い浮かんできて、ナセル中尉のいつもののんきなジョークが走馬灯のように駆け巡って涙をぬぐってもぬぐってもあふれてきた。(ナセルは少佐に、ナターシャ少佐は大佐に、バークレー中佐は准将に戦闘終結後昇進)
ステファン大尉は我々の護衛のために空戦隊1個中隊を率いてたがトールハンマーの射程直径ぎりぎり外側に敵の駆逐艦が集中していたために運よく直撃は免れたが第2射目で彼の率いていた部隊の9割が壊滅した。
彼自身は駆逐艦7隻を撃沈し、ワルキューレ8機を撃墜したため勲章をもらっていた。
しかし、勲章授与式ののちに私の病室に来て話したことはあまりにも彼にとっては辛辣だったに違いなかった。
「俺の空戦飛行中隊は選りすぐりのエースパイロットとかなりの若手下士官パイロットで編成されてたんだ。エースパイロットたちの中には第88独立空戦隊にだって負けないくらいのやつらだったし、若手パイロットたちだってあと5年は戦っていれば撃墜数だって3ケタに乗るくらいのセンスのいいやうらがそろってた。
みんな過酷な空戦訓練を一緒に潜り抜けてきた本当に血のつながった家族みたいなやつらだったのに俺だけが生き残って彼らは死んじまった。
それなのに俺は勲章をもらって少佐に昇進する可能性もあるぞ、なんて言われてるんだ。
本当になんなんだよ。」
といつもの豪快なステファンの面影はなかった。
部下を失い、戦友を失うことは自分の体の一部を失うより辛かった。
リリー・ボールドウィン少尉もまた同じであった。
彼女はトールハンマーの直撃は免れたが私たちと同様に強襲揚陸艦に帝国軍が乗り込んできて必死の抵抗を試みたが戦死した。
詳細は生き残った部下と救援に駆け付けたレナ・アボット少佐(戦闘終結後昇進)が教えてくれた。
戦友や士官学校同期の戦死報告を聞きすぎてしまったために流れる涙も枯れてしまっていたがこの報告にはあまりにもショックであった。
少佐は
「リリーは私たちが救援に駆け付けた時は生きてたのよ。無傷で
なんだけど、負傷した部下を早く脱出させようとしてたの
そのためには誰かが敵を脱出経路とは真逆の方向に誘導しなくちゃいけなかった。
それで彼女は自分は無傷だからといって私と彼女の部下の静止を振り切って言ってしまったわ。
そして、最後の交信で
「機関部を爆破して艦艇ごと帝国軍を吹き飛ばします
早く脱出してください!」
って言ってきた
一瞬口論になりかかったけど時間が惜しかったし、彼女の稼いだ時間を無駄にしないためにも私たちは脱出した。
私たちが強襲揚陸艦から離れてから2,3分と立たないうちに彼女の残った艦艇は爆発したわ。
最後にね彼女こういってたわ
「シュナイダー大尉によろしく頼む。」
って」
といったままレナ少佐は黙ってそのまま泣き始めた。
私は呆然とするしかなかった。
リリーが戦死した…
もはや何も言えなかった
レナ少佐の率いていた特殊作戦コマンドAチームはローゼンリッターが橋頭堡確保ののち揚陸開始であったので上陸部隊第2陣として後方に控えていた。
しかし、トールハンマーの第1・2射があってからレナ少佐は独断で強襲揚陸艦を前進させ帝国軍の強行接舷にあっていた艦艇を探していたところたまたまリリーの部隊を発見したのであった。
おそらく少佐は私以上にショックであったに違いなかった。
帰っていくときの背中は見るに堪えないものであった。
入院から7日目で義手が装着された。
義手を合わせてくれた軍医は一から丁寧に説明してくれて、注意事項までいろいろと教えてくれた。
おかげで5日目には何とか自分の左腕にはなっていた。
ただ、ものを持つときに機械音がするのが気に食わなかったが
あと、握力調節が結構難しかった。
リンツ大尉が持ってきてくれた紅茶の紙コップをつかもうとしたら紙コップごとつぶしてしまい、リンツ大尉がめっちゃクチャ申し訳なさそうな顔をさせてしまったりした
退院は腹部銃創2か所が完治してからとのことだったので1か月は入院で前線復帰は3か月後とされてしまった
とはいっても、歩行するのには入院半月目で支障がなかったので私からすれば憂鬱な式典やマスコミ、報道に行かされた。
