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3部分:第三章


第三章

「ああ、久保田」
 先生は彼のその汗を見て声をかけた。
「何ですか?」
「水分は取っておけよ」
 そう彼に言う。
「脱水症状になったら元も子もないからな」
「あっ、はい」
 それは言われて気付いた。今では練習中の水分補給も重要な要素になっている。
「わかりました」
「もうすぐしたら試合だ」
 先生は今度は試合について述べた。
「勝つぞ」
「ええ」
 そうした話をしながら夏の甲子園において練習を続けていた。そうして遂に試合となったのであった。
「二番セカンド久保田君」
 達明の名前が呼ばれる。甲子園のあの黒いボードに白い光で自分の名前が書かれているのは夢のようであった。
「あのスコアボードに俺の名前があるなんて」
「まだ信じられないんだな」
「ええ、やっぱり」
 そう国友に答える。
「先輩の名前もありますね」
「ああ」
 国友はしっかりとした動作で応える。見れば彼は笑顔だった。
「何か俺もな」
「先輩も?」
「あそこのスコアボードに自分の名前があるのを見てやっと来たんだなってわかったよ」
「甲子園にですね」
「そうだ、それだよな」
 彼もまた同じだったのだ。甲子園で自分の名前を見てそれでやっと実感できたのだ。それは非常に大きかった。
「何かな、やっとだよ」
「そうですよね。それにしても甲子園って」
 達明は今度は甲子園全体を見回した。そこでまた言うのだった。
「広いですよね」
「広いだけじゃないよな」
 国友も言う。
「何か。独特だな」
「はい。これが甲子園なんですか」
「雰囲気が凄いな」
 観客席にはもう客が満席だった。それは二人が今まで見たことのない圧倒的な数だった。その声と熱気にもう包み込まれんばかりであったのだ。
「こんなに沢山人がいるなんてな」
「それだけでも」
「阪神の選手はいつもこんなところで試合しているんだな」
 ここで先生が言ってきた。
「こんな凄いところで」
「先生」
「実際に中に入ってみると違うな」
 先生も真剣な顔であった。甲子園をまじまじと見ての言葉であった。
「この雰囲気も熱気も」
「全然ですよね」
「俺もはじめてだしな。ここは」
「あれっ、そうなんですか」
 達明達はそれを聞いて声をあげる。それは意外な言葉であった。
「客としては何回か来ている」
「ですよね」
 この先生は阪神ファンでもあるのだ。だから甲子園にも来たことがあるのだ。この球場は阪神ファンにとっても聖地なのだから。言うならば日本野球の聖地だ。
「しかし。グラウンドにユニフォームで入るのははじめてだからな」
「それだとやっぱり全然違いますか」
「ああ、何もかも違う」
 そう達明に答える。
「そういう意味では御前等と同じだな」
「はじめてですか」
「そうだ。だから思い切っていくぞ」
 そのうえでまた言った。
「はじめての時はな。そうするのが一番だ」
「はい」
「わかりました」
 達明も他の部員達も先生のその言葉に頷いた。それで気合が入った。
「勝っても負けても悔やむな。しかし」
「しかし?」
「怯むな」
 生徒達の尻を叩くような言葉だった。そこには確かな覚悟があった。
「どんな相手でもな。いいな」
 そこまで言って生徒達を手招きした。ベンチの前にだ。
「来い」
「円陣ですね」
「そうだ。いいな」
「ええ」
 皆それに従う。そうして顔を下に向けて円陣を組んで話をするのであった。
「何も考えるな」
 先生はまず言った。
「野球のことだけを考えろ。ああしておけばよかったとかそういうのは一切考えるなよ」
「一切ですか」
「ああ、悔やむようなことだけはするな」
 また言葉を出す。それこそが先生の本音であった。
「絶対にな」
「腹をくくれってことですね」
「そうも言う」
 国友に対して述べた。
「とにかくだ。ここまで来たんだしな」
「じゃあ。悔いのないように」
「ああ、やれ。野球をな」
「はい!」
 皆勢いよく頷いた。そうして円陣を解いて野球に向かう。こうして達明も戦いに入ったのだった。
 
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