雲は遠くて
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102章 信也と竜太郎たち、詩や芸術を語り合う
102章 信也と竜太郎たち、詩や芸術を語り合う
1月16日の土曜日、午後3時。空は青く晴れ渡っているが、気温は12度ほどと寒い。
渋谷駅のハチ公口を出て左の、忠犬ハチ公像の広場で、川口信也と森川純、
新井竜太郎と、竜太郎の弟の新井幸平の4人が待ち合わせた。
信也たち4人は、道元坂下交差点からすぐ近くのビル2階の、
焼き鳥屋《福の鳥》に入った。
「男だけで、一杯やるのも、たまにはいいもんですよね。
じゅん(純)ちゃん、しん(信)ちゃん、こう(幸)ちゃん、あっはは」
店内の奥にある個室に入って、テーブルを前に、くつろぐと、竜太郎はそう言って笑った。
《福の鳥》は、竜太郎が副社長をしているエタナールが、全国展開をしている、
芸能人や著名人にも評判の、焼き上げる炭は備長炭(びん ちょうずみ)の、焼き鳥屋である。
席数は41席ある。 完全禁煙で、長い厨房を囲むカウンターと、個室の、
おしゃれで落ち着いた空間であった。
「まあ、うちのエタナールと、じゅんちゃん、しんちゃんたちのモリカワとが、
ともすれば、敵対関係になるような、同業の外食産業であるのに、
現在のように大変な友好的な関係にあることを、まあ、お祝いして、乾杯といきましょう!
じゃあ、これからの、みなさまのご発展、ご健康を願いまして、かんぱーい!」
そう言って、竜太郎は、乾杯の音頭をとって、みんなと生ビールのグラスを合わせた。
「うちのおやじと、竜さんのおやじさんとが、あんなに意気投合しているのが、
おれには不思議いなくらいなんですよ。あっはは」
森川純が、そう言って、ジューシーな焼き鳥のねぎまを頬張る。
「うちのおやじも、あんな強面に見えるんですけど、けっこうと繊細で、
芸術的なものが大好きなんですよ。じゅんちゃん、あっはは。
又吉直樹さんの芥川賞受賞なんかも、自分の息子のことのように喜んでいたんですから。
あっはは。まあ、うちのおやじには、『企業は、物を作って売るばかりじゃだめだ。
文化を創造するくらいでなければ、企業は時代の流れを生き残れない』
っていう考え方があるんですよ。おれも、十代のころは、それを聞いて、
そんなもんかなぁ!?くらいにいしか思ってなかったんだけど。
最近は、なるほどって、そんな哲学に感心もしているんですよ。
なあ、こう(幸)ちゃん、あっはは」
竜太郎は、そう言うと、話を弟の幸平にふった。
「そうですよね。うちのおやじは、文化を創造っていえば、
話が大き過ぎいるかもしれないですけど、『人なら、この世に生まれた以上、
自分の物語を作っていくべきだ』とか言うんですよね。
『企業も人の集合体なわけですから、歴史に残るような、世のため人のためになるような、
大きな物語を作っていことが、理想的な企業の姿だ』と言うんですよ」
「なるほど。それで、まあ、うちのおやじとも気持ちとがぴったり合って、
エタナールさんとモリカワで共同出資という形で、
若い芸術家たちを支援したり、社会に送り出すための、
慈善事業のユニオン・ロックの活動が開始されたわけですよね。
そして、その社会的な反響といいますか、注目や相乗効果は素晴らしいもので、
エタナールさんとモリカワも、同業者が羨む商売繁盛なんですよね。
でも、ユニオン・ロックを立ち上げたのは、
ほとんど、竜さんのおひとりの企画であったのですよね。
それがまた、すばらしいと、おれなんか、感心しているんです。
竜さんは、ユニオン・ロックによる、
このような宣伝効果とかは、最初から考えていたんですか?」
「あっはは。おれって、もう33歳になるけれど、20代のころは、
エタナールを大きくして、世界的な大企業にすることしか考えていなかった野心家の、
愚かな人間だったんですよ。もっと正確に言えば、ちょうど、2年前になりますけど、
じゅんちゃん、しんちゃんたちのモリカワを買収しようと計画したころまでは、
おれは、愚か者だったんですよ。なあ、こうちゃん。あっはは。
そこで、モリカワの社長さんや、しんちゃんやじゅんちゃんたちの、