勲章授与式では第4艦隊司令官 グリーンヒル中将から直接2度目の殊勲十字勲章を授与され、マスコミの前では言いたくもないことを言わされ、将軍のお偉いがたにいろんな言葉をかけて回られ正直本音をぶちまけたかったがそんなことをできるわけもなく負傷よりも胃がなくなって死にそうだった。
グリーンヒル中将は私がカロリーナ大尉に行ったことが伝わっていたらしく第4艦隊司令部に出頭したときに1対1で話をしたときは「すまなかった」と言われた
決して中将が悪いわけではなかったが、素直に私としては受け取りたくなかったし、素直に受け取れる状況になかった。
とはいってもいつまでも感傷に浸っているわけにはいかなかったので指揮幕僚課程に向けて勉強することにした
というよりも、負傷のために軍務復帰と自由に外出が規制されていたために(移動もすべてなぜか公用車がついた)やることがなかったこと、今回の作戦のやるせなさを勉強にぶつけるしかなかった。
私の家庭教師にはなんと士官学校准教授になっていたケン・モトハシ中佐がついてくれた
中佐は私がヘンシェルにいた時の中隊長で戦技・作戦立案能力・リーダーシップともに抜群の士官だった。
まあもっとも彼自身3か月後には大佐に昇進して第1艦隊の第100宙陸両用隊の指揮官になることが内定していたので、実際准教授の仕事はほとんどなく昇進前の暇つぶしとして毎日4時間授業があった。
中佐には才能があるらしく何時間授業をやっても学生を飽きさせないのだ。
私が士官学校生のとき彼は情報戦の教官をやっていた
情報戦というと一般人からすれば「未知の世界に満ち溢れた世界」とか「スパイ映画のようなスマートさ」を思い浮かべるだろうが、実際は違う。
確かに、スパイ映画のような盗聴器を仕掛けるとか電波を受信して暗号解読を乱数表を用いて行うとかはするが、情報戦士官たちがするのはそんなアマちゃんなことではない
彼らがするのは自分の出自をすべて偽り、今までの自分ではない自分になりきり、生身の人間から情報を非常に気の遠くなるような緻密さで聞き取り、それを本国にもたらすのが任務だ。
彼らは一種の超人だ。
であるがゆえにそれを授業という形式に落とし込むと強烈に意味不明かつ、面白みに欠けるものになる。
中佐は少尉から中尉時代を中央情報局およびフェザーン駐在武官として任務についていて、少尉のときには当時のバクダッシュ主任情報分析官のもとで要人暗殺やヒューミント(対人スパイ活動)を行っていた。これがわかったのも宇宙歴801年以降の情報開示でのことでまったくの機密事項であった。
だから、学生当時は何でこんなバリバリの陸戦士官が情報戦なんて教えてるのかがさっぱり理解できなかった。
また、そういう風に外見・雰囲気をも作り出すのも彼らの任務の一環であった。
しかし、中佐の教える才能は中佐の人当たりの良さから来てるのは間違いなかった。
とにかく、よき教師からみっちりと教えてもらえたことは私にとって幸運であった
指揮幕僚課程の試験は学術面ではなくどちらかというと頭の回、機転の良さが問われる試験であった。
ただ、実戦部隊に慣れすぎていると交戦既定などの条項を忘れたり敵と交戦になりそうになった場合戦時協定や同盟軍・帝国軍統一交戦規定などの法令を知っておけばこれを回避することもできるらしい(いわゆる、法の抜け穴のようなものだ)
そういったことも試験内容に含まれるため試験はペーパー試験ではなくシュミレーション試験である。
この課程では大隊以上の指揮統率方法を習い、その他法務・行政なども習う。
その時はただ指揮幕僚課程合格へ向けて勉強するしかなかった。
そうするしか、あの憂鬱で重苦しい入院生活を耐え抜けなかったのであった。
約1か月後 6月20日
ニコールが少尉の階級章をつけてやってきた。
彼女はまだ軍医士官学校の5年生であるが、卒業すれば階級は中尉から始まる。
というのも、給料区分が中尉の区分というだけであって指揮作戦能力は当然士官学校卒業の少尉には劣るが。
