ウラギリモノの英雄譚
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ヘンシン――カツテ神童ト呼バレタ所以
――神童。
かつて要はそう呼ばれていた。
人は、『変身』することで超人的な能力を発揮することが出来る。
大地の『龍脈』から『英気』と呼ばれるエネルギーを引き出し、自分という器の中に注ぐ。それをすることで人は『変身』し、ヒーローになることができた。
英気を受け入れられる器の量は、先天的に決まる。
人は誰しもが『変身』できるわけではない。
ヒーローに変身できる程の英気を受け入れられる人間が生まれる確率は、百人に一人程度だった。
それだけヒーローという職業では、生まれ持った才能がモノを言う。
神童――紫雲 要(シウン カナメ)。
『彼がヒーローになれば怪人は絶滅する』とまで謳われた。
彼が神童と呼ばれた所以は、プロヒーローであった実母から受けた英才教育の賜物でも、彼自身の功績によるものでもない。
生まれ持った英気の許容量。
要は、プロヒーロー平均の三百倍以上の英気を体内に取り込むことが出来る。
それにより彼が得る恩恵は、絶対に傷つかないという無敵の防御力。
これこそが、要が神童と呼ばれる理由だった。
変身した要は、漆黒のマントに身を包んだヒーローと化す。
そのヒーローを包むヒーロースーツは、タングステン以上の強度を誇りながら、人の皮膚のように柔らかい。
受けた傷は、ヒーローとしての回復力が一瞬で治癒してしまう。
世界中のどんな兵器を用いたところで、変身後の彼を傷付けることは出来ないだろう。
だからこそ、紫雲要は、
「彼がヒーローになれば、怪人は絶滅する」
無敵のヒーローになれる。――はずだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
変身すると要は五感を失う。
五感を失った後に、要にはひとつの世界が見えるようになっていた。
真っ暗な。
本当に真っ暗な世界だ。
この世界には、上も下も無くて。自分が足場だと思う場所に立っている。
おそらくここは、要の心が創り出した心の中の世界だ。
変身すると五感を失う体質になった要は、変身する度にこの世界が見えるようになっていた。
この世界には、自分ともう一人、幼い頃の自分がいる。
五年前ぐらいの、丁度十二歳ぐらいの自分だ。
要は、幼い自分を見下ろしていた。
幼い要は、膝を抱え、身を縮め、目を閉じ、耳を塞ぎ、口を結び、呼吸さえも殺して、ただ頑なに世界を感じることを拒んでいた。
要はふと思う。
先刻まで、自分は仮面の怪人と戦っていたはずだった。
何故この世界に……? 自分は『変身』したのか?
確か、不意に現れた無数の触手に飲み込まれ、そして……。
「ああ、そうか……」
どうやら、要は咄嗟に変身して身を守ったらしい。
変身後の要は絶対の防御力を誇る。
例え五感が働かなくても、仮面の怪人が要を傷付けることは出来ないだろう。
「なら、しばらくは変身したままいないとなぁ……」
暫くはこの世界にいなければならない。
幼い自分を見下ろす位置に、要は腰を下ろした。
「ねぇ……。何でそんなに世界を拒絶するんだよ……。目を開けてくれないんだよ……」
幼い自分に問いかける。
勿論、返事なんかしてくれない。
「お前がそんな風にしてるから……僕は、戦えないんだろ……」
こいつのせいで、要はヒーローになれない。
要は抱えた膝に顔を埋めた。
随分と、時間が経った。
これだけ長く『変身』していたのは久しぶりだ。
「どれぐらい経ったかな……」
時間はわからない。
外はどうなっているだろうか? 仮面の怪人が暴れ続けてくれていたら、プロのヒーローが既に駆けつけているかもしれない。とっくに保護された要は、病院にでも運ばれているんじゃないだろうか。
「そろそろ良いかな……」
立ち上がる。
「じゃあ、僕は行くよ」
ずっと眺めていた幼い自分は、やはり微動だにしなかった。
変身が、解除される。
真っ暗だった世界に、まぶしい光が差し込む。
衣服の感触、肌寒さ、口の中の唾液の味……様々な感覚が一斉に戻ってきて、そして――。
目の前で、真っ白な仮面が要の顔を覗き込んでいた。
「――っ」
要は生唾を飲み込んだ。
川岸のブロックにもたれかかる形で座り込んだ要の目の前に、仮面の怪人が膝を付いて要の顔を覗き込んでいたのである。
まだ脅威は去っていなかった。
要は再び変身しようと英気を集め始めるが、変身を解除したばかりのため思うように英気を体内に集められない。
(今、攻撃されたら……死ぬっ)
しかし、仮面の怪人は要を襲うような素振りを見せず、それどころかおもむろに立ち上がり、要への興味を失ったように要に背を向けた。
「そうか……君は、ヒーローになれなくなっちゃったんだね……」
掠れた女の声だった。
今、この場には要と仮面の怪人しか居ない。
「怪人が……喋った……」
要はまさかと思った。
破壊以外の何物ももたらさないはずの怪人が、確かに喋った。
仮面の怪人が跳躍する。
一瞬で堤防を飛び越え、川沿いの道路に踊りでた怪人は、そのまま民家を飛び越えて彼方へと消えていった。
「助かった……のか?」
突如として現れ、突如として去っていく脅威を見つめ、要は呆然とつぶやいた。
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