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執務室の新人提督

作者:RTT
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26

「ふーむ」

 提督は手に在る新聞――青葉通信に目を落としたまま唸った。特に意味のある唸りではない。ただ書かれている情報を頭に入れていると自然に出た物である。
 この鎮守府が大きな変化を迎えたように、他の提督の鎮守府や警備府も変わってきている。特に目に見える変化といえば、やはり最近終えた特別海域の事だろう。
 提督は青葉通信の末頁を読みながら、あるところで目を止めた。各青葉達の提督による近況報告、と言うよりはレス返しコーナーとなりつつあるところだ。
 
 今提督の手に在る青葉通信の前号に、提督は初めて近況を報告した。この世界の住人となって、艦娘達の提督としてある為に、同僚達と繋がりを持つべきだと思ったからだ。社会人になれば嫌でも分かるが、横の繋がりは上下の関係とは違い切れない。切れにくい、いうべきか。上司は味方であり敵であるが、様々な事情で交代する場合がる。部下は仲間であり駒であり敵でもあるが、これも様々な理由で自身の下から去る事がある。
 が、横はなかなか消えない。自身が昇進しようが、同期が昇進しようが、だ。特に十年も二十年もすれば、少なくなった同期などもう一人の自分の様にすら感じるだろう。
 
 貴様と俺とは同期の桜、と人は歌うが、脳裏に描いてみると良い。二十年後、その桜がまだ隣で咲いているのか、散っているのか、そもそもその樹すらあるのかないのか。
 同期とは、付き合い方にもよるが宝である。切磋琢磨するも、嫉妬するも、仰ぐも、隣に居た者であるからこそ一入だ。
 
 そういった存在を、提督はここで作る決心を固めたのだ。嫌な言い方をしてしまえば、自身の鎮守府が何がしかの不都合に巻き込まれた時、手を差し伸べてくれる相手を作る事にした。当然、彼自身も手を差し伸べる立場にもなるだろうが、それもまた貸しになる。いつか返してもらうのだから、不都合は無い。
 兎に角、提督はさしあたってここでのデビューを考えた。
 
 ――まぁ、だからこそちょいと斜めってみたんだけども。
 
 主婦の公園デビューの様なものだが、どこか無遠慮に見下ろしていた世界に足を踏み込むというのは、なかなかに難しいようだ。素直に出るにはこの鎮守府は少し人の目を集めすぎた。かと言って澄まし顔で出るには上が多すぎて申し訳ない。そこで、彼は考えた。
 ネタで濁そう、と。
 
「瑞穂のお弁当が美味しすぎて辛い」

 提督は、この水母艦娘はそうそう他の提督の手元に居ない筈だと予想して少しばかり煽りつつネタに走ったのである。これに対するレスもまた、だいたい提督の予想通りだった。
 
「死ね。氏ねじゃなくて死ね」「そんな艦娘いないし」「やだ、あの鎮守府やっぱりこわい」「おまえのとこの戦闘機の妖精パイロット、全員ボナン副操縦士になる呪いかけたわ」「写真でいいんでお願いします」「お前それグアノ環礁沖海域でも同じ事言えんの?」「たべりゅー」「お前それ比叡嫁の俺の前でも同じ事言えんの?」「お前それ磯風嫁の俺の前でも同じ事言えんの?」「うちの飛龍が大人四人前くらい食べられないと紹介できないとかいいだしたんだけど、これ多聞さんくるの? ねぇこれ人殺し多聞丸さんくるの?」「にゃー」

 ネタにネタで返して来たのである。

 ――いや、ネタの筈……だよなぁ?

 ネタでないとしたら周囲の鎮守府もちょっとあれである。
 
 何か怨念じみた物が滲んで見えるコメントもあるが、気のせいだと提督は思い込む事にした。あとその飛龍さんは目にハイライトがあるか無いかで大分対処方法が変わるから、と今度レスする事に決めていた。
 提督は青葉通信を末頁から一面記事へと戻し、そこにある見出しを視界に納めた。
 
 江風海風着任、国家の大慶也。瑞穂之真に在るものや? 空母機動艦隊、速吸と風雲へ拍手喝采の大歓迎。対空の要照月、鎮守府着任セリ。リベッチオはぁはぁ。

 などの見出しに目を通し、提督は天井を仰いだ。この際、周囲の鎮守府の大分あれなところは無視して確りと考えようと提督は目を瞑った。
 今回、提督は海域最深部までの進攻を控えた。彼にとってここはまだ未知の部分が多い。前と同じように進めて、轟沈したなどとなれば当人にも、そしてこれまでやってきた仲間達――艦娘達にも死んでも詫びきれなくなる。だから、提督は適当なところで切り上げた。それでも、彼はここでは着任一ヶ月未満の提督だ。提督の今回の働きは、そんな新人が上げられる様な戦果ではなく、十分異例の事態であった。
 しかし、提督は目を開けて天井を見たまま考え続けていた。
 
