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月下に咲く薔薇

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月下に咲く薔薇 24.

 
前書き
2014年5月19日に脱稿。2016年1月10日に修正版が完成。 

 
「スメラギさん! 俺が確認できるか!?」
 クロウは咄嗟に手元の携帯端末に呼びかけるが、応答はなかった。
 無言の端末を眼前に翳せば、今のクロウが完全な孤立状態である事を裏付ける表示が出ている。トレミーとの通信が確立されていないのだ。
 ゆっくりと落下が終わる。
 足の裏には未だ何も感じるものが無く、光量の不足している赤い無重力世界にクロウただ1人が浮いている。
 幸い、縦移動は青い異世界で体験したものより遙かに短時間で終わった。精々ビルの5階から1階への落下程度だ。
 最終的に着地を味わった昨夜に比べ足の裏は落ち着かないが、無重力なら宇宙に出る度に人類全てが味わうお約束ときている。恐怖は皆無で、騙されたという憤りばかりが炎を上げた。
 広いのか狭いのか、よくわからないところがある。無重力故、外気よりも暖かな空気は対流というものを知らず、無風と静寂がクロウの周囲ばかりか全体をどんよりと満たしている。クロウは思わず、瓶の中のような小空間を想像した。
 但し、閉じられた狭い空間と断定するのは早計だ。横方向にばかり1キロ先まで続いている可能性もあるのだから。
 静けさがすぎて、むしろ気が張りつめてゆく。
 先程まで聞いていたアリエティスの動力音さえ聞こえないのだから、アイムはZEXISを騙し、クロウ1人だけを異空間に放り込んだのかもしれない。
 とはいえ、ストーカー紛いの男がする事。発する声はあらゆる手段を講じ絶対に聞き取っている筈、との妙な確信がクロウの中には存在していた。
「アイム。何処だ?」
 試しに呼びかけてみる。
『あなたの側ですよ。息がかかる程近くに』
 案の定、明瞭なアイムの声がした。
 切れの良い声質は、息の圧力までもを耳たぶに感じそうな鮮明さを含んでいる。クロウは思わず肌を粟立たせ、反射的に周囲を見回した。
 相も変わらず、赤く染まった薄暗い空間には自分1人きりだ。流石は虚言家。さっそく1つ嘘をついた事になる。
「側にいる? よく言うぜ。見えないぞ、お前もアリエティスも」
『ええ』喜々とした男の声が、まず短く肯定する。『この空間には、距離という概念が存在しません。あなたのいる位置がアリエティスの位置であり、私の位置でもあります』
「ここにてめぇが? …気持ち悪いな」
 嫌がらせのつもりで発した本音に、アイムは全く反応しなかった。
『私とアリエティスのみで取り出しを試みる事になりましたから。より成功する確率の高い方法を選んだまでですよ』
「はぁ? バトルキャンプ上空で、って自分から持ちかけたんだろ。どうにも通常空間には見えねぇし、こんな所に来なけりゃ確実に出せねぇのか」
『ブラスタが使用できないのですよ。私の苦労を察してください。この空間で試みたとしても、確実などという成功率になるかどうか』
 宿敵の口ぶりが、突然無理だと言わんばかりの方向へと舵を切る。
「冗談じゃねぇ!! 話が全然違うぞ!! バトルキャンプの上空じゃない、異空間でも確実に出せない。要は、俺をここに連れて来たかっただけなのか!?」
 さらりと吐き出す返答に、クロウは激しく憤慨した。
