銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第十一話 伝書鳩
人事局長室を出ると何かに追われるかの様に俺は早足で歩き始めた。階段を降りそのまま足を緩めず軍務省を出ようとする。すると俺と同じ様に人事局に来ていたミュラーに捕まった。
「エーリッヒ。卿も人事局に来ていたのか」
ちょうど良い。こいつにも話しておかないと。
「ナイトハルト、いいところで会った。ちょっと付き合ってくれ」
「え、何処へ行くんだ」
「いいから。ちょっと付き合え」
強引にミュラーを連れ込んだのは、兵站統括部の地下2階にある資料室、通称「物置部屋」だった。なぜ「物置部屋」と呼ばれるのかというと、其処にあるのは既に250年以上前の極秘文書で歴史的価値はあるかもしれないが軍事的価値は皆無の資料が置いてある部屋だったからだ。当然此処を訪れる人間は皆無といっていい。面白い事に此処には視聴覚用ブースがあり、読書、シミュレーション、インターネットも出来るようになっている。資料室である以上必要不可欠なのだそうだ。
「おい、どういうことだ。こんなところへ誘って」
「少し待ってくれ」
俺は視聴覚用ブースに座ると格納型ディスプレイを立ち上げ、或る文書を探した。思ったとおりだ、やはり無い。
「ナイトハルト、これを見てくれ」
「……これは、この間の戦いの戦闘詳報じゃないか」
「そうだ。おかしいと思わないか」
「何がだ」
「よく見てくれ」
「……卿の書いた戦闘詳報が無い」
「握りつぶされた」
「まさか、冗談だろう……そんな事ありえない。あれは戦訓なんだぞ」
「本当だ」
俺は人事局長室での一部始終を説明した。話が進むにつれ、ミュラーの顔色が悪くなる。話し終わると大きく溜息をついた。
「ナイトハルト、誰かに私が並行追撃作戦の可能性を指摘したと話したかい」
「いや、話していない」
「良かった。この事については忘れてくれ。決して誰にも話してはだめだ」
「ああ」
「次の任務地は」
「フェザーンだ」
ヘーシュリッヒ・エンチェンの同盟領単独潜入作戦だ。ラインハルトはここでミュラーを認める事になる。
「直ぐに行ったほうがいい。オーディンは危険だ」
「しかし、卿はどうなる。危険じゃないのか」
「大丈夫だ。ハウプト人事局長は身の安全を保障してくれたよ」
「信じられるのか」
「始末する人間を、昇進させたりはしないだろう。大丈夫だ」
実際は怪しいものだったが、今はミュラーを説得するのが先決だ。
「だったら俺もここにいて問題ないはずだ」
「駄目だ、卿はあの戦いの生存者で証言者なんだぞ。私一人ならともかく、卿と一緒では相手が不安に思う。フェザーンに行ってくれ」
ミュラーを説得するのには30分ほどかかった。最後は俺を殺す気か、と脅して納得させた。明後日にはフェザーン行くだろう。彼と別れ兵站統括部第三局第一課に戻ると、ディーケン少将がにこやかに話しかけてきた。
「お帰り、ヴァレンシュタイン大尉。遅かったじゃないか」
「申し訳ありません、閣下。少し考え事をしていたものですから。それより何故ご存知なのですか、昇進した事を」
「ハウプト閣下が教えてくださったのだよ、大尉」
「そうでしたか」
それを機に周りから「おめでとう」、「やったな」などの祝福の声が上がる。内心少しも目出度くは無かったが、にこやかに「ありがとう」と返した。引き攣りそうになるのをこらえながら。就業時間を過ぎると、周囲には用事があると言って俺は速攻で帰宅した。今後の事を考えなくてはならない。間違いなく前線に出されるだろう、死ぬ事を期待してだ。
三長官を相手にして味方をしてくれる人間がいればいいが、そんな実力者はちょっと見当たらない。ラインハルトもまだ中佐だ、到底頼りにはならない。となると自力で生き残る道を探さなければならないがどうするか。簡単なのは軍を辞め、弁護士になる事だ。
ラインハルト・フォン・ローエングラムが誕生するまでは政軍官界には近づかない。しかし辞めさせてくれるとも思えない、昇進までさせたのだから。いや辞表を出す事には意味があるかも知れない。こちらには敵対する意思は無い、今回の件は不運な事故だった、本人は三長官を怒らせた事に怯えているというメッセージにはならないだろうか? やってみる価値はある。ディーケン少将とハウプト中将を上手く利用出来ないか?
TV電話が鳴った。出て見るとフェルナーとキスリングだった。ミュラーの奴、話したか。
「エーリッヒ、大丈夫か」
「大丈夫だよ、ギュンター。このとおりまだ生きている」
「馬鹿、冗談言ってる場合か。話はナイトハルトから聞いた。とんでもない事になったな」
「口止めしたんだけどな。彼がそんなに口が軽いとは思わなかった」
「奴を責めるな。悩んだ上で俺たちに相談したんだ」
「でもね、ギュンター、卿は憲兵隊所属だろう。エーレンベルク元帥が動かすとしたら憲兵隊だ。君を苦しめる事になる」
「エーリッヒ、憲兵隊は動いていないぞ」
「ギュンター、それは本当か」
「ああ、間違いない」
「だとすると動いているのは情報部か。何か動きは」
「すまん、それは判らない。うちと情報部は犬猿の仲だからな」
「いや、充分だよ。助かった」
するとそれまで黙っていたフェルナーが話し始めた。
「エーリッヒ、俺のところへ来ないか」
フェルナーは今、ブラウンシュヴァイク公のところにいる。俺にブラウンシュヴァイク公に仕えろというのか?