 提督の経験で言えば、夏は大型のイベントが来る。そして提督の感覚が正しければ、今回の特別海域はまさに大型のイベントそのものであった。そんな中、限られた提督しか擁しないこの世界でも、最深部まで進攻し照月を迎えた提督が存在するのだ。我知らず、提督は拳を握り締めた。何千、何万の提督がいる世界ではない。百いるかどうかの提督達が、攻略ウィキでの緻密な情報交換をするでもなく、手探りで暗い海をかき分け照らした。
 
 ――そうだ、だからなお更同僚が必要だ。

 この世界を感じさせてくれる、この世界を当然に理解している、この世界の提督の知己と助けがこの世界に馴染もうとする提督にはどうしても必要だった。
 ここはもう、彼の知るゲームの世界ではない。提督の采配一つで艦娘は死ぬ。例え同名同型の艦娘を建造し邂逅しようと、それは別人だ。彼が前の世界から愛した艦娘ではない。
 
 思考の渦の中で肺に溜まった熱を逃すため、提督は一度大きく息を吐いて周囲を見回した。
 常の執務室で、そこにはいま提督以外誰も居ない。
 秘書艦である初霜は瑞穂の遠征を手伝いに出ているし、秘書艦代理の大淀も開発の為席を外している。狭くも無く、広くもない。そんな執務室で一人もう一度息を吐いて、提督は目を閉じ――
 
 ノックが執務室内に響いた。
 提督はドアへ目を向け、頭をかきながら声を上げた。
 
「どうぞ」
「提督、ただいま戻りました」
「うん、おかえり」

 提督の言葉に、普段余り見せる事もない無防備な笑みを向け大淀は頷いた。彼女は手に在る書類、大淀がサポートした妖精との開発結果が書かれたそれを、提督に差し出した。受け取った提督は、手に在る書類を見つつ、しかし考えているのは先ほど見せた大淀の笑顔だった。
 
 ――ここの子はなんだろうね、まぁ綺麗に笑うもんさなぁー。

 艦娘にもよるが、提督が挨拶した際嬉しそうに笑う娘は多い。提督も男であるから、若く見目麗しい少女や乙女達の笑貌に胸動かぬ等という事は無い。凡人である提督は、美的感覚も極めて普通だ。愛らしい、と言うよりは凛々しく、清潔感をまとった美少女である大淀に胸の一つや二つ高鳴ると言うものだ。
 だが、である。
 
 ――女だらけの職場で、男が一人なんだよなぁ。

 女、という生き物は男の視線や情動に鋭く、敏感だ。一人の、或いは少ない職場の男が誰か一人を優遇すれば、僅かな事でそれを察知し優遇された女性を集団で避け始める。そうなると、一番不幸になるのは優遇された女性だ。
 短い社会生活でも、そんなものは提督には確りと見えていた。男は上を見て格差に嫉妬するが、女は隣を見て僅差に嫉妬するのである。無論、個人差はあるだろうが、世間を見ていればよく目に入ってしまうのも事実だ。昔の偉人などはそんなさまを見て、小人と女は度し難い、と良く書き残したわけである。
 
 提督とて、ここに居る艦娘達がそうであるとは思っていない。思いたくも無い。多くの人は近しい人には小人であって欲しくないと思っている筈だ。しかし、それでも提督が一人、二人を特に贔屓する事で誰かが不幸になる事態が起きないと証明できる物も無いのだ。絶対なんてものは絶対無い。ゆえに、提督はなるべく大淀に悟られぬよう平静を装った。
 
「で、今日は……あぁ、ペンギンと――あのよく分からないの」

 戦闘機開発の時とは違い、大本営から命じられている一日四回の兵器開発だ。提督は気負った様子も無く能天気な相で大淀に顔を向ける。
 良く分からない物、と提督は言ったが、本当に良く分からない物なのだ。綿のようであるが綿ではなく、ぬいぐるみの様でぬいぐるみではない。触ってみれば生暖かく、脈打つように蠢いていも居る。もしやと思い一時間ほど監視した際には、モルスァ、と鳴き出したので、提督も、キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!! と返した後焼却処分したのである。提督にとっては、比叡カレー、磯風ご飯に並ぶ謎物質である。
 
「はい、あのよく分からない物です。一応処分しておきましたが……」
「うん、まぁ、駆逐艦の子とかが欲しいと言ったら、絶対阻止してね。なんか変な進化とかしたり悪霊化したりしたら大変な事になるんで」
「はい、承知しております」