彼女は今回の従軍での手術技量を見込まれ周りの5年生より一足早く少尉に任官し6年生に飛び級という扱いになっていた。
その日は私にとって憂鬱な入院生活が終わりを告げた日であった。
彼女はそれを私に通達しに来ていた。
重症傷痍軍人はまだ入院していたがほとんどの軍人たちは軍務に復帰又は退院して療養中であった。
私としてもさっさと軍務に復帰したかったが病院とニコールからくぎを刺されておりしぶしぶ従うしかなかった。
しかし、ローゼンリッター連隊本部から1通の通達が来ており開けてみると
「10月1日(私の軍務復帰予定の日)付を持って第442特殊強襲白兵戦連隊 第3中隊 中隊長に継続任命す」
と書かれており、思わずほっとした。
第3中隊は今回の戦闘で連隊中最大の損害を出しており、部隊として解散させられるのではないかと思っていたがバーンシェッフェ大佐のうまい人事編成のおかげで事なきを得たこともシェーンコップ中佐の付随した手紙で分かった。
しかし、今度は統合作戦本部人事課から通達が来ていた。内容は
「実戦軍務復帰までの期間 ハイネセン国立大学 予備役将校訓練課程教官 を命ずる。」
とのことであった。
びっくりして人事課に電話をしたら受付の兵士から取り次がれて例のカロリーナ大尉が出てきた。
彼女はめちゃくちゃおどおどした表情で(テレビ電話なので)
「コードウェル少将におつなぎいたしましょうか?」
と聞いてきた。
同じ階級なんだからそんな敬語使うなよと思ったが
「つなげるならつないでください」
と言ったらすぐに少将が出てきた。
これもかなり驚きであったが、私は単刀直入に本題へ切り込んだ
「閣下
失礼を承知でお聞きしますが、まだ軍務復帰を許可されておりませんがどういったご理由であのような辞令が来たのでしょうか?」
すると少将は驚きなことを口走った
「あれはなシトレ元帥からの命令だ。
元帥は貴官にかわいそうなことをしたと悔やんでおいでだった。
それで貴官への退院祝いを兼ねた贈り物だそうだ
その予備役将校訓練課程の訓練施設の所在地を見てみろ
きっとその意味が分かるはずだ」
と言ってカロリーナ大尉にかわられてしまった。
最初はなんだよ
と思ったが所在地を見てみると
首都星ハイネセンから近くにあるレンボガンという惑星の年中温暖な気候で観光地として知られているエーゲという観光都市兼軍事都市であった。
ここでの1週間の滞在費は大尉の給料約2か月分に相当する額を払わなくてはいけないが軍務滞在であればここの駐屯地に滞在するので無料であった。
元帥からの配慮をありがたく受け取るべきかどうかを考えたが、飲みに誘われたリンツ大尉とアーロン少佐からは
「お前がいかないんだったら俺たちが変わりに行ってやろうか?」
と笑いながら言っていたので受けろってことなのかなと思いながら受けることにした。
着任は6月27日
レンボガンまでは2日くらいかかる。
レンボガンで行われる訓練は軍事訓練というよりも実習訓練の要素が大きく教官たち自身も体を思いっきり動かすといっても最大で武装障害走と射撃くらいでほとんどの教官は退役間近のベテランと予備役軍人が行っていた。
私はこうして6月25日ハイネセンをたち27日の午後にはレンガボンに到着、正式に着任した。
教育対象は予備役将校訓練課程ハイネセン国立大学2年生の学生たちであった。
教官といっても毎日24時間フルタイムで教官をしてるわけではないので当然ながら日曜日は休日であったし、ほかの教官とも交代で業務を行っていたので日曜日を含めれば休日は週に3日もあった。
教官の任務は退屈かと思ったが想像以上に面白かった。
また、失った左腕もすっかり自分のものになってよいリハビリにもなった。
気候は非常に穏やかこの上なく私服を着て町に出歩くことも多々あった。
この私の10代で最も穏やかな1か月を私は忘れにだろう。
こうして宇宙歴792年 私の人生中で一生忘れることのできない悪夢の5,6月は過ぎ去っていった。
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