『いえ。全ては、異物取り出しの目的を遂げる為の手段にすぎません』と、アイムが改めて別の野心を否定する。『強いて言うなら、私はあなた方ZEXISのやり方を踏襲した、というところでしょうか』
「馬鹿言ってんじゃねぇ!!」クロウは、何も無い頭上に向かって激高した。「重要な取り決めの場で、俺達が何時嘘をついた?」
 男がくっと嗤う。人の神経を逆撫でする笑い方が、如何にも人を見下すアイムらしくて面白くない。
『かつて。クラッシャー隊の長官は、三大国家からの質問に何と答えていましたか? 黒の騎士団とソレスタルビーイングの行方は知らない。ダンクーガノヴァとZEXISの関わりは無い。…私の目撃情報とは些か異なるのです。さて、何故でしょう?』
「ちっ。…黙れよ。ノーコメントだ」
 旗色の悪さから、クロウは舌打ちと共に渋々刀を収める。
 こういう時、事実を引き合いに出すのがアイムの嫌らしいところだ。
 虚言家が蒸し返しているのは、ZEXISが単体で現在の規模にまで膨れ上がった直後の話だ。エリア11のフジで起きた日本の反抗勢力とWLFによる人質立てこもり事件。あの事件の際、テロリスト達と対峙したゼロが黒の騎士団の名を、大塚がZEXISの名を報道の前で唱え、地球圏全体がクラッシャー隊や黒の騎士団を統括する部隊の勝利を見届けた。
 非武装のまま単独で潜入し人質全てを解放したゼロの手腕は、当時魔術と評され喝采を浴びている。一方のZEXIS機はWLFのMSやジェノサイドロンを全機制圧し、中継カメラの前でソレスタルビーイングのガンダムやダンクーガノヴァが理不尽な武力だけを削ぎ落とす瞬間を見せつけた。
 人質の解放と武装勢力の制圧。2つの成功を携え、ZEXISは「正義の味方として振る舞う」という印象をエリア11内外に強烈に焼きつけている。
 ならば、今尚ゼロが率いる黒の騎士団はクラッシャー隊と共にあるのか。誰もが極自然にそう考えるだろう。根拠となる情報は、大塚自身が大々的に発信したも同然だ。
 しかしフジ以降、黒の騎士団の居場所について三大国家から問われ続けても、大塚は頑として「知らない」の一点張りを貫いた。
 勿論、事実ではない。当時、大塚だけでなくエルガン代表までもが、黒の騎士団やソレスタルビーイングがクロウ達他のZEXISメンバーと共に龍牙島を拠点にする事を了承していたのだから。
 ZEXISは、虚偽や隠蔽と共に歩む事でようやく纏まっている組織だ。良好な結果の下には脆弱な地盤が存在する。エルガン代表と大塚長官は、実を取る為に小悪を行うという正義の矛盾を自ら背負い込む事を厭わなかった。不安定な組織の維持、ただその為だけに。
 確かに褒められた手段ではないが、結果の羅列を見渡しただけでも今の地球圏にZEXISが必要なのは明白だ。他でもないアイムが敢えてその方法を踏襲したなどと反り返れば、当然腹が立つ。
 突き放したクロウの態度に『ずるい対応ですね』と虚言家が不平を唱えるので、「てめぇにだけは言われくねぇ!!」とやり返す。
『私とて、結果は出したいのです。信用の無い者なりに、こうするより他にありませんでした』
 そして、ZEXIS流を踏襲したと標榜し、嘘と成果の両方を掲げて再接触に立ち会いたいと指揮官達の前で再び唱うのか。
『クロウ・ブルースト。あなたの中に仕込まれた異物、発見しましたよ』
「本当に見えてるのか!? 今度も嘘じゃないんだろうな」
 どの辺りなのだろう、と服越しに腕や腹を見回してみる。そして、視線は右手の中指に辿り着いた。