 案外ありそうな事を気の抜けた貌で口にする提督相手にも、大淀は綺麗な一礼で応じる。提督はそんな大淀に苦笑を浮かべ、手に在った書類を机に置いた。
 
 それを見ていたのか。大淀は書類が置かれた執務机、その上に置かれていたもう一つの紙面、青葉通信を眼鏡に映して提督へ顔を向けた。
 
「提督、青葉さんから聞いたのですが、前の号でコメントを出されたとか……?」
「うん、そうだけれども?」

 それがどうした? と問う提督の目に、大淀は少しばかり躊躇したあと小さく口を動かす。
 
「その、今まで外との接触を絶たれていた提督が、どうして……と思いまして。至らぬ者で、申し訳ありません」
「あぁいや、引きこもってたのはただの事実だし、特に君達にも説明してなかったからね」
 提督は頭をかいて、肩をすくめた。机の上に置かれた新聞へ目を落として溜息混じりに零した。
「やっぱり、いざという時に横の繋がりが欲しくなってね。今更だけど、損得勘定込みの友誼も求めてみたくなったわけだ、僕なんかでもね」
「提督……」

 その提督の言葉に、大淀は深く一礼する。提督がそうする理由の一つに、自分達の事も含まれるからだと理解したからだ。流れ落ちようとする涙を隠す為、また心からの感謝の為、大淀は海軍式の敬礼ではなく、ただの女として深く一礼したのだ。
 そんな大淀の心底までは見えなくとも、心の篭った礼を受けた提督は慌てた様子で口を動かし始める。
 
「あぁ、まぁ、それにほら、僕だって飲み友達とか、愚痴りたい同僚とか欲しいってモンで、何も全部が全部仕事で義務って訳じゃないんだ」

 慌てた調子の提督が微笑ましいのか、気遣いが嬉しいのか。大淀は指で目尻に溜まった涙を拭うと、くすりと笑って頷いた。
 
「そうですね、提督もご友人を作られるべきです。ただ、悪い遊びを教えるような友人は、必要ではありませんが」
「うん、そうですねー」

 朗らかに笑っていたはずの大淀の相が、後半辺りから何故か淀んでいった事に提督は戦々恐々と応えた。その空気を入れ替えようと、提督は特に何も考えず今後の事を口にした。
 
「それにまぁ、こっちで提督続けるなら、今はともかく、十年二十年もすればやっぱりお嫁さんとか欲しいし、そういうの紹介してもらう伝も、同僚とか上司から貰えたらなー、と」

 この辺りが、まだ彼がこの世界に馴染んでいない甘さとも言えただろう。
 大淀は提督の言葉にきょとんとし、口元に手を当てて首を傾げた。
 
「お嫁さん……ご結婚ですか?」
「うん」
「……山城さんは、"第一旗艦"ですよね?」
「お、おう?」

 大淀の口から突如山城――提督のケッコンカッコカリ艦娘の名が出た事に、提督は少しばかり身を竦めた。ただ、それは彼にとってゲーム上の仕様の一つであり、限界突破の為のシステム上の……艤装の強化だと思っていたのだ。勿論、山城との間に特別な何かがあることは、提督も理解していたが、申し込んだ際山城からお断りされているのも事実である為、深い意味のある物だとは思っていなかったのだ。
 ただ、提督はそれ以上に大淀の言葉に何か違和感を覚えた。
 
 ――確かこれ、前に加賀さんの時にも……。

 そう思った提督は、大淀へ問いかけた。

「ごめん、今なんて?」
「……? 山城さん?」
「じゃなくて、山城さんが?」
「……あぁ、"第一旗艦"ですか?」

 加賀は、第一艦隊旗艦、と山城をいい、大淀は第一旗艦と山城を言った。ただ、その中で同じ部分が提督にとって妙に引っかかって聞こえるのである。
 
「あぁ――えっと、その……」

 んん、と腕を組んで首を傾げ始めた提督をちらちらと見ながら、大淀は忙しなく眼鏡のフレームを触りつつ早口で言った。
 
「他の誰かが第二旗艦や第三旗艦になる事もあるでしょうから、私はそのまぁ別に大丈夫です。指のサイズも今度報告しておきますのでご安心ください。他にもお嫁さんが欲しいと言われるなら、はい、確りと皆で準備しておきますので少しばかりミーティングをしておきたいので失礼致します」

 言い終えると、大淀は口調同様すばやく敬礼をして執務室から出て行った。
 提督は暫く大淀が出て行った扉を見つめた後、呆然と自身の左手を見た。彼の目に映るのは、長年共にあった手があるだけで、他には何も無い。そう、なにもない。
 決して、薬指に銀色の指輪などない。
 
「……え? 他のお嫁さん?」

 ぽつりと呟いたはずの声が、提督の耳には何故か酷く大きな声に聞こえた。 
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