執務室の新人提督
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「で、提督って今何してるの?」
「はぁ、あたしが知るわけないでしょ」
「んー……直接執務室に行けばいいんじゃない?」
少女達はそれぞれ、勝手に口を開いて黙った。互いが互いに目をやり、ふん、と鼻を鳴らす。いや、その中に一人逃げ腰な少女が居た。阿武隈だ。
「と言うか……なんで提督の話?」
気のきつい方ではない阿武隈には、今この場に居る自分が不思議でならない。不思議でならないが、何故か納得もしている。ゆえに、彼女はここ――伊良湖の甘味処の一室から逃げはしなかった。
「んー……ほら、提督さ。執務室から出て来たっしょ、ほら、最近も宴会で」
「うん」
きつい方の片割れ、鈴谷は穏やかに笑って阿武隈に話しかけた。相手に合わせるのが鈴谷のやり方だ。阿武隈が喧嘩腰にならないかぎり、鈴谷は穏やかに笑ったままだろう。
「でさぁ……結局提督、あんま外で見かけないじゃんさ?」
「あぁー……」
鈴谷の言葉に、阿武隈は納得と何度か頷いた。確かに、鈴谷が言うその通りだからだ。部屋から出てくる提督を、多くの艦娘は目にしてない。現在も、提督に会いたければ執務室に行け、という状態だ。結局変化が無いも同然の状態である。
それが鈴谷にとって不満なのだろう。
「せっかく出られるんだからさぁ、一緒に色々行きたいと思うっしょ?」
「うん」
素直に阿武隈は頷き、一人ぱくぱくとみたらし団子を食べているもう一人のきつい方……霞を見た。その目が、霞の目とぶつかった。霞はハンカチで口元を拭うと、おもむろに口を動かした。
「じゃあ言いに行けばいいでしょう? ここで愚痴って何になるの?」
「わかってなーい。わかってないなー霞は」
鈴谷は一転、相を険しくして霞を睨んだ。攻撃的な思惟が見えるその相に、向けられた訳でもないのに阿武隈は上半身を仰け反らせた。そんな阿武隈を気にもせず、鈴谷と霞は口を動かす。
「そういうのって、提督に言わせるのが一人前ってもんでしょ?」
「じゃあ言わせて見なさいよ」
「っかー、もー、っかー……霞は駄目、もう駄目。全然分かってない」
「はぁ? あんた日本語大分怪しいわよ?」
「艦が女の形になるなら、言葉だって空飛んで海潜って陸走って三体合体六変化くらいするっしょ?」
「駄目だわ、あたしあんたの言葉がまったくわからない……」
額に手を当てて俯く霞の相は、冗談ではなく本気で苦しそうだ。対して鈴谷は、実に涼しげである。鈴谷は自身が頼んだミックスジュースのストローに口を寄せ、吸った。喋って喉が渇いたのかもしれない。が、阿武隈は尚更喉が渇きそうだ、と思って目を逸らした。阿武隈は、こほん、と咳を吐いて二人の視線を自身に誘導してから、
「まぁ、出てこない、から出てくる、になったんだから、ここからどう攻めるかよね?」
そう言った。その阿武隈の言葉に、霞と鈴谷はテーブルに身を乗り出し同時に言った。
「それ!」
偶々、本当に偶然三人は廊下ですれ違い、何故か三人で甘味処へ来る事になった。何故、どうして、と思いはするが、どこか本能的な部分が恣意的に動いていた。当人達の意識を無視して。
ただ、こうやって話をしてみると、なるほどとも彼女達は思った。
「誰か、何か案は?」
「もう一回宴会やろうって話があるけど、金剛にやられた提督が釣られるかなぁ?」
「あれはもう金剛も反省してるし、掘り返しちゃわるいって」
つまり、三人とも現状に満足していなかったのだ。
折角執務室から出てくるようになったのだ。ならもっと提督に色々と見てもらいたいこと、一緒に見たいものがある。それはこの三人に限らず思うことであったが、ここに居る三人娘はいざと言う時直ぐ動ける為に下地――作戦を用意しておきたかったのである。
「無難にいけば、暇しているだろう時間にお邪魔して、工廠とか港に誘い出す……かなぁ?」
「いやむりっしょ。それ人通り多いから見られて協定違反って言われない?」
「じゃあ、どこか人通りの少ないところへ連れ込めばいいのね?」
霞の言葉に、鈴谷と阿武隈は目を合わせた。そのまま、二人して顔を真っ赤にして霞を睨む。その二人の相によからぬ物を感じた霞は、暫し考え込み……はっと顔を上げてこちらも同じように相を真っ赤に染めて口を大きく動かした。
「ば、ばか! ばかばか! あ、あたしからそんな事しないわよ! 馬鹿じゃないの!?」
「あぁ、されるのはいいんだー」
「迫られるのはありなんスかー霞さーん」
結果、霞のそれは鈴谷と阿武隈を煽っただけで終わった。霞は涙目で残っていたみたらし団子を口へ運び、二人を睨みつける。涙目の相に常に迫力などかけらも無く、鈴谷と阿武隈は流石にやり過ぎたかと苦笑を浮かべた。
「じゃー、和んだところで再開といきましょー」
「ですねー」
「あんたらいつかぶっとばす」
決して室内の空気は和んではないが、阿武隈と鈴谷は気付かぬ振りで払拭に取り掛かった。
「結局、誰にも気付かれずに提督を自分の陣地に運ぶってのが大事な訳っしょー……」
