銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第十六話 カイザーリング艦隊(その2)
「参謀長閣下、小官はそろそろ昼食を摂りに行こうと思うのですが」
「うむ、いいだろう。毎日何処へ行っているのだね」
「大体、鹿の家、きこりの里、ジークリンデです」
「ほう、今日は何処へ」
「多分ジークリンデでしょう。あそこのシチューは最高ですし、店が広いですから」
旗艦アーケンを出て俺は町へ出た。途中でキスリングと落ち合う。
「エーリッヒ、今日は何処へ行く?」
「ジークリンデ。シチューを食べよう」
「いいね。あそこの給仕は可愛いし」
俺は最近、キスリングやケスラーと食事を摂る事が多い、というよりカイザーリング艦隊の人間とは食事に行ったことは無い。理由は簡単で彼らから見ると俺は「裏切り者」なのだそうだ。たまたまパーペン参謀長とベッケナー副参謀長が話しているのを聞いてしまった。あいつらに言ってやりたいよ、アルレスハイム星域の会戦でボロ負けしてもバーゼルを「お友達」って言うのかってね。何にも知らないくせに好き勝手言いやがる。今日は珍しくパーペン参謀長が話しかけてきたが普段はほとんど会話は無い。そのせいだろうが一般兵たちまで俺を避ける始末だ。
俺としても本当は自分が不正に気付いたなんて言いたくは無かった。しかしカイザーリングを止めるにはあれしかなかったと思う。俺の見るところカイザーリングは性格の強い人間ではない。あのままでは幕僚たちに押し切られバーゼルを引き取って、あげくの果てにはアルレスハイム星域の会戦ってことになりかねなかった。
ジークリンデはこの辺では大きな店だ。煮込み料理の美味い店で客も多い。俺とキスリングはシチューを食べながら会話をした。
「オーディンからは、後どのくらい人が来るんだい」
「50人くらいだ。一週間もしないうちに来る。ケスラー中佐が言っていた」
「それは、基地の方に行くのかな」
「多分ね。今10人ほど行っているけど到底間に合わないのは眼に見えているからね」
「バーゼル少将は自供しているのか?」
「いや、まだだ。なかなかしぶとい」
バーゼル少将逮捕から既に一週間以上経っている。憲兵隊の関心は捕らえたバーゼルではなくボルソルンの補給基地に移りつつあるようだ。まあ、あっちの方が規模が大きいからね。
「なあ、エーリッヒ。 カイザーリング艦隊は居づらいんだろう」
「うん、まあね」
「憲兵隊に来ないか。ケスラー中佐も心配している」
「中佐が」
「ああ、俺も卿が来てくれたら嬉しい」
「そうだね、少し考えさせてくれないか。まだ時間は有るだろう」
「うん。あと二週間くらいは有るだろう」
あと二週間もすれば、カイザーリング艦隊への調査はとりあえず終了するということか……。そうなれば哨戒任務だな。
退職するかと俺は思った。シュタインホフは怒らせたし、ミュッケンベルガーも今回の件では面白く思ってはいないだろう。エーレンベルクも同様だ。補給基地にサイオキシン麻薬なんて頭から湯気を立てているに違いない。兵站統括部も同様だろう。軍内部での先行きは思いっきり暗かった。唯一の救いは憲兵隊に恩を売る事ができた事だった。
食事を終えジークリンデを出る。そのときだった。
「危ない!」
俺はいきなり地面に引きずり倒された。何があったのか判らずにいると、近くで怒号と悲鳴が聞こえる。なんだと思ってそちらを見ると数人の男に一人の男が地面に押し付けられ、腕をねじ上げられていた。悲鳴を上げたのはこの男だろう。
「一体何があったんだ」
「あの男に殺されかかったんだ。これを見ろ」
見るとジークリンデの出入り口にレーザー銃の痕がある。
「狙われたのはどっちだ」
「俺じゃない、卿だ」
俺を狙った? 誰が? 何で? 俺を殺して何のメリットがある?
「彼らは一体?」
「卿の護衛だ」
「護衛?」
そんなに危なかったのか俺は? しかしいつの間に護衛を?