 クロウが異世界に落ちた時、痛みを感じた唯一の場所。何かが体内に侵入した場所と確信している部分でもある。
『指先ではありません』クロウの思考を読んだのか、問うより先に答えが来た。『問題なのは、何かがその異物を包み込んでいる事です』
「取り出しにくいのか?」
『ええ。その為、ブラスタの投入を希望したのですが。では、始めましょう。「偽りの黒羊」だけで、あなたと「揺れる天秤」の接続を揺らします』
 アイムの肯定に呼応するように、周囲の赤色が透明感を帯びた。
 話の筋だけで、何をやろうとしているのかおぼろげながら理解はできる。しかし、生憎その手段の正否を判別する術がクロウには無かった。
 スフィア・リアクターが存命である限り、スフィアと所持者は一対一の関係にあるという。通常、他のスフィア所持者であろうと他の一対に干渉する事は極めて難しい。その為、奪取を決意した者は相手の機体ごと破壊し所持者の命を奪おうとする。
 今、クロウから異物だけを取り出そうとしているアイムなどは正に典型と言うべき存在だ。更には、全ての所持者を追っている魔人アサキムも。
 彼等覚醒の進んだスフィア・リアクターは、群衆の中から同種の人間だけを巧みに嗅ぎ当てる。つまり、所持者を通し繋がりを持っているスフィアを感知しているという事でもある。
 影響し影響される関係を覚醒の進んだ者が主導し、一体化した中で異物の存在だけを拒絶すれば。その結果に、アイムは期待をしていると思われる。
 ブラスタを使えば成功する確率が上がるという話は、今の延長線上に置いて考えれば筋が通る。ZEXISは、今件にブラスタを投入すべきだったのかもしれない。
 しかし、クロウ自身の内側にアイムが進入するところを想像した途端。何かが男の願望に拒絶反応を起こした。
 異物の反応。
 クロウ自身の警戒心。
 或いは、『揺れる天秤』が起こす拒絶なのか。何とも判然としない。
 ただ、意識と肉体の接点から不快なものが頭を擡げ、本能や感情を盛んに軋ませる。
 発しているのは、「入って来るな!」という追い詰められた者の悲鳴だ。
『アリエティスを受け入れながら、体内の異物を出したいと強く望みなさい。意志の力無くして、取り出せるものではありませんよ』
 元々高圧的な男が、丁寧な物言いでクロウを脅しにかかる。
「アリエティスを受け入れるだ? 簡単に言うな。それに、さっきからやたらゾワゾワして鳥肌が立つ!」
『それでも逆らいきれるものではないでしょう。この空間では、あなたの力が一番弱いのです。アリエティスか異物、どちらに傾くか、自分で選びなさい』と言いつつも、前者を選べとアイムが愛機の名をより強調する。『さぁ、クロウ・ブルースト。選んだ証として、私かアリエティスの名を呼ぶのです』
 クロウの心身は『揺れる天秤』の影響下にある為。
 理由はそんなところだと思うが、何しろストーカーの言い分だ。神経を逆撫でする言葉が飛び出した途端、またも発芽の様子を想像してしまった。
 白目を剥いた全裸のクロウを苗床にして、全身に絡みついた茎に蕾がつく。一斉に開花するその花々は、吸い取った血のように赤く美しい。
 昨日以来縁のある見事なバラのようにも見えるが、クロウには花の違いをはっきりと見分ける事ができた。
 体から生える植物は、クロウに進入して『揺れる天秤』に触れ支配者としてその上位に立とうとする『偽りの黒羊』、アリエティス、そしてアイムの比喩的表現だ。
 来るな!