「卿が貴族が嫌いだというのは判っている。しかしこの場合は生き残る事を優先すべきだろう」
「アントン、卿の親切に感謝するよ。でも私はブラウンシュヴァイク公に仕えるつもりは無い。公に今回の件を話してもおそらくは自分の利益のために使うだけだろう。最悪の場合、元帥たちと取引して私を切り捨てるだろうね。そうなれば卿は辛い思いをする事になる。互いに最悪の結果だよ」
「大丈夫だよ、二人とも。心配を掛けたけど何とかなりそうだ」
気休めではない。希望が見えてきたのだ。
憲兵隊は軍務省、情報部は統帥本部に隷属している。上が仲が悪いのだ、当然下も仲が悪くなるのは止むを得ない。今回憲兵隊が動いていないのは、エーレンベルクは俺のことをあまり重視していないという事になる、何故か? エーレンベルクは今回の件はシュタインホフの失態だと思っているからだ。
戦闘詳報は統帥本部に集約される。統帥本部では戦闘詳報を分析し戦訓をだす。そしてそれらを軍務省に渡し軍務省が戦闘詳報、戦訓を公表する。宇宙艦隊司令部はその戦闘詳報、戦訓を詳細に調べ、次の戦いに生かすべく努力する。今回の場合戦闘詳報は二つあった。イゼルローンからの物と兵站統括部からの物だ。イゼルローンからの物が先に届き兵站統括部からの物は後から届いた。
本来ならシュタインホフは両方届くのを待って戦闘詳報の分析をするべきだったろう。しかしシュタインホフは俺の作成した戦闘詳報を待たずに戦訓を出し軍務省に渡してしまった。兵站統括部からの戦闘詳報などたいした事は無いと高をくくったのだ。
ところが兵站統括部から出た戦闘詳報はとんでもない内容だった。どうすべきか?統帥本部は大混乱になったろう。その内軍務省、宇宙艦隊司令部から戦闘詳報はどうなった、戦訓はどうなったという催促が飛んだに違いない。シュタインホフが正直に話したのか、それともエーレンベルクが業を煮やして兵站統括部から直接戦闘詳報を手に入れたか。
事実が判明した後、エーレンベルクとミュッケンベルガーはシュタインホフを責めたに違いない。最初からすべてがわかっていれば、イゼルローンに対して戦闘詳報の出しなおしを命じられたのだ。だが現実にはクライスト大将とヴァルテンベルク大将に都合の良い戦闘詳報と戦訓になっている。軍は両大将の言い分を認めた形になったのだ。
イゼルローンの兵たちは戦闘詳報、戦訓を読んでどう思うだろう。どれほど両大将が口止めしても、今回の戦闘詳報が虚偽に満ちたものだという事実は必ず漏れるに違いない。それが広まった時どうなるか?イゼルローン要塞のモチベーションはどん底にまで下落し、一つ間違えば反乱さえ起きかねない状況になる。シュタインホフは結果としてそれを助長した事になるだろう。
シュタインホフは俺を憎んでいるかもしれない。もちろん八つ当たりだとは判っているだろう。そしてエーレンベルクとミュッケンベルガーはシュタインホフの八つ当たりを許す事は無い。あの3人は本来、犬猿の仲なのだ。一致するのは共通の敵が出たときしかない。たかが一大尉のことなど気にも留めていないだろう。
エーレンベルクとミュッケンベルガーにとって今回の件はシュタインホフの失態でしかない。ハウプト中将の口止めはあくまで口止めでしかないのだろう。少なくとも今すぐ殺し屋が来るようなことは無いはずだ。但し前線勤務は仕方ないだろうし、戦死を望まれるのも止むを得ない。後は俺がどう凌ぐかだ。
翌日、俺はいつもより早めに仕事場に出た。ディーケン少将は既に机に座っていた。挨拶をすると相談したい事があると持ちかけた。ディーケン少将とハウプト中将が繋がっているならことわらないはずだ。俺の動向を調べるのはディーケン少将の仕事だろう。案の定、奥の部屋で話そうといってきた。
「軍を辞めようと思っているのですが」
俺はそう言うと、退職願いをディーケン少将の前に出した。
「辞めるのかね、大尉。昇進したばかりだろう」
「それを思うと心苦しいのではありますが、小官は軍人に向いていないようです。先日のイゼルローンでも負傷者の悲惨さに吐いてばかりで何も出来ませんでした」
「初陣なのだ。仕方なかろう」
「ですが、いつか失敗するのではと心配で夜も眠れません」
「それで辞めたいと」
「はい」
俺が人事局へ退職願を提出しようと思っている、というとディーケン少将は自分がハウプト中将に相談してみようといってきた。俺は退職願いをディーケン少将に渡し、お願いしますと頭を下げた。ちゃんと伝えてくれよ、伝書鳩クン。こちらには敵対する意思は無い、今回の件は不運な事故、シュタインホフが阿呆なだけだと。なんなら退職願いを受理してくれてもかまわないってな。
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