「ケスラー中佐の命令でな。密かに護衛をつけていたんだ。俺やケスラー中佐が一緒にいるのもそれだ」
俺だけが何も知らなかったのか……。
俺とキスリングはその男に近づいた。取り押さえていた男が俺たちに敬礼する。
「有難う。おかげで助かった」
「いえ、ご無事で何よりでした」
「顔に見覚えは?」
「いや、無いね」
「何故、私を殺そうとするんだ」
男は俺を憎々しげに見る。
「答えなさい。何故、私を殺そうとするんだ」
「さあ、答えろ」
取り押さえていた男が腕をさらに捻る。
「よせ、止めろ、……話す。……参謀長に頼まれた。」
「参謀長? 頼まれた?」
俺とキスリングは顔を見合わせた。
「ふざけるな。私を殺して何の意味がある。反って憲兵隊の調査が入るぞ。もう少しまともに答えろ」
「本当だ。お前は、闇の左手だろう。だからだ」
意外な答えに俺とキスリングは呆然として顔を見合わせた。
この世界には、「闇の左手」、正確には「皇帝の闇の左手」と言われる人間たちがいるらしい。”らしい”というのはその存在がはっきりとしないからだ。銀河帝国のあらゆる政府機関の何処にも「皇帝の闇の左手」は存在しない。銀河帝国の歴史の何処にも出てくることは無い。銀英伝の原作にも出てこないのだから”無い”と言いたいのだがどうもはっきりしない。
「皇帝の闇の左手」だが、噂によると「皇帝直属の情報機関」ということになる。皇帝の命だけに従う組織だ。銀河帝国には幾つかの情報機関、捜査機関がある。憲兵隊、情報部、社会秩序維持局等だ。このうち憲兵隊は軍務尚書、情報部は統帥本部長、社会秩序維持局は内務尚書の支配下にある。かれらは皇帝よりも直属の上司に忠誠を誓いがちだ。つまりそれに不満を持った皇帝が密かに作ったという組織が「皇帝の闇の左手」だと言われている。
彼らは皇帝の命に従い、大貴族、軍、宮中において帝国のためにならない、あるいは皇帝の不興を買った人物たちを調査し、没落させ、あるいは密かに抹殺してきた。表で動くのではなくあくまで影で動く事から「皇帝の闇の左手」と呼ばれる様になったという。いつから存在するのかはわからない。噂によると晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世の司法尚書を勤めたミュンツアーが司法尚書になる以前、「皇帝の闇の左手」だった時期があるといわれている。その経験によって司法尚書時代に綱紀粛正を行ったと。ありえない話ではないだろう。
「どういうことだ、エーリッヒ」
「判らない。整理して見よう」
「参謀長は私が闇の左手だと思っている。だから殺そうとしたと。つまり私が皇帝に報告したら身の破滅だと思った、ということだ。いや待て、その前に私がここへ来たのは単純な人事異動じゃない! 皇帝の命令で来たと思ったんだ!」
「皇帝の命令で来た?」
「そう、皇帝の命令でここにきた、何のために?」
「……サイオキシン麻薬か!」
「そうだ。サイオキシン麻薬に気付いたのは私だ。カイザーリング提督を説得したのも私だ。一介の大尉がいきなり内部告発をしたり、貴族や将官を相手に説得したりするとは思えない。おそらく後ろ盾があると思ったんだ」
「それが、陛下だと」
「ああ、そうだ」
俺は原作を知っているから生き残るために必死だった。たとえ相手が誰であろうと死ぬ事に比べればましだと思い行動した。ただそれだけだった。しかし、リヒャルト・パーペン少将はそう思わなかった。後ろ盾が有るから強気なのだと思ったのだ。だとすれば、パーペン少将が何を恐れているかだ。
「エーリッヒ。パーペン少将もバーゼル少将の仲間だと思うかい」
「……パーペン少将だけかな。サイオキシン麻薬の汚染はもっと深いのかもしれないよ。どうやらまだ何も終わっていないようだね、ギュンター」
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