 おぞけと怒りが全身で沸騰した瞬間。
 突如、赤い世界に濃緑色の浸食が起こった。
 棘と枝葉のついたよく曲がる紐状の物体が、クロウから爆発的な勢いで溢れ出す。
 ある一点、クロウの右眼球の極近いところから。
 出現と共にその紐は拡大コピーよろしく茎の幅、枝葉の大きさを増してゆく。
 右の視界は、植物の出現と巨大化、生長のみで占められていた。
 伸びる。まだ伸びる。
 しかも、その生長は飛矢の速さにも等しい。
 植物のしなりがちらつきとなって、急速に右の眼球を疲労させる。
「ち、ちょっ…!! やめろ!! どういう仕掛けだ!?」
 慌てて右目を瞑り両手で上から押さえつけたが、全く効果はなかった。バラの茎は二重に重ねた掌の上から、尚も上下左右と放射状に広がってゆこうとする。
 今は、左の手の甲から出現して見える有様だ。
 眼球そのものから植物が現れているのとは違う。しかし、出現点と眼球は無関係でもない。
 その証拠に、顔の向きを変えると植物の出現場所もついてきた。瞼を覆っている掌を貫通し、茎の束が引き続き空中へ空中へと貪欲な進出を図る。
『こ…これは!?』何が苦しいのか、アイムのくぐもった声が切れ切れに届く。『クロウ・ブルースト!! よもや、異物の方を、選ぶとは!!』
「え…?」
 選んだ覚えなどない。慌てて反論しようとし、言葉を飲み込んだ。
 拒絶をした瞬間なら、確かに心当たりがある。その時、拒んだものと拒まなかったものがはっきりと分かれてしまったのだろう。
 決め手は、今どちらをより危険な敵としてクロウが認識しているか、に尽きる。
 昨夜会話をした女性の声は、異物が発芽しクロウの体内を食い破る心配はないと仄めかして消えた。アポロは先程、異物を嫌な感じのするものと分類している。些か食い違ってはいるが、いずれも5分、10分先の不安を煽る言葉ではないという部分で共通してはいた。
 一方、アイムは『揺れる天秤』との共振を望み、またもZEXISを騙して場を整えている。信念に基づく大塚の判断と決意までもを侮辱した上で。
 心のどこかで望んだ気がする。今のアイムを異物に触れさせたくない、と。
 植物の生長がぴたりと止まった。
 掌をはずしそっと右目を開けたが、再び閉じる。やむを得ず左目の視野のみを頼りとし周囲を観察すると、怪植物の出現前と後で風景の違いは歴然だった。
 伸びた茎は枝葉を従えたまま互いに絡みあい、出入り口のない籠を器用に編み上げている。出現点たるクロウは、その中に閉じ込められている形だ。
 籠の中は、ブラスタのコクピットより一回り大きい程度。その空間が赤く鈍い光にぼんやりと照らされていた。異変前とさして変わらない光量のまま。
 もし、光源が今尚アリエティスならば、30メートルを超える機体が籠の内ばかりか外側までも同時に照らしている筈だ。実際に、茎の編み込みが粗いところからは大きな葉の間を縫いかろうじて外の赤い世界を垣間見る事ができた。
 茎の直径は3センチ近くと、市販のバラに比べると倍以上の太さがある。その為、葉のサイズも小さなもので顔以上。昨夜はブラスタを空中に留め次元獣もどきという塊として認識していたので、対人間という比較にはならなかった。
 改めてクロウ自身の危機的状況として周囲を見回すと、植物製の籠に囚われている虫の気分になる。
 この茎は、今も実体がないのだろうか。試しに、左手を籠の編み目へと押し出す。
 人差し指と中指の間から、甲へ。葉の1枚も揺らす事なく枝の付け根が移っていった。
 手、植物共に不透明なので、手の甲の中央から幾分細い茎と5枚の葉をつけた枝が突然生え出しYの字に分岐して見える。余り気持ちの良い風景ではない。
 腕を引き戻せば、いつもの左甲に早変わりする。その際、感触というものと無縁なのは植物の出現直後も今も同じだ。
 体は四肢を含めその全てが自由になるが、生憎と籠からの脱出は叶わなかった。何しろ、クロウの体が移動するのに合わせ籠自体も同じ方向に動きたがるのだから。
 よもや、クロウの感情が引き金となって懸念していた発芽が起きようとは。アイムも驚いただろうが、促してしまった当人も困惑している。