「いや、そんなの無理じゃない?」
「あはははは、だよねー」
と話していた三人のうち、突如鈴谷と霞が真剣な相で阿武隈を見つめた。
「え、え……な、なぁに?」
真剣な相、と言うよりはもう親の仇を見る様な二人の双眸に、阿武隈は逃げ腰だ。が、それを許さぬものが居た。鈴谷だ。彼女は一瞬で阿武隈の肩をつかみ、真正面から阿武隈の目を覗き込んで呟く。
「抜け駆け……しないよね……?」
普段の軽い調子ではない。完全に命を刈り取る者の声音と相だ。常は軽い感じの、所謂今時の女性を装った鈴谷が見せたやたらに重そうな呪怨的顔に、阿武隈はただ黙って頷くしかなかった。
鈴谷から解放され、肩で息をする阿武隈のその上下する肩に、再び誰かが手を置いた。誰かが、などというが、阿武隈にはよく分かっていた。ここには三人しかいないのだ。
阿武隈はゆっくりと顔をあげ、肩に手を置いた人物に視線を向ける。そこには阿武隈の予想通り、霞がいた。笑顔の霞が。ただ、目がまったく笑っていない。その霞が、何かを確認するように阿武隈に対して首を傾げて見せた。ハイライトも無い瞳で、じっと見つめて。阿武隈は必死に、何度も頷いて、また解放された。第一水雷戦隊旗艦として、阿武隈自身どうかと思わないでもないが、怖いものはこわいのだ。
「さて」
手を軽く打ち、鈴谷は常の相で二人へ目を向ける。霞は片眉をあげてその視線を受け止め、阿武隈は平静に戻ろうとして胸を押さえながら視線を迎えた。
「んじゃあ、続行しましょうかー」
結局、まともな答えなどでないままそれは終わった。二人と別れ、阿武隈は軽巡洋艦娘用の寮へ足を向けながら、話題の中心となった出てこない提督を、もやもやとした胸の内で思い出していた。
特に有能な提督ではなく、目を惹くような特技を持つ提督ではなく、人を驚かせるような戦術も戦略ももっていない、ただの提督である。
しかし、そんな凡人をここの艦娘達は求めてしまっている。そのぬくもりと、存在を。純粋な男女の愛である艦娘も居れば、友に対する愛もあるだろう。触れ合いたいといっても、その指先に宿る温度は思いの分だけあって様々だ。
それでも、求めている事に違いは無い。阿武隈は提督の顔を脳裏に描きながら、さて、それは何故だろうと考え始めた。
戦術にはまったく口を出さない。これは艦娘達を信頼していると考えても良いだろう。
編成にもあんまり口を出さない。これは今も昔も編成自体に大きな変化がない事も理由の一つだろう。
阿武隈がかつて艦であった頃、艦長であった者たちや有能であった者達を思い浮かべ、比較した。今の阿武隈の提督の能力は、底だ。誰にも比肩しない。出来ない。劣りすぎている。
そんな事を思っても、歩く阿武隈の相は笑顔だ。確かに、能力を比べれば凡人の提督はまったく駄目であるが……
――そこじゃ、ないもねー。
それではない。彼女達が彼を提督と、司令と、司令官と認めたのは、能力ではない。海の男を見慣れた艦娘達にとって、提督となった男は当初珍しいのが提督になった、と遠巻きに見ているだけであった。だが、男は凡人ながらに海域を効率よく解放し、武装を整え、資材をそろえ、艦娘達を自身の配下におさめた。彼女達が疲れたと思えばすぐに下げ、危ないと思えば海域の解放一歩前でも撤退した。犠牲無く、無駄なく、彼女達は今この凡人が指揮する鎮守府に在る。
ただ、今まではそれだけだった。阿武隈にとっての最後の楔は、ただ一つの言葉だった。
『おかえりー』
気の抜けた、そこに在るだけの提督が発した、帰還後の言葉である。
阿武隈は、その言葉が自身に対して発せられたのだと理解したと同時に、貫かれた。ただの凡人の言葉、たった一つに、だ。
艦ではなく、少女の体と心を持つ理由と意味を。触れ合う為の体は、分かり合うための心は、傍にある温もりに寄り添い、守る為にあるのだと。
――やられてるなぁ。
戦うものとして、思考が偏るのは誉められた事ではない。だが、正解ではないかもしれないが、彼女はそれを過ちだとも思えなかった。提督の為に戦うと決めた時から、阿武隈の在り方はより鋭く、より硬くなったからだ。
第一水雷戦隊旗艦。提督の盾達の中で将旗を掲げる彼女であるなら、鋭く硬くあってなんの問題があろうか。
――本当にもう、やられているんだなぁ。私は。
判然とした想いであり、確固たる慕情であった。
それでも、もやもやとした胸のうちは晴れない。友愛、情愛、様々な艦娘達の思いの中で、皆が皆どうしたものかと彷徨っている。断られたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。受け入れられなかったら、捨てられたら。そんな事ばかり誰もが考える。
海の上では勇敢な艦娘でも、陸の上では悩み多き少女でしかない。
――あぁ、いっそ。
「いっそ、霧の中を進んで、抜け駆けしちゃおうか」
そんな事を呟いて、阿武隈は空を見上げた。
後書き
ヒント
髭の艦長さん
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