心の通った経営思想や生き方に、感動して、目覚めたんですよ。
人間って、知らず知らずのうちに、欲に目が眩んで、
正常な判断力を失ったり、生き方を間違えるもんなんですよね。あっははは」
「竜さんは、若いときから、スティーブ・ジョブズのことが、お好きで、
憧れているわけじゃないですか。ですから、ジョブズも、アップルとかで実現したかったことは、
芸術的なセンスのいい平和な世の中をつくっていこうってことなんですから、
竜さんの生き方には多少の軌道修正はあったとしても、そんなに間違ってなかったんですよ。
ね、竜さん、あっはは」
そう言って、信也は、信頼の眼差しで、竜太郎を見る。
「あっはは。そう言って、援護射撃をしてくれますか、しんちゃん。ありがとう。
まあ、おれも、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツの意志を継いでいきたいですよ。
インターネットやデジタルを、彼らは開発していたんですからね。
世界中に、良質な芸術を広めていって、心の優しい人を、
世の中に、ひとりでも多く増やしていくしかないように痛感しているんですよ、おれも」
「そのとおりですよね、竜さん、一緒に、これからも、がんばりいましょう!
おれも、みんなが、とりあえず、世の中の人たちが、
みんな、芸術家か詩人になっちゃえばいいんだと思っていいるんです。
なにも、大芸術家じゃなくても、大詩人になんなくっていいんですよ。あっはは。
美しいことを美しいと感じることができれば、それで、立派に、芸術家だし詩人なんだと思います。
社会に認められるとか、プロになるとかは、また次元の違う、別の話ですけどね。
去年の12月のNHKのEテレなんですけどね。 『課外授業・ようこそ先輩』で、
歌人の斉藤斎藤さんが、とても、いいこと言っていたんですよ。
おれ、これこそが、詩人の原点だし、芸術の原点だと感じたんです。
斉藤さんは、図書館で、岩波新書の小林恭二さんの『短歌パラダイス』を読んで、
その本の中の、歌人の奥村晃作が作った短歌に出会って、
それに感動して、歌を作りを始めたそうなんですよ。
その短歌が、どんなのだったか、想像できますか、みなさん!?あっはは」
「どんなの?どんなの?」とか、
「斉藤さんって、名前も斎藤なんだぁ」とか、みんなは口々に言う。
「奥村晃作さんの短歌は・・・、
次々に
走り過ぎ行く
自動車の
運転する人
みな前を向く
・・・というものなんです!どうですか、おもしろいですよね!」
「あっはは、おもしろい短歌だね」と竜太郎は言って笑った。
みんなも、その短歌のストレートさとかに、感心しながら笑った。
「斉藤さん、この短歌にこんな
説明をしています。
『運転する人って、じーと、みんな前を向いているわけで、素敵じゃないですか』とか。
あと、『短歌というのは、別に誰かに何かを伝えようとするもではない」とか、
『もし、あなたが生きていて、ある瞬間に、何かを思ったとき、
何か景色を見て、何かを感じたというときに、
その感じたことは、世の中の、ほかの誰がいいと思わなくても、
あなたが感じたということは、あなたが感じたこと自体に価値がある』とか言ってました。
おれは、こんな考え方こそが、詩や芸術というものの原点なんだ思ったんです。
世の中では、詩や芸術を、難しいことに考えすぎて、
普通の人間のものではないものにしてしまっていますからね!
子どもの心や感性でも、やっていけるのが、詩や芸術の原点ですよね、きっと」
「しんちゃんの言うとおりだね。難しいもんにしまっているから、
詩や芸術を、みんな、簡単に、手軽に、楽しめなくなっているんだ、きっと。
みんなで、力を合わせて、ユニオン・ロックとかで、人間性の回復の仕事でもしてゆきましょう!」
じゃあ、みなさん、また、カンパーイ!」
竜太郎がそう言って、みんなと、ビールグラスを合わせた。
みんなは、笑顔で、美味そうに、生ビールを飲んだ。
≪つづく≫ --- 102章 おわり ---
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