 幸い、左目の視野はそれなりに確保できる状態だった。顔の右半分から受ける影響があるなりにも。
 頼りになるのは、左目が捉える正面とそこから左方向にかけての視界だけだ。左目が把握する右方向には得も言われぬ光景が広がっており、首の向きを変えても障害物が占める可視範囲に増減はない。
 得も言われる光景。例えるならそれは、巨大な花束を水平方向に構え束ねた部分を右の眼球前に据えた状態によく似ている。
 右の視野は一面その束のみで占められ、発芽の起点が眼球の3センチ程先なだけに近景へと焦点を合わせる気が失せる。何しろ視界中央から眼球に、棘の付いた植物茎が迫っているのだ。頭でわかっていても、先端に警戒し景色を排除したくなる。
 その束の起点と末広がりを成す形を、左目が右方面の視野情報として捉えていた。
 左右の視差は成り立たず右の近景が目障りなので、クロウは右の瞼を閉じ続けるべく右の掌を瞼に重ねた。
 自身の姿を顧みる。まるで、眼帯をしたロックオンだ。
「俺自身に危険は無いって、結構微妙な境界だろ…」昨夜聞いた爆笑の意味を悟りつつ、クロウは息を吐いて気を取り直す。「おい、アイム。まだ生きてるのか? そっちはどうなってる?」
『ク…、クロウ・ブルースト…。生身のあなたが、無事、なのですか?』
 頻繁に息をつく声音が、苦痛を隠そうともせず耳元で囁いた。
 牡羊座機のコクピットにいながら、強い疲労に襲われてでもいるこの様子。昨夜のように、怪植物がアリエティスとアイムからエネルギーを吸収している真っ最中なら、ZEXISにとっては一大事だ。
「ああ。俺の方はな。見えてないのか?」
『モニターに、顔が向け、られないのです。…音声ならば、かろうじて』
 位置座標が同じ為、アリエティスと同じ事がアイムにも起きたという事か。尋ねにくい内容を承知の上で、敢えて1つ質問をする。
「食われている最中か? 正直に言えよ」
『いえ…。抵抗中、というところです。ここは、アリエティスと、私の世界。…あの者共の領域や、バトルキャンプとは違って、アリエティスを直接、捕らえる事は、できないのです』
「元々襲われる危険はあったから、この場所を利用する事で1つ保険をかけたのか」
 アイムはあの怪植物の主に追われている身だ。護身の為の保険自体を責める訳にもゆかない。ZEXISとてその辺りの事情は十分理解している。
 素直に話せばいいだけなのに、何故発想が途中から歪むのか。まるで、螺旋を描く羊の角のような思考だ。
「何とか踏ん張れよ」と、取り敢えず応援はしてやる。クロウがこの赤い異世界から脱する方法は虚言家しか知らない。今死なれても食い尽くされても困るのだ。
 もし、ここが通常空間と繋がりやすい場所ならば、対策をZEXISに委ねる事もできるのに。
 ソレスタルビーイングのMS、ダンクーガノヴァ、グレンラガンにダイターン3…。ZEXISとZEUTHに所属するロボットたちの勇姿が次々とクロウの脳裏を掠めてゆく。
「アイム!! どうにかして、ここをバトルキャンプ上空に繋げろ!! 俺達だけじゃどうにもならねぇ」
『誰の力を、借り…』
 虚言家の声が、半ばでかき消される。
 衝撃音が1度。そして間を置いて更に2度起きた後、横殴りに起きた空気の振動が茎製の籠を僅かに揺さぶった。
 直後に、携帯端末が音を立てる。
 スイッチを1つ押すと、告知音がロックオンの声に代わる。
『クロウ!! そこにいるのか!?』
 逡巡の後、クロウは音声のみによる会話を選んだ。
『どこにいるんですか? クロウ!』
 ZEUTHのガンダム・パイロット、ロランの声も加わった。デュナメスだけでなく、∀ガンダムも赤い異世界に突入している。
『これで、同じ空間に来る事ができたのか?』
 更に続く自問の声を、クロウは女性のものと受け止めた。少年のような口調だが、子供のものと聞き取るには低すぎる。しかも、つい先程ダイグレンの中で聞いたばかりの声質だ。
『離れるな、アテナ! 敵の目があるんだぞ!』
 もう一つ若い男の声がし、保護者然とアテナに警告を発する。
