投げ合い
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4部分:第四章
第四章
「唐橋と村山やったな」
「ああ、そうや」
二人の名前が話題になる。
「どちらも凄いピッチャーや。一点もやらへんがな」
「明日もこの二人なんやろうな」
「そやろな」
まだ暑さの残る甲子園の観客席において話が為される。
「どっちが勝つか見物や」
「どちにしてもこの勝負」
誰もが完全に試合の中に入っていた。そうして言葉を出していく。
「最後まで見なな」
「そやな」
もう両軍はそれぞれのバスに乗り込んで宿舎に帰っていた。光正もナイン達と共に宿舎に帰った。そこで彼等にねぎらいの言葉を受けるのだった。
「お疲れさん」
「よく投げたな」
彼等はここまで投げてくれた光正に対して深く感謝していた。そうしてその頑張りを讃えていたのだ。
「明日も頼むぜ」
「絶対にな」
「あ、ああ」
光正もその言葉に応える。だが彼は少し元気がなかった。
「疲れたのか?まあ仕方ないな」
「あれだけ投げた後だしな」
「悪いが今日はすぐに休むことにするな」
彼はその元気のない言葉でナインに言った。
「風呂に入って飯食ってな」
「そうしたらいい」
「明日もあるんだからな」
「そうだな、明日だな」
光正はその言葉を聞いて気合が入るのを感じた。しかしそれでもその気合がいつもより弱かった。彼はそれもはっきりと実感していた。
「とにかく明日またな」
「ああ、頼むぜ」
「頑張ってくれよ」
光正はまずはそそくさとステーキにカツというゲンを担いだ夕食を終えて風呂にさっと入って自分の部屋に戻った。そうしてすぐ右腕に湿布を貼るのだった。
「あれだけ投げたせいかな」
そう自分に言い聞かせながら貼る。
「だからこんなに。まさかな」
医者の言葉が脳裏をよぎる。それが不安を消してくれた。
「一晩寝たら治るか」
また自分に言い聞かせる。
「だからもうな。寝て明日だ」
そうしてすぐに布団に入って休んだ。その時村山はすき焼きを頬張り一番風呂に飛び込んでいた。彼はもう既に体力を回復させているようであった。そして自分の右腕には何の不安も抱いていないのであった。
次の日。試合がはじまった。まずは光正も村山も昨日のピッチングそのままに好投を開始した。
「今日もやるな」
「このまま頼むぜ」
「ああ」
一回表の投球が終わりベンチに戻る光正にナイン達が声をかけるのだった。
「その間に俺達は絶対にな」
「あいつを打つからな」
「頼むな」
心からのナイン達への言葉だった。
「俺は一点もやらないからな」
「その意気だよ」
「そうじゃないとエースじゃないってな」
彼等はかなりリラックスしていた。しかし光正の顔は険しい。それは緊張のせいだと思われたが実は違っていた。彼は不安だったのだ。これからこの試合の最後まで投げられるかどうか。だから険しい顔をしているのだった。
それに対して村山は相変わらず相手バッターを比較的打たせて取っていた。そうして順調に試合を進めていく。
「延長でもいいですよ」
彼はこうまで言い切ってみせた。
「それでも投げますから」
「それでもいいんだな」
「はい」
そして自分の監督にも答えるのだった。
「幾らでもね。点は絶対にやりませんから」
「その間にこっちが一点だけでもか」
「そうです」
それが彼の決意であった。
「それだけでいいですから」
「わかった。おい」
監督は彼の言葉を受けてそれをナイン達に伝えるのであった。
「わかっていると思うがな」
「ええ」
「勿論です」
そして彼等もそれに応えるのであった。
「何があっても一点を」
「取ってやりますよ、あのピッチャーからね」
「一点の勝負だ」
監督もそれはよくわかっていた。
「それをどちらが先に取るかだ」
そういう勝負だった。試合は投手戦が続きやはりどちらも一点も取れない。そのまま勝負が続き九回になる。それでも両チーム無得点のままであった。
「これで三試合分やな」
「それでもまだ点が入らへんのか」
大銀傘の下で観客達は甲子園の白いスコアボードを見ていた。そこでもゼロが続いている。それが彼等の目にもはっきりと映っていた。
「どっちも凄いピッチャーやで」
「どちらも一歩も譲らへんな」
「それも全くな」
彼等はそう言い合いながら試合を見守る。白熱した投手戦に彼等は息を飲んでいた。
「どっちかが一点取るかやけれど」
「それが難しい試合やな」
両チームの監督と同じ考えになっていた。
「両方のピッチャーの調子やとな」
「どちらも打つことができんか」
「ああ。そやけど」
ここで観客の一人があることに気付いた。
「あの唐橋ってピッチャーかなり投げとるな」
「あっ、そやな」
「それはな」
他の者達もそのことに気付いたのだった。光正は三振をかなり意識して奪っていた。それによりかなりの投球数になっていた。村山もかなりのものだったがそれでも三振を取るのと打たせて取るのとではかなりの差になっているのだった。
「そう思うとあの唐橋って凄いな」
「ああ、それでもな」
ここで問題があった。
「投げれば投げる程疲れるやろ」
「どんだけスタミナがあってもか」
「アホ、幾ら何でも人間やぞ」
人間という言葉が出て来た。
「絶対に疲れる。何時かはな」
「何時かはか」
そうであった。人間であれば何時かは疲れが出る。これは常識だ。どれだけ体力があろうともそれに限界があるのが人間なのだ。そして光正も人間なのだ。
「その時やな。どうなるか」
「その時か」
「ああ、そこでどうなるかや」
その観客の目が鋭くなる。そうしてマウンドを見据える。そこではその光正が投げていた。延長戦であってもそのスタミナは衰えることなく投げ続けていた。少なくともそう見えていた。
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