 自然とクロウの口端が上がった。最早、桂以外の誰が考えられよう。
 しかし、何故この顔ぶれになるのか。
 ダイグレンの中で「桂の側を離れるな」とクロウ達が念押ししたのは、2本目の花を贈られた女性に様々な場面での自重を促す為だった。それを理解している筈なのに、わざわざ望んでアイムの世界に突入するなど。親の心中は察して余りあるものがある。
 尤もアテナの身になれば、居ても立ってもいられなかったというところなのかもしれない。ミシェル同様、彼女もまたバラを贈られながらも事なきを得ている人間だ。自分が助かっている現状に自責の念を抱き、率先して異常な状況へと首を突っ込み何かを掴もうとしている。
「俺は無事だ。…今から、少しばかりショッキングな映像を送る。目を回さないでくれ」
 そう断った後、クロウは携帯端末を映像付き会話モードに切り替え自身の顔に向けた。
 端末の画面が発光し、5つに分割される。映っているのは、ZEXIS1人、ZEUTH4人から成る突入部隊の顔だ。
 全員が、一斉に目尻を歪める。
 さもありなん。クロウの携帯端末から送り出されているのは、画面の右半分を占める怪しげな発芽の様子とクロウの顔のセットなのだから。
 それを見ただけで、全員が異変の正体を正確に理解する事ができるだろう。怪植物の出現理由からクロウとの関係に至るまで。
『やっぱり芽が出たのか…』意志の力でようやく言葉を紡いだのは、ロックオンが最初だった。
「俺がアイムのスフィアを拒んだら、短時間でこの有様さ。季節外れのハロウィンな見た目だが、眼球と直接繋がっちゃいないんだ。安心してくれ。俺自身は無傷だし、最初からアリエティス捕獲用のトラップだったのかもしれねぇ」
 満面の笑みを拵え肉体のダメージが皆無な事を伝えると、皆の顔が僅かに綻んだ。
 ロックオンもその1人だ。
『今、バトルキャンプの上空に、ぐしゃぐしゃに絡みあったバラの塊が浮いてる。ちょうどアリエティスが静止していた場所だ』
『デュナメスとヨーコのガンメンがそいつにライフル弾をぶちこんだら、大穴が開いた。ダイターン3がようやく通れる程のサイズでな』万丈まで来てくれたのか、ヘルメットを被った勇ましい顔が気遣わしげな様子で映っている。『ここに突入したのは、デュナメス、オーガス、ナイキック、∀ガンダム、そしてダイターン3の5機だ。今、扉は閉じている。もし、この状況を内部だけで打破するなら、僕達とアリエティスの力全てを駆使するしかない』
 なるほど、とクロウの中で合点がゆく。
「扉を開けたのはお前か? アイム」
『いえ…』と声の主は否定したが、それは嘘のような気がした。
『クロウ。アリエティスと一緒なのですか?』
「ああ。俺からは見えないんだが、とっ捕まっているのは確かだ。飯にされかれて抵抗している最中なんだろ。呼びかけても、反応が弱い」
『ははぁ。攻防が凄すぎて余裕がないのか』
「らしい。迂闊に近づくなよ」桂の話を肯定しつつ、クロウは昨夜のライノダモンもどきを思い起こす。「もし凍結ファイヤーでも仕掛けられたら厄介だ」
『どうだろう。その心配は必要ないかもしれない』と言いつつ、アテナが送信映像を切り替える。
 5分割部分に収まっているアテナの顔が、小さな遠景画像に切り替わった。
 クロウは、それを全画面に拡大する。
 植物塊の全容がわかる遠景だ。これが根拠か。
 白濁色の空間で、濃緑に染まった歪な楕円形が直立している。最も太い場所からは、内側から漏れる赤い光に染まっていた。
 直上には大きな茎の束が長く伸び、更にその上でもう1つの塊を作っていたらしい。
 その塊は、今正にほどけて形を失うところだった。するすると編み目を解除すると下の楕円形に吸い込まれるように戻ってゆく。
 同時に、クロウの囲みが幾らか厚くなった。
 映像を見る限り、次元獣の形には程遠い。アイムだけでなく怪植物の方にも余裕がない為、攻撃形態をとる事ができないのだろうか。
『その通りです、クロウ・ブルースト。現状ならば、Dフォルトは発生しても、ライノダモンと、同様の攻撃を、行う事はできません』
 昏倒寸前といった虚言家の声が突然割り込んで、クロウ達を驚かせた。
「意識が戻ったのか?」携帯端末ではなく、クロウは虚空に問いかける。アイムの意識が、というより男がまだ存在していた事に、小さな安堵を覚えた。
 アリエティスが分解・吸収されていないのであれば、敵は最も欲しているものを未だ手にしていない事になる。吉報だ。
「起きているなら、話は早い。援軍が来たし、さっさと俺をアリエティスの外に出せ」クロウはアイムに、『偽りの黒羊』と『揺れる天秤』の完全な分離を提案した。「発芽の起点は俺だ。物理的な距離が生まれれば、植物の何割かは俺の体についてくる。そっちも、少しはやりやすくなるだろ」
『分離? …クロウ。お前、今何処にいるんだ?』と問う万丈に、アイムが答える。
『彼は、アリエティスの中です』
『収容したっていうのか?』
 ロックオンからは、疑心暗鬼な思いが伝わってきた。
「多分だと思うが、半分当たって半分外れだ」
 横から滑り込ませたクロウの判定に、『どういう事だよ。問答してる時間なんてないぞ』と隻眼のスナイパーが急かした。『アイムが食われる前にどうにかしなくちゃまずいだろ!?』
「わかってる。だが、アテナが送ってくれた映像で確信した。今、俺の周りだけがまだ赤く光ってる。そこからも見える筈だ。赤く光っている部分が。俺の周りも見事に赤い景色だぜ。そのくせ、誰もいない」
 つまり、先程アイムから聞いた話はある意味事実という事になる。クロウの視界に入っていたあの赤一色の光景は、そもそもアリエティスの周りに広がっていた異世界のものではない。アイムは、クロウをアリエティスの内世界に取り込んだ上、敵襲を避けるべく愛機で異世界へと転移したのだ。
 バラを囲み突入部隊を漂わせている無重力空間は、黒に傾いた白濁色をしている。それが、異空間が持つ元々の色合いだ。
『つまりアリエティスは今、自分の内側に発芽の起点を抱え込んでいるのか』
 合点した桂が、溜息をつく。
『なら、どうすりゃいい? 発芽が原因でアリエティスが食われかけてる。要救助者と危機的状況の原因が同じってなると、俺達は何から手をつけるべきなんだ?』
『僕達の救出が失敗しても時間をかけすぎても、アリエティスは一気に食べ尽くされるかもしれないんですね』
 物騒な話を、褐色の美少年が平然と漏らす。
 しかし、それはZEXISが想定すべき最悪のシナリオだ。
 アイムの抵抗は無限に続けられるものではない。短時間での解決は最優先事項だが、Dフォルト対策に欠けたZEXIS機のみによる攻撃だけでは救出が極めて困難な上、最も頼りとなるアリエティスは加勢を期待できる状態になかった。
「だから、俺とアリエティスの分離をアイムにやらせたいのさ」
『アリエティスから、クロウ・ブルーストを出す事、は、できません』ようやくアイムが、ぽつりぽつりと回答する。『今、アリエティスの存在を、かろうじて、維持しているのは、「揺れる天秤」の力、なのです』
『要するに、出したくないんだな』
 端的な言葉に変換するアテナは、アイムに対しひどく辛辣だった。
「仕方ねぇ、今は中で大人しくしとくさ」
 分離は望ましくないのか。クロウも腹を括り、残った案を皆に推す事にする。
 脳裏にあるのは、アイムが扉を開閉しているという1つの事実だ。
「アイム。全員でバトルキャンプ上空に転移ツアーがしたい。できるか?」
『それって結構リスキーだったりして』桂が苦笑いをする。『ここはアイム主導の世界だと思うんだ。そこを出た途端、パワーバランスが変わって一気に食われる可能性もある』
『ええ。ですから全員、私の指示に従うのです』突然、先程までよりは張りのある声で、アイムが仕切り始めた。『まず、ロラン・セアック。あなたの∀ガンダムで、植物塊に攻撃を仕掛けなさい。武器は問いません。オーガスとナイキック、デュナメスの3機は、必ずその援護として、同じ傷口を狙うのです』


              - 25.に続